劇的な悲劇
様子がおかしい、と思ったときには遅かったみたいだ。
よりによってマゾヒストの青年にサディスティックに鞭で打たれ、首の肉が割けたドラコンは、ずしんと重い音を立てて雪に崩れ落ちた。
ドラゴンが完全にオチる前にそのからだから飛び降りていた私は、もう少しこの嘴でつつき回してやりたかった──などと考えながら、倒れたドラゴンに近寄ってくるマゾの青年とその友人の勇者を見ていた。真っ白なドラゴンの身体が雪景色と同化する一方で、傷口から流れ出る血は雪を赤く染めていく。あまりいい光景じゃなかった。流れた血はいずれ、穢く黒ずんでいくのだから。
ドラゴンに近づいて、その胸の辺りに埋まっていたあのヒトらしきものを二人はじっと見つめている。私もあれには興味を引かれた。だから、そちらへ向かおうとして──隣にいたクラーケンの異変に気づいた。なにか、いつもよりしまりのない顔をし始めたのだ。しまりがないというか、顔に覇気も生気もない。覇気がないのはいつものことかもしれないけど、生気がないのは問題だ。タコは新鮮に限る。
《……どうかした? 顔がいつもより変だけど》
私がバチバチとドラゴンをぶっ叩き、鱗を剥がすのを眺めていたクラーケンが、ぼんやりとした顔つきになっていく。不味い。何だかよくわからないが、わたしの本能はこれを不味いものとして受け取っていた。熊の腕をタコの触手にしたような悪趣味な姿がどろどろと溶け、それからまた触手の塊のようなグロい見た目に姿を変えていく。生理的嫌悪感を催すようなイソギンチャク、といえば少しだけ分かりやすいだろうか。とにかく、気持ち悪い見た目になったのだ。これはもうどう見てもマズいだろう。この光景を見てまだのほほんとしているやつがいたら、ひっぱたいてやりたいくらいだ。
ぐちゃぐちゃウネウネとしたそのクラーケンは、ゆっくりゆっくりとドラゴンに刻まれた傷口へと近づいていく。これは不味いと私の中の本能がまたも大きく叫び、私の口からはきったねえ鳴き声が出ていた。あの二人に気づいてもらえるようにと。
……なんかもうちょっとかわいい鳴き声が出せる動物だったら良かったんだけど。まあでも見た目は二重丸だし、これ以上可愛くなっても困る。ボコボコにする前にメロメロにしてしまうなんてつまらないじゃないか。
***
我が息子よ、とそれはニタリとわらった。【勇者】のあいつは呆然としたまま、話し始めたそれを凝視している。悪い夢を見ているような、そんな気分になった。悪い夢であってほしかった。
「親父……なのか?」
「ああ」
信じられないという顔で見つめてくる自分の息子を、それはニタニタと嗤いながら眺めている。【勇者】の手にしていた雪掻き用の使い古されたスコップが、雪の上に落ちる。雪に優しく受け止められたそれは、落ちた音もしなかった。
「何で……親父、こんな……?」
途切れ途切れのあいつの言葉は、言いたいことの三分の一も口に出せていない。死んだと思ってた親父がぶっ倒したドラゴンに埋まっていたら、俺だって何も言えないだろう。しかも、まさかの全裸だ。全裸でドラゴンに半分埋まってるのがうちの親父です──などと、受け入れられるわけがないのだ。全裸でなくたって無理だ。
「殺したからだ。殺されたからだ。受け入れたからだ。受け入れられなかったからだ」
「親父……?」
呪詛のように低い声で滔々と語るそれに、あいつは一歩後ずさった。俺もまた、同じように後ずさる。──明らかにマズい匂いがぷんぷんする。
「俺が殺した! 俺は殺された! 俺は受け入れた! 俺は受け入れられなかった!」
地を揺るがすかのような咆哮。こもっているのはきっと恨みだろう。父と息子の感動の再会──などと、微笑ましいものにはなりそうにもなかった。戸惑っていた勇者の顔が、さらに困惑したものになる。落ちていたスコップを俺は拾いあげて、押し付けた。
「持っとけ」
「……おう」
あいつは様子が豹変した自らの父親を、幻か何かというように見つめていた。幻というよりは悪夢に近いのかもしれない。こんなに戸惑ったこいつの顔を、俺は今までに見たことがなかった。
スコップを押し付けた俺に、あいつは短く答える。二人で距離をとれば、龍が重々しく動き始めた。近くにいた相棒が飛び退く。咆哮をあげながらゆっくりと体を持ち上げた白い龍は、ぼろぼろの身体で再び俺たちと対峙する。
所々千切れ、傷ついた身体からは血がぼたぼたと落ちている。痛々しく、怨みのつのった身体に見えた。
──『俺が殺した! 俺は殺された! 俺は受け入れた! 俺は受け入れられなかった!』
親父から話を聞いていた俺には、あの叫びの意味が何となくわかる。
──この【龍】は。【勇者の父】は。
【勇者】として【魔王】を“殺した”のだ。
そうして自らが【魔王】となりかけて、親父たちに“殺された”。この寒く冷たい雪国に、封じ込められることとなった。
きっと【勇者の父】は、越境者としての運命を“受け入れた”のだろう。だから勇者なんてして、魔王を倒しにいったのだ。
──けれど。
けれど、【勇者の父親】は“受け入れられなかった”のだろう。
受け入れなかったものは世界か、それとも周りの人間か。
越境者という奇異な存在は、周りのものにも受け入れがたかったのかもしれない。思えば俺の親父もお袋も、越境者であるということを周りに話しているところを見たことがない。俺だって今回の旅に出なければ、一生その事実を知らなかったことだろう。ならば、隠しておくだけの理由がそこにあったのではないか。魔王を倒しにいくのは越境者でなくとも出来ることだ。だから、誰も親父たちが【越境者】だったとは知らないのだろう。
元の世界からこちらの世界へ連れてこられ、居場所もなく奇異な越境者。きっと、世界からつまはじきにされたような気分を味わうのだろう。だからこそ越境者は【勇者】としての地位を得るため、あるいはこの世界での自分の居場所を得るため、魔王の討伐に出向く。名声を得れば、人は簡単に人を受け入れる。
地位と名声を得るため、居場所を得るために越境者が魔王を倒せば、その越境者が次の魔王となり果てる。そんなサイクルを繰り返し続けてきたのだろう。俺の両親はたまたま居場所を得られただけで、本来なら──この龍のようになっていても、おかしくなかった。
そして今度は、きっと俺たちの番なんだろう。俺がこの龍を倒しても、あるいはこいつ自身が龍を倒しても。きっと勇者は世界を恨む。自らの父を喪ったということに、喪わざるをえなかったということに、恨みを持たないわけがない。そうしてまた次の魔王となるのだろう。憎たらしいほどに綺麗に、運命の歯車は回り続けるというわけだ。
「どうすりゃ良いんだ……?」
ここで俺たちが全滅すれば、きっとまた俺の両親がこの龍を、変わり果てた友人を封じに来るだろう。だが、そんなことをして──今度こそ両親が【魔王】になりでもしたら。
それこそ悲劇だろう。
何とかして、龍を殺さずに現状を収める必要がある。俺がそう思った矢先だった。
「ちょっと──何、この龍は……?」
雪を踏みつけ走ってくる音と共に、お袋の困惑した声が耳を打つ。
どうやら、悲劇から逃れるのは難しいようだった。