第1話・悪役は居なくとも喧噪には至るようで
俺、こと、アルメル・オース・ファランは10歳になった。前世から10年もの月日が経つと、前世を現代日本と表現するのも少し恥ずかしい気がしてきている。だってほら、もう10年前だよ? 10年前の記憶でもって「現代日本では~」とか言ってみ。若い世代にこう呼ばれちゃうよ。そう「老害」と。絶対嫌だ。
因みに、長男のスレイン兄は18歳を迎え、アルフレッド兄は15歳となる。
魔法学校へ進学したアルフレッド兄は、たまに帰省はするものの、会う機会は少なかった。
魔法学は生徒としては2年間のみの学び舎で、それ以上学んだり研究するには、どこかの学術派の教授に気に入られ、手伝いとして入門するしかない。だが、アルフレッドは問題無くどこぞの教授のお気に入りとなり、リーシャと共に魔法の研究を続けているようだ。
対して、スレイン兄は――
「いい加減にしろよ、スレイン」
――お父様に怒られていた。
「…………」
スレイン兄は無言のまま目を逸らす。自分が悪い事は、どうやら自覚しているらしい。
お父様の書斎に呼び出された俺とスレイン兄。騎士の装束に身を包んだ、もう立派な大人のスレイン兄が、その時だけは子供に見えた。
お父様は深いため息を吐き、続ける。
「婚約の申し出を、いくつ断れば気が済む? お前の事だ、選り好みしているわけではあるまい」
物言いと語彙は穏やかだが、内心はかなり温まっているようだ。目の圧力が尋常ではない。
お父様は続ける。
「ファラン家は実績も知名度もあるから、政略結婚に囚われる必要は無い。婚約の申し出を断るほどに気になる子が居るなら、その子を連れて来い。そういう子が居ないなら、婚約を申し出た相手を無碍にしてはならん」
おー、結構現代日本みたいな価値観な気がする。
…………はっ! 老害禁止! 俺は過去の人、もう現代の日本を知らない昔の人……。
お父様は続ける。
「この家を継ぐのはお前なんだ。そろそろ……いや、もうとっくにかなり出遅れているが、結婚し、子孫を作らねばならない。その上、婚約の申し込みを見合いもせず断り続けたとなると、外部の心象も良くない。ファランの今後は、お前に委ねられているのだ」
「…………」
やはり何も答えないスレイン兄。
これは少し深刻かもしれない。
スレイン兄の態度には心当たりがあった。俺が社会人の頃だ。管理職になる前の頃。
同僚と酒の場で愚痴りあった、様々な会社の改善案。この会社はここが問題だ、これがダメだと、熱く語り合った。上司の絶対に間違っている部分。それも判明していた。
…………でもなぁ、言えないんだよな、上司にはさぁ。
上司が絶対に間違ってるんだよ。それ、法律違反だぜ、ってレベルで間違えてるんだ。上司が間違えてると俺達は解ってる。でも、相手が上司だから言えない、みたいな事。
そうやって、正しさ、もしくは、自分なりに決めた考えを押し殺して、下唇を噛んで、上司の説教に耐える日々。
そういう青臭い新人~中堅にあるあるの、反骨精神。それが見て取れた。
だからスレイン兄の味方をしてやろう! とはならない。現状、スレイン兄は何も語っていない上で、お父様の発言は合理性・倫理観のどの目線で見ても俺の価値観と一致するためだ。
心に決めた人が居るなら、さっさと結婚して外部に知らしめる事で無駄な期待を抱かせない。それもまたひとつの誠実さだと思う。
しかし、この程度の倫理観は、お父様は持ち合わせておられるようで。
「沈黙は不敬と、知らぬお前ではあるまい?」
ギスギスである。
ああ、これはまずい。お父様、結構なガチギレ。傍目だから解る。ガチギレ。それを精一杯押さえている人の目と喋り方。
対して
「…………」
沈黙のスレイン兄ってば、後ろで組んだ手を強く握って、爪が食い込んで血が出てるレベルで、言いたい事はあるが我慢している状態らしい。
はぁ、仕方ない。流石に助け船だ。
俺は言う。
「ファラン家が安泰なら、だからこそ慎重に進めるべきではないでしょうか。安泰だからこそ、付け入ろうとする下賤の者は多い。強欲な女にスレイン兄様が騙され、失墜するリスクはありますでしょう。スレイン兄様が、信頼に足ると判断出来るまで、待つべきではないでしょうか」
と。
俺の前世の世界観的には、俺の発言こそが問題発言になっただろうが、この世界ではまだ、可能性の範疇だ。
「…………」
お父様は何も言わず、無表情で俺を見る。純然たる無表情。ああ、これは下手を打ったと流石に気付く。
お父様は言う。
「スレイン、何を思った」
と。
スレイン兄は少し沈黙を続け、申し訳無さそうに俺を流し目で見て言う。
「最愛の弟に、気を遣わせました……」
と。
俺が敬愛する2人の事だ。次の流れは解っている。
お父様は言う。
「侯爵、公爵、国王と顔合わせするにあたり、重要なのは最悪の想定だ。今、お前は、誰のおかげで返答が出来た?」
と。
スレイン兄は悔しそうに答えた。
「無論、アルメルです」
と。
だからこそ、お父様は言う。
「そうだ。お前は完璧では無い。だから、理詰めされるとすぐさま崩れる。ともすれば、お前に必要な側近はアルメルのような賢者だ。賢い者を嫁に取るのはどうだ?」
スレイン兄はようやく口を開く。
「……この意が決したら必ず申し上げます。それまで、しばしの猶予をください」
と。
お父様は椅子に深く背もたれし、目頭を押さえ、ため息を吐き、なんとかかんとかアンガーマネジメントをする。
「……せめて期限だ。いつだ? いつまで待てば良い」
そのアンガーマネジメントの結果がこれだ。ああ、管理職的には解る。部下に譲歩したつもりなんだよな、管理職は。めっちゃ解るよそれ。でもね、マジのガチで下から嫌われちゃう物言い! 何故って、多くの場合は「期限決めなくても良くね?」みたいな解釈をされた案件に、いちいち期限を設けようとしている面倒な奴扱い、となるからだ! もどかしい。本当にもどかしい、このやり取り。
マジで誰も悪くないんだよこれ。
ああ、胃薬欲しい。
予想通りの結末。
「……………」
スレイン兄は答えない。いや、答えられない。なにせ、その答えを知らないから。
スレイン兄視点では、期限が解らない物の期限を確定せよと言われたが、どう足掻いても期限が解らない状態なのだと思う。
なにせ俺は20後半の年齢になっても結婚の目途が着いていなかった前世だった。難しいよね、結婚。
だが、時代の変遷もある。この時代、この世界において、スレイン兄の今の年齢で結婚の目途も立っていないのは、貴族としては、ややまずい。
ああ、腹が痛い。
誰も間違えていないのに、まずい状態だ。こんな状態、俺程度ではフォロー出来ない。
「……まぁ、いい」
無論、折れたのはお父様だった。
だが、解る。本心は納得していない。しかし、強く責めてはいけないという理性が、お父様に納得したフリを強要する。
「子供、そうだな……そう、子孫。子孫だ。アルメル、相談がある」
と、お父様は無理やり自分を納得させるようにしながら、話を進めた。
だから俺は、話を進めるため、努めて淡々と答える。
「なんでしょうか、お父様」
と。それだけの返答。
お父様は目頭を押さえながら言った。
「人口が増えない」
と。
この世界に転生して10年しか経っていない俺からすると、人口の増減は未知の領域だ。国家・又は都道府県のレベルで見ると、10年そこいらしかこの世界に居ない俺が、統計無しで判断するのは難しい問題。
だから、聞くに徹する事にした。
「と、言いますと?」
解らない、答えられない時は、念のために確認する質問を投げかける。これで時間を稼ぐのは、割と有効な手段だ。
お父様は答えた。
「10年弱ほど前にこの国を襲った疫病がある。それにより、住民の数は激減した。疫病は終焉したが、疫病を終えてなお、人口回復の目途が立たない。なんとかしたい」
との事だ。
だから俺は考えた。
近代の技術と中世の技術で最も大きな差は医療技術だ。産まれてくる子供を死なせない。その技術は実は近代特有の新技術であり、中世程度の医療技術や衛生観念においては、新生児は死ぬのが普通、レベルの認識になっている。
しかも、母体の安全性も担保されていない。母子は命賭けで出産する。現代日本と違い、この世界は本当に、そういう世界なのだ。
医療技術など俺の知識に無い。
しかし、それでも出来る事がひとつ、ある。
とはいえまだ構想。安請け合いで説明は出来ない。
なので俺は、前職営業として、差し障りない延命措置を行う。
「一度、考えさせてください」
と。
お父様は当然のように「たのむ」とだけ答えた。
そして、お父様は、続けた。
「頼んだついでのようですまんが、アルメル。ひとつ、話したい」
その口調は、自分の子供に向けるには不適切な「恐縮」の念が込められていた。
「??」
俺はその言葉の意味を、本当に理解していなかった。
お父様が続けたこの言葉の重みは、現状の俺には、知る由も無い。
「アルメルにも、婚姻の申し出が届いた。お相手は、ルーサー公爵家の長女だ」
と。




