第5話
帰り道、小百合は一人ぶつぶつと唱えていた。
周りの町の人々は、聞くたびにぎょっとして振り返ったほどだった。
「となりの緑ちゃんが、今日帰ってきて、奥さんが晩御飯ご馳走にするからって、うちも今日は奮発して揚げ物ずくし」
「お、法学部に入った緑ちゃんか」
「隣のあの、佐伯さんちの。昔は、小百合とよく遊んでいたもんだ。なあ、小百合」
何かと昔の話をくっつけてくるおじいさんの話。
小百合は小さい頃、田植えの田んぼによく落ちて、泥んこになって泣いていたと、繰り返し聞かされる。うんと言うしかない。
「小百合、御飯、ほら、こぼしてる」
母の聡子には小言ばかりを言われるので、学校のこと、成績のことなど調べられないように注意している。うっかり御飯もこぼせない。
普段はせわしないおばさんだが、頑固なところがある。
買い物で、万札が何枚と飛ぶ家電を買うときなど、
「御飯でパンが出来るって。信じられないけど、出来ちゃうのねえ。どこの買おうかしら?粉から引くのがいいかしら」
と、何度も繰り返し調べまわって、父の昭雄に同じことを聞いて困らせていた。
ただ、近所のおばさんと井戸端会議で刺激を受けた母が、今夜はご馳走と意気込んで作ってくれる夕飯は期待できる。
「小百合はお年頃か」
会社の重役をしている父の昭雄は、50代の白髪交じりの立派なおじさん。時々、セクハラ発言をして小百合を怒らせる。
横を向くと、中学1年生の弟良一郎が、大盛の白御飯をエビフライとおいしそうに食べている。さすが伸び盛りというか、ご飯の量がはんぱない。
「なあ、小百合、男は良いが、良い男を選びなさい。お父さん、会ってやるから」
「まあ、お父さん、小百合はまだ高校生ですよ。家の人に会いに来る男の人なんて、いやしません」
「なんだ、そういう品性がある男以外がいるのか」
小百合はごほごほと喉にご飯がつまりそうになる。
「最近の子は遊んでおるからのう。小百合もそうなんじゃ。和歌山はよいところじゃ。その点、皆がいないものには、見合いをしろとすすめてくれたものじゃ」
おじいさんが言い出して、小百合はもう怒っていいやら分からなくなった。
こんな家族におかずにされては適わない。
ささやかな日常を大事にしたい。
無神経な家族には、これ以上踏み込まれないよう、エサを与えないようにしなければ。
夕飯を早々に切り上げて、小百合は部屋に戻った。
いるとしたら、室町君だったけれど、そんなわけにはいかない。室町君が小百合のようなものなど、相手にするはずがないではないか。
そう思って、家族に言われて、自分が恥ずかしくなった。
室町君のことを好き?
なぜ、そんなことを?どうだろう?自分では分からない。
室町君と教室で目が合ったとき、だった。
横長に大きく開いた眼は、冷やりとした冷気を感じた。
室町君はしばらく視線をはずさず、小百合を確かにその眼で捉えて放さなかった。美形の俗世離れした冷ややかさと艶やかさに心打たれて、息が出来ないくらい胸がいっぱいになった。
室町君っていったいどういう人なんだろう?
思えば彼のことは詳しく知らない。
新しいクラスになって、まだ新学期が始まったばかりだし。
中には幼稚園からの腐れ縁という子もいるのに。そんな子とは気安いものだ。
けれど、室町君は?
想像すれば、彼のイメージが飛躍する。
ちょっとダークで、抜け目がなくて、野生の狼みたいな凶暴さがある。高校生とは思えないほど大人びたところもある。
女性キラー?うん、女性キラーだ。
クラス中、学年の女子中から好意を寄せられている。自ら仕向けているわけではなくて、周りが騒いでいるだけ。
性格は悪いほうでない。母も室町君がおばあさんを助けたと言っていた。
誰かに手を差し伸べる室町君はとても優しい目をしている。大きな手のひらと同じで、心がとても広くて、もし拒絶してもずっと待ってくれて、やはり助けてくれる。そんな人だと思う。
いかん、いかん、
自然と顔がゆるんでいる。
とにかく彼に聞こう。それで、すべては解決するではないか。
明日、早く彼に会いにいこう。