不毛に踏もう!
「――お前が死んだら誰がモップで床をはくんだよ!」
迫り来るドラゴンの足裏に目を閉じ、死を覚悟した俺を、生涯で最高の激痛を味わおうとしていたこの俺を、野太い声とともに蹴飛ばしたヤツがいた。額にはねじり鉢巻、服装はまさかの八百屋エプロン。片手にはスコップ、もう片手には鍋の蓋。こんな時じゃなかったら「雪掻きにいらっしゃったんですか~」と大笑いしてしまうような格好で、俺の友人は龍の足から俺を救った。
……雪掻きに鍋の蓋は必要ないことはこの際触れないでほしい。
「いっ……いってえええ!」
「マゾが何いってやがんだよ。痛ェの大好きだろうが」
「痛いと感じるのと嬉しいと感じるのはまた別の話だからな!?」
雪に思いっきり突っ伏した俺に「商売道具手放してどうすんだボケ」と罵倒を浴びせつつ、【勇者】の友人は白い龍へと向き直る。その光景を見て、俺は思わず「うわ……」と顔をおおってしまった。
八百屋エプロンと白い龍が向き合うシュールさときたら。そんな場合じゃないのに生ぬるい笑みを浮かべてしまう。八百屋エプロン。そしてねじり鉢巻の男が対峙するのが、白い龍。これが馬鹿でかい魚だったりしたら、まだ解体ショーですんでいたのに。
「こんなとこでおっ死んだら、お前、魔王になんかなれねえぞ」
「──【勇者】がそんなこと言っていいのかよ? 魔王の復活を唆す勇者なんか聞いたことねえよ」
「勇ましくて良いだろ? ここぞって時に目ェ瞑って踏み殺されんのを待つよりな」
立てよ、とたくましい背中を俺に見せつけて、【勇者】は「さっさと鞭拾え」と顎でしゃくる。真っ白な雪に真っ赤な鞭が転がっているのを拾い上げて、俺はもう一度立ち上がった。まだ足は震えるが、さっきよりは随分とましだ。あのきたねー鳴き声をまともに聞くとああなるのだろう。
「あの太った鳥を見てみろよ、相棒なんだろ? 一人で戦わせてどうすんだっての」
「……そうだな。その通りだ」
俺の相棒は龍に振り落とされることもないまま、未だにその鋭い嘴をキツツキのごとく龍に叩きつけている。バリバリと捲られていく鱗も壮観といったらない。相棒がこれだけ暴虐の限りを尽くしているというのに、俺は。
あいつの相棒として、ただ死ぬのをぼんやりと待っているような真似はするべきじゃなかったんだ。どうせ死ぬなら。どうせ死ぬのなら!
「──どうせ死ぬならなぶり殺されたい!! じわじわと!!!」
──そうじゃねえだろ! と突っ込みが入った。残念だ。あの意識があやふやになってくるところとか最高なのに。残念だ。
俺とは嗜好が合わなかった友人の隣に立つ。鞭を握りしめ、目の前のドラゴンを睨み付ける。大きく息を吸って、吐いた。
北国の冷えきった空気が、俺の肺を冷やしていく。冷えていくのは身体だけではなくて、頭もだった。このデカブツをどうやったらうまいこと仕留められるだろうか。つめたい空気を吸い込むたびに頭が冷静になっていく気がした。
ドラゴンの胸に垂れ下がった顔をじっと見つめて、俺は叫ぶ。
「口を封じる!」
「っしゃ。任せろ。口封じも後始末も慣れてるぜ! 面倒くさかったら簀巻きにして海に投げる! これ最強!」
「今日も派手にやってたもんなあ」
わざと軽口を叩いた【勇者】のそれに、思わず苦笑いしてしまう。勇者としてそれになれているのはどうかと思うが、今に始まったことじゃない。
雪かき用のスコップを意気揚々と振り回しながら、【勇者】は凶悪な笑みを浮かべながらドラゴンへと突っ込んでいった。
──もっとまともな武器はなかったのだろうか、と思う。
しかしながらスコップの威力たるや、なかなかバカに出来ないものだ。踏みつけようとしてくるドラゴンの足をひょいひょいとかわし、隙を見ては足をスコップで切りつけている。剣でもないのにと思ったが、案外スコップとは鋭いものなのだ。堅く凍ってしまった根雪すら砕けたりするわけで、そこに力を乗せて切りつける場所を選びさえすれば、武器としては優秀だろう。しかも、そのまま証拠隠滅に穴も掘れる。雪国では必須の便利なアイテムだ。
その上、扱っているのがこの【勇者】なのだ。武器を使って相手を打ちのめすにはこれ以上ないほどの逸材。口封じも証拠隠滅もお任せあれ、な人間を見つけてこいと言われたら、俺はまずこいつをあげるだろう。
「俺が足崩したら、お前は口封じろ!」
「任せろ!」
ドラゴンの足を軽くかわしながら、勇者のあいつは大きく怒鳴る。それに俺も怒鳴り返して、ドラゴンの体勢が崩れるのを待った。
ドラゴンは足の間をちょこまかと動き回る【勇者】を躍起になって踏もうとしている。あいつはそれをひょいひょいと避けるから、ドラゴンはタップダンスを踊らされているようだった。踏もうとすればするほど不毛だ。雪国で足腰を鍛えられた俺たちにとっては、雪程度は障害物にはならない。足場が悪くとも、それはハンデにならないのだ。
しかし、対峙するドラゴンは違った。なにしろ、俺の相棒が未だに鱗をバリバリと剥がしているし、その上足元にはあの勇者だ。スコップで切りつけられた傷口からは赤い血が転々と飛び散り、白い雪を染めている。ウグゥ、と初めて呻き声らしい呻き声を聞いた気がする。さもありなん。俺だってこんなにぼこぼこにされたらさすがに悲鳴をあげる。嬉しい悲鳴だ。
ドラゴンがふらりと足をもたつかせた。ここがチャンスと言わんばかりに渾身の一撃を片足に食らわせた勇者は、流石下衆といったところだろう。人の弱味につけこんで相手を確実に始末する能力は、どんな職業にだって必要不可欠だけれど。
「やっちまえ!」
倒れてくるドラゴンの体を俺は見据え、ドラゴンの首から飛び降りた相棒を確認する。相棒がバリバリと鱗をむしっていたところは、ドラゴンの薄赤い肉が見えていた。狙うならここだ。
真っ赤な鞭を思いきり振って、柔らかい肉を裂くように打ち付ける。相棒のお陰で鱗に邪魔されることもなく、鱗が剥げた肉からは赤い血が吹き出した。
どう、と鈍い音を響かせながらドラゴンが倒れる。雪が飛び散る。赤い血も飛び散る。体を丸めるようにしながら、ドラゴンが縮こまる。事切れようとしているのだと、感覚的にわかった。この寒い北の地で温かい血を噴き出させながら、鱗に包まれた身体はぴくぴくと痙攣している。
「案外呆気なかったな……」
動かなくなりつつあるドラゴンを見ながら、勇者の友人はどこかしみじみとして呟いた。
「そういや、これ何だったんだ?」
「俺も気になってた。見たとこ、人なんだよな」
ドラゴンが動かなくなったのを見届けてから、俺たち二人はドラゴンの体に埋まっていたあれに近づく。遠くからでも人のように見えていたそれは、近づいてみてもやっぱり人のようだった。俺たちより少しばかり体格がいい。露出している上半身には胸の膨らみが見られないから、恐らくは男だろう。
……なんかどっかで見たような顔なんだよなあ。
ドラゴンと同じく、白塗りかと思うような白い皮膚のせいで、埋まっていた人間はある種の石膏像かなにかのようだ。瞼も閉じられているから、「どっかで見たような顔」という感想しか抱けない。どこで見た顔だったかな、と俺は隣にいる【勇者】に話しかけようとして、ぞっとした。
「……あ」
「親父……?」
埋まっていた【それ】は、勇者のあいつにそっくりな顔立ちだ。顔の輪郭、少し丸みを帯びた耳、それから少し高い鼻。あいつの方は、白い顔を凝視しながら目を見開いていた。
「ガキの頃、お前の父さんに見せてもらった親父にそっくりだ……絵を見せてくれたんだよ。親父の顔のやつをよ……」
「……マジで言ってんのか、それ」
マジで言ってるのなんか俺が一番わかってた。だって、見れば見るほど顔立ちが似てる。似てない部分もあったけれど、それはきっとこいつの母親から受け継いだ部分だろう。白塗りだろうと雪まみれだろうと、そっくりであることを受け止めない理由にはならなかった。
「じゃあつまりこれは」
まさか、と俺がその考えに思い至ったときには、もう手遅れだったようだ。
ギャアア、とドラゴンに負けず劣らずの鳴き声を相棒が発する。そちらを振り向けば、にゅるにゅるした触手がドラゴンの首筋の傷にゆっくりと這っていた。おそらくは、クラーケンだろう。今はもう熊とタコの合の子というような見た目でもなく、例えていうなら触手のかたまりのような。図鑑で見た南国の海にいるという話の「イソギンチャク」のような形になって、鞭で打たれてちぎれた傷口へと侵入しようとしている。
止めようとするより早く傷口に吸い込まれた【クラーケン】は、ぶよぶよとした何かになって傷口を瘡蓋のように覆いはじめた。
──親父たちが封じた、勇者の親父なんじゃないか。
呆然としている俺と勇者の目の前で、死んだはずのドラゴンがゆっくりと鎌首を持ち上げていく。起き上がったからだを絶望の眼差しで見つめていれば、石膏像のようだった人間が目を開けた。
「──随分大きくなったじゃないか、我が息子よ」




