ドロドロの展開
クラーケンにからめ取られ、その上べしべしと地に叩きつけられたコウモリは、もはや抵抗する気もないようだ。今の今までがじがしと足を噛んでいたが、クラーケンの足はその程度ではちぎれない。私の嘴くらい尖ってないと、あのぶよっとした足はどうにも出来ないだろう。
《――お手柄!》
《えへへ!》
ぶんぶんと足を振り回すクラーケンは嬉しそうだ。誉めてつかわすと私は言いおいて、クラーケンの頭から飛び降りる。
――本日二回目ッ! 弾けろ私のフリッパー!
いつかの時のように落下するときの勢いを利用して、私はフリッパーを高く持ち上げ、ぎりぎりまで引きつけてからコウモリの頭を思い切りぶん殴った。手応えはあった。十分すぎるほど。
《ぐへッ》
コウモリはあっけなく陥落したが、私は頭を砕かないように力を調節するのが大変だった。強力すぎる力を持つというのも大変なモノなのだ――と、フッと私は気取ってみる。別に大変だとは思ってませんけど! かっこつけたいお年頃なんです。
さっきから私に突き刺さって離れない視線のもとをたどれば、目を丸くした獣使いの青年がそこにいる。だらんとミミズみたいにたれた赤い鞭を持ったまま、私とクラーケンを凝視している。なんだかバリバリと音がするのは何だろうか。ストレスに身を任せて障子を突き破るような音だ。気のせいだろうか。私も一度はやってみたい。少し気になったが、青年の間抜け面の方に私は意識を持って行かれた。
そう、クラーケンは一度死んだはずなのだ。この男の手によって――いや、くわしくは料理店の店員によって素晴らしく美味しい刺身とフリッターとして私たちの胃に消えたはずなのだ。
それなのに、なぜこんな密林の泉の中から飛び出てきたのか。
勘が良かったり察しが良い人にとっては無駄な説明かもしれないが、私はこれを見越して泉に飛び込んだのだ。
クラーケンは料理店に連行される前に“ひとかけらでも残っていたら塩水で再生できる”と言っていた。
私は後でクラーケンのゲソを食べようと、あの料理店でゲソを少し頂いておいた。その後にママコンダに遭遇し、塩を使って斬新な脅しをかけ、その後に塩を持ったまま、ママコンダに連れられてここまできた。
それからこの馬鹿でかいコウモリに遭遇し、塩とゲソを持ったまま泉に飛び込めば、塩と水さえあれば復活可能なクラーケンがよみがえった、今の状況が出来上がるというわけだ。三分クッキングよりお手軽な助っ人である。材料は水と塩だけ。具のない味噌汁よりお手軽だ。
「お前、よくいきてたなあ!」
《捌かせた本人がよく言うよ……》
感心したように獣使いの青年はクラーケンをみあげて、密林のタコか……としみじみとこの風景にそぐわない巨大タコを眺めていた。やっぱりなんだかバリバリと音がする。何事だろう。辺りを見回してみたが、これといって変なことはない。
灰緑色の身体は密林の緑にとけ込んではいるが、タコみたいな身体はやっぱり密林よりは水辺にいた方がお似合いだろう。確かに密林には似合わない姿だよね、と私がぽろっとこぼせば、《じゃあ工事してみます!》とクラーケンは無邪気に声を上げた。
工事? また小さくなるの? と私は首を傾げる。いえいえ、とクラーケンはぺっと何かを吐き出して答えた。汚いな! 私は道路に唾を吐く奴とかだいっ嫌いである。何も言わずにフリッパーを叩きつけた――が、案の定喜ばれた。もうどうにでもしてくれ。
ぺっとしたものが何だったのかわからず、私は吐き出されたそれに近づく。猫やフクロウが吐き出す毛玉みたいなものだろうか? 近づいてみると何となく丸まったわかめっぽくも見えるのだけれども。
――ゴム状の膜?
へっ? と目を丸くした私の目の前で、クラーケンのぐにぐにした体が生物学的にあっちゃいけない動きをし始めている。アメーバがアクティブに動き始めたというか、水の塊を内側から見えない何かが突き破ろうとしているというか――有り体に言って、気持ち悪い。
文字として表すならごにゅごにゅ、といったようすの気持ち悪い動きを見せ始めたクラーケンに、私は私らしくもなく後ずさった。気持ち悪い! どこのB級映画のホラーだよ!
タコをタコたらしめていた触手はどこかへと消え去り、そこに残るのはぼよっとした鞠みたいな何かだ。思わず蹴りたくなった。手頃な大きさの丸いものを見たら蹴りたくなるのが人情って奴だろう。私はペンギンだけれども。手頃な大きさ、というには少々大きいかもしれないが、そんなこたぁどうでもいいのである。小さいこたぁ気にすんな! というやつだ。
その鞠が孵化でもするように、やはり内側から何かが突き出てくるように膨らんだ。やめろ、本当に気持ち悪いし何か見ちゃいけないものを見てるみたいだからやめてくれと全身の毛を逆立てた私の前で――逆立つような毛ではないけど――、タコは立派なコウモリに変態していた。別に全裸で外にいるというわけでは――いや、動物だから全裸ですね!
《はっ?》
コウモリ? と私は首を傾げる。灰緑色のぶよっとしたコウモリがそこにいた。くず餅とか、わらび餅を思わせるぶよぶよ感だ。
《はあああ――――!?》
《突貫工事ですけどね!》
なんでコウモリなんだよと私はぶよっとした体をひっつかんで揺する。とてもぶよぶよしていた。触るんじゃなかった! コウモリにはあるまじき感触だ。全力でこんにゃくを握りしめてしまった感じ。話はそれるが、こんにゃくってなんだか生臭いのは何でなのだろうか。気になる。
《僕、食べたものの姿を取ることが出来るんですよお》
《――エッ》
ってことはさっきの得体の知れないバリバリという音は――。
ペッとされていたゴム状の膜を私はのぞき込む。見間違うことなくそれは私の一撃に倒れたコウモリのものだった。
《骨とゴムって感じであんまり美味しくはなかったですけど》
おなかが空いていたのでよかったですう、と笑ったクラーケンは、コウモリの翼を羽ばたかせた。
そんなのありなのか、と私は思う。私はコウモリを下僕にしたあげくにこき使ってやりたかったのに。飛べる哺乳類を飛べない鳥類がいびり倒して心折れる昼ドラ並のドロドロ展開を期待していたというのに!
どうやらドロドロになるのはクラーケンの胃液で溶かされる運命にあるコウモリの方だ。食われたなら仕方ないと私は唯一残ったゴム状の膜をビリビリと破ることでストレスを発散することにした。
死者に鞭打ちといわれても仕方ない行動かもしれないが、《女王の茨鞭》でしばかれるよりましだと思う。
マゾヒストは「俺の蛸足……!」とその場にひざを突いてがっくりしていたが、まあ良いだろう。