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ホップ・ステップ・フリッパー!


 ──どうしてまた戻ってきてしまったの。


 しんと冷えた極寒の森のなか、悲痛な声が響く。あのマゾヒストの青年の母親の声だ。

 さすが北国のマゾヒストの母親である。ほぼ龍の半裸の男性とも知り合いとは。こんな得体の知れないものともお知り合いでいらっしゃるとは知りもしなかった。


 別れた浮気相手がまた自分の目の前に出てきたような台詞ではあったけれど、この半裸の男性が浮気相手ということはないだろう。青年の父親をしっかりと尻に引き、恐怖政治を展開してきた青年の母親ではあったが、肝心の父親もマゾヒストの青年よろしくマゾなのだ。これで夫婦仲は良好だ。過激な夫婦喧嘩も二人にとっては愛のコミュニケーションなのだ。浮気だのなんだのとは無縁である。


 悲しいかな、マゾヒストの青年は父親の血が濃かったのだろう。異次元級のマゾヒストとして生まれついてしまったし、たまに母親の血がチラリズム(サドに変身)してしまう。


 需要(マゾ)供給(サド)。切っても切れない関係である。尻にしかれるのはマゾヒスト(青年)の父親からすれば望むところであろうし、恐怖政治なんてただのパラダイスだろう。一方、マゾヒスト(青年)の母親からすればそんな恐怖政治すら受け入れる夫は貴重に違いない。何をしても喜ぶのがなんだか物足りない──などとちょっと恐ろしいことを聞いた記憶があるものの、それでもマゾヒスト(青年)の母親はきちんと夫を愛している……と思う。


 人としてはいろんな意味で崩壊寸前かもしれないが、家庭内には崩壊という二文字はない。彼らの居住地であるここ北国は年中冷えきっているものの、彼らの関係は冷えてなどいない。でなきゃ、嗜虐趣味の息子がこの世に存在することはなかった。まったく迷惑なものである。せめてまともな息子さんを育ててください。魔物との寒中水泳に精を出すのは人としてはアレな感じだろう。ブリザード吹き荒れるこの国で泳ごうという発想が出てくるのがすでにアレだけども。

 

 それはさておき──


 にたあ、とまったく品のない笑みを浮かべて、このくそ寒いなか裸で龍に埋まっている男が口を開く。


「フルーシュタ。俺を殺したフルーシュタ。元気にしていたのだろうな。ズヴィは元気か? 俺を殺したズヴィはまだ生きているんだろうな」


 青年の母親(フルーシュタ)は口許を戦慄かせたまま、次の言葉を口にできずにいる。何だかよくわからないが、ややこしくて面倒くさそうな事情があるのは私にもわかるぞ! お昼のドラマなんて目じゃないッ! 何しろ青年の母親の後ろにいる、あのサディスティックな少女も複雑な顔をしているからね! そういえば暴君虎(タイラントタイガー)がいないけど、マゾヒストの青年の家でお留守番中だろうか。のんきなものである。


 時が止まったように、皆して重い空気に身を委ねている。どうすりゃ良いんだ、と青年が小さく呟いた。バカめ、と私は鼻で笑う。そんなの一つに決まってるじゃないか。


 雪にすぽすぽと足を埋めながら、えっちらおっちらと私は青年のもとへ急いだ。……腹這いになって滑った方が早かったろうけど、何となく自分の足で歩きたい気分だったのだ。ペンギンのよちよち歩きってプリティだしね。このすさんだ空気に一陣のそよ風をお届けしてやろう! という気持ちだ。ありがたく受け取りたまえ。


 青年の足元までやって来て、私はフリッパーを振りかぶった。ヤツ(マゾヒスト)をいつものマゾヒストに戻すにはこれしかないのを私はよく知っている。いついかなる時でも、欲望のままに痛みを享受する変態が、私のよく知るマゾヒストなのだから。


《──悩むのは死んでからにしな!》


 振りかぶったフリッパーは、狙いを寸分違えることなく青年の脛をおもいっきりうち据えた。いってえ……! と、痛みだけではない何かに悶えながら、恍惚とした表情で青年はうずくまった。この空気でこの顔が出来るとは、さすが北国の誇るマゾヒストだ。今更ながら結構引いた。一斉に皆の視線を集めても、微動だにせず悶える姿はいっそ清々しい。そんなマゾヒストの姿をみても、誰一人として心配しない。なぜなら、見慣れた光景であるからだ。こんなのを見慣れてしまうというのも嫌な話だが。母親すらノーリアクションなのが物悲しい。


「……さて」


 うずくまって恍惚とした青年をちょっと引いた目で見ながら──極めて正常な反応と言えた──龍の胸に埋まった人間が口を開く。どうやら仕切り直しを図っているようだった。変な空気流しちゃってすみませんね。そよ風をお届けするつもりだったんですけどね。


「フルーシュタ。俺はお前を恨んでいる。俺を殺したお前を。俺を魔王にしたお前を! 自分達だけ生き延びて、幸せに暮らしているお前らを!」

「違う……! 私たちは、貴方を魔王にしたかったわけじゃない……!」

「戯れ言を!」


 怒りに身を任せたそれが、龍の尾で攻撃を仕掛けてくる。いきなりのシリアスなターンである。先程までのマゾの恍惚感はどこに。龍の胸に埋まった半裸の男性は、降り積もった雪を巻き上げながら、まるで大地でも抉るかのように地面すれすれに尾を払う。勇者の青年とあの少女、マゾヒストもその攻撃を避けた──のに。


「……っ、何ぼーっとしてんだよ!」


 青年の母親は足でも縫い付けられたかのようだった。一瞬動きが遅れ、尾が当たりそうになったところをマゾヒストが庇う。息子が弾き飛ばされたのをみて、青年の母親は悲痛な声を上げた。


「やめて……!」

「お前が避ければよかったろう、フルーシュタ。下らない感慨にふける暇などあるのか?」


 弾き飛ばされたマゾヒストを狙って、尻尾がまた襲いかかる。青年の母親は自分の息子を庇い、雪に叩きつけられた。庇わなくても息子は喜んだと思うぞ。というかさっき母親をかばったときに嬉しそうな顔してなかったか?


「おばさんッ!」

「お袋っ!?」


 勇者が駆け寄る。マゾヒストも叫んだ。これくらい何てことないわ、と青年の母親は立ち上がる。昔とった杵柄というべきか、多少よろけたものの、たいしたダメージを食らっていないのは驚きだろう。流石は北国の誇るマゾヒストの母親だ。でも庇わなくてもよかったと思うぞ! なんどでもいうけど!


「庇いあいか。面白くもない」


 フン、と面白くもなさそうに鼻をならした龍に、私は飛びかかることにした。ジャンプ台として踏みつけたマゾヒストの青年が、バランスを崩して顔面から雪にのめり込む。


 打つ、ぶつ、殴るは私の専売特許である。尾とフリッパーの違いがあったとしても、専売特許を掻っ攫われて黙っているわけにもいくまい!

 肉を打つあの感覚を思いだし、私のフリッパーが歓喜に震える。

 私は皇帝ペンギンだ。ならば、皇帝のように不遜に振る舞うのが【皇帝】という言葉に恥じぬ行いだろう。上から目線で語られて、危ない尻尾をフリフリされても困るのだ。


 空を飛ぶことはできずとも、宙を舞うことくらいはできるッ!


 お世辞にもかわいいとは言えない鳥の瞳をぎらりとさせて、私はフリッパーを振りかぶった。吹雪が吹き荒れる中でも、鍛え抜いたフリッパーの発する風切り音はよく聞こえる。人間の顔であったらさぞや凶悪な顔であろう笑顔を浮かべ、私は一面の銀世界に叫んだ。


『──頭が高ァい!』


 私の何倍あるかわからない背丈の龍──に埋まっている半裸の男性──の顔に向かって、私は容赦のない一撃を繰り出した。


 ──ひれ伏せ半裸! 滅べおっさん! 唸れ私のフリッパー!


 久しぶりの故郷で振るったフリッパーの調子は最高だった。冷えた空気が肺に満ちるのが心地よい。胸に埋まった半裸のおっさんは、私のフリッパービンタをもろに食らった。



 


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