異世界のトリッパー、異世界でフリッパー
アナコンダの身体にがぶりと噛みついたそいつを見たとき、直感的にまずいと思った。俺が回復させた小さな蛇はこのアナコンダの子供だろう。まちがいない。アナコンダの様子を見ていればよくわかる。俺が回復させるにつれて意識を取り戻した小さな蛇は、子供を心配して這ってきたアナコンダの鼻先にすり寄って甘えていた。可愛いと思う。
だからこそ、この小さな子供の目の前で親を失わせるようなことになっちゃいけないと思った。
俺は基本的には動物同士の争いごとには関わらない主義だ。でも、それでも目の前で親を亡くすような子供を作りたくはない。だから鞭を抜いて、躊躇わずにコウモリを打った。
キィ、と小さく鳴いたコウモリは、見た目からするとダイオウチスイコウモリだろうか。この地方の密林に住むコウモリで、大きさは俺の背丈と同じくらい。幅をみると俺の相棒が三匹縦に並んだくらいの幅だ。この翼の大きさはコウモリとしては最大級だろう。また、ときおり家畜や人を襲って血を吸うとも聞いている。基本的に暖かいところにしかいない奴だから、俺はこいつを図鑑の中でしか知らない。
こいつが人を喰らい続けると吸血鬼になる――という伝承もある。ちょっと不気味な生き物なんだよなあ。コウモリは哺乳類の中で唯一空を飛べる種でもあるし、実際に見たらやっぱり、わくわくはするんだけど。でも血を吸われたいとは思えないな。
アナコンダの血を吸ったコウモリの、俺の相棒に突かれて破られた翼膜。それはあっという間に修復されていく。血を飲むことでこんな能力発動できたんだなあと思いながら、俺は蛇二匹とヘビザルを背中に、コウモリの前に出た。親の方のアナコンダの治癒はまだ終わっていないから、片手はアナコンダに触れさせたままだ。患部に身体の一部が触れていないと治せないって治癒術はちょっと不便だけれど、これが一番確実に迅速に治せる方法だから仕方ないな。
俺の相棒が泉に飛び込んですぐ、あの馬鹿でかいコウモリは大きく口を開けて――多分、音を響かせた。超音波だと思う。俺には――人間にはコウモリの放つ音波は全くわからないから、何の問題もなかったけれど、泉の水面が波打っていたから、相当な音波だったんだと思う。ヘビザルも蛇二匹も、苦しそうな顔をしていた。この音をどうにかしないと、と振るった鞭はコウモリの羽を少しかすめた。不機嫌そうに顔を歪めるそいつが、俺をロックオンしたのがわかる。――ああ、わくわくする! 期待で胸が喜びに躍る――というのは不謹慎だろうか。あ、でも攻撃を庇うって名目なら何しても平気だよな?
恨みのこもった瞳が、怒りの眼が。俺を見ている。きっと俺を傷つけたくて仕方ないんだと思う。よろしくお願いします! どうせならガブガブ噛みついてくれたって構わないッ! 死ぬのはごめんだから死ぬ前に治癒術を使うけれど、基本的に痛いのは大好きだ。痛みを与えられた場所が燃えるように熱くなって、それからスッと全身から血の気が引くような、あの感覚が大好きだ。
――簡単に言おう! 痛いのはご褒美です!
甘美な苦痛を与えて貰おうと、俺はコウモリを挑発する。鞭を持ったままへろへろと腕を振ればいい。間抜けに揺れた女王の茨鞭にコウモリはいらっとしたようだった。動物って基本的にピラピラ動くモノに反応するから、それをうまく押さえれば簡単に釣れるわけで。
ほーれ、ほーれ、と腕をヘロヘロ振っていた俺の背後の泉から、俺の相棒が飛び出てくる。やっぱり賢い奴なんだろうなと思った。きっと超音波を避けたんだ。コウモリが大きく口を開けたことに危機感を抱いたのだろう。アイツは水の中もすいすい泳ぐし――。
そんなことを暢気に考えていたときだ。
かすかな水音がした。ちゃぷん、とかって類の“水が小さく揺れましたよー!”みたいな音。普段なら聞き逃すところだけれど、俺の“獣使いとしての感覚”が警鐘を鳴らす。
――泉の中に何かいる。
オーラリー、オーラリー、どーこーでーすかー! なんて水の精を呼ばわっている場合じゃない。もっと生々しくて、なんかこう、ぬちゃっとしてて、それから――なんか、すごく身に覚えがある感じの……。
後ろは振り向けなかった。
――だってそうだろ? アイツは死んだはずなんだから。俺と相棒が跡形もなく消したはずだ。その身を有効活用したことも忘れていない。
なんでそんな奴がここにいるって言うんだ。
――なんて、シリアスな展開に持って行こうとはつゆほども思っちゃいない。人生は出来るだけ楽な方がいいに決まってるし、なによりタコはうまい。ちょっと食べたの後悔してたからすげー嬉しい!
泉の中からゴム状の触手がずるりと伸びて、コウモリをからめ取って地にたたき落とした。そのゴム状の触手がおいしいってことを俺は知ってる。刺身にしたときの甘さと来たら! 大味かと思ってたけどそうでもなかった、船での俺のごちそう!
吸盤がこりっとしてて美味しかったんだよなあ。レモン汁に塩と出汁を少々、胡椒でアクセントを加えたタレにゲソつけて食べるのはほんとに美味しかった。レモンの酸味、塩気がタコの甘さを引き出してさ、とどめに出汁の深みですよ。新鮮な魚介類最高。アッ俺魚嫌いだった。
ざばりと泉から身をだし、その灰緑の体を表したクラーケンは、それはもう無邪気にばちばちとコウモリを地面に叩きつけていた。
――なんか相棒を彷彿とさせるバイオレンスさだ。
叩きつけられる度にピギッ、とか、キキィ! とコウモリの断末魔が聞こえる。ふんふんと鼻歌でも歌いそうだったクラーケンの触手に、コウモリが歯をむき出した。
コウモリは噛みついた。
コウモリは噛みついている。
コウモリはかみかみしている。
コウモリは噛みつくのをあきらめた。
正直無理もないよなあと思った。あのタコの触手は食いちぎりにくいのだし。感覚としては口の中いっぱいにゴムを含んで噛みしめた感じだろうか。慣れれば癖になる触感だけど、それも食べられるようにいい感じにスライスしてあったらの話で。ゲソ一本を丸々噛みしめるとなると、切り裂けるのは相棒の嘴だけのような気もする。
クラーケンも触手でばちばちするのをやめていた。
叩きつけるって言うと結構グロく感じると思うけれど、俺の相棒の一撃より遙かにましだと思う。さっきあいつ首を捻りとろうとしていたし、下手するとあれは着ぐるみか何かで、中に人でも入ってるんじゃなかろうか……およそ鳥類の発想とは思えない、というか動物っぽくない。
俺の相棒はそれを見ながら、クラーケンの頭によじよじとよじ登っていた。ぽってりしたおしりがふりふりと左右に振れながらよじ登る様はどう見てもかわいい! 可愛いッ!
思わずあのおしりに顔を突っ込みたくなったけれど、相棒は鳥のくせにあまりもふっとしていないから残念だ。なんかこう、水に濡れるとツルっとするんだよなあ。まるで撥水加工済みの傘みたいに。
相棒はしばらくコウモリを見ていたけれど、そのうちあきたのかあの翼もどきを高く振り上げた。
――おお、くる!
相棒があの翼もどきを振り上げるとき、俺はいつも心がときめく。あの、“必殺”の二文字を体現したような一撃。
アレ喰らうと痛いんだよなー! ちょっと意識飛ぶくらい痛いんだけど! じわじわ来るのが俺好み――おっと。
にへっとゆるんでしまった顔を引き締めて、俺は鞭を握り直した。そんなことはないと思うが、もし相棒があのコウモリにやられかけたら俺が割って入るつもりだ。
家族同然の、俺の相棒だから。
相棒はクラーケンの頭から飛び降りると、身動きがとれないままのコウモリの頭に翼もどきをぶち当てた。




