最後に見る光景
突っ込んだときに一瞬だけ「しまったな」と思った。ハゲ頭を踏みきり台に龍へと舞い飛んだ私だが──控えめにいっても高さが出すぎた。予定では勢いをつけてそのまま龍に刺さる予定だったんだけど。結果としては龍の真上に飛んでしまったわけだ。ハゲ頭恐るべし。こんなに跳躍力が上がるとは。普通は滑って勢い落ちると思うんだけど、変な感じに勢いがついちゃったパターンだな。
いっけねー! と思った瞬間、私の眼下にはぱっくりと口を開けた龍。小さい頃よくみた鮫映画を思い出した。このままむしゃむしゃされてしまうのだろう。嫌な終わりかただ。
龍の口はどんどん近づいてくる。否。私が近づいているのだ。空を飛べない鳥だからこそ、羽ばたいて重力に逆らうこともできない。奇妙なことに龍は口の中まで真っ白だ。
鋭い牙が並んでいるのが見える。人とは違ってすべてが同じかたちの、円錐状の歯だ。貫かれたら痛いだろうと思う。じろじろと見てしまったが、虫歯もない。非常に健康的な歯だ。ちょっと羨ましくさえ思う。
ここで終わるのか。ぱくっと平らげられてそして終わるのか。
──そんなわけはないのである。
私は嘴を下にして落下していく。そっちの歯だって鋭いだろうが、磨き上げてきた私の嘴も舐めないでほしい。舐めるなら権力者の靴の裏をおすすめする。
一面の雪景色にもよくにた真っ白な口の中へ、私はためらわずに落ちていく。龍の口内は暑くもないが寒くもない。体温というものが存在していないかのように、あるいは温度という概念そのものが抜け落ちたかのように。
口の中は真っ白だったはずなのに、飲み込まれた瞬間に視界が真っ暗になった。
なぜだか懐かしい気分になった。
***
──相棒が食べられた。頭からぱっくりと。
一瞬の出来事だった。景気良く飛び上がった相棒が、まるで普通の生き物かのように頭から食べられてしまった。シャチから逃れるために水面を飛んだ魚が、運悪くシャチのその口に飛び込んでしまうように。
本当に一瞬の出来事だったから、俺は何も言えなかった。踏み台にされた親父も目を丸くして立ち尽くしている。
「嘘だろ……」
【勇者】が呆然と呟いた。俺も同じ気持ちだ。あれほどの生き物が普通に食われるだなんてこと、一度も考えたことがなかった。それは俺も親父も【勇者】のやつも──この場にいる全員がそうだった。
龍はごくりと相棒を飲み込む。咀嚼されなかっただけましかもしれない。
どうする、と俺は策を巡らそうとして、けれど思い浮かぶのはたったひとつだった。相棒が俺の相棒である以上、見捨てる選択肢もなければこのまま悲しむつもりもない。
やることはたった一つだ。
「親父とお袋と、それからあの子を頼む」
「……お前、何する気だよ!?」
【勇者】は俺が何をするのか理解してしまっただろう。だからこそ「何をする気だ」などと声をかけてきた。その言葉は咎めているわけではなく、引き留めようとするためにかけられたものだというのもわかっている。そこそこ長い付き合いだから。
「クソになって出てきちまっても、墓は作ってくれよな」
「お前正気かよ!? 死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 死ぬだろそれは! いくらマゾでもさすがに死ぬ!」
「我々の業界ではご褒美なんだよこんなもん」
ウインクをして親指を立てる。強がりじゃないわけではない。八割くらいはご褒美だと思っている。あとの二割は死んだら痛みが知覚できなくなるだろうな、という残念さへの恐れだ。
【勇者】は狂人でも見るような目で俺を見てきた。流石に両親の前でそんな顔はしないでほしい。俺はいたってまともな人間なのに。
吹雪吹きすさぶ中で寒中水泳をするような人間を見る目付きから、ふいに【勇者】は真剣な顔つきになる。やっぱりねじり鉢巻と八百屋のエプロンが奇妙に笑いを誘ってくる。そんな俺の心情を知ることもなく、【勇者】は「やめろよ」と頭を振った。
「気持ちはわかるけどな。……でも、おじさんとおばさんの前ですることじゃねえよ!」
「そうかな。親父もお袋も同じことをすると思うぜ。【獣使い】だから」
半分嘘だ。あの人たちは死を覚悟した上で飛び込みはしない。そんな無謀はしない。相棒も助けて自分も無事で帰ってくる。そういう人たちだ。だからこそ、【相棒】を助けられなかったこと、魔王にしてしまったこと、それを封じることしか出来なかったことをずっと後悔してきたんだろう。
「親父とお袋を頼んだぜ」
「絶対嫌だね」
「ケチだなあ」
笑った俺を【勇者】が「お前が【獣使い】としてそうするなら」と睨み付ける。
「俺は友達をみすみす死なせにいくようなことは出来ない。本人が望んでもその背中は押せない。お前が【獣使い】であるように。──俺は【勇者】だから引き留める」
殴ってでも止める、と【勇者】がねじり鉢巻を結び直した。除雪用のスコップを握り直し、俺に向かってじりじりと近づいてくる。何やってるんですか! とあの少女の叫びが聞こえる。お袋と親父の視線がこっちに向いた。吹っ切れるなら今だと思った。
「──俺が魔王になってやる! 親父にもお袋にも、お前にも【先代魔王】は倒させない」
親父やお袋にもよく聞こえるように声を張り上げてやった。
俺があの龍を倒すのが一番良い解決法のはずだ。【勇者】が父親を倒すのはもちろん禍根が残るし、お袋や親父もそうだ。二度も友人を手にかけなくちゃいけないような場面に追い詰められて、それで世界に恨みを持たずに──破壊衝動を持たずにいられるような人間がいたら、それは人じゃないだろう。その点、俺なら何の問題もない。友人の父親を手にかけてしまうことについては罪悪感も忌避感もあるが、それでも他の三人に比べたらずっと薄い。もしかしたら破壊衝動をもたずにいられるかもしれない。
そんなの絶対止めてやる、と【勇者】が叫んだ。本当に俺を殴って気絶させようとスコップを振りかぶる。やめて、とあの少女が叫んだ。俺はスコップを避けて【勇者】ににやりと笑ってやった。
──お前が【勇者】として俺を引き留めるというのなら。
「【勇者】の目的を阻止するのが【魔王】の役目だよな?」
とっさに足元の雪をつかみ、【勇者】の顔面に叩きつける。やつが怯んだ隙に俺はあの龍の元へ。すかさず親父とお袋が俺を追いかけてきた。歳を食ったとはいえ二人ともまだまだ俊敏だ。二人がかりだったら俺も捕まるかもしれない、そう思いながらなんとか走る。龍の口に入ってしまえばこっちのもんだ。けれど両親はそれを許したくないらしい。俺がいたずらして森に逃げ込んだときよりガチな顔をして追ってくる。つかまるかもしれない、と焦った瞬間、体が思い切り引っ張られた。
「げっ……えっ?」
てっきり親父かお袋が俺の首根っこを掴んだもんだと思ったんだけど。
俺の外套のフードを器用に牙に引っ掻けて、俺と共に龍の口めがけて走っていくのは。
「──暴君虎」
あの少女の【相棒】だった。
流石に本気の暴君虎の早さにはあの両親も敵わなかったようだ。虎はぐんぐんと二人を引き離し、雪降り積もる大地を蹴って龍の口へとまっしぐら。俺一人だったらこうも軽快に龍の口には突っ込めなかっただろう。お前も口のなかに入っちまうぞ、食われるぞと警告したものの、暴君虎はそれを知っているとでも言わんばかりに俺を優しい眼差しで見つめた。まるで母親のような優しい顔だ。
「──あ、もしかして」
その続きを口にする前に視界が真っ白に染まる。龍の口のなかがこんなにも白いとは思わなかった。雪国の光景より白いってのはなかな興味深い。
俺はそんなのを信じていないけれど、もし死んだあとに別のものに生まれ変われるのだとしたなら……。
最後に見る光景は、きっとこんな風に白いのだろう。