獣使いはのけもの
真っ当な人間のふりをして少女を諭した変態を、少女はどうやら気に入ってしまったようだった。私たちが“じゃあこれで”とあの場を去っても、少女はちょこちょこと私たちの後ろをついてきていた。
折り重なったマグロ……もとい、人についてはどうなったか知らない。白いローブについていた個性的な模様が実は返り血でした、なんていうのも私は見なかったことにした。知らぬが仏、というありがたい言葉が私のいた世界にはあったのだから。
時間が経つごとに赤かった模様が茶色くなっているが、まあコーヒーをこぼしたのとさして変わらない色だ。何も知らなければ。酸化した血液はああいう色に変わるんだと知らなければ。
――そう、あれは只の醤油のシミである。それでいい。魚を食べようとしてこぼした醤油。それでいい。私たちの後ろをついてくる少女が下手すると大量殺人鬼かもしれない、なんてことはとりあえず今は良い。今のところ私に害はないのだから。
さて、少女は何故あの変態を気に入ったのか。
顔かな、と私は思う。
あんなド変態でも顔はよいのだからモテる。顔しか見ていない女からはモテまくる。彼はそれを利用して情報を入手したり、店ではオマケして貰ったりとやりたい放題だ。まさか人間まで“魅了”しているんじゃあるまいか、と思うが――獣使いの専用技とも言える“魅了”は動物にしか使えないはずである。
まあ、人だって動物の一種だから魅了が使えないかどうかは分からないが、魅了できるとしたらモテない人間が集まってくるだろうからそれはないんだろう。残念ながら生まれ持っての素質と考えるほかない。中身はド変態なのにな! 世の中とは不条理である。
あんまりにも少女が後ろをついてくるものだから、青年は後ろを振り返って「何か用でもあるのか?」と淡泊に口にした。対する少女はぱっと顔を明るくする。
――おやおや、これは恋ですかねぇ?
唐突にもほどのあるこの展開に私はニヤニヤしてしまう。叶いそうにない恋は大好物だ。興味がある。少女漫画的な意味ではなく、野次馬的な意味で。近所のおばちゃんのごときうざったさの、野次馬的興味だ。どうして、近所のおばちゃんは人の彼氏や彼女の情報を知りたがるのだろうか。はなはだ疑問である。
しかしまあ、残念ながら少女が恋を寄せたはずのこの青年は、被虐趣味であり獣好きな……特殊性癖の人間を代表しても良いような特殊な人間である。獣にタックルされるのを喜び、恍惚とした顔で北極熊と相撲を取った青年だ。少女が人である限りは彼が少女に振り向くことはまずなさそうだ。長いことこの獣使いの青年を見てきたから断言できる。獣にタックルされるのは喜んでも、人間の娘の恋のタックルは受けるのかすらわからない。
しかし、青年を真っ当な……少なくとも、恋の対象を動物以外にすることは出来るだろう。この前捕獲したワニに「君の皮膚、ニガウリみたいで素敵だね……!」と口説いていたのを見かけたときに《これはいかんな……》と思わず呟いてしまったのを私は忘れない。何で北国の青年がニガウリを知っているのか不思議だが、そんなの青年の恋愛対象に比べたら大したことはない。さすがに人なのだから人に恋して貰わねば。
ここで間違えてほしくないのは“私は青年のために恋愛対象を動物以外にそらそうとしている”わけではなく、“動物のために恋愛対象をそらそうとしている”という点だ。
こんな変人にうっとりとした顔で奇妙な愛の言葉を囁かれたら、精神衛生上良くない。動物とは人間より遙かに繊細である。私は特に鳥が好きだが、動物だって嫌いというわけではない。守れるものなら守ってやりたいじゃないか――この変態の魔の手から。
そんなところにこの青年に惹かれたらしい少女がやってきたのだ。まさに飛んで火に入る夏の虫。申し訳ないが動物界の平和のためにも犠牲になって貰わねば。需要と供給とは大事である。青年の恋のお相手に関しては、青年自身の需要はあれど動物からの供給はないのだ。少女が青年の本質を知る前にどうにかしてしまわねば。
「あの……! 少し、ききたいことがあって……!」
「何?」
「あの、貴方って何回殴ったら危ないんですか?」
――あの、どうして貴方の発言はこんなに危ないんですか?
きっと私が人の言葉を話せていたならそう口にしたことだろう。
今の発言はつまり「何回殴ったら死ぬの?」と同意だ。
つまりこの少女は……青年を殴りたくてついてきたということなのだろうか。二回殴ってもびくともしなかった青年を何度殴れば天国行きに出来るかを検証したいのだろうか。この少女の正体はそっち系だったのか……?
検証するのは構わないが、目を輝かせるのはやめてくれ。私はその輝きによく似た輝きを瞳に宿す青年を知っている……。私がフリッパーを振り上げたときに見せる輝きがこれにそっくりだった気がする……。つまりこの少女は青年とは対極的な方向に同族なのでは……? ……見事な被虐願望と嗜虐願望のマッチが見られるかもしれない気がしてきたが、不安しかない。
「君の攻撃くらいじゃ全然大したこと無かったから、俺の頭がイかれる前に君の腕がイかれそうだな。……俺の相棒のビンタのが効く」
フリッパーにねっとりとした視線がまとわりついた。私は無言でフリッパーをぱたぱたと振ってみせる。ねっとりとした視線は振り払えなかった。この際それはおいておいてやるから一言言わせてくれ、お前の頭はすでにイかれているッ!
「じゃあ、私がどれだけ殴っても致命傷には至らないと?」
「頑丈さには自信があるから」
素っ気ない青年の言葉だが、少女はさらに目を輝かせた。やめろ、まだ純粋そうな少女の形をして例えようのない特殊な喜びを滲ませる目をするのをやめろッ!
「――お願いです、私とパーティを組んで下さい!」
少女は腰をきれいな九十度に曲げて、深々と頭を垂れる。青年は少し驚いたようだった。まさかパーティを組めと言われるとは思わなかったのだろう。
突然の話だが、この世界の職業として“獣使い”というものを選ぶ人間は少ない。別に、とびきり使えない職業というわけではない。攻撃手段も豊富だし、動物を伴っているから手数も多い。操る動物――例えば、大型の騎乗可能な動物――によっては、移動も早いし楽になる。
一見したところメリットばかりの職業だ。獣使いが愛用する武器は鞭だし、獲物を切れば切るほど刃の潰れる剣と違って、ひっぱたくだけの鞭はあまり買い換える必要もない。その上、手入れもそこまで面倒ではない。くるくるまとめて適当にベルトにひっかけておけば持ち運びも楽だから、獣使いを志望する者は多そうに見えるのだ。
しかし。
そのメリットを相殺してなお余りあるデメリットが存在する。――厳密には“デメリットになりうる可能性”が。
獣使いに使われようと、動物とて腹は空く。餌を必要とする。人間だって何もせずとも腹は空くのだ、動物もまた同じ。戦闘に参加しようとしなかろうと、宿屋でゴロゴロ寝ころんでいようと“獣使い”に“獣”は餌を強請る。毛繕いだって求めるかもしれないし、動物特有の病気を持つこともある。生き物である以上、それらから逃れることは出来ない。
さっくり言ってしまえば、餌代諸々の諸費用がかかるのだ。
獣使いの強さはある意味では扱う獣に依存する。確かに心をうまく通わせて、息のあったコンビネーションを決められる“獣”も獣使いの真価を発揮できるだろうが、扱う以上は強い獣、弱い獣がやはり存在してしまう。
幾ら心を通わせあって、息のあったコンビネーションを披露できたところで、モルモットを使役する獣使いがこの前のアナコンダやクラーケンなどの怪物に勝てるだろうか。
勝てるかもしれない。勝てるかもしれないが――きっと、モルモットは居ても居なくても変わらない存在になってしまうだろう。気合いや情、絆などでは覆せない差というモノも確かに存在するのだ。世の中は無情だ。ちっぽけな見た目でも強力な者を打ち倒せる存在なんていない。そんなのは物語の中にしかいないのだ。
そして、強い獣というのは大抵餌代諸々の諸費用が高い。
だから獣使いになるものは少ないし、それでも“操る”ことや“使役する”ことにロマンを抱く者は死霊使いや人形遣いになるわけで。こちらは呪われちゃったりすることやメンテナンスのことを考えさえしなければ、獣使いより余程なりやすいだろう。私は死体に囲まれる生活なんかごめんだけれど。死霊使いは夏場のゾンビをどうしているのかがとても気になる。においがひどそうだ。
それから、獣使いになる者がいない理由はもうひとつある。
なかなかパーティを組んで貰えないのだ。餌代云々の話ではなく、これは冒険を生業にする者にとっては結構辛い問題だ。
パーティを組んで貰えないとどう辛いのかなんて明らかだから、説明は割愛だ。ぶっちゃけ冒険しにくいってことだ。死にそうになっても誰も助けてくれないし。あとちょっと寂しいかもしれない。
何でパーティを組んで貰いにくいのかと言えば、動物が苦手だというものがたまにいるからだ。とくに、獣使いの使役する動物は大抵が凶暴そうな見た目をしているから、獣使いに近づくのもいやだ、というものもいる。その気持ちはよく分かる。
――よく躾られているからといって、何の疑いも疑念も不安もなしに、他人の飼っているライオンに近づける者は少ない。
つまりそういうことだ。“この子は絶対噛みませんよ!”なんて飼い主が幾ら主張しても、信じがたいことは幾らでもある。特に、駆け出しの――獣使いに成り立てほやほやの人間が使役するような獣に警戒を抱かないで居られるだろうか。私は無理だ。
そんなわけで、マゾヒストはパーティを組もうと誘われたことに驚いたわけだ。まあ、私なんかは見た目もラブリーキュートなペンギンなので、あんまり怖くないと思われたのかもしれない。人は見た目ではないということを彼女には教え込む必要がありそうだ。人じゃないけれども。
「パーティって……俺、獣使いだけど」
「分かってます! その、……鳥の子がパートナーですよね?」
「こいつ結構危ないよ」
「そんな気がします」
目つきが……と少女は言葉を濁した。うるさい! こっちだって好きでこんな目つきなんじゃないッ! 鳥類はだいたいこんな顔だッ!
「ふーん……まあ、了承済みなら俺は構わないけど、俺、世界中の動物を見たいなと思ってるだけでクエストとかする気ないからね。ついでに言うと世界も救わないし魔王も倒さない」
どうやらこの世界には魔王とやらがいるらしく、それが近々復活するのでは――と最近よく騒がれてはいるが、誰も魔王の姿を知らないし、そもそも魔王が出てきて何をするのかもよく分かってないらしいからお笑い草である。
世界は終わりに向かっているのだッ! とどこかの教会の牧師だか神父だかが熱弁していたが、始まれば終わるものだ。この世界が始まっちゃっている以上、終わりに向かうというのはむしろ正常なのでは――と私なんかは思う。むしろ終わらず無限ループって方が怖くないか?
その終わりゆく世界とやらを助けるために“冒険者”となったものが世界中を周り、クエストだかウエストだかを処理し、虱潰しに魔王のいそうな場所を隅々まで調べ上げて魔王を倒す気らしいが、魔王からすれば良い迷惑だろう。根城を暴かれ蹂躙されるとは。
私は姿形もわからない“魔王”をどうやって見つけだすのかが気になるが。だかしかし魔王とやらが強いのであれば私の配下にするのも悪くない。勇者になる気は毛頭ないが、魔王になる覚悟なら私にはある!
ともかく、それでも構わないと少女は口にした。
「――私、呪いを解きたいんです。貴方たちとなら解ける。そんな気がします」
呪いを解く方法を見つけて、呪いを解いて貰うために旅をしてきたのだ――と少女は語る。引きそうにない少女の顔を見て、じゃあついてくれば良いと思うよ、と無責任で投げやりな言葉をマゾヒストは口にした。
そう簡単にぽんぽん物事を決めると後々面倒になることを私はよく知っているが――この際、しかたあるまい。あまたの動物のためである。少女の犠牲なしに動物たちは救われぬ。




