親子揃って踏み台に
相棒が俺の頭を踏んづけたときに、俺の首はちょっと嫌な音をたてた。ぽってりした見た目に違わず、あいつはあれでちょっと重い。普通、鳥は空を飛ぶために体は軽いものなのだが、相棒は空を飛ばないし、海に潜ることの方が多い。そんなときに体が軽いと水へ潜れないから、たぶんそのために体が重いんだろうけど。
──首は不味い、首は。
あぶねー! と心でひっそり思いつつ、俺は治癒の魔法を首にかける。何してんだというような友人の視線が向けられたけれど、頭を踏み台にされたらお前もこうなるぞといっておきたい。
そんな感じで俺がちょっと気をそらしたすきに、相棒はなんかすごいことをしでかしていた。翼擬きの最初の一発が強力だったのは音からして明らかだったんだけど、それでうっかりぶっ倒れた龍のおっさん……? に、全く容赦なく追撃していたのだ。ベチッ。べベチッ。そんな音が何度も続く。おっさんは何度か口を開こうとしていたみたいだけど──口を開く前にビンタがその口をふさいだ。圧倒的な力と傍若無人さがなせる、物理的な口封じだ。アグレッシブすぎる。見習いたくもあるしやってもらいたくもあった。いいなあ。俺の口から出てきたのはそんな言葉だ。痛そうで羨ましい。
──バチン。ベチッ。ベチチッ。
静かな銀世界に物騒な音だけが響いている。
おふくろも《勇者》も、唖然としてその光景を見守るしかなかったようだ。俺だってそうなんだけどな!
自分の背の何倍もある大きな龍に、ちょっとどんくさそうな太った鳥が暴虐の限りを尽くしているのだ。ここで驚かずにどこで驚けというのか。シュールすぎる。
「……任せといたら勝てるんじゃねえか?」
ぼんやりと呟いた《勇者》に俺は静かに首をふる。同じ事をついうっかり考えてしまったが、それでいいのか。いや、よくない。とはいえ、どう手を出したものか。各々が出方に迷っていれば、龍の方が動き出した。
「──いい加減にしろッ!」
体を大きく揺すり、龍は俺の相棒を振り落とす。先程までの蛮行とは裏腹に、ころころ……ぽてん、と可愛らしく雪の上に落ちた相棒は、ビンタを再開させようと躊躇うことなく龍へと向かっていく。見た目に反してガッツ溢れる素晴らしい闘志だ。見た目詐欺と言っても差し支えないだろう。──とはいえ。
「危ない!」
相棒めがけて繰り出された龍の尾。降り積もる雪すら抉りながら振り回されるそれは、まともに当たったらひとたまりもないだろう。体格差がありすぎる。咄嗟に走って相棒を抱え、転げるようにして尾を避ければ、龍の体に埋まった男が大きな舌打ちを響かせる。母さんと《勇者》、それからあの魔術師の女の子の叫びと悲鳴が聞こえる。危ない。避けて──。耳がその声を拾った瞬間には、もう手遅れなのだと俺の勘が告げていた。
「いっけね……!」
雪の飛沫が壁のように迫ってくる。尾がまた振り回されたのだ。
往復ビンタの要領でもう一度振り回された尾は避けられそうもない。相棒だけは守らなくては、とぎゅっと抱き込んだ。──こんな時にいうのもどうかと思うが、そこはかとなく生臭い。普通の鳥の匂いとはまた違った匂いがする。この鳥特有なのだろうか。
俺は相棒を抱えながら目をつぶり、襲ってくるはずの痛みを今か今かと待ち構える。いつまでも襲ってこない痛みに目を開ければ、俺の目の前にいたのは。
「──親父っ?」
龍の尾をがっしりと受け止め、親父は振り返る。にいい、と虎を思わせる顔で俺に笑いかけた。
「まァだまだ、ケツの青いガキだなァ?」
これくらい跳ね返して見せろ、と親父は腕に力を込める。服の上からでもわかるほどに力こぶが盛り上がり、親父は一瞬だけ息を止めた。それから。
「──おらァ!」
見事に自分の力だけで尾を投げ返す。龍は一瞬驚いたようだった。
「お前は……」
「よう。……随分変わっちまったじゃねえか」
悲しいぜ、と親父の口から小さな呟きが漏れる。たぶん、その呟きを耳にできたのは俺だけだろう。変わり果てた友人の姿を目の前に、親父が今何を思っているのか。深く考えなくても何となくわかる。俺に向けられているその背は、大きくて──けれど、どうしようもなく疲れ果て、老いている。
親父やお袋がこの罪を、罪悪感を何年抱えてきたのかわからない。共に手を取り戦った友人を封印したということが、殺したということが、どれほど苦しいことなのか俺にはわからない。
「……何しにきたんだ。どうしてもどってきたんだ」
「お前たちに復讐をするために。満たされることのない破壊衝動を満たすために。暴虐と酷悪の狭間にこの身を委ねるために」
「──頼むから。頼むから……二度も殺させないでくれよ」
親父の絞り出した声は、雪降り積もる世界にしんと響いた。あんなのはもう嫌だな、と独り言のように呟いた親父は俺に振り返る。
「母さんと、お嬢ちゃんと……とにかく他のやつ皆連れて、お前は逃げろ。あとは俺が全部やる」
「何言ってんだよ……? 一人で相手できるわけ……」
「するしかねえんだ。俺が全部片ァつけなきゃな」
にやりと親父は笑って見せた。強がりだろうと思った。現役時代ですら一人では太刀打ちできなかったであろうものを相手に、老いた今、一人でどうにかできるわけがない。
死ぬつもりかよ、とは口に出来なかった。口に出来るわけがなかった。なぜなら──
──ぎゅああああああ!
龍に振り落とされて怒り狂った俺の相棒が、見た目からは想像できないほど不細工な鳴き声と共に飛び出ていったからだ。
あれはどう見ても怒っている。今まで大半の動物をその翼擬きの一撃で沈めてきた相棒だ。【獲物】に振り落とされるだなんて、今回みたいな目に遭うことはまずなかったのだろう。少なくとも俺は見たことがない。
鳥にプライドがあるのかどうか俺にはわからないが──多分プライドを傷つけられたとかそんな感じな気がする。とにかく怒り狂った俺の相棒は、俺の親父のハゲ頭を踏み台にもう一度龍のもとへ。
踏み台にされたときに髪が何本か抜けたのだろう。親父が「俺の髪が!」などと嘆いている。シリアスな空気などそこにはなかった。
***
──消化不良だ。血が足りない。このフリッパーをもっと赤く、もっと鉄臭くしなくちゃ気が収まらない!
龍に振り落とされたところをマゾヒストにキャッチされ、そのまま追撃とばかりに振り回された尾から守られた。痛い思いをせずにすんだのはありがたいけど!
マゾヒストの青年の父親まで乱入してきたこの場は、もう収集がつかないことになっている。オールスター勢揃い──といったところだ。いちばんのスターは私なんですけどねっ!
振り落とされた悔しさに歯噛みしていれば、青年の父親と青年が何やら話し始めた。込み入ったような雰囲気を感じたけれど、それが何だっていうのか。
『邪知暴虐の限りを尽くして良いのは私だけだ────ッ!!!』
おっさんの頭を踏みつけ、わたしは龍の顔面へと突っ込んだ。




