飛べないトんだ鳥
《主じゃないってどういうこと》
《さっ……さあ……? アナコンダで間違ってなかったはずなんですけどっ》
たたかないでくださいしんでしまいます――と半泣きになりながら頭をガードするヘビザルのがきんちょをフリッパーでぶん殴るほど、私は非道じゃない。仕方なしに《アナコンダって他にもいる?》と聞くにとどめておいた。嘴をぎらつかせながらだけども。
《いるかもしれないです……あの、アナコンダって全部真っ赤だから見分けつかなくて》
《――あー、そういうこと》
そうなるとアナコンダは複数いるということだろうか――。複数いて何が主だよと私は舌打ちをした。私の視界には気を失ったアナコンダの近くに跪き、治癒魔法をかけているマゾヒストがいる。今のところ彼が活躍できる場所は治癒魔法を発揮するときだけなので、彼はもしかすると職業の選択を間違ったのかもしれない。
そうだよね、冷静に考えて被虐趣味者が鞭を持つのは皮肉以前の何かだ。回復師にでもなればよかったのでは――と思うが、マゾの彼では進んで攻撃に当たりに行きそうだから危ない。攻撃に当たりにいく回復役なんて火をつけに行く消防士と同じくらい、その存在に疑問が生じる。回復役が先に死んでどうするんだ、という話である。お荷物どころの話ではない。
動物を労っているときの獣使いの顔は、私がちょっと驚くくらい良い顔をしている。男前だとかそういう薄っぺらいものじゃなくて、もっとなにか深いところで良い感じの顔だ。ちゃんと動物が好きなんだな、とか動物のことしか考えてないんだな、とかたまには人間にも興味を示せよとか。そんな感じの。あっ後半は悪口だった。まあいいか。
多分こいつは死にかけの人間と死にかけの動物がいたら動物の方を優先させるだろう。そういうやつだ。人は人だとしか思っていない。
私が剥いだ鱗にも丁寧に手を当てて、獣使いの青年は祈るように目を閉じ、ただひたすらに自分の魔力を、見知らぬ大蛇に生命の加護を与えるための贄にしている。こういうところを見ると私もやりすぎかなって思っちゃうけど、マゾヒストは私の行動に口出ししない。そのあとで自分が回復する羽目に陥っても気にしない。私が野生に生きていて、野生は争うのが当たり前だって“獣使い”はみんな知ってる。
誰かに害を為すようなら、迷惑をかけるようなら黙ってはいないのだろうが、そうでない限りは動物と動物が争うことは当たり前なんだって理解をしてくれている。
だから小憎たらしいことにこの獣使いは従えた動物にもじわじわと信頼関係を作れるのだ。それは凄腕の獣使いだった彼の両親の教えもあるだろうけど、彼自身の素質もある。まあ、被虐趣味でなかったらもう少し動物にも好かれるのだろうけれども……
あれだ、初対面ではだいたい攻撃されて恍惚とする気持ち悪さだから、彼に“獣使いの獣”として扱われるようになって《あっこいつ意外とまともじゃん!》みたいな感じで好感度があがるのかもしれない。不良がたまに良いことをするとすごく良い人みたいに思われるアレだ。まず不良なところで悪い人だってことを私たちは忘れがちである。
マゾヒストは大蛇の身体に手を当てながら、何か考えているみたいだった。時折“気配が……”とか、“なんか変だなこの森”とか呟いている。別に『急に能力が覚醒した俺かっこいー!』みたいなことをしているわけではない。獣使いという職業についた冒険者たちは皆、普通の人間より感覚が“獣寄り”だから、他の冒険者と違って気配を探れたりする。それはたまに獣を凌駕するとかって話を彼の母親がしていたけど、人だって動物だ。動物が獣だというのなら、獣並の力を人が持ってもおかしくないのだ。時にそれが野生の獣を越えたとしても、不思議はない――と私は思うんだけどなあ。
「こいつが起きたら何となく聞くしかないなあ」
治癒の終わった大蛇を撫でながら、「おまえらが通訳できたら楽だけどな」なんて私とヘビザルを見てマゾヒストは笑っている。彼が指しているのはオウムみたいに人の言葉を少しでも話せる動物たちのことだ。すみませんねえ、同じ鳥類なのに飛べもしなくて話せもしなくて!
ばちばちとお礼代わりにフリッパービンタをお見舞いする。狙い通りに嬉しそうな顔をしたこの青年はやっぱりおかしいなと私は改めて思うのだった。
***
真っ赤な巨大ロープはのろのろと顔を上げ、にこにこと微笑んでいたマゾヒストの顔を見て少しぎょっとしたようだった。爬虫類の顔つきは私にはどうもよくわからないから、本当にぎょっとしてるのかはわからない。私は鳥専門だったのである。鳥を知るうちに他の生物にまで知識欲の触手を伸ばすことはあったが。
大蛇の治療を終えたマゾヒストは、力つきて倒れていた蛇の頭を自分の膝に乗っけていたのだった。爬虫類は撫でられるのをあまり好まないから、と蛇の頭を撫でることはしなかったが、その目はひどく優しい。アナコンダの方も自分を治療したのがマゾヒストだと知ったのか、頭を垂れるようにして獣使いの青年に蛇なりの感謝を送っている――が。
これってマッチポンプなのでは。一応、周りからの認識としては私は彼の“獣”である。めちゃくちゃにアナコンダをボコった私が言うことではないが、痛めつけてからの回復、そして信頼へ――と言う流れは少々虫が良すぎないか。
まあ良いけれども。利用できるなら何だって利用してやろうではないか。皇帝らしく。
「お前、凄い大きいなー。この森の主だったりして? まあいいや、“死にそうな動物”とかしらない? 俺、そいつを救いたいんだ」
そう、それだ。私たち――というかマゾヒスト――は、その“死にそうな動物”とやらを探しにきたのだ。私は一刻も早くその動物を助け、恩を売り、私に忠誠を誓わせるという使命を全うせねばならないッ!
マゾヒストの言葉にアナコンダははっとした顔をして、私の方へずりずりと寄ってきた。――お、おお、まじまじと見ると結構大きな蛇である。真っ赤なアナコンダは金色の瞳を私の方へ向けながら、厳かに、重々しく威厳たっぷりに口を開く。
鱗の色に負けないほどの赤い舌と口内が見えた。大きく開かれた口はまるで洞窟の入り口みたいだ。
《――そなた》
人にたとえるなら、威厳のあるおばあちゃんみたいな声だなー、と思った。もうそろそろ世代交代しませんか! あなたは主ではないみたいですけれども!
《なに》
《――そなた、私の望みを聞いてはくれまいか》
《やだ》
エッ、みたいな顔をヘビザルもアナコンダも見せてくれた。そりゃそうですよね。冗談です。ちょっとお茶目なペンギンちゃんを気取ってみました。
この大蛇に恩を売っておくのも悪くないはずだ。蛇の恩返しとか聞いたことないけど、私の家では“恩は二倍返し、屈辱三倍返し、ホワイトデーも三倍返し!”という家訓がありました。いずれ二倍に返して貰いましょう。
それに、私が心地よくサンドバッグにしてしまった気もするし、ここは蛇の脱皮の如く一肌脱いで見せようじゃありませんか! 一般市民なくして帝国は成り立たないしね! 民あってこその皇帝です!
《冗談、話だけなら聞くよ。あとで二倍の恩を返して貰おうかなと思うけど》
《……わかった。話だけでも聞いてくれぬか。私は最近までこの密林の主だった》
《最近?》
ヘビザルのがきんちょの話も全くの見当違いだとかそういうものではなかったらしい。少し情報が古かっただけだ。情報が戦を制す、なんて言葉も聞きますが、情報ごときでわたしの戦局は揺るがないので問題ない。常に勝利あるのみ。
赤い蛇は舌をチロチロとさせながら、憎々しげに語る。
《私には子がいる》
おおっとまさかの子持ち宣言! 何の前置きだこれは! 浮気を持ちかけられたときの断り文句くらいにしか聞かないぞこれは! 私は浮気を持ちかけた覚えなどない! 屈するようにと命じることは多々あるが! アッ待って、これはもしかして「まだ小さな子が私にはいるのになんてひどいことをしてくれたんだ」ってやつなのか。
いったい何の話なのだ……とごくりと息を呑んだ。
大蛇はすがるように金色の眼を私に向ける。
今の私なら何を言われてもそれをかなえる力が私にはあるだろう。荒事なら得意になってしまったし、それこそ“空を飛んでくれ”以外のことなら聞けると思う。この姿で世界を実力統治してやろうと我ながらトんだことを考える私だ。トんだことをする為に、それ相応の力を身につけている自信もある。
《私の子を、取り戻してはくれぬか》
《――取り戻す?》
ちょっと意外な話だった。子供を取り戻すということは誘拐でもされたのだろうか。営利誘拐で人質な二時間サスペンスなのだろうか。二時間サスペンスなら私より中年女性の方が詳しそうだ。私はまだぴっちぴちの年代であるはずなので、おとなしく大蛇の話をきくことにする。
――詳しく聞けば、この蛇は雌であるらしい。雌ながらにこのジャングルの女帝として君臨し、彼女も立派な雌のアナコンダとして後継――蛇の子供を産み落としたのだという。彼女はその子を慈しみ、人間がするように自分の子に愛を注いだ。
彼女は愛を与えすぎた、と口にした。つまり子供はアナコンダの弱点として認識された。それが悪かったのか、彼女の大切にしている子供をさらい、女帝の座から退けと言い渡してきたものがいるのだという。彼女は我が子を奪ったそいつと戦って子供を助けようとしていたところで、私とかち合ってしまったらしい。そして私はボコボコにした。子供を助けようとしていた母親を!
《――あの、今回ばかりは本当に申し訳ない……》
《良いんだ、私は蛇だから。嫌われていることくらい知っているし、慣れている》
つまり私は子を奪還しようとジャングルを奔走したアナコンダをボコった――というとんでもないバイオレンスペンギンということである。私だって確かに見境なく動物を襲うことがないわけでもないが、母親には寛容である。というか、母って偉大である。ナイスマザー! 元の世界での話だが、私の母は苦労しながらも、そこそこ真人間として私を育てた。すごい。育てた結果がこれだよ! と頻繁に嘆かれていたのを思い出すけども、そこはスルーしておく。部屋の中鳥だらけにしてごめんね! でも母親も面白がって鳥を集めてたの私は知ってるよ!
アナコンダに日本人お得意の土下座を披露しようとしたが、いかんせん足が短くて無理だった。私だって反省するときは全力で反省するし、蹂躙するときは蹂躙するときで全力だ。つまり常に全力フルパワーペンギンだと思ってほしい。中途半端って良くないよね! 中途半端に笑いを取りに行く芸人よりも、道を究めるばかりにイかれた研究者の方が面白いのはよくあることだと思っている。
《顔を上げてはくれまいか――鳥どの》
穏やかな声をかけて私に接してくれるアナコンダは、優しさに満ちている。誰だ蛇が狡猾とか言ってたヤツ! ……わたしだ! なんてこった!
ボコられてなおブチ切れしないなんて温厚すぎるだろ……私なら全力フルパワーでフリッパーをフルスイングするところなのに。
《私を見事に打ちのめしたそなたに、私の子を助けて貰いたいのだ》
《任せて》
私とて常に無意味に暴れ回るわけでもない。確かに暴れ回って動物を屈服させるのは趣味と実益をかねたライフワークだけど、そうでないときだってある。たまには人助けをして自己満足に浸るのも良いだろう。誰も不幸にならない――おっと、この場合は子供をさらったそいつには地獄が待つわけだけども、子供をさらうようなヤツならどうなっても別に構わないだろう。
私は正義という言葉が大好きである。
――なぜか?
正義という言葉の元なら、どんな暴力も正当化されるからだ!
ナイス正義! 正義のためなら過剰な行動も目をつぶってくれる社会大好きです! ひと思いに暴れても誰も文句を言わない!
《あなたの代わりにそいつ、私の下僕にしてくるわ》
一片の迷いなく言い切った私に《太った鳥なのにすげー!》とヘビザルがまたも興奮しているが、私はペンギン界ではスレンダーなナイスバディだということをここに記しておこう。ペンギン界でボディビルダーを目指しても良いかもしんないくらい鍛えられているのである。このぽっちゃり体型を甘くみないでほしい。寒さに強いんだからな! 無駄な脂肪じゃないんだからな!
――南国では無駄以外の何物でもないけど。