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別れと出会いとタコの刺身



 お前って奴は……! と私は震えた。それはもう皿に乗ったプリンのように震えた。タコの刺身が乗った皿の前で震えた。そりゃもう盛大に。


「いただきまーす!」


 マゾヒストは実に嬉しそうにタコの刺身が乗った皿の前で手を合わせる。これは私の世界にもあった「命を頂く」という行為をする際に、ありがとうを意味して行われるもの。いや、別にそれは良い。私も食べるときは一応いただきますっていってる。この獣使いには餌くれコールにしか聞こえてないと思うけど、別に良いんだよこの際は。今一番問題なのはこの皿にのったタコのお刺身でですね……。


 わたしはマゾヒストの青年をそっと見た。もしかするとこの青年はマゾでありサドであり、そしてゲスなのかもしれない。


 ――どこの、どの世界に仲間のタコを刺身にする奴がいるんだよ……!


 いやまあここにいるんですけどね? 美味しく仲間を食べてらっしゃるんですけどね? 

 確かにあの船で私と彼はクラーケンの足を貪った。また生えてくるしクラーケンも喜んでたし、何より美味しかったし。でも貰っていたのは足だけだ。頭までは食べなかった。ゲソだけならすぐに生えてくるからと私もその辺は気遣って足を貪っていたというのに。


 ――あ、ちょっとまて。もしかするとこのマゾヒスト、クラーケンのことを仲間と呼んだことはなかった気が……。


 そこまで考えて私は思考を停止した。世の中、気づかない方が良いこともあるのだから。


 お皿に載ったタコの刺身はまだにゅるにゅると動いていて、ちょっと哀愁を誘う。これ、多分放置しておいたらだんだん動かなくなるやつだよね……。灰緑色の足はつつくとびくっと一瞬かたまって、それからまたにゅるにゅると動いていく。あっ面白い。つんつんと嘴でつつきまくっていたら、「大変だったなあ」とマゾヒストがでれっでれの顔をして私にフリッターを勧めてきた――おっと、これは頭の部分だな?


 私はそれには口を付けない。どうしようもないタコだったが、あれでも良いところはあったはずなのだ。無限に足が食べられるところとか。


「いやあ、やっぱり刺身は美味しいよな」


 生け捕りにしたかいがあった! とほほえむマゾヒストは満足げだ。彼は確かにタコが好きだったし、クラーケンの足の味も気に入ってはいたが、誰がこんな形でクラーケンと別れることになると思っただろうか。これが小説なら「何だこのクソシナリオ! 滅べ!」と妖怪お気に入り外しでなくてもお気に入りを外すところだろうが、私の目の前で起こっているこれは小説でもなんでもない。ただの現実である。事実は小説よりも奇なり、か……と私はハードボイルドに呟いて、クラーケンの刺身に手を伸ばした。ゲソを二、三本かすめ取っておいた。後でどこかでゆっくり食べたい。この料理屋はちょっと騒がしい……


 とはいえ、なんだかんだいってもおいしいものは美味しいのである。あっさりと刺身行きとなったクラーケンを、せめて最後まで美味しく食べてやろうと私は皿に向かい合った。




 腹ごしらえも完了し、私たちはのんびりと南の町を歩く。皇帝ペンギンの私にはこの気候は暑いが、よく考えればペンギンには暑い地方で暮らすものも多いのだ。ガラパゴスペンギンとか。そう考えると皇帝たるこの私が暑さごときにへばるなどあってはならないことなので、私は暑さを気にしないことにした。心頭滅却しても火は熱いが、気温くらいには慣れると信じたい。


 あっでもやっぱり暑い。気温が十八度をこえると皇帝ペンギンには辛いって話を昔聞いたのを思い出した。

 でもここでへばったら侵攻の夢が! 私の帝国が! 

 帝国、帝国と念じながら、私は歩く。となりのマゾヒストも慣れない暑さに辟易としているようだった。暑いのはダメなのか。マゾでもダメなのか。何だか不便なのかそうでないのかよくわからない体質――じゃなくて性癖である。


 そんな風にのたくたと町を歩けば、あっという間にマゾヒストと私の周りには人だかりが出来る。理由は二つだ。ひとつは私が珍しい鳥だから。そして、もう一つはマゾヒストの顔が女受けするから――である。


 出るとこは出てて引っ込むところは引っ込んでいる南国のお姉さま方は、さりげなく被虐趣味者(獣使い)を囲みながら私を撫でている。狙いが私ではなくマゾヒストだというのは明らかだ。どうか恋人か何かとして貰っていってほしいが、まず無理だろう。なにせ動物にしか興味を示さないような男である。次点で女王様。


 肉感的な身体の、蠱惑的な微笑みを浮かべる美女がすすす、とマゾヒストにすり寄った。もっとすりよれ! あててんのよってしてやれ!

 私の気持ちが伝わったのか、美女はもっとマゾヒストにちかよる。


 いいんですか! そいつマゾヒストですよ! 恋人にはおすすめしません! 温厚そうな顔をして! 無害そうな顔をして! とんだ特殊性癖の持ち主ですよ! 力一杯ぶん殴っても喜ぶタイプですよ! 痴話喧嘩が喧嘩になりませんよ――あ、喧嘩にならないなら平和的か?


 女受けする顔をしたマゾヒストはひどく困った顔をしていたが、私は他の美女からも美味しいものを貰えるのでフリッパーで人を払うのはやめておいた。旅に出てから、私にとって獣使いの青年は“餌増しパンダ”である。一人でふらつくときより食べ物が貰えるので、まあそこそこ役立っているとだけ言っておこう。それよりパイナップル超おいしい。さすが南国。


「すみません、このあたりで野生の動物がうろうろしてるような場所ってありますかね」

「野生の動物ー? オニーサン、ちょっと変わってるわねえ! 観光じゃないのぉ?」


 ばいんばいんと胸が揺れてる。すごいなー、ほんとに揺れるんだーと思いながら、それにも全く興味を示さなかったシルバーグレイの髪の青年を見やる。ちょっと心配だ。ふつうならここで「でっへっへ」と鼻の下を伸ばすものなのではないだろうか――いや、伸ばして貰いたいところなのだけれども、ヤツの顔は対人間用の愛想笑いである。胸ごときでは今更興味をひかれないということなのだろうか。でも牛の胸には喜んで飛びつきそうだから、この獣使いの青年にとっては胸の大きい女も牛以下ということなのだろうか。


「いえ、冒険です」

「冒険? 冒険者なのぉ? じゃあこの町を出たところにある森的な場所に行くと良いかもしれないわぁ! なんかねぇ、死にそうな動物がいるって話よぉ!」


 胸の大きいその人は、そんなことを言いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でる。森的な場所って森じゃないの? と思わないこともなかったが、獣使いのマゾヒストはそんなことどうでも良いようだった。死にそうな動物、の一言で目を変えた。多分その森的な場所に行ってその死にそうな動物を助けるつもりだろう。さっきクラーケンを美味しく頂いてたくせに! 私もだけど! 私の下僕を失わせた罪は重いが、今回私もクラーケンを食べたのであまり文句を言えないのが惜しい! だが蛸足は美味しかった! 美味しいのが悪いッ!


 牛並に胸の大きな女性陣の中からを私たちはぬけだし、マゾヒストは私を小脇に抱えて町の道具屋へと走った。どうせいつもの塩の塊と水だろうなと思う。あと、傷ついた動物のために消毒液とか。ここで自分用の傷薬を買わないあたりが動物好きでマゾヒストなんだなって思う。


 塩の塊と水は言わずもがな、人であるマゾヒストのための持ち物だ。彼は遠出に行くときはいつもそれを道具袋の中に入れていた。その習慣は彼が少年だった頃から変わらない。マゾヒストの母親の「本当に危ないときでも塩と水があれば人間なんとかなる、だからどんなに面倒くさくても塩と水は持って行け」という話をきちんと覚えているからだ。食べ物がなくても塩と水さえあれば――という話だが、あんまりにも適当すぎる教えなのではと私は思う。塩と水に頼らざるを得ない状況にならない知恵をつけてやってほしかった。


 北国でちょっとした冒険をしたときは、まわりが雪やら氷だらけで水には困らなかったが、その時はマッチとカップをリュックサックにいれていた。ごろっとした塩の塊とともに。彼は何度もこの塩と水に助けられている。


 やはり、道具屋で彼が買ったのは塩の塊と水。値段を見る限りは北国よりこちら(南国)の方が塩が安い。消毒液の代わりになる木の樹液も手に入れて、「じゃあ、行くぞ」と私に笑顔で話しかけた。行ってやろう。そして死にかけの動物に恩を売って下僕にしてやろう。


 マゾヒストはわくわくした顔で町のはずれへと向かい、その間に二、三回ならず者のなり損ないみたいなのに私たちは絡まれたが、私のフリッパーと動物に会いたくて仕方ないマゾヒストの鞭の一振りに陥落した。普通の人間がマゾヒストはともかく、私に挑もうというのが無茶なのだ。マゾヒストも北国で鍛えられたせいか、普通の人のわりには結構強いのだけども――攻撃にすすんで当たりにいくからきもちわるい。


 町の外れからさらに人気のないところへと突き進めば、そこに広がっていたのは森というか――ジャングルである。

 木だ! 虫だ! 毒草だー! と獣使いは年甲斐もなくはしゃいでいる。彼はその場にしゃがむと、地に生えていた紫色の花をぶちっとちぎった。


「痺れ草! やっぱこっちにくると花とか生えてるんだなあ!」

《おのぼりさんめ》


 ヤツの故郷である北国は草や木もあまりないから、花を見ること自体があまりない。生で見た花にテンションをあげた青年は、花スゲー! なんて意味の分からない叫び声をあげている。そんな中でマゾヒストが手にした紫色の花は“痺れ薬”になるもので、狩人御用達の花である。まあこの花は確かに「スゲー!」なのかもしれないが、いい加減うるさい。


「密林さすが! さすが密林! なんか変な生き物とかいそうでいいなー!」

《良くはないだろう!》

「お前も楽しみかー! 楽しみだよな、新しい動物に会うのって!」

《私は侵攻が楽しみなだけだ!》


 感極まったらしい獣使いはぴょんぴょんと跳ねて、近くにいたヘビザルをビビらせた。ヘビザルとは蛇が尾になっている猿のことだ。そのまんますぎて解説するのも何だか申し訳ない気分になってくるし、もう少しまともな名前を付けてやったらどうだと命名者にいってやりたい。


 ビビったヘビザルは尾の蛇で、「ヘビザルだー!」と初めて見る動物に感極まったマゾヒストの腕に噛みついていたけれど、マゾヒストは通常運転だ。何も気にしていないどころか絶好調、「幸先良いなー!」なんて満足そうな顔をしている。何がどういいのかは解説するまでもないだろうし、私としてはこの密林じみた森の中にヤツを黙らせるくらいの大蛇がいることを望むのみ。ペロッと呑まれてしまえば良いのにと思うが、「蛇の腹の中って意外と暖かいなー!」くらいは言いそうで恐ろしい。


 ヘビザルはキィキィと鳴いている。


《何だこの男!》

「威嚇されてるのかな? ――まあいいや、連れてこう」


 なんで「威嚇されてるのかな?」から「連れてこう」になるのか全く分からないが、マゾヒストの中ではそれはもう決定した事柄なのだ。ヘビザルは突然現れて己を脅かした被虐趣味者に精一杯の威嚇を送ったが、マゾヒストはつゆほども気にしてはいない。腕にヘビザルが噛みついているのを良いことにお持ち帰りしようとその小柄な体躯を抱え始めている。


 出会ったときにすでにこの大きさだった私を、少年だったというのに小脇に抱えてテイクアウトした前科を持つヤツだから、ヘビザルが噛みつこうがその爪で目をえぐり出そうがマゾヒストは気にしないだろう。


《えっちょっとこの男マジ? マジでテイクアウト? もうちょっとだけ噛んじゃうよ? やっちゃうよ?》

「ヘビザルって一粒で二度美味しいよな……! あそこ(北国)には爬虫類なんていなかったし、蛇とか初めて見たけど、やっぱ良いなー!」

《ガン無視!? せめて自分の体は労れよ! 血が出てんぞ!》


 ヘビザルは焦っている。私はそれを楽しく見守っていた。“マジでテイクアウト”される寸前である。それよりも一粒で二度美味しいって何だ。お菓子じゃないんだぞ!


 尾の蛇をいとおしげになで始めたマゾヒストに、ヘビザルは怯えた顔をした。そりゃそうだろうとも。血を流すほど噛みつかれているのに恍惚とした顔をされたらヒく。しかも優しく撫でられたらビビる。この辺は人も動物も一緒だ。渾身の喧嘩キックを顔面にキメたのに、その相手にうっとりと微笑まれながら撫でられたことを想像してほしい。そんな目にあった人はまずいないだろうが、表情筋がこわばることは想像に難くない。


 ヘビザルがいよいよ真剣に怯えだしたので、私は獣使いの頬をフリッパーでビンタした。一瞬動きを止めてこちらを見た獣使いは、「浮気じゃないぞ、可愛いやつめ!」とデレデレでしまりのない顔を見せてくる。別に嫉妬したわけではないし、ヘビザルを哀れんだだけの行動なので勘違いも甚だしい。言葉が通じないのはとても不便だが、言葉が通じていてもマゾヒスト相手では意味がないような気もしてくる。


《あっ、ありがとうございます!》


 助かったとマゾヒストの腕からすり抜けてきたヘビザルは、まだまだ子供のヘビザルだろう。幼獣特有の丸くうるっとした瞳をもっていた。うるっとしているのはもしかするとマゾヒストのせいかもしれないが。


《もう一回そこのおかしい人に抱きつかれるのと、この嘴でつつかれるのとどっちが良い?》

《えっ?》

《抱きつかれるのとつつかれるのと、どっちが良いかと聞いてんの。この森を案内するって方法もあるけど》

《エッ?》


 間髪入れずにそういえば、《マジで? こっちも危ない系?》とヘビザルは絶望的な目で見てくる。マジですマジマジ。でもそこの獣使い(マゾ)と一緒にされるのは心外です!


 ヘドバンをするように高速で頭を振る私は、まさしくキツツキのようだろう。ヘビザルは絶望的な顔をしたが、《森の案内で勘弁して下さい……》と半泣きでかしこまった。若いのに敬語を使えるとは感心である。





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