悪意のかけらと越境者
「話が途中だったな。――俺はこの職業、楽しいと思ってるよ」
マゾヒストの幼なじみはまじめな顔をしてそう語っていたけれど――私はそれより、潰れたタマネギを鼻に詰められた挙げ句に身ぐるみをはがされていった強盗の方に気を取られて仕方なかった。
こいつの店に押し入ったのが運の尽きと言うべきなのだろうが、まあ……普通は野菜で返り討ちにされるとは思わないだろうな……。
「強盗が押し入ったりとか、危険な目にあってもか」
「おう。むしろ強盗が来てくれた方が気晴らしに丁度良いんだよ」
臨時収入も期待できるし――とぶんどった硬貨を手のひらでチャラチャラと転がす八百屋の暴君店主は、もはや言い逃れの出来ないゲスだった。私たちが旅に出た三ヶ月の間に何があったというのか……前はもう少し落ち着いてた気がしたんだけど、まあ良いか! すべて肯定しよう! 今の私は肯定ペンギン!
ゲスな店主が強盗襲撃前となんら変わらず――いや、つけていたエプロンだけが野菜の汁や何かの液体で少し汚れた状態になっていたが――平然とマゾヒストの青年と話し込むうち、マゾヒストの青年は意を決したように、とあることを口にした。
「お前さ、もし俺が【魔王】だったらどうする? もしくは、【魔王】になったりする可能性があるとかだったりしたら……どうする?」
思わず私はキュウリをボリボリとかみ砕くのをやめてしまう。マゾヒストの言葉にこの店の店主も目を丸くして、しばらく、さんざんな有様の八百屋を沈黙が支配した。外で吹き荒ぶブリザードの鈍く重苦しい音だけが、私たちの耳をじわりと染めていく。
「それも良いんじゃねえの?」
無言になったくせにあっさりと言葉を吐き出したマゾヒストの幼なじみは、「なんなら世界征服、手伝ってやるぜ?」とにんまりと笑う。なんか儲かりそうだし、と続けられた言葉に私はひとつの確信を持った。
――こいつ、ゲスで金の亡者だ。
むしろ金の亡者だからこそゲスなのか――。
鶏が先なのか玉子が先なのかというような問いを、私は頭の中でぐるぐると回し――「お前仮にも勇者だろ」とマゾヒストは笑って口にする。全くもってその通りである。もっと言ってやれ!
「腐るほどいる見ず知らずの人間を助けるより、昔から知った人間を一人を助ける方が性にあってんだ。やりたいことをやった方が人生楽しめるんだぜ。それにほら、アレじゃねえのか。お前マゾいから魔王の方が人生楽しめんじゃねえの? 冒険者に襲われまくりだぞ。生傷の絶えない毎日! お前にとっちゃパラダイスだろうが」
「な、なるほど……!!」
「魔王になったら、人としての道は踏み外すかも知んねえけど、人生の道には迷わなくて良いんじゃねえ?」
人としての道を踏み外すのは大問題な気がするが――まず、『生傷の絶えない毎日』などというマゾヒストにとって魅力的すぎる言葉を持ち出すな! そこのマゾヒスト! “ナイス魔王! 俺魔王になっても良いかもしんない!”みたいな顔をするなッ!
――八百屋の青年が何を考えていったのか、あるいは何も考えていないのかは私がわかることではないけれど、こいつは痛みのためなら何だってするような男なんだぞ!
私が言葉を話せていたなら全力を持ってその危なさを伝えるところだったが――生憎、私の口からでるのはギャアギャアと可愛くはない鳥の鳴き声だ。せめてオウムだったなら。そう思えてならない。
かくして私は――魔王になることもやぶさかではなくなってしまった青年と、危険思想な八百屋の店長との「世界征服実行案」についての会話をきくことになったのである……。
***
「単刀直入に聞いてもよろしいでしょうか」
「どうしたの? 急に怖い顔しちゃって」
わたしはいわゆる“腹のさぐり合い”みたいなのは苦手で、だからこの二人には真っ直ぐに自分の聞きたいことをぶつけるべきだと思った。二人とも悪人ではないのだし、なにより動物に好かれていそうだからだ。わたしのタイラントは女性にのどをくすぐられてゴロゴロと気持ちよさそうだし、男性の方はそんなタイラントを優しく見つめている。
「“魔王のかけら”……お二人は、それを撃破したことがあるときいています……魔王となりかけたそれを、犠牲を出しながらも封じた、と」
「……あの頃の話? それを聞きにきたの、あなたは」
「ええ」
一転して眼光の鋭くなった女性は、私の顔を真っ直ぐに見つめたまま、一言も口にしなくなった。――まるで私を見定めるように。
「あの頃の話は、俺たちにとってもあんまり良い思い出じゃねェんだよ、お嬢ちゃん」
「知っています――あなた方が大切な相棒を失った戦いであるとも、この雪国で隠居生活を送るきっかけになった戦いであるとも。……人の心の傷をえぐるようなことはしたくありません。でも、これから生まれてしまうであろう“魔王”をどうにかして封じるためにも、貴方達の話を聞かせて貰いたいのです」
「“魔王のかけら”……ね。私たちが封じたアレは、今は深い海の底で眠っているはずよ。貴女が心配しなくとも、魔王は、もう」
「その封印が解かれてしまったことを、ご存じですか」
知っているわけがないと知っていて私はそれを口にした。
「そんなはずは……だって、あの封印は」
「ええ。“悪意を持ったモノを封じ込める”ものでした。――けれど、悪意をなくしてしまった“魔王のかけら”は、そこから抜け出てしまったのですよ」
「悪意を無くしたんなら、もうそれで良いじゃねェか。魔王のかけらだの何だの言ってもな、アイツだって生き物なんだ。脅威になり得ないなら、放っておくのが一番だろ?」
「悪意はなくとも、脅威にはなり得るのです――むしろ、無邪気なモノの方が質が悪いこと、知ってらっしゃるでしょう?」
悪意があって何かを為すのと、悪意なしに何かをしてしまうことは、似ているようで似ていない。後者の方が圧倒的に厄介であることは、普通の人より獣使いの二人の方がよく分かっているはずだ。
動物は悪意なしに人にじゃれつき、ときには殺してしまうこともある。けれどそれは責められるものではなくて。
お互いの意識の差なのだ。
人間は動物より柔いのがあたりまえで、けれど動物にはわからない。だから自分の仲間にするように接し、壊してしまう。
「だから……お願いします。魔王のかけらの話を……“覇過多の死王”についての話を、封印した場所の話を、私にしては貰えませんか」




