密林を蹂躙
《あの、でも、本当に何しにきたんですかあなたたち》
マゾヒストの異質っぷり――性癖の面においてだが――と、私の外道さにおそれをなしたのか、ヘビザルがおずおずときいてきた。噛まれても動じない人間に、出会い頭に服従を迫る動物がいたらそうも聞きたくなるだろう。我ながらなかなかに傍若無人な皇帝としての道を歩んでいる。私も幸先が良い。順風満帆に悪逆無道な皇帝を目指している。だが、動物とはいえ子供を脅したのは、水増しした葡萄酒よりも薄い罪悪感の咎めるところだったので、私は親切にこう返した。
《蹂躙》
これでこそ皇帝の返すべき模範解答ではなかろうか! 私はこの密林の支配者に会い次第、支配者を下僕にするつもりである。サーチアンドデストロイ! 見つけ次第土に還せ! 抵抗するやつは片っ端からフリッパーの刑だ!
私の一言にヘビザルはひっと息を呑む。嘘じゃないから取り消せないし、取り消す気もございません! この地はもう私のものです!
マゾヒストはご機嫌でヘビザルを抱えていた。ヘビザルの方はもうあきらめ気味だ。時折すりすりと頬摺りを仕掛けるマゾヒストにひっかきを加える程度には慣れたようだ。その調子で目もえぐり取ってやってくれないか、と聞いたら、《手が汚れるのでいやです》と答えられた。こやつ、なかなか見込みがありそうだ。断る理由が“手が汚れるから”! 手が汚れなかったらやってくれたのだろうか。
《じゅ、じゅうりん?》
《暴力の限りを尽くしてこの地を手に入れるってこと》
《それは知ってますけど――で、でも、ぼ、暴力の限りって――だって、この密林には主がいるのに》
《主?》
《アナコンダって知ってますか?》
《大きい蛇であってる?》
あってます、と答えたヘビザルの尾の蛇が、鎌首をもたげてマゾヒストを威嚇している。蛇とサルがくっついた見た目をしているわけだけれど、猿と蛇は別々の思考を持っているのだろうか。ちょっと気になる。
《もう、すっごい大きいへびですよ》
これくらい! と、うーんと背伸びをして大きさを表しているヘビザルだけれど、本当にその程度の大きさだったら拍子抜けだ。ヘビザルが背伸びをしたところでマゾヒストの肩から腰くらいの大きさでしかない。
《胴の太さの話ですけどね!》
《胴かー!》
そうか、胴か。胴でその大きさなら結構大きいかもしれないな。これはもしかしてヤツを飲み込んでくれるのでは――と私は隣でにへにへとヘビザルを相手に相好を崩している獣使いの青年を見やる。
――イケる。
これだけのアホ面をこの大自然の中でさらしているのだ、ぶっちゃけた話不用心である。
私がアナコンダだったら横からぺろっと丸飲みにしてしまうところだが、なんだか食中りしそうでイヤだな。
けれど今回、飲み込むのは私じゃない。このジャングルの主というアナコンダらしいから、そいつが腹を下そうが頭を砕こうが、私の知ったことではないのである。赤いものが私の視界のはしをちらついている。
では、と私はヘビザルに向かって《走れ!》と声をかけた。へっ? と一瞬間抜けな声がかけられたけれど、すぐにそれに気づいたらしい。急いでマゾヒストの腕から滑り落ち、私の元に走り寄った。
「お、どうしたー? 怖くないぞ……」
にこーっと笑いながらヘビザルに近づこうとしているマゾヒストは、まだ何が起こっているか全く分かっていないらしい。お前を怖がる要素があるんだとその特殊性癖だけだ! このお気楽被虐趣味者め! と私はペンギン語で叫びつつ、マゾヒストから距離をとった。私がヤツから離れ、やっとヤツは身に迫る危険に気づいたらしい。後ろを振り向き、目を大きく丸く開いている。
「おお……!」
違った、未知との遭遇に感動してた! バカだこいつ! 何で撫でにいってるんだ! 別に良いけど! 出来ることならさっさと呑まれてほしいくらいだけれども!
マゾヒストの背後に迫っていたのは大きな赤い蛇で、多分それはアナコンダという“密林の主”で間違いないだろう。緑ばかりのこの密林で、バカバカしいほどに目立つその赤は何の意味があるのだと聞きたくなるけれど、きっとそれは自信の裏返しだ。
――自分を捕食できるものはいないから、目立ったところで影響はない。
たとえば、動物や虫が“保護色”や“擬態”なんてものを有していることがある。保護色といって私が思いつくものはシマウマだ。アレは一見派手だし、ゼブラ柄の服を着ている女性を思い浮かべることが出来たならすぐに分かるだろうが、超目立つ。――まあ、そういう女性は大体メイクも派手だし、髪色もサバンナの砂みたいな色をしているから目立つのは必然なのだけれども、あれは意外とシマウマの生息する地域では、“周りと溶け込む”――というのが通説である。
サバンナと言えば枯れ草があったり、低い木があったりするのだが、その中にあの柄をつっこむと嘘みたいに溶け込んでしまう。動物によっては人ほど色を見分けられないものもいるので、木と草の色の違いから出来る光景が白黒の柄に見えるのかもしれない。あの柄は派手そうに見えて地味なのだ。人が着ると超目立ってるだけで。多分、サバンナに全身ゼブラ柄のサバンナ色の髪の女をおいておいたら溶け込むと思う。動物的には。人間的にはあらゆる面でアウトな気がするが。
ただ、シマウマの保護色に関しては“じゃあ何でほかの草食動物は縞模様じゃないの?”という疑問が出てくるかもしれないが、私に聞かないでほしい。私は人だった頃に少しかじっていた動物の知識を丸投げしているだけである。そんな突っ込みは求めない。
まあともかく自然界で“食い物にされる”動物においては、“いかに他の動物に襲われないようにするか”がポイントだから、ものによってはカメレオンやタコ、イカ、ヒラメみたいに体の色を変えてしまうものもいるし、模様で周りに溶け込んでしまうのがシマウマやオカピだ。
それとは別に、“擬態”というものもある。これは“全く別のものに化ける”ことを指す――となんとなく理解してほしい。ハナカマキリというカマキリは花びらみたいに美しい色と体で花びらに擬態し、花につられて寄ってきた虫を食べるし、ナナフシは小枝に見せかけることで虫の天敵である鳥からの襲撃を防ごうとしている。
余談だが、ナナフシがあまりにも小枝過ぎて私は感動したことがある。どうみてもアレは小枝で間違いない。動く小枝。実際に七節あるとかないとかはどうでもいい。小枝すぎて感動した。 鳥にうっかり巣の材料としてくわえて行かれたりしないのかと逆に不安になるくらいの小枝ぶりだ。
――とまあ、ナナフシの主演男優賞ものの擬態についてつい語ってしまったが、擬態にも前述したように二つある。一つは“他のものに紛れて捕食する”ため、もう一つは“捕食を逃れる”ため。
保護色、擬態以前に真っ赤っかのこの蛇は、“俺は保護色で身を護るなんてチャチなことはしないぜー!”とか“擬態して身を護るなんてこともしないし擬態で餌捕ろうなんて思わないぜー! 実力で狩ってやるぜー!”みたいなタイプだと見た。自信過剰である。――そういうタイプの者のプライドをズッタズタにするのが私の趣味だ。性格悪いとかいうな! 出る杭は打たれるのだ! 私はその杭を全力でたたく! 一片の悔いもなくな!
ふ、と私はニヒルに笑みを浮かべる。
多分周りから見たらペンギンの顔なんて変わりゃしないので、私が笑っていたり顔をしかめていたらそれは気分の問題であって、実際は無表情であることを心の隅に置いておいてほしいし、「ペンギンは笑わねーよ!」なんて突っ込みも不要である。そんなの分かり切っている。
飼い主が「この子撫でると笑うのよ~」なんて犬の自慢をすることがあったりするが、本当に笑っているかどうかは誰にも分からないだろう。もしかしたら「触るんじゃねえよ暑苦しい!」くらいは思っているのかもしれない。私が獣使いに日々思っているように。
《怖いなら逃げな》
《はっ? ――えっ? あの、まさか残る気で?》
ニタリと笑いながら告げた私に、《おいおいこいつクレイジーだぜ……》とでも言いたげにヘビザルが私を見つめてくる。
怖かったら逃げるのは“当たり前”だ。生き残るのは大事だ。敵前逃亡したからといって説教をぶちかますのは弱者にとってみればいい迷惑だ。かなわない相手に奮闘することほど無駄なことはない。それは命を無駄にする行為。なので――私に出会い次第、全世界の“主”は無駄な抵抗なしに降伏して貰いたいものである。
ちなみに、私の目の前で巨大蛇にすり寄る青年は“当たり前”ではなくて異端者である。ヤツは怖くても動物の前からは逃げないだろう。
《あの、でも主ですよ?》
《主だから何だ》
主だから手を出しちゃだめなんですってば――と幼いヘビザルはあわてているが、手ならマゾヒストが出している。文字通り。鱗を触ってうっとりしているし、アナコンダはやはり困惑している。このマゾヒストは獣を魅了するより困惑させる方が多いのはなぜだろうか。獣に頭を心配される獣使いなんて世界中を探してもこの青年くらいだろう。他のところで一番になってほしかったと、彼の両親は思うに違いない。どうでもいいけど。
《いやあの……本当に“蹂躙”するんですか?》
《大洋の覇者クラーケンもこの胃に収めてやったわ!》
《ええっ!?》
まだこの体に隠し持ってるんですよ――とは言えなかった。ヘビザルが私を見て怯えている。もっと怯えろ。そして崇め奉りたまえ! 褒め称えたまえ!
《ほ、本当ですか――その、そんなに強そうには見えませんけど》
人といい猿といい、これだから霊長類は!
ペンギンを見くびりすぎである。
このプリティーボディの秘めるポテンシャルを甘くみすぎである。
良いぜ、久しぶりにやってやろうぜ!
いくぜ私のフリッパー!
私は数多くの猛者を屈服させてきた、おなじみのそれを高々と掲げる。目の前には蛇にすり寄るマゾヒストがいるけれども、一緒に攻撃したところで特に何の意味もないだろうから気にしない。どう転んでも喜ぶだけだというのが目に見えてる。
好都合なことにアナコンダからは私の姿は見えていない――というか、何でこの獣使いは嬉々として初めて見る蛇の顔に抱きついているのだろう。同じ“きき”なら、危機感を持ってもらいたいものである。
私は全速力でよちよちと走りながら――これでも走ってるんだよ!――マゾヒストの背中を踏みつけて跳躍する。気持ちよさそうな声が踏み台にした青年から聞こえた。きもちわるい。
ジャングル特有の湿った空気、得体の知れない鳥の鳴き声、踏みつぶしてきた草のにおいを感じながら、私はアナコンダの頭を思い切りぶん殴る。