証拠隠滅と遺棄現場
「……足ね」
「あ、足ですよ……」
泉の真ん中には光輝くタコの足が一本。
冗談にもならない冗談のような光景だ。本体はどこに。私はタコの足を見に来たわけじゃないのに!
そんな私の心のうちなどつゆ知らず、といった様子で泉の中のタコ足はうねうねと動いている。
どう見ても――逃げていた。足跡を残すのではなく、足そのものを残して逃げていた。冗談であってほしいけれど、これは冗談でもなんでもないのだ。
「泉の中に閉じ込めたんじゃなかったんですか!」
「閉じ込めたはずよ。大きな力を持つ者は、この泉に一体化させる呪いをわざわざ作ったんだから」
女性はためらうことなくその泉に手を突っ込んで、うねるタコ足を鷲づかみにする。
まるでウナギをつかむような手さばきで思わず感心してしまったのだけれど、今言いたいのはそんなことなんかじゃなくて。
「『切り離した』のね……」
「切り離すって、トカゲじゃあるまいし」
だいたい何を切り離したんですかと問わずにはいられない。足を切り離したのは見ればわかるけれど、この人が言いたいのはそんなことじゃないだろう。
「生命力を切り離したのよ。自分が生きていくのに必要なエネルギーのみを持ってここから出たのね。こっちにはまだエネルギーが残っているし……迂闊だったわ」
「そんな……覇過多の死王が逃げ出したなんて……」
「問題はどこに行ったか、よね……いつから消えていたのかも気になるけれど」
本体はどこに行ったのか。
そればかりが頭を巡った。
「タコ……」
「参ったわね……せめて形態が固定されているような生き物だったなら、世界を巡るなりなんなりして探せただろうけれど、覇過多の死王に限っては、【様々な姿】を取ってしまうから……」
「タコの足が残っているからと言って、覇過多の死王がいまでもタコの姿をしているとは限らないんですよね……」
私の絶望的な声に「ええ」と冷静に返し、獣使いの女性は「どこかに強大な力を持った生き物でもいれば」と口にした。
「覇過多の死王ともなれば当然その辺の獣よりずっと強いし……規格外の獣が暴れている、という話でもあったなら、見に行くこともできるのに――そういう情報はないし」
***
「しっかしさ、お前、まだあの規格外な鳥と一緒にいんだな。あれ? 鳥だっけ? 魚だったか?」
「嘴があるし翼みたいなものも残ってるから、魚じゃないだろうなあ。鱗もないしさ。魚と同じくらい泳ぐけど」
「一緒に旅にもいったっていうじゃねえか。おばさんから聞いたぞ? 悪かったな、出発の時に見送りに行けなくて」
「気にすんなよ、どうせ八百屋だろ?」
こいつの場合は強盗退治の片手間に八百屋をするようなものだけど、と思いながら俺は隣にいる幼馴染に返す。
俺の相棒は少し前に外に出て行ったきりだ。相棒にかまされた放置プレイを味わおうと思っていれば、この幼馴染に渡されたのがモップである。モップ。
何でモップ? と無言でこの店の店主を見つめれば「掃除だよ馬鹿野郎」と実に簡潔な答え。
トマトやら人参やらを狂喜乱舞させた店主は、その凶器として乱舞させた残骸を俺にも片付けさせようとしていたのである。
あんまりだ。
視線で不服を訴えたが、この外道店主はそんなことでは前言を撤回しなかった。
まるで槍でも突きつけるように俺ののど元にモップを押し付けてきたのだ。やめろ、床をふく方を押し付けるんじゃない! 汚いだろ!
「掃除くらい一人でしろよ、お前がやったんだから」
「止めに入んなかった時点で共犯者だろ?」
「止めに入れなかった、という可能性も考慮してほしい」
「ぼさっと突っ立ってただけだろうが。止めに入ろうと思えばいくらでも止められるだろ、お前」
よいしょ、と幼馴染は強盗の首根っこを軽々と持ち上げた。そのまま、野菜を売っている奥の方のスペースにちょこんとおいてあるゴミ箱めがけて放り投げる。
ガコッ、と軽くはない音がして男がゴミ箱にはまった。あのあと男がどうなるのか気になってしまう。燃えるごみに行かないといいよな。そのまま火葬なんてかわいそすぎる。
でも、かといって燃えないゴミの日に出されてもゴミ回収の人が困りそうだ――というか、堂々と捨てるもんじゃないよな。せめて簀巻きにして海にそっと投げ込むくらいの心遣いは欲しい。共犯者にされてしまったこちらとしては。
幼馴染は手慣れた様子でモップをかけ始めたので――俺もいやいやながら野菜の片付けに入る。証拠隠滅の片棒まで担がされるとは……。
ついつい避けきれずに踏んづけてしまったトマトが、としぼり方の甘い雑巾を机に叩きつけたような音をさせて足の裏でつぶれていく。べちょっ。
「掃除終わったらさ、いったん帰るわ」
「おー、そうしろそうしろ。帰りを待っててくれてる家族がいるうちだぜ、家に帰れるのはさ」
もう結構暗いし、帰るべきだろう。
相棒は外に出て行ってしまったけれど、もともとが野生だし問題はない。
けれど、俺の家に残しっぱなしだった女の子のことを今の今まで忘れていた。トマトを踏んづけて思い出した。
そういえば、と俺は出かける前に母親に言われたことを思い出す。
「たまには夕食食べに来いって母さんが言ってたぞ」
「おばさんも世話焼きだなァ。平気だよ、そのうち食いに行くって言っといてくれ」
俺の母さんは両親がとうに他界しているこの幼馴染のことを、それはそれは心配していた。
もともとこいつが生まれるより前にこいつの父親は他界していて、幼馴染の父親と俺の両親は若いころに一緒に旅をするくらい仲が良かったらしいから、そのせいだとは思うんだけど。
「早めに来いよ。少なくとも俺がまた旅に出る前に来いよ。怒られんの俺なんだから」
「おばさん怒るとこえーもんな」
けらけらと笑った俺の幼馴染に一声かけて、俺は八百屋をそっと出た。
――白昼堂々と野菜を使って行われた惨劇の舞台に長く居続けて、犯人と共犯関係にあるなどと思われたくないのである。……もう手遅れだと思うけど。