第8話
「木村君、入野さんはいつになくぼーっとしているけれど、何かあったかな?」
「漆に被れたのは、先週だろう?北川さんと川遊びをしていて」
「それは北川一穂さんのほうだ」
「ああ、そうだった」
朝霧高校の坂東栄一郎と木村快生。
教室の外の廊下で、影の中にいるように暗い雰囲気で話している。
「入野さんは、慌てているよ」
坂東は入野小百合のいつにない余裕のなさを見抜いていた。
窓から垣間見える姿は、確かに頬を手で抱えこみ、ぼんやりしている。
そういうふうに、見られていることを小百合も他の誰も気づいていない。
黒髪でメガネ、同じく木村も黒髪でメガネ。
坂東は理系を目指し、生物部員である。
同じく本村も理系志望で生物部。
同じ人間同士、合い通じるものがあるという友達だ。
坂東は何かと細かい。勉強にしたって、人との会話にしたって、ああだこうだと細部まで突っ込む。おかげで、大抵人から嫌われている。が、本人はいたって気にしない。そういういうところは図太いタイプ。学校の情報を事細かに知りつくしていて、内実をこっそり親友の本村君に話す。
本村は性格は温厚で、大人しいタイプ。地味で真面目すぎて、堅物すぎて、同じく人から離れている。
「北川さんに、あのことを言ったかい?」
「いや、北川さんはあの性格だ。大石先生も関知しない人だし、三大寺君も内実にはうとい」
「じゃあ、これを知るのは、僕らだけって事?」
「いつものように、そのようだね」
「木村君、僕に黙ってそんなことを、今度は僕にも先に言ってくれよ」
「人聞きの悪いことを。そんなことした覚えはない」
「おやあ、てっきり僕は、あの日のように彼女を捕まえて・・・」
「何のことだい」
「すっとぼけちゃって、まあ、いいだろう」
彼らの評論、観察は日々毎日微に入り細に入り、あらゆる分野に渡って入っている。
小百合や一穂が知らない間に、彼らの話題になっていることとは露思うまい。
彼らと来たら、勝手に言いたいことを言っているだけになるのだが。
そこは言論の自由がある。
「室町君は、きっと何かをするよ」
「そうなのかい?」
「まあ、見ててごらん。もうじき何かあるから」
学校中の情報を集めるだけあって、観察眼が鋭い。坂東のメガネがきらりと光る。彼の言葉を侮ってはいては痛い目に合う。
侮るつもりはなくても、聞くことも知ることも小百合には機会がない。
今日の授業も次で終わろうとするので、頭はそれどころではない。
放課後になって、いっせいに皆が教室を出始めたとき、小百合はまた室町君に話かけようとした。
前の席から、クラスメイトが帰るのを待って、席に立っていた。
室町君はすでに立ち上がっていて、学生カバンに教科書を詰め込んでいる。もう帰るつもりのようだ。
彼が振り返り、こちらに近づいてくるので、待った。
気のせいか、彼の視線がこちらに向いている。
遠くから、久住さんが、こちらを睨んでいる気がする。
「あの、」
「あの、入野さん」
話しかける前に、室町君が話しかけてきた。
「え?」となった。
「今日の放課後、総会長と僕らで探しに行くんだけど」
「え?」
衝撃的な一言を聞いて、小百合は愕然とする。
何を?
つまりは、聞きたかったアレ?
だな。と一人合点する。
と思い当たって、喉がかきむしられるような、腹がぐらぐらになるような脱力感と焦燥感が襲い掛かってきた。
何をって聞けない!ことが無性に腹立たしい。
「入野さんも行こう」
「そりゃあ・・・ええ、そうね」
なんせ、何か分からないけれど、頼まれている役なのだから、大事な役をまかされているのだから、断るわけにはいかない。
「あの」
と話しかけて、室町君が振り返る。
「早く、行こう。授業が終わったら、総会長が玄関で待っているって」
教室の外では、総会の役員の一人が顔を見せ、早く来るようにとこちらの様子を窺っている。
「僕らで外に探しに行くんだ。今日だって、言ってただろ?」