勇ましき者
「あらぁ、じゃあ、うちの子と一緒になるまで一人で旅してたの?」
「はい。私にはこの子がいたので」
「そうねぇ、確かにその子と一緒なら女の子一人でも安心かもね。……あたしも昔ね、暴君虎を相棒にしてた頃があるのよ。懐かしいわぁ」
うふふ、と笑いながら私の暴君虎を撫でるのは、私の監視対象であるあの青年の母親だ。柔和な笑みを浮かべるその人は、私の知っている情報から得た印象とはまったくの別人に見える。
――“鞭を持たせたら隣に並ぶものはいない、歴戦不敗の調教師”。
何十年か前に彼女とその夫――つまりあの青年の父親――が魔王を討伐したとき、彼女の最後の一撃で魔王は沈んだと聞いている。彼女が手にしていた鞭は、魔王に至るまでの数々の戦いで浴びた返り血によって、どす赤く染まったと言うし、正確無比な鞭での一打は破壊力も抜群という話だ。そんな彼女がおっとりと、普通の女の人として家庭をもち、子供をもうけ、いわば隠居暮らしをしているというのは――この目で確認しなかったら、きっと信じられなかっただろう。ちなみに現在は花屋を営んでいるらしいが、こんな雪ばかりの土地で花なんて育つのだろうか。
「そういえば、お前は暴君だったよなァ。俺はラピッドだったけど」
「ラピちゃんも可愛かったんだけどねえ……あたし、虎の背に乗って移動するのが好きだったから、ラピッドラビットはやめにしたのよ、あっちが慣れてくれるまでは、すばしっこくて世話が大変そうだったし」
居間の絨毯の上に寝っ転がりながら会話に混じってきたのは彼女の夫だ。彼もまた、素晴らしい戦果をあげた強者という話だ。二人とも獣使いと聞いているが、同じ獣使いといえど少しばかり差異はあるらしい。
――というのも、“調教師”として獣使いを名乗る場合と“狩人”として獣使いを名乗る場合があるのだそうだ。
ここに来るまでにそういったようなことをあの青年に教えて貰っていたのだけれど、青年の父親は“狩人”として獣使いを名乗っているらしい。
狩人としての獣使いとは、簡単に言ってしまえば動物とともに狩りを行う者たちのこと。その場合、相棒にはラピッドラビットやバトラーシープ、ハングリーグリズリーなどが選ばれるらしい。ラピッドラビットは圧倒的なその素早さで獲物を追跡するし、バトラーシープは心に決めた相手とは絶大な信頼関係を築き上げ、それを元に素晴らしい連携を行えるのだという。ハングリーグリズリーは攻撃力が高めだから、体格のよい獲物を相手取るときには重宝する、と言う話で。
うちの親父は昔、素手で熊を狩っていたんだ……というような話をあの青年から聞かされたときは、相棒の存在に疑問を持ったりもしたが、つまりは鬼に金棒ということなのかな、と納得することにした。強いものに相棒をあたえれば、もっと強くなる。そういうことなのだろうと。
一方で“調教師”は狩りを行わない。獣の力を借りるという点においては“狩人”と何らかわらないけれど、“調教師”は“強い獣を従える”というところにロマンを求める人種が多いらしい。中にはかわいらしい動物を懐かせ、思う存分かわいがりたいという欲望を満たすために“調教師”となるものもいるらしいが、私の目の前にいる女性は前者――つまり、強い獣を従えることにロマンを持つ人種だったのだそうだ。
「暴君虎みたいに、強い獣と心を通じ合わせるのってゾクゾクするくらい楽しかったしね。――最初はつんけんしてて手におえない子を、ちょっとずつこちら側に慣れさせるのが楽しいのよぉ」
「お前、いつも猛獣狙いだったしなァ」
「いかにも! っていうような怖い見た目の子が、こっちにごろごろすり寄ってきたときの可愛らしさ……ああん、もう一度何か飼おうかしら。雪国だし、寒さに強い子が良いわねえ」
頬に手を当てながら、くねくねと体を揺らす女性からは――やっぱり、かつての恐ろしさなんて伝わってこなかった。
その傍らで苦笑いをこぼしながらウォッカをすすっている男性も、どこにでもいるおじさんにしか、私には見えなかった。
***
「らっしゃーい! ……って、何だよ、もう帰ってきたのかよ」
「諸事情あってな。最近どう?」
「八百屋だぞ? どうもこうもねえよ、いつも通りだわ。あえていうなら最近は葉物が高騰してるかなって感じでさ」
「ああ……ここ滅茶苦茶寒くなるからなあ」
「全くだぜ。フルーツの類も高くなってるな。まあ、この時期にゃ良くあることだが」
寒い寒いと身を震わせながら、八百屋で話し込んでいるのはマゾヒストの青年と――その青年の幼なじみの“勇者”の青年だ。
勇者といえば真っ先に魔王やら何やらを倒しに行きそうなものだが、この勇者の青年はそんなことはしなかった。
勇者――つまり“勇ましき者”。
幼い日には町中の家の壷を壊して回っていた彼は、いつしかその勇ましさ――というか無謀さ――を全くもって見当違いな方向に生かし始めてしまったのだ。その結果が“北国で八百屋経営”、というわけだ。
北国であるならば勿論、野菜なんてほとんど育てられない。せいぜい芋が育つかな、といったところ。そんな過酷な環境だというのに彼は何をトチ狂ったか「俺、八百屋になるよ!」と齢十八にして宣言し――今に至る。
すぐに潰れるだろうと私もマゾヒストの青年も高をくくっていたのだが、何と驚くべき事にこの悪条件ばかりが揃ったような北国でも彼は野菜の仕入れと果物の仕入れをとぎれさせたことはなかった。勿論、この北国で質の高い青果は手に入れられるわけもないので、そのほとんどを別の地域から買い付けてはいるものの――いやはや、変な意味で勇ましい。
「――しっかしお前さ、帰ってくるの早すぎねえか? 誰だよ、“念願の動物保護ピクニックに行ってくる! しばらくは帰ってこない!”とかいってた奴ァ。ほんとにピクニックだったのかよ」
「いや、向こう五十年は帰ってこないつもりだったんだけどさ」
「そりゃお前……長すぎんだろ」
さらりと“この地に骨を埋める気はないんだぜ!”的な発言をしたマゾヒストに、捻り鉢巻きのよく似合う八百屋の店主が呆れた顔をする。
私からすればこんな光景は昔から見慣れたもので、それがすこし懐かしかった。半年にも満たない旅だったが、私の心に郷愁というモノを起こさせるのには十分な期間だったのだろう。
転生した身で郷愁があるというのも奇妙な話だが、まあ懐かしく思ってしまったことに嘘はないし――こればっかりはどうにも出来ない。
「まあ……その、何だろうな。やりたいこととか沢山あったんだけどさ――どうしたらいいのかわからないことも見えてきた、みたいな。羊に紛れて羊さわり放題の時間を過ごせるかと思ったら、実は自分が狼だったみたいな」
「……よくわかんねえわ、ごめん」
「んー……レタスとして憧れのトマトサラダに紛れたつもりが、実は自分がレタスじゃなくて――トマトの栄養素を破壊して回るキュウリだったことに気付いてしまった、みたいな」
「……ああ、それならよくわかる。切ないな」
――青年二人の意味不明な会話は私には全く理解できず――私は無言で売り物の人参に手を伸ばすことにした。この堅い歯ごたえが肉にも魚にもない食感でよろしいッ!
私ががりがりと人参をかじっていることに気付いたマゾヒストは、幼なじみの店主に代金を支払い――「八百屋って楽しいか?」と少し物憂げな表情になってたずねた。
「楽しいよ、とても――俺にぴったりの職業さ、ほら!」
八百屋の青年がにんまりと笑った瞬間――売り物として陳列されていたスイカがみるも無惨に砕け散る。
血をまき散らすかのように赤い雫があたりへと飛び散り、私とマゾヒストは同じタイミングで後ろを振り返る。
振り返った先にいたのは――厳つい顔をした大男だった。
「よお、八百屋の兄ちゃん。儲かってるってな?」
「おかげさまでな。三日に一回は強盗に襲われるよ」
慣れきってしまったと言わんばかりに招かれざる客――つまりは強盗に微笑みかけるその店主の右手には、取れたてと思わしきキュウリが握られている。
“勇ましき者”。
それがどう勇ましいのかを私たちが目にするのは、二十秒後のことだった。




