2
《ば、ばっかやろー!!》
そう叫んだところで私の口から出てくるのはぎゃあぎゃあともグエグエとも言えない叫び声――否、鳴き声である。鶏少年は約束したように私を見事に鳥類として“死後の旅”とやらに出した。それでもって私は、旅の果てにあの世界ではないどこかの世界にたどり着いたんだけども。
《鶏少年めー!》
鳥だ。間違いなく鳥だ。鳥類だ。
――だが、私の望んでいた鳥ではないッ!
防寒のために脂肪を蓄え、まん丸くぽってりしたからだ、よちよちと歩くしかない足。その足が本当は長いことを私は知っている。
いやまあ、かわいいんだけどね? かわいいんだけどね?
でも私の求めていた、「空を飛べる鳥」ではない。
世界最大の大きさを誇るペンギン――皇帝ペンギン。
私はどうやら、皇帝ペンギンとして生まれ変わってしまったようだった――。
***
それから私は、「珍しい鳥」として異世界で生き抜いてきた。ある時は人に媚びを売り魚を獲て、ある時は人から魚を強奪した。もろもろあって今、私は一人の青年に飼われて――否、一人の青年とともに暮らしている。
彼は北国の温厚な少年だった。動物が好きで好きでたまらない少年は何度も動物を飼おうとしたらしいのだが。
この世界にいる北国の動物はみんな揃いも揃って凶暴である。私も彼と暮らすまでは散々苦労させられてきたが、フリッパーの一振りで全てを陥落させてきた。皇帝ペンギンなめるなよ!
ちなみにフリッパーとは簡単に言ってしまえばペンギンの手である。あの飛べやしないのに付いている翼のことだ。あの一振りは意外にも凶暴で、普通のサラリーマンが丸腰でペンギンと戦ったら、たぶんサラリーマンは骨折して負けを認めることになるだろう。ペンギンの本気のフリッパーでの一撃は、成人男性の腕を折ることくらいたやすい。皇帝ペンギンなめるなよ。
まあともかく、彼は動物を飼いたいにもかかわらず危険だから飼えない日々が続き。ある日、フリッパーの一撃で下僕にした得体の知れない狼を引き連れ、私がよちよちと歩いていたときだ。私と彼は出会ってしまったのである。
よちよちと歩く姿、ぷっくりとした腹がどれだけ周りに脅威を与えないか、は私がよく知っている。事実、ホッキョクグマを恐れる人はいてもペンギンを恐れる人はいない。しかし、それはペンギンが一般的に言ったら人懐っこいからだ。
一 般 的 に 言 っ た ら 人懐っこいからだ。
さて私はどうだろうか――見た目はもちろん、でかくても愛らしい皇帝ペンギンである。せいぜい116cmくらいである。よちよち歩き。まるっこいからだ。
彼は迷うことなく私に抱きついた。近くに得体の知れない狼がいたにも関わらず。たぶん、彼の目には私の姿しか映っていなかったに違いない。まあな、皇帝ペンギンに関わらずペンギンは人間受けする見た目だから抱きつきたくなるのもよくわかる。
が、私はそんな彼に媚びを売ることも――また、一般的なペンギンのようなリアクションもしなかった。
何をしたかって?
私にはこの黄金のフリッパーがある。
数々の流氷の強者を仕留め、北国の主を地に伏せさせ、屈服を誓わせたこの黄金のフリッパーが!
この国の――否、この世界の人間にとってペンギンは珍しい生き物であるようだ。故にその生態系もその潜在能力も、何もかもが知られていない。私自身、自分以外のペンギンにはまたお目にかかれていない。つまり、彼らはどれだけペンギンが恐ろしい動物なのかを知らないのだ。
私はためらうことなく抱きついてきた少年をフリッパーではたいた。もちろん、子供なのは分かり切っていたから手加減はしている。急所は外した。それでも、ばちん! と音を立てて当たったフリッパーは、人間の大人でも――ホッキョクグマでも悶絶するはずの威力だったというのに。
「痛い! けどかんわいい! かわいい!」
《何この子!》
叩かれたというのにへらへらと――否、恍惚として私にすり寄るその少年には、立派な資質があった。
――被虐趣味者の。
恍惚とし、下手すると涎さえ垂らしかねない少年に私は思わずどん引いた。仕方なかろう。《姐さんの叩きが効かない動物なんて……!!》と見知らぬ少年におののいている狼は、少年の顔をじっと見つめてからヒッと息をのんだ。なんのこっちゃと問いただした私に、マズいっすよ姐さん――と怯えながらヤツは言った。
《こいつ、この辺では有名な“獣使い”のガキです。俺たちにとっちゃおっそろしいサラブレッドっす》
《獣使い? こんな辺鄙なところにいるのに?》
《親が二人ともすげえ“獣使い”だった元・冒険者なんですよ! 俺の仲間も何人かヤられました。隠居生活送ってるって話っす》
ヤられた――すなわち、配下になったということだ。私たち動物にとって獣使いは普通の人間よりたちが悪い。動物を魅了し屈服させて、下手すると一生服従しなくちゃいけなくなる。
私はこんな見た目だから、しょっちゅう獣使いには狙われたものだ。全部フリッパーで仕留めたけどな。
そんな話を聞いたとあっては私とて黙ってはいられない。私は皇帝ペンギンなのだ。皇帝、すなわち絶対的上位者。統べるもの。私は皇帝の名に恥じぬよう、微力ながらもこの地に皇帝として君臨していたはずなのだ。おかげで、周りの動物から付けられたあだ名が“姐さん”や“女帝”である。悪い気はしない。
《姐さん、ここは俺に任せて逃げて下さいっす! 姐さんは皇帝っすから……! 俺たちの、北国の動物の王ですから!》
モンスターの得体の知れない狼は、ぎゅうぎゅうと抱きつかれている私にそう涙ながらに訴えた。今更ながら彼は私をよく慕っていることを思い出した。そう、私がこの北国の動物の王となったきっかけは彼で――
《回想はいらないっす! 逃げてほしいっす!》
狼は吠えた。それはもう、吠えた。
けれど、私は逃げるわけにはいかないのだ。何故か。私は“皇帝”ペンギンなのだ。
《――逃げる訳ないだろう。お前が逃げなさい》
ぎゃあぎゃあ。グエグエ。
私はペンギンのかわいくない鳴き声をあげながらフリッパーをそっと持ち上げた。
《――臣下を守るのも“皇帝”の役目》
せっかくの決めどころだったのに、緊張感もなくよっこいしょ、と私を軽々と持ち上げた少年は、ふんふんと鼻歌を歌いながら私をテイクアウトしやがった。
べしべしとつづけてフリッパーでビンタをするけれど、「元気でかわいい!」とにまにましている。叩かれて喜ぶとはこやつ、年若いのになかなかに資質がある。将来は立派な|苦痛を快楽に変える無敵の人間になることだろう。
《姐さァァァァァん!!》
もの悲しい狼の遠吠えが、少年の背後から木霊する。
――わるかったな、最後まで名前を覚えてやれなくて。
モンスター系の生き物には長ったらしい名前が付いているから、覚えるに覚えてやれなかったのである。だから私にとってはいつまでもあいつは“得体の知れない狼”なのだ。元の世界に頭から角を生やした狼なんていなかったので、しかたないと思ってほしい。
***
で、肝心のテイクアウト先の話だが。
ぶっちゃけると素晴らしく居心地がよかった。風はしのげるし食事は貰えるし、ちょっと媚びを売るだけであほらしいほどに可愛がられるので見た目とは重要である。
私は将来の被虐趣味者候補の少年の成長を母のように父のように、時には先生のように見守りながら過ごしてきた。彼は性癖にこそ少々難があったが、冒険者としては一級品だった。さすが凄腕の“獣使い”のサラブレッドだけはある。資質があったのは被虐趣味の方だけではなかったようだ。彼は少年からいつしか青年となり、それにしたがって逞しく成長した。
私の方もしょっちゅう彼にフリッパーをキメていたせいか、私の知っているペンギンのフリッパーよりかなり強力になっていた。これならホッキョクグマといわず、象だのなんだのも場所さえ良ければ一発KOも狙えるのではないだろうか。何しろ、数多くの動物を従えてきたというマゾヒスト予備軍の青年の父を私は何度か昏倒させている。寄る年波には勝てぬと言うヤツなのだろうが、それも諸行無常なので仕方ない。諸行無常がなんなのかはよくわからないけども。
そんな彼は、この日、私をパートナーに旅にでる。
選んだ職業は、両親と同じ“獣使い”。
マゾがサド御用達の鞭を携えて冒険にでるのが何だか皮肉だが、念願かなって鳥になったはいいが結局飛べない私とは良いコンビだろう。
私たちは出立の日、北国の動物と、最高の獣使いと名高い元冒険者に見送られて馴染み深い土地の朝日を背にした。
――これから始まるのは、北国だけではなく大陸全土を支配下におこうという――“皇帝”ペンギンの侵攻物語である。見知らぬ土地のテリトリーの主め。覚悟してろよ。