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暴君と皇帝


 わたし(皇帝ペンギン)よりも一対多い四つの足で地をかけたのは虎だ。そのまま散らばる屈強なマゾどもを蹴散らしていく。血が跳ねて土が飛び散って、かなり凄惨な光景だが誰一人としてそれを気にする者はいなかった。ここにいるのはみんな頭のネジが外れたような者ばかりだし――もちろん青年と少女のことを指している――なにより、虎の登場に意識を持って行かれていて、屈強なマゾどころの話ではなかったのだ。


 それはちょっと驚くくらい大きな虎だった。私の知っている虎よりは一回りか二回りは大きいし、わたしがしばらく生活の拠点を築いていた北国の地にも、これほど大きなほ乳類はいなかったと思う。北極熊のその上に位置する究極熊――一番マゾヒストがお気に入りだった熊――が北国でいちばんだったんじゃないだろうか。


 究極熊とは何か。もちろんそんな動物は私が人間だった頃の世界にはいなかったので、この世界独特の生き物だと思うのだが――やたらとのんびりしているのだ。究極に怠け者な熊と言っていい。のっしりのっしりと歩くその姿に威厳はないが壮大さはある――そんな感じの熊である。面倒くさがって動物も人もあまり襲わないことで知られる究極熊だが、何故か鮭やら魚には俊敏な動きをすることで有名だった。私は一度海を泳いでいたところを魚に勘違いされ、撃退したことがある。


「おおっ!? タイラントタイガー(暴君虎)! 初めて見る!」


 マゾヒストの青年は先ほどまでのちょっと疲れたような、だるそうな雰囲気を一掃した。きらきらと目を輝かせて、戦場に割り込んできた虎を見つめている。


 タイラントタイガーか、とわたしはフリッパーをぽんと打つ。そういえばマゾヒストの家にあった世界猛獣図鑑にこの虎とそっくりな虎が載っていた。タイラントタイガーと言われるその虎は凶暴なことこの上なく、その雄々しい姿からも一部の獣使いには絶大な人気を誇っているそうな。咆哮だけで凶暴な動物にしっぽを巻かせて逃げ帰らせることができるだとか、そんな話も載っていた。しかし私から言わせればライオンも虎も同じネコ科の動物である。大ざっぱに言ってしまえばにゃんにゃんごろごろの子猫ちゃんである。


 ――もしかして、あの美女が言っていたのはこの虎のことだろうか。


 だとすればこの猫……じゃなく虎の飼い主はあの少女だが、少女は絶賛呪われ中である。動物に嫌われる呪いだか近づかなくなる呪いだか忘れてしまったが、あんまり虎にあわせてよいものではなさそうな気がする。


「タイラント!」


 はっと顔を上げて少女は虎に駆け寄った。――が、タイラントタイガーの方はそんな少女に見向きもしない。自分の目の前で目を輝かせている青年に歯を剥いて威嚇し始める始末。月並みだが、嫌な予感がした。

 青年も何となくその雰囲気を感じ取ったのか、一度虎から距離をとり、「あれが君の?」と少女に声をかける。


「はい。あの子が私の――」

「見たところ、なんか変な術か何かがかけられてるみたいだぞ? 俺の知ってるタイラントタイガーとなんか違う」


 お前が初めて見るその虎の何を知っているんだッ――と私は思わなくもなかったが――ここは希代の獣使いのサラブレッドの勘を信じた方が良さそうである。


「タイラントタイガーって普通、人間相手に威嚇なんてしないはずだからなあ」

「……しないんですか?」

「だってタイラントタイガーの“タイラント”って暴君って意味だろ」


 獣使いの青年が言うには、人間は通常“威嚇するに値しない相手”なのだそうだ。威嚇とはつまり相手への警告行為であり、タイラントタイガーが威嚇する相手は、自分と同等かそれより少し下くらいの相手なのだという。“それより少し下”のものよりさらに弱いモノには“威嚇するに値しない”という判断を下し、その場で見逃す、または気まぐれに瞬殺――というのが彼らの生態なのだそうだ。瞬殺、というのはなるほど確かに暴君らしい身の振り方ではあるが、だったら威嚇なんてまどろっこしいことしてないで全部瞬殺してしまえよと私なんかは思う。


「だからタイラントタイガーにとっては俺たちは瞬殺か見逃し対象なんだよ。人なんか小さいし、威嚇されるほど俺たちは強くないと――」


 そう言い掛けてから、マゾヒストの青年はくるりとこちらを振り返った。そのままつかつかと私に向かって歩いてくると、いつかの時のようにひょいと抱えて再び元の位置に戻る。


「俺たちは強くないけど――まさかな」


 そんなことを言いながら暴君虎に私をつきだしたマゾヒストの青年は、虎が怯え始めたのをきっかけに一人で笑い始めた。

 これはまさか、と私もペンギンなりに小さな頭をぐるぐると巡らせる。


 暴君としておそれられる虎が怯えた、ということは。

 皇帝であるわたしに怖じ気付いたんじゃあるまいか。


「――ええと?」


 意味が分からない、と言いたげに少女は首を傾げる。マゾヒストはけらけらと笑いながら私の頭を撫でてきたので、容赦なくフリッパーではたき落とした。毎回思うがこの青年の丈夫さは何なのか。私がフリッパーではたき落としても彼の骨にはひびが入る様子すらないのだから困る。


「この虎より俺の相棒の方が強いって、何となく感じ取ったんだろうな――クラーケンもアナコンダもしとめてきてるわけだし」


 なんだそっちか、と私はぶうたれた。てっきり「暴君」も「皇帝」にはかなわないと頭を垂れたのかと思ったのである。地位的に。統べるのは私一人で良いと――てっきりそういうことかと。


 早くおろせよとフリッパーをマゾヒストの頬にお見舞いして、しゅたっと地に降りたった私を畏怖の目で見つめているのは暴君と言われる虎である。空気が抜けるような、何とも言えない頼りない音が虎の口から漏れる。うなり声は出てこない。


《ねえ、私が怖い?》


 とりあえず話しかけてみる――が、言葉は返ってこない。他の動物には言葉が通じたのに、と私はもう一度意志の疎通を試みた。動物と会話できるようになったのは便利だ。今の私はバイリンガルなのだ。少し古い言葉で言うならバイリンギャル! 死ぬ前は女子高校生だったから、今でも女子高校生だと言い張っても――ギャルだと言い張っても問題あるまい。


《――くるしゅうない。口を開いてみよ》


 ちょっと殿様気分でそう話しかけてみたが、何の効果も得られない。おかしいなあ――と首を傾げてから一つの可能性に思い至った。頼りない空気の抜けるような音とか、声を漏らさないところとか。


 惨いことを、と思いながら――私は自分でもなかなかやるなあと思うほどに器用にフリッパーで虎の口をこじ開けた。一度噛まれそうになったが、そこはこの黄金のフリッパービンタの出番である。頬を腫らした虎に飼い主だったらしい少女は心配そうな声を上げたが、そこは獣使いの青年がなだめてくれていたようだ。たまには役に立つ。


 ぽっかりと開けられた口には、必要なモノが足りていない。


《地獄の閻魔様かって話ね》


 そう。

 虎には――この“タイラントタイガー”には、舌が無かった。

 口をこじ開けたまま検分してみたが、どうやら切り取られたモノらしい。私は獣使いの青年に視線をやり、それからギャアギャアと鳴いてみせる。青年は私の意図を正確にくみ取ったようで、タイラントタイガーの口をこじ開けている私の隣に並び――その顔を歪める。


「ひっでえな、こりゃ……舌を抜くなんてふつう考えねえよ」


 これじゃあ吼えることも出来ないなと痛々しそうに顔をくしゃりとさせた青年は、虎の頭をずっと撫でていた。撫でたって別に舌が生えてくるわけではないし、この虎の状況がよくなるわけでもないけれど、青年にはそうすることしかできなかったのだろうし――それが青年に出来る精一杯だったのだと思う。

 タイラントタイガーの方もその意図をくみ取っているのか、獣使いの青年に頭を撫でられてもおとなしくしていたし、青年に手招きされてやってきた少女は泣きそうな顔になりながらも虎を少し遠くから見ていた。少し遠くから見ていたのは、呪いのことを考えてだろう。


 屈強なマゾどもも皆さんそろってお眠りあそばされたとあっては、私のやることなんてたった一つしかなくなる。

 私はそっとあの血塗れの美女に近づき、目覚ましをかねた強烈な嘴の一突きを腹部に決めた。顔でなかっただけありがたいと思ってほしい――まあ、私としても鼻血まみれの顔をつつくなんてごめんである。


 痛みで現実に引き戻された美女を確認してから、私は少女に目配せした。あいにくと人の言葉を理解することは出来てもペンギンの鳴き声を人は理解してくれない。だったら、私がギャアギャアと文字通りにわめき立てるより、タイラントタイガーの飼い主である少女に話を付けて貰った方がよほど楽である。そもそもこれは少女の方の案件なのだし。


 目覚めた美女は自分の置かれた状況をきっちり理解したらしい。もっとも、まわりにいた屈強な男たちが軒並み虎にはね飛ばされて転がっている状況だ。勝ち目は――どう見ても薄い。


「なっ……なによお……! ちょっと虎をいじってからかったくらいでマジになってんじゃないわよ!」

「舌を抜くのが《ちょっといじった》の範疇なんですか?」


 ゆらりと少女が美女に近づく。美女は後ずさった。


「そもそも、あんたがあの虎をけしかけてくるから――!」

「だってあなたたち、貴重な動物を見つけては乱獲していたでしょう? 捕っちゃだめな動物がいるってことくらい、この町にしばらくいたらわかるはずです」

「そんなものマフィアにとっちゃ何の意味もないわよ! あたしたちは動物使ってビジネスしてんの! あんたみたいな小娘に何がわかるのよぉ!」


 マフィアかあ、と私はしみじみした。

 マフィアなんて元の世界じゃ見たこともないが、この世界にはいるらしい。あっち側のマフィアが怪しいお薬や気分壮快になれる白い粉を売るのと同じように、こちらでは動物の毛皮やらなにやらを剥いで金を作っているということだろう。少女から聞いた話では、この美女たちは動物の毛皮を主にターゲットにしているようであったし。


「何もわかりませんよ。ただあなたたちのやり方が気にくわないです」

「やり方ァ?」

「わたしね、普通の人より少し動物が好きなんですよ」


 ――それから、テリトリーにも厳しいです。


 一見関係のなさそうなことを少女は言いだし、それから「マフィアに大切なものが何かわかりますか」とことさら丁寧に聞いた。


 ――そうして女は口にしたのだ。

 自分を破滅へと導くあの言葉を。

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