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VS冥界の魔物



 私は、獣使いから一匹の狼を救った「女帝」として北国の動物達に見送られ、「可愛いおでぶちゃん」としてかつては世界に名を轟かせた元冒険者の二人に見送られ。


 ――マゾヒスト予備軍の青年とともに北の海を行く船に乗っていた。


 記憶にある南国の海とは違って、北国の海は重く冷たい色をしている。たぷん、たぷんと揺れるネイビーの水面はまるで一つの生き物のようにたゆたっていた。たまに流れてくる流氷は船に砕かれて白く散らばっている。ごう、と冷たい風が私の嘴と頬を撫でる――ああ気持ちいい!


 人間の頃は寒気団なんて亡べくそったれ! と恨み言を良いながら冬を過ごしたものだったが、この皇帝ペンギンの姿となってからは別である。ビバ寒気団。さあこの世を死の眠りに誘う雪で包んでおくれ。凍てつく闇もいまなら大歓迎。そんな感じである。

 皇帝ペンギンからしてみればこんな寒さはなんてことないし、私の記憶が確かならば皇帝ペンギンはマイナス三十度だか二十度だかのブリザードにも耐えていたはずだ。人間だった頃の記憶は遙か昔で、もはやうろ覚えだけれども。


 そんなわけで私は船の甲板でのんびりとごろ寝していた。側には一応飼い主であるマゾヒスト予備軍の青年も一緒である。彼も雪深い北国出身なので多少の寒さはへっちゃらだ。むしろ温めると溶ける勢いでダレる。一回溶かしてみようとこの脂肪と羽毛で出来た体で彼にのし掛かってみたのだが、「甘えちゃってかわいいな~」とデレデレ鼻の下をのばされるだけだった。溶かしたいんだっての。お前に売る媚びはない! が、魚は下さい!


「なあ、この海を越えたらなにがあるのかな――」

《考える頭があるんだから自分で考えな》


 マゾヒスト予備軍は初めての冒険、旅にうっとりと酔っているようだけれど、世界どころか世界線を旅してきてしまった私からすればこんな冒険は冒険のうちには入らない。死んでからが人生の本当の冒険である。重要なことがらだから是非肝に銘じてほしい。人とは、いつなんどき皇帝ペンギンに転生するかわからないものであるのだからして。


 まあどうせこの海を越えたところで広がっているのは雪と氷のない大地である。たぶんここより遙かに温かいだろう。わくわくとしているマゾヒスト予備軍はうふふ、と奇妙な笑い声をあげながら船首の向こう、青くて遠い空を見上げていた。他の客が甲板にいなくて良かったと私は思う。今の笑いは間違いなく不審者モノだった。気持ち悪いのは性癖だけにしてほしい。


 ちなみに、船に乗っている他の客は軒並み船の中である。あたりまえだ、このクッソ寒い中、風を切って進む船の甲板に佇みたいなんて人間がいたら、余程のマゾヒストだとして私はフリッパーをかましているところだ。となりにいるマゾヒスト予備軍――否、完全にマゾヒストな青年は冷たい風を春風とでも勘違いしているのか、頬をゆるませていた。苦痛を快楽に変える被虐趣味者(マゾヒスト)としては立派な立ち居振る舞いである。人としてはかなりアレだが。


「あー、俺、早く他の大陸の動物みてみたいなあ」


 獣使いの両親の血を正しく受け継いだ彼は、とても動物好きだった。幼い頃は危険だからと猛獣との接触を禁じられていた彼だが、成長するにしたがって親から「猛獣に触れても良いよー」とのお達しが出たとたんホッキョクグマと相撲をし始めた逸材である。そのときも彼は恍惚とした表情で投げられたりしていたので、逸材だったのはやはり獣使いの方面だけでもない。


 他の動物はこのマゾヒストを私の飼い主だと認識したらしく、私に従うのと同じように彼にも従った。“女帝”の主ともなれば逆らえやしないだろう。もっとも、彼らは彼らでマゾヒスト精神あふれる若き獣使いをどう扱えばよいものやら悩んでいたようだが。

 私は《飼い主でもないし遠慮せずにやっちまいな》と極道の妻よろしく彼らに伝えたのだが――私の感覚としてはこの青年は下僕でしかない――、《俺たちは姐さんと違ってこの人間には逆らえないんでさぁ》と無念そうな声が返ってきたのみである。


 私は元人間だからか、“獣使い”の命令に屈服することはなかった。が、他の動物達は別である。ゆえに、彼が猛獣禁止令を解かれたときには真っ先に犠牲となって“魅了”させられて、マゾヒストの相手をさせられていたし、投げられる度にいやな方向で喘いでいる彼をまた投げるというソフトな拷問にも耐えていた。魅了されていたにも関わらず動物達にすら“ソフトな拷問”と言われていたのだから、彼の恍惚とした顔の酷さと言ったら……。


 これではどちらが痛い目をみているのかわかったものではない。物理的にはマゾヒストの青年のが痛いのだろうが、精神的にキていたのは間違いなく私の配下である猛獣たちの方である。


 まあ、私が彼を評価する点があるとしたなら、魅了して従えた動物たちに無体を強いることがなかった点だ。大抵の“獣使い”は動物をモノとして見ているけれど、彼の一族は違った。動物を友人として扱い、相棒、パートナーとしてその力を貸して貰う。


 そんな一族だったからこそ彼の両親は世界に名を轟かせるような獣使いであったのだろうし、また、彼もそんな風に動物たちを“友人”としてみるようになったのだろう。


 動物はそのへんシビアである。人間には従える動物を選ぶ権利があるのだろうが、動物にも従う人間を選ぶ権利が存在している。命令を押しつけるだけの主など動物はいらない。いずれ、関係は破綻する。毎日毎日鉄板の上で焼かれていた鯛焼きが、屋台のおっちゃんに愛想を尽かして海に飛び込んだように。


 ――まあ早い話が“やってられっかボケェ!”である。


 その点彼は優秀だったろう。変な性癖であるとはみな薄々気づいてはいたが、嫌々ながらそれを受け入れ、彼を主としては認めていたのだから。でなきゃ相撲なんてしない。喉笛噛み切って終わりである。真っ白い雪に朱い花が咲く光景を私は見てみたかったんだがなあ! 実に残念でならないッ!


 最初、私は彼のパートナーになるのを全力で拒否したが、「お前じゃなきゃ俺は旅に出ないッ!」と年甲斐もなく泣きついてきたので、渋々承諾した。

 私が彼と旅に出るときいたときの北国の動物達の反応と言ったらなかった。

 《よっしゃあああ!》と《でも姐さんと離れるのは……ッ!》という反応の二つに見事にきっぱり分かれた。自分でも北国の動物達に慕われていたのは意外だったと言っておこう。わたしは彼らをこの黄金のフリッパーで実力統治(恐怖政治)していたが、好かれるようなことはした覚えがない。


 しばらく考えてから、ああそうかあいつらも被虐趣味だったのでは――という真理にたどり着いた。通りで、叩く度に鼻息を荒くするヤツがいたはずだ。私はてっきり怒りのままに鼻息を荒くしていたのだと思っていたが、そうなると北国の動物達もとんだ変態集団である。近隣住民のみなさまには出来るだけご迷惑をおかけしないようにと散々言い含めてきたが、別の方向でご迷惑をおかけしそうで怖い。


「もうそろそろ船室に戻るかなあ……なんか魚臭くてイヤなんだけど」

《獣臭いあんたが言えることじゃないだろ……》


 俺生臭いのいやなんだけど、とぼやくマゾヒストは間違いなく獣臭い。獣使いの宿命とでも言うのか。

 マゾヒストは私を丁重に抱えて船室へと戻る。ペンギンも随分と生臭いはずなのだけれども、その辺は良いのだろうか。私にはこの特殊性癖の考えることはわからない。わかりたくもないが。


 ――アッ、もしかしてマゾヒストだから生臭いのも快感とか?


 にへにへと笑って私の首筋に顔を埋める青年をみる限り、その線は濃厚である。とりあえずフリッパーで遠慮なく叩いたが、彼はさらにその顔を恍惚にとろけさせるだけだった。きもちわるい。こいつの首の骨はどうなっているのか。いつか折れてしまえばよいのに。



***



 夜は船室に戻り、昼は甲板にでる――そんな生活がしばらく続いた。わたしが甲板に頑なに居座り続けたのは、冷たい風に当たれるからというのと、それから、あとふたつ。


 べたべた人にさわられなくてすむ、と言うところ。


 なんというのか、やはりわたし(皇帝ペンギン)は珍しいようで、船内でよちよち歩いていると必ずと言っていいほど「かわいー!」と撫でくり回される。非常に不愉快である。そのお綺麗な顔に嘴で穴あけてやろうか――と思ったことも一度や二度ではない。やらないだけ褒めてくれてもいいんですよ。私は良識のあるペンギンですからね! 北の地を実行支配してましたけどね!


 不幸なことにあの被虐趣味者は顔だけは男前でキリッとしているものだから、ヤツと一緒に並んで歩くと必ずと言っていいほど女性に絡まれるのだ。しかし残念ながらヤツ(マゾヒスト)はどうやら人間のメスには興味がないようだったし――これはもしかするとさらに危ない性癖なのでは――そんな人間の相手をするより私の相手をするのを優先させた。優先させなくて良いから私のフリッパーをうっとりと撫でるのをやめろ!


 しかしイケメンフィルターとは恐ろしいものであり、客観的に――少なくとも私から見たヤツは完全に獣愛好者でしかないが、きゃあきゃあと騒ぐ女性乗船者からは「動物好きのイケメン」にばっちりフィルタリングされている。フィルタリングと言う言葉がこういう使い方であっているのかはしらない。私はしがない鳥である。脳味噌のちっちゃい鳥である。


 まあ何はともあれ人間の時から思ってはいたが、「ただしイケメンに限る」という現象はこちらでもばっちり確認できた。やつらのフィルターにかかれば被虐趣味者(マゾヒスト)ですら「どんな苦痛も笑顔で乗り越えられるイケメン」になることだろう。イケメンとは恐ろしい。ヤツ(マゾヒスト)があんな雪国特有の、肌の白い端正なイケメンでさえなかったら――確実に糾弾されて社会の爪弾きにされているところだろう。顔が良いのが惜しい。実に惜しい!


 いっそあの獣使いの青年の顔を私のフリッパーで美容整形(不細工に崩)してやろうかとぼんやり考えていれば、私の見ていた水面がいきなりむくりと起きあがった。毛布を頭からかけて寝ていたおっさんがいきなり起きあがるのと同じくらい私はビビった。――驚かせやがって。

 人間の時だったら見事に舌打ちできていたのだろうが、生憎今は皇帝ペンギンとなり果てた身だ。舌打ちの代わりに嘴をかちかち言わせておいた。いまいち音が響かない。


 さて、寝ていたおっさんがいきなり飛び起きたかのごとく、人の心臓に悪い登場の仕方をしたのは――シャチである。


 シャチ、すなわちペンギンの天敵である。

 黒と白のツートンカラー、鯨幕的な不吉さを漂わせる色に私は生ぬるく微笑んだ。


 もう一度言おう。

 ――ペンギンの天敵、シャチである。



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