表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/56

そしてとどめ



 白と黒のツートンカラー。ぬいぐるみにするとあら大変、とてもかわいくなる流線型のボディ。しかしその実体は鮫より恐ろしいと言われる“冥界の魔物”や“海の殺し屋”という名の付いたイルカの仲間――シャチである。


 くどいようだがもう一度言わせて貰う。シャチである。


 シャチとは海洋生物の食物連鎖の頂点に立ち、好物は鯨の舌や口のあたり、というエグい好みを見せ、時にはあの人食い鮫と名高いホオジロザメまで食べるやつである。どれだけ絶望的な動物だかわかってくれただろうか。絶望的なのだ。とにかく絶望的。この事実を知ったとき私は「なんつーものを水族館は飼育しているのだ……」と恐怖に愕然としたが、慣れた飼育員はきっと死の恐怖には屈しないのだろう。シャチを侮っている可能性はなきにしもあらずだが、とにかくお疲れさまである。魚程度で生ぬるく手懐けられて――支配されてしまうシャチにお疲れさまである。


 ――私が支配するとするならそんなに生ぬるくはしないので安心してほしい。


 ちなみに“海の殺し屋”はイギリスで付けられた俗称だけれど、“冥界の魔物”は学名の Orcinus(オルキヌス) orca(・オルカ)から来ているので、別にシャチの圧倒的な強さにテンションの上がってしまったイタい人が勝手に厨二的名前を付けたわけではない。正式に痛々しい名前が付けられているのだ。見よ、聖書の時代から人間は厨二病という不治の病からは逃れられないのだ!

 たぶん、昔の人もシャチの絶望感には勝てなかったのだと思う。まあ仕方ない。あのホオジロザメも襲うのだ。そりゃ絶望もするだろう。海で一番遭遇したくない生き物だ。人間の時だったなら。


 まあ、そんなやつが私をじっとみつめているわけです。――ああ、シャチさんですね、お噂はかねがね。初めましてこんにちは。


 とりあえず友好的に挨拶をしてみる。通じているかはよくわからない。ふふ、と口元に浮かぶのは微笑みだ。冷たい風が吹き付ける中、わたしと冥界の魔物は見つめ合った。見つめ合うと素直にお喋りできなくなっちゃうよね! シャイなペンギンさんですからね!


 びゅう、と冷たい風が私のフリッパーを打った。今日も風は強い。私にとっては絶好の狩り日和である。――いやあ、気候が良いとテンション上がっちゃいません? 私は台風が来るととある音楽グループの真似をし始めるタイプでした。


 ガア! といきなりシャチは大きな口をあげ、無謀にも甲板にいた私をその胃袋に納めようと突進してくる。――が、しかし。


 私は別に水面ギリギリのところにいたわけでも何でもないので、シャチはその頭を船にたたきつけることとなった。――馬鹿め。船は大きく揺れたが、私には何のダメージもない。

 いくら水生生物のなかで頭が良かろうが、所詮人間様にはかなわないのである。ふふふ、と私の口元はゆるみ始めている。

 私が頑なに甲板にいた理由の最後の理由。


 ――シャチを屈服させる!


 海の殺し屋、冥界の魔物と名高いシャチだ。支配下においてしまえば海は握ったも同然。わたしはシャチに遭遇するのを楽しみにこの寒空の下突っ立っていたのである。


 この場においてシャチは狩る方ではない。この私の目の前にいる限り、このシャチは狩られる方なのだ。それを目の前のこいつに叩きつける。文字通りな!


 数々の生物を屈服させてなおその血を求めてやまない、黄金のフリッパーが疼いた。ちょっとアブナい人の言う左腕が疼く感覚ってこれなのかもしれない。


 ――早く! この! 殺人的フリッパービンタを! ヤツに当ててやりたいッ!


 シャチは頭を船にぶつけてなお、私のことをあきらめていないようだった。そうでなくては困る。私はお前を今から物理的に叩きのめすんだからな! 空は飛べずとも! 皇帝としてこの世に君臨すると誓った身! やってやるぜ唸れ私のフリッパー!


 私はシャーッと甲板をペンギンお馴染みのあの腹這いで滑り、一息でシャチへと距離を詰める。普通なら逃げてしかるべき生き物が迷わずシャーッと突っ込んできたことにシャチはビビったようだった。こっちも突然起きるおっさん程度の驚きを与えられたのだから、突然自分に向かって飛んでくるヘットボトルミサイルくらいの驚きは与えてもいいだろう。シャーッ。


 シャチは困惑の目を私に向けている。そりゃそうだ、彼はこんなにアグレッシブなペンギンをみたことがあるまい。ここで私に出会ったことが運の尽きである。彼は今後一生ペンギンをみる度に、その不吉な鯨幕的配色の身を震わせる恐怖に今から出会うのだから。


 ――私直々に恐怖を植え付けられることを誇りに思うが良いッ!


 ばっと船のすっかすかな柵を飛び越え――こんなので船の安全性は保証されているのか――、私は空高く跳ぶ。飛べないのは残念だけれど、それでも良い。今の私は血に飢えていて、私のフリッパーは犠牲者を求めている。理由などそれだけで良い。

 横暴? 野蛮? 知ったことか。自然の前ではすべての理屈など、良心など、理性などゴミに等しい。殺らなきゃ殺られるのだ。殺られる前に殺れ。これが自然界の不文律だ。


 ――屈せよ、冥界の魔物ッ!


 マゾヒスト相手に日々磨き上げられていた私のフリッパービンタは、たった一撃でシャチの意識を奪うに事欠かなかった。

 ペンギンのビンタぐらいで――とみなさんお笑いかも知れないが、日々磨き上げられたフリッパーである。脳天に野球ボールが直撃したなら、だれでも脳震盪に陥るのではないだろうか?


 何だったら私直々にフリッパービンタをお見舞いしてやろうじゃないか。天国見せてあげますよ、と。



***



 私のフリッパーの一撃にあっさりと気絶し、腹を見せてぷかりと水面に浮いてしまったシャチを、私は目玉をつつくという限りなくアウトサイダーな方法で叩き起こした。これでこそ傍若無人に大陸を制覇することになる“皇帝”ペンギンのなせる、サディスティックで動物的な振る舞いだろう。私は野生に乗っとって行動している。


 うごおお、と低く呻いたシャチの耳元で、《もう片方の目も失いたいか?》ときわめて紳士的に聞いてやれば、彼は《すみませんでした》と従順に私にひざをついた。シャチに膝はないが慣用句というか手垢の付いた表現なのでそのあたりは許してほしい。


 その頃にはたびたび船を揺らされたことを不審に思った乗船者たちが甲板に訪れていたのだけれども、片目から血を流したシャチをみるなり口々に「可哀想」などと抜かしている。ふふ、これだから人は見た目にだまされるのだ。ちょろい。頭を撫でられてすぐに陥落してしまう冒険小説のヒロイン並にチョロいッ! だがそこがいいッ! 私はナデポもニコポも知りはしないがぬるぽと言われたらガッ、としなくちゃいけないことは知っている。ガッ。


 ――可哀想だというならこいつらの大勢いる海に突き落としてやろうか。


 たぶん人間なんかはすぐにグズグズの肉片にされておしまいである。シャチの子供の狩りの練習として、何回か水に叩きつけられて放り込まれた人間をしゃちが弱らせるのが目に見える。人間は武器さえなければただの二足歩行の猿なのだからして。武器さえあればシャチなど簡単に相手取ってしまうのも人間であるから、なかなか気は抜けないけれど。


 ただ、周りがかわいそうかわいそうと騒ぐ中、獣使いであるマゾヒストと、船員たちはシャチの恐ろしさをよく知っていたようで、そのたぐいの言葉は口にしないのだった。あたりまえだけども。シャチを目にするなり、獣使いのマゾヒストのその目が一瞬鋭くなったのを私は見逃さなかったが、シャチの目元から血が流れていること、私の嘴が赤く濡れていることを見て取って「お前なあ」とちょっとあきれたように笑った。


 彼は私がそんじょそこらの動物には負けないことをよく知っていたし、そんな私だからこそ、この旅のパートナーに選ばれたのである。獣使いとして何か察するところがあるのか、私の配下になったシャチを彼は一瞥すると「そいつ()の相棒の座は譲らないからな」と低い声でのたまった。

 

 シャチは獣使いの殺気のこもったそれにびくりと身を震わせたが、こまったものである。いつから私がこのマゾヒストの相棒になったというのだか。ヤツは未来永劫私の下僕である。ここだけはゆずらぬ! なにがあろうと! 


 しかし、運動したらお腹が空いた。


 「お魚ちゃんありましゅよ~」といつものしまりのないデレッデレな顔をして、私に魚を寄せてきたマゾヒストには魚の分だけの媚びを売ってやり、たった今下僕にしたばかりの冥界の魔物には《旨い魚捕ってこい》と命じて海に潜らせた。


 北海の幸は美味なるものである。

 食事を持ってきてくれる下僕が二匹に増えたことに私は満足そうにうなずいて、また船の甲板にごろりと転がった。


 ――だからフリッパーを恍惚と撫でるんじゃないッ!


 今のところ問題があるのだとすれば、制裁目的で振るうフリッパーをご褒美として受け止めるド変態が近くにいることだけである。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ