英雄譚の裏側
“覇過多の死王”。
多過ぎた犠牲の元、やっと制覇できた魔物の名を、“この世に産まれた破壊衝動”を、人々はその魔物が封印された後にこう称した。
――覇過多の死王、と。
幾つもの骸を築き上げ、死を引き連れたその魔物はまさに死の王であり――絶望の象徴ともいえた。
そんな魔物が“魔王のかけら”でしかないことを知ったとき、人々は更なる混乱へとその身を誘われることになったのだ。
“かけら”でこれほどであるのなら、蘇るべき魔王とはどれほど凶悪で、悪辣で、絶望的なのかと。
結果的に言えばその魔王のかけらは、とある“冒険者”たちにより撃破され、深く冷たい北の海の底に封じられることになった。
その海の底へ通じる洞窟は、現在は“北海の迷宮”と呼ばれ――かつて魔王のかけらを撃破した冒険者のうちの二人が、今もその洞窟へ出入りしているのだという。
***
「ここ、どうしてこんなに花が咲いてるのか……わかるかしら?」
私の隣を歩く獣使いの女性は、洞窟の中でも咲き誇っている花々を指さして、私にゆっくりと聞いてくる。
外よりはずいぶん暖かいとはいえ、日の光もない洞窟だというのに花が咲き誇るこの洞窟は、異様と言うしかないだろう。
手にしたカンテラの光にぼんやりと姿を映し出す花々は美しい。が、どこかこの世のものとは思えない雰囲気があった。花自体がほんのりと淡く光っているのだ。命を燃やすように、生きていることを周りに気づいて貰いたいように。
――私の家、花屋なんだけど。ここで売り物のお花を取ってきてるのよぉ。
ついでとばかりに付け足された言葉に、ああだから北国でも花屋が営めるのかと私は納得し――先の問いに首を振った。
北国でも花屋が営める理由は分かったが、洞窟内に花が咲き誇る理由は全く分からない。
女性の言葉に否を返せば、女性はやんわりと笑って答えを口にする。
「ここはね、辺り一帯に魔力が溢れているの。生命エネルギーと言っても、良いかも知れないわねえ」
「生命エネルギー……ですか?」
「そうよ。……ここに満ちあふれているのは、魔王のかけらの……生命エネルギーなの」
女性はその場に身を屈め、咲いていた花を手折る。ぷちんとかすかに音がして、薄青く仄かに光っていた花が私に手渡された。
手渡された花を検分する。全くもって、普通の花と変わらない。
「最近ね、ここには花が咲かなくなってきているの。もうそろそろ、覇過多の死王の生命エネルギーが尽きる……そういうことなのだと、私たちは思っているの」
「そう、なんですか」
「ええ。たとえ暴虐の生命であったとしても、元は大地より生まれしもの。その本質は悪ではなくて――育つ過程で、悪となってしまった。……この花を見て、貴女はこれを禍々しいと思うかしら」
手渡された花をみる。仄かに光っていた花からは青い光は失われていたけれど、雪のように白いその花びらに嫌な雰囲気はないし――ただ、純粋に美しかった。溶けゆく雪を閉じこめたような白は、触れればとろけていきそうな柔らかさを持っている。
女性の話が本当なら。これが、あの覇過多の死王の生命エネルギーで育ったものだとしたなら。
「……綺麗」
「でしょう? ……そうね、あの【英雄譚】の真実を教えてあげましょうか。わたしたちが“この世に産まれた破壊衝動”を倒したときの話を」
女性はちょっと笑って、咲き誇っている花をそっと撫でる。
撫でられた花は一瞬だけ光を増して、それからまた蛍のような朧気なひかりをほろほろとこぼしながら――咲いていた。
「でもその前に、いまこの世界を守ろうとしている貴女の気持ちに対する、私の結論から言いましょう。私たちは魔王を倒すべきではないと考えているわ」
花の仄かな光に横顔を照らされながら、女性はやわらかかった表情を、がらりと変える。その顔には優しげな微笑みはなかった。
「――魔王が生まれるシステムを、あなたたちはきちんと知っていて?」
「【越境者】と【魔王のかけら】……“この世に産まれた破壊衝動”が混じり合い、一つになったときに“魔王”は誕生する……のでしょう?」
「“この世に産まれた破壊衝動”が、【越境者】と【魔王のかけら】のどちらにかかった言葉か、貴女は理解できている?」
「それは……覇過多の死王じゃ?」
つ、と口元に笑みを浮かべて、女性は獰猛で残酷な表情を浮かべる。細められた眼はそれだけで人を何人か殺せそうな――“この世に産まれた破壊衝動”を体現したような顔だった。
思わず私は身構えてしまう。
「大間違いよ」
赤い唇をぺろりと舐めて、女性は「【越境者】」と自分をあざ笑うように紡いだ。
「“この世に産まれた破壊衝動”……それは私たち【越境者】のことなの。貴女も本当は分かっているのではないかしら。“覇過多の死王”はそうね……生き物の形をしてはいるけれど、ただのエネルギーよ。私たち【越境者】の器に注がれることで“魔王”となる、膨大で莫大なエネルギー。それこそ、こんな極寒の雪国の洞窟に花を咲かせてしまえるほどの、ね」
「……それじゃあ、あなたたちが倒した“この世に産まれた破壊衝動”……は、覇過多の死王ではなくて……」
「そうよ。私と同じ【越境者】。……そんなに驚いた顔をしなくても良いじゃない。貴女も私と同じ事をしてきたでしょう? 私の息子の監視につくくらいですもの」
「……わかってたんですか」
「母親の勘よぉ。それから、元冒険者としての勘ね」
あの“伝説”には色々脚色がされちゃって、と女性は疲れたような、呆れたようなため息をついた。
「“この世に産まれた破壊衝動”はね、私と私の夫の友人……そうね、“相棒”だったの。だから私たちはあの戦いの後に“相棒”を喪ったのよ」
伝えられていた話の中での“相棒”は、獣使いとしての【相棒】ではなかったということか。伝説や伝承、口伝えの話にはよくあることだけれど、つくづく綺麗な話に整えられているものだと思ってしまう。
――あるいは、この女性がそういう風に“整えた”のかもしれない。
「正解よ。私たちは友人の名誉、それから自分たちを守りたかったわ。分かるでしょう、越境者に帰る場所なんて無い。持っているものは自分の体だけ。世界全体から余所者だと言われている以上――私たちはそんな世界から追い出されないように生きなくちゃいけないのよ。これ以上居場所をうしなわないように」
確かに、と思う。
同じパーティーを組んでいた仲間が“魔王”になりかけ、同じパーティー同士で争わなくちゃいけなくなったとしたら。醜聞も良いところだ。そこで仲間を討ったとしても、ある面から見れば仲間殺し。別の面から見れば当然するべき尻拭い、といったところだろう。そこに誉め称えられる要素は無いと言っていい。
仲間の犠牲で自らの地位を高めたと言ってしまえばそれまでだけれと――【越境者】であるが故の不安なら、私にもよく分かった。
「“相棒”を討ったときに分かったわ。きっと、【越境者】がいる以上、魔王の復活を完全に阻止することは出来ないのよ。たとえ今この世にいる全ての【越境者】を始末したとしても、またいずれ別の世界から【越境者】はやってくる。いたちごっこなの」
「そんな……」
そんなことは、と言い掛けた私を、女性は首を振ることで遮った。
「相棒を討ったときにね。押さえきれない破壊衝動が自分に芽生えたのが分かったわ。何でこんな目に遭わなきゃいけないのかって。わざわざ別の世界から飛ばされて、こんな苦労をしてまで友人を殺さなきゃいけないのかって。この世界に復讐したかった」
たとえば私がそういう気持ちとともに魔王となったら、夫が必ず私を討つでしょうねえ、と女性は当たり前かのようにさらりと口にする。
「そうして……今度は、あなたの旦那さんが、きっと世界に復讐したくなる……だから、魔王の復活はとめられない、と?」
「ええ。大正解。賢い子でよかったわ。“魔王を倒すべきではない”というのはそういうことよ」
「じゃあ……! じゃあ、どうすればいいんですか? 魔王は復活するし、その魔王は倒しちゃいけない……そんなの、何も出来なくなるじゃないですか!」
だから、と女性は足下の花を指さした。
「――魔王を自分好みに育てましょ、って話」
艶っぽく笑った女性が何をいいたいのか私には分からない。
その真意を聞き出そうとしたのに、女性はどんどんと洞窟の奥深くへと進んでいく。
見失わないようにとそのあとをついて行くのに精一杯で、私は、女性とともにたどり着いた先で何が起こるのかなんて――全く予想できなかった。




