幸せの多幸盛り
それからは怒濤の展開だった。いや、怒濤といってもそこまで怒濤ではないというか――めちゃくちゃになったというか――結論からいえば、密林にタコが住むことになった。いや、タコと言っていいのか、もうわからない。それがタコなのかコウモリなのか、何とも言えないからだ。タコウモリとでも言うべきなのか。タコウモリ、たこうもり……多幸盛り……連想してみれば何だか縁起がよい。タコウモリと名付けることにする。
真っ赤な綱みたいなアナコンダは、太った鳥とタコウモリ、それからその飼い主……? に緩やかに頭を下げる。私の子供を助けてくれてありがとう、と。
アナコンダが苦労していたのは知っている。彼女はあの太った鳥が密林に来るよりもずっと前から、この地を治めてきた大蛇だ。時に人から恨みを買い、周りの動物に恐れられながら、それでも生きてきた蛇だ。海に千年、山に千年すんだ蛇はいずれ龍となるようだが――彼女が龍になるのかどうかは、誰にもわからない。
彼女がようやっと産み落とした小さな命は、幼子らしく母にまとわりついて甘えている。よかったですねえ、とタコウモリが相好を緩ませていた。あんなものにも他者を祝福する気持ちが芽生えるのか――と少し意外に思った。
《では、飛べぬ鳥殿――この地を、そなたに》
少なくとも山に千年すんでいた美しい炎の色の大蛇は、白と黒、黄色の混じった不格好な鳥にやんわりと声をかけている。本来は捕食対象である鳥に、塩で……よりによって塩でとどめを刺されても、大蛇は凛としていた。動物にはあの塩の策略なんて見抜けそうにないから、まあ仕方がない。
太った鳥はしばらく何かを考えるように、少しうつむいた後、《この地の主は貴女》と何の迷いもなく言い切った。
――いや、ちょっと待てよ! お前蹂躙に来たんだろ!
思わず突っ込んでしまうが、太った鳥には何らかの思惑があるようだ。呆気にとられたアナコンダに、《この地の主は貴女》ともう一度繰り返し。
《――でも、貴女の主は私》
また、何の迷いもなく言い切る。
そういうことか、と美しい大蛇は呵々と笑い、そういうことなら――と太った鳥の前にその頭を差し出した。忠誠の印、だろうか。あの暴虐が羽毛をかぶって生きているような太った鳥より、よほど王者とか“主”らしいけれど――皇帝、つまりすべてを統べる“主”とは暴虐であるものらしいから、それはそれであの太った鳥は“主”らしいのかもしれない。圧政は御免だという奴は多いだろうが。そもそも、鳥に支配されるのは何だか屈辱なのではないだろうか。動物じゃないからわからないが。
《ならば、私は飛べぬ鳥殿、貴女の代わりにこの地を治めようぞ》
《――よろしく。やっぱり暑いの体に合ってないわ》
ここの土地になんて長くいられやしないと太った鳥は気怠げに告げて――そりゃそうだろうな、本来なら皇帝ペンギンは気温が十八度を越えたら辛いはずだ――、それからタコウモリをじっと見た。
《コウモリもどきはどうするの?》
《ここに残ります! なんか血が吸いたい気分なので!》
ぶよっとした灰緑色のコウモリは元気よく宣言した。血が吸いたいって……それは胸を張って言えることなのかよくわからないが、タコウモリは胸を張って言った。近くにいた小さな子供の大蛇がびくりと身をすくませたが、“は虫類は好みじゃないんで!”とタコウモリは笑っている。は虫類じゃなければ誰彼かまわず襲いそうで怖い。
その言葉にちょうど良い――とあくどい顔を皇帝ぶった太った鳥は見せる。なんか失敗した気がしてならないな。こいつは大人しく別のものとして始めさせるべきだったかもしれない……。
なにはともあれ、この暴君は《じゃあそこのママコンダ――蛇と一緒にこの地を治めといてくれる?》とこの密林の統治を丸投げしたのだった。タコに。あ、いや“元タコ”に。
アナコンダは戸惑ってはいたが、あの暴力主義な太った鳥の仲間であることを何となく察したらしく、太った鳥のそれに二つ返事で頷いた。何かチョロいなと思わなくもないが、あのフリッパーで脅されるよりましかもしれない。あれは痛そうだった。
《私より貴女の方が密林には詳しいだろうし、今まで治めてたんだからいけるでしょ――ね、“密林の主”さん?》
《心得た》
女帝のごとき横暴さと、獣らしい乱暴さでこの地を手に入れた二足歩行の鳥類は、にっと笑ってみせる。
鳥の顔は目つきも鋭いし、それでなくてもこんな性格だから――笑ったところで可愛くも何ともないよなあ。なんでこんな鳥類を好きになったのか全くわからないが、それはそれで人の好みなのだろう。
《――あ、まだ僕の欠片持ってますか?》
《まだ二つある》
ぶよっとした羽を広げ、タコウモリはこてりと首を傾げる。その頭でヘビザルが踊っていた。間抜けだ。落ちないあたりが素晴らしいが。
タコウモリの問いに密林を蹂躙しにきた張本人はさらりと返し、切り取られたタコの足を二本だして振った。何だかミミズのようにも見えて気持ち悪い。タコウモリはそれに満足そうに笑う。《肌身離さず持っていてくれたんですね!》なんて妙な方向に感動しているけれど、元々お前はそこのそのバイオレンスな鳥に餌にされていたんだぞと言いたくなった。
《そこから僕の分身が出来ますよ!》
《それはタコ?》
《タコです》
タコじゃなくてコウモリだったら捨ててた、と無慈悲な鳥はあっさりと言い放ち、タコウモリを落ち込ませる。元々そんな性格だっただろとタコに言いたくなったが、タコはタコでミラクルポジティブだった。《昔の僕も気に入ってくれてるんですねっ》なんて口にしている。
《味としてはね》
――対する皇帝の言葉はタコの身の味並に淡泊だった。想定の範囲内だ。大局に影響はない。元々こんなやつだ。
別の意味で――本来の意味で――口にされていた元タコは、それでも嬉しいです! なんて言ってる。どこが嬉しいのかよくわからないし、このペンギンはもしかすると関わったものすべての頭のねじをぶっ飛ばしていくのかもしれない。少なくとも、このタコを見る限りはそうだ。この様子ならあんまり心配いらなさそうだな――と俺はほっと息をついた。たまに変な奴が混じると色々面倒だ。特にこのペンギンは色々とやっかいそうだし。
俺はそっとジャングルの中に身を隠した。あの鳥に見つかるわけにはいかない。見つけられ次第こっぴどい目に遭わされるのは目に見えてるわけだから。
***
がさっ、と私の背後の方で草むらをかき分けた音がしたので――私はバーゲン品に群がるおばちゃん軍団のように素早く後ろを振り返る。見えたのは真っ赤な――鶏冠? にしてはかなり高い位置で見えたけれども。異世界特有の巨大化した鶏だったりするのだろうか。
こんな密林に鶏かよ、おろかで哀れなストレイチキンもいるもんだな! と思わないわけではないが、鶏にだってジャングルに突っ込みたいことくらいあるだろう。あの寒い地を出てきて熱帯のジャングルで蛇を狩った私としては、鶏が精肉店に突入しようと八百屋でまったりしていようと、海を泳いでいようと“そんなもんだよね”の一言でどうにでもできる。やりたいときにやりたいことをするのが動物として生きていく醍醐味だと最近気づいた。
《――で、あの、姐さん? 聞いてます?》
《ごめん、聞いてなかった》
おずおずと話しかけてきたクラーケン……今はコウモリっぽい見た目だが――にそう返せば、《じゃあもう一回話しますね》と笑顔で返された。無視していたというのにこの笑顔。さすが精神的にもマゾなだけはある。見習いたくはない。
私は手持ちぶさたに私を抱きしめようと腕を伸ばした獣使いの青年を短い脚で器用に蹴り飛ばし、クラーケンの話に耳を傾けた。獣使いの青年は恍惚状態だから、しばらく時間は稼げるはずだ。ヘビザルはドン引いていた。いい加減慣れるべきだ。精神衛生の為にも。
しかし、クラーケンがコウモリになったというのに、俺の蛸足……! のリアクション一つしか見せなかったこの青年は何なのか。タコは食料でしかないのか。もう少し不思議に思っても良いんじゃないだろうか。
しかし、恍惚としている青年をみる限りそれ以上のリアクションは望めない。きっと彼は痛みと食べ物があれば生きていける。
《復元した“僕”と、僕は連絡が取れるんだよって話です。“僕”は僕とテレパシーで話せるってことですね! ……どうしたんですか?》
《……いや、ちょっとね》
ぼくとぼくでテレパシーが……と言う言葉だけをとると電波にもほどがあるなと思っただけだ。マゾで電波なタコとは一緒にいたくはない。味が良くてもちょっと無理だ。
しかし、あのコウモリもどきの話を理解するなら“復元したクラーケン”……つまりは、私の手にある二本の脚から復元したタコと、目の前のコウモリもどきは連絡をとれる、ということだ。
《便利だね》
《どこまで進化しても元は“僕”なので!》
自分自身だから自分と話すことができる――というか、感覚、情報を共有できる、ということらしい。携帯電話より便利だ。スマートフォン並かもしれない。各地に設置したらいい感じに情報基地となりそうだ。食用以外にも活路を見いだせるとは、タコとは恐ろしい。
《じゃあ、必要になったらまた、復元させる》
《今復元させないんですか!?》
《タコ自体に食費かかるでしょ。だったら脚のまま持ってた方がまし。かさばらないし》
《――そ、それもそうですね》
私や獣使いはタコを食べていれば食費は完全に浮くだろうが、タコが自分の脚を食べて平気かどうかがわからない。ゆえにタコはタコで食費がかかる。それは何となくいやだ。
私の知っているタコは、確かにちぎれた脚が元に戻ることはあったが、ストレスか何かで自分の脚をもしゃもしゃやっちゃうと再び生えてくることがなかった。じゃあ食うなよとつっこみたいが、自分の脚を食べたくなるほどのストレスを与えられたタコだったとしたら、何とも言えずもの悲しい。いっそ体中すべて食べてしまって消えてしまった方が世の中楽だぞ――と教えてやりたい気分である。
《じゃ、またね》
《お元気で!》
《世話になったな》
私がそういって去ろうとすれば、タコだったコウモリは翼をバシバシとふり、蛇はにゅるりと体を揺らめかせた。母も子もだ。ヘビザルはついてこなかった。当たり前だ。あそこまで脅されてついてこられたらまた新しくマゾ認定をうける動物が増える。
断言しよう、非常に不本意だが、私についてくる動物はきっとマゾだ。確実にマゾだ。マゾは私の隣を歩く青年一人で良い。さすがにこれ以上濃い性癖の者はいらない。
こうしてわたしは密林を去る。
――そして、新しい地へとたらたらと歩みを進めた。




