白い結婚と言ったのは、貴方の方ですよね?
結婚式を終えた日の晩。所謂初夜。
「お前のような女とは寝ない」
夫となったテディ・ペニントンは私、エリノーラにそう言った。
まるで汚物を見るかのような目をする彼。
私はそれに臆することなく答えた。
「ペニントン侯爵家に私と貴方の子は必要かと思いますが」
私がそういえばテディは鼻で笑う。
「必要なのはお前との子ではない。ペニントン侯爵家の子だ。俺の血さえ混ざっていればお前でなくてもいいのだ!」
「私ではない者と子を作ると? それに一体何の利益があるというのです?」
家の名声を落としかねない発言に私は呆れかえっていた。
彼は確かに私を毛嫌いしていた。
美しいものが好きな彼のお眼鏡にはかなわない地味な容姿、同じ魔法学園に通っていた際も決して目立った成績は持っていなかった凡人。
加えて私の生家であるメレディス伯爵家はペニントン侯爵家より爵位も下だ。
極めつけには――
「俺には、生涯を誓った女性がいる!」
――浮気相手の存在だ。
「ショーナはお前のような醜さとは反して愛らしく、おまけに魔法の才もある! 生まれた環境に恵まれなかっただけで、本当は俺と共に幸せになる資格がある女性だ!」
「はぁ」
ショーナ・マカラー男爵令嬢。
私も一応は面識のある人物。
そして彼女とテディの距離感はただの異性の友人にしてはあまりに近すぎることで学園内は噂になっていた。
だが下位貴族である彼女は侯爵家嫡男であるテディと婚約を交わすことが出来なかった。
「伯爵家の血ではなく男爵家の血を我が子に混ぜるという事ですね」
「ハッ、お前は馬鹿か! この国の在り方も知らないとは! ――この国は魔力至上主義! 魔力の量が多い天才が爵位以上に評価される国だ!」
勿論そのような事は知っている。
魔物や戦争……戦の機会が多々あるわが国では、魔法を発動する為に必要な力――魔力を多く持つ者こそ貴重な存在として見られる。
より正確に述べるならば、魔法を以て国へ貢献した者が最も評価される。そしてそう成り得る存在こそ、必然的に『魔力を多く持つ者』となる。
国に認められる結果を出した者は爵位を与えられたり、元ある爵位から昇格されたりする事だって珍しくない。
さて、この重要な『魔力』。これは残念ながら努力だけでどうにかなる物ではない。
両親の影響を大きく受ける『生まれ持ったもの』なのだ。
「ショーナは魔力量も学園一だった! それに比べてお前はどうだ! ペニントン侯爵家の名を背負うに値しないではないか!」
「少なくともテディ様よりはあったはずですが」
「煩いッ!! 俺は侯爵家の嫡男だぞ! お前とは違う」
「そうですね」
もう面倒なので適当に聞き流す。
「では、この結婚は白い結婚だ、と」
「そういっているだろう!」
要は、彼はショーナとの間に子を授かり、愛人として我が家に迎え入れるつもりなのだろう。
結婚前の乙女の純潔を奪ったとなれば家の体裁が悪い。先に既成事実を作ってしまえば、彼女との婚約を認めなかった親族も頷くしかないというのが彼の魂胆らしかった。
その後、話はもういいだろうと必要以上に声を張った彼はその後さっさとベッドに入り眠ってしまった。
(全く。魔力量に恵まれた子を産まなければ困るのはペニントン侯爵家の方だというのに)
そもそも本当に魔力を多く持つ者であるならば今頃何かしらの結果を出し、爵位の壁など気にしないだけの評価を得られるはずなのだが。
それに気付かないテディに私が何を言っても無駄だろう。
(まあ、こうなるだろうとは思っていたのだけれど)
――テディの愚かさは今に始まったこのではないのだから。
私は呆れて肩を竦めるのだった。
それから、二年の月日が経った。
半年が経った頃、ペニントン侯爵夫妻は流行り病で亡くなってしまった為テディが家を継ぐ事となった。
よって、彼の暴走を止める者はいなくなってしまった。
彼は宣言通り私と夫婦の務めを果たすことはなかったし、一年が経った頃にはショーナが愛人としてペニントン侯爵邸へやって来た。
既に腹が大きくなっていた彼女はその半年後、無事に子を産んだ。
彼は公ではその子を私との子として扱った。
しかし家の中で私はその赤子に近づく事すら許されなかったし、顔も殆ど見た事はない。
テディとショーナは常に我が子と時間を過ごし、私は屋敷の隅の部屋へと追いやられていた。
だがそんな生活もそろそろ終わりを迎える。
私は赤子に夢中である二人の目を掻い潜って屋敷を抜け出し、町医者の元を訪れた。
この国で医者の診断結果は絶対。医者が結果を偽る事も、医者以外が本来の診断結果を偽る事も大罪だ。
私はとある診断書を得て、時を待った。
そして、大貴族ウォートン公爵家のパーティーに呼ばれた私とテディは公爵邸へ向かう。
残念ながらショーナは留守番だ。招待状がない者を連れていく事は出来ない。
私達はペニントン夫妻としてパーティーに参加した。
この日のパーティーは外国留学に出ていた公爵家嫡男の卒業と帰国を盛大に祝うものであった。
パーティー会場の中で、エスコートもされずパートナーの傍に立つ事しかできない女性は私くらいのものだろう。
周囲は私達の不仲についてあれやこれやと予測し、噂を立てているようだった。
その時だ。
「エリノーラ」
黒い髪に深い青色の瞳を持つ青年が私の名を呼ぶ。
レックス・ウォートン。
彼こそこのパーティーの主役であり――私の幼馴染でもあった。
「レックス」
「今日は来てくれてありがとう。……テディ殿も」
「は、はい」
「招待いただいていたのに、式に参加できず申し訳なかった。まあ……私が参加していない方が貴方は安心だっただろうか」
「め、滅相もありません」
レックスは笑顔を浮かべているが、その目つきは鋭く冷たい。
彼と私は親しい友人であった事はテディとて知っている。故にレックスが「エリノーラを軽んじるような式の参加者から彼女の味方が減り、さぞかし安堵した事だろう」といった意を込めた事も悟っていた。
肩を震わせ、身をかたくするテディを一瞥してからレックスは漸く目元を和らげた。
「何、ジョークさ。無事お子も産まれたらしいしね。素直に祝福しなくては」
「は、はは」
余計な事は言うなよという視線が向けられ、私は肩を竦める。
「いやぁ、それにしても久しぶりだなエリノーラ。手紙でのやり取りは最近もやっていたけれど、やっぱりこうして本物に会えるのが一番だ」
「相変わらず大袈裟ね」
「ああ、そうだ。もしよろしければこの後、晩酌でもどうだろうか。私は勉学に勤しんでいたせいでまだ婚約者すらいない身だからな。後学の為に、貴方達二人の結婚生活についてでも聞かせてもらいたくてね」
「い、いえ、その」
「土産に酒も用意したのだが」
「な……」
レックスの留学先はワインが名産の国であった。
公爵家嫡男の彼が選ぶ、特別な地で作られた上質な酒。
それがどれだけの価値があるかを察したのだろう。
私のクズ旦那、テディは金と酒に目がなかった。
よって彼はすぐに首を縦に振ったのだ。
レックスという男は非常に口が上手かった。
彼はテディを上機嫌にさせたまま度数の高い酒を何杯も彼に飲ませ……結果、テディは顔を真っ赤にして酔い潰れてしまう。
「おっと。ついつい飲ませすぎてしまったか」
「貴方は自分のお酒の強さをもっと自覚した方が良いわ」
「すまない。私は離席しよう。暫く休んでいると良い。何なら、泊っていけばいいさ」
「お気遣いどうもありがとう」
意識が朦朧としているテディの前で私達は芝居を打つ。
当たり障りない会話をする私達だったが、その眼光は互いに鋭く光っていた。
レックスは小さく頷いてから退室する。
扉が閉められる音を聞いてから、私は深く息を吐いた。
「おい、ブランケットを持って来い」
「テディ様」
いつもより大きな声で命令するテディを私は呼ぶ。
怪訝そうに顰めた顔が向けられた。
私はそんな彼を見据えて続けた。
「離婚しましょう」
「…………は?」
「離婚しましょう、私達」
「なんだ急に。何のつもりだ?」
「なんだも何も、もう限界なのです。貴族の女として当然の権利、そして存在意義でもある、子を身籠る事すらできない。おまけに顔すらろくに見た事の無い子の母親を演じさせられ、貴方の顔を立てるために嘘を吐き続ける……こんな生活、もう一日だって続けたくはありません」
「お前――誰のおかげで侯爵家の人間を名乗れていると!?」
「私は望んでおりませんが? 元々、貴方のご両親の強いご意向あっての事。魔力も大した事の無い、それどころが傲慢で上位貴族の器もない貴方へ嫁ぐことになったのはご両親の顔を立てての事でもあったのです」
「え、エリノーラァッ! 好き勝手に言わせておけば……ッ! ただで済むと思うなよ」
鼓膜を揺るがす程の大声。
けれど私は決して怯みはしなかった。
怯む理由がなかったのだ。
「何故お怒りになるのですか? 貴方とて私の事は目障りだと思っていたでしょう? ああ、もしかして、本当は私に気でもあったのですか?」
「誰がお前のような醜女などに……ッ! ふざけた発言もいい加減にしろ! そもそも、本当ならお前の地位は全てショーナのものだったんだぞ! この盗人が!」
「でしたら、何の問題もないでしょう。貴方の恋路を邪魔するご両親はもういませんし、貴方は己の伴侶をご自身で決定できるだけの力があるのですから」
獣のように荒々しい息遣いの酔っ払いを前に、私は一枚の紙を取り出した。
「さあ、こちらにサインしてください。ショーナ様への愛が真実だというのなら」
互いに離婚を認めるといった旨が書かれた書類だ。
私は既にサインをしている為、テディが署名さえしてくれればこの離婚は成立する。
そして――今のテディは普段の何十倍も操りやすい状態であった。
「お前如きが――俺達の愛を騙るなよ……ッ!」
ただでさえ愚かで浅慮な男。
彼は憎い相手から馬鹿にされた事で、私を切り捨てる事しか考えられなくなっていた。
そして彼は私に乗せられ、サインした。
それが汚れたり破れたりする前にと、私は即座に回収する。
「精々後悔するんだな!」
何故か勝ち誇った様な笑いを上げるテディ。
しかしこんな男のことなど、私はもうどうでもよかった。
私は彼を見て、嘲笑を突き付ける。
そして……
「き……っ、キャァァァアアッ!!」
甲高い悲鳴を上げる。
私の行動の意図が分からずにテディは唖然とした。
そこへ、
「エリノーラッ!」
バタン、と扉が開き、レックスが飛び込んで来た。
計画通り。
問題があったとすれば彼の声が嬉々とした色を隠し切れていなかった事と、私がそれにつられて笑いそうになったことだろう。
私はレックスへ縋りつく。
「て、テディ様がっ、突然私を怒鳴って拳を――ッ」
「なっ、なぁっ!?」
「何だと!? テディ殿……ッ! 妻に手を上げるなど!」
「ち、違います、レックス様! こいつは出まかせを言っているだけだ!」
「いいや! 私も、他の者も、この部屋から怒号を聞いた!」
ここで漸くテディは悟ったのだろう。
私に嵌められたと。
だが今更彼に出来る事はない。
騒ぎを聞きつけ、次々と使用人やパーティーの客人がやって来る。
その中で私は大仰な嘘泣きを披露する。
「私達はもう結婚して二年になります。けれど……彼はいつまで経っても私との子を作ってくれないのです。愛人を家に招き、彼女との子を育みながら、それを私の子と偽れと、彼はそう言い続けていました! ただ、私は、真実の愛が欲しかっただけなのに……っ」
「な、なんと……っ」
自身に酔いしれる悲劇のヒロインになり切る私へ、見知らぬ貴族のオーバーなリアクションまで上乗せされ、現場は完全に私への同情とテディへの軽蔑に満たされた。
「う、ううう、嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! こいつが! こいつが俺を嵌めたんだ!」
「嘘じゃありません! 私、そ、その……っ、お医者様にも確認いただきましたもの! 私達の結婚が白いままであることを!」
「ンナァッ!?」
素っ頓狂な悲鳴が愉快だ。
私が医者から純潔を証明する診断書を得ていた事を初めて知ったテディは、更に自分の立場が危うくなった事を悟る。
そして、彼の頭ではこの状況を打開する方法など思いつくわけもない。
そんな彼が出た行動は……
「え……エリノーラァァァアアアアッ!!」
衝動のまま、私へ怒りをぶつける事。
すなわち彼は暴力に出たのだ。
拳を振り上げ、私へ突進するテディ。
レックスは私を抱き寄せ、庇う姿勢を見せた。
その中で私はほくそ笑む。
「もう良いわね」
――隠し事もおしまいにしよう。
そう心の中で続けた、次の瞬間。
私の体から眩い光が放たれ、部屋中を真っ白に包み込んだ。
そして
「ヘブゥッ」
という情けない悲鳴と共に、テディは私の目の前に生み出された光の障壁へ顔面を強く打ち付けた。
鼻血を出しながら尻餅をつくテディ。
彼は光の障壁――そして目が痛くなる程に強い光の魔法を見て唖然とした。
「な、なんだ、この魔力は――ッ!」
私はキョトンとした顔で辺りを見回す。
だが、私以外の人々は、私へ注目していた。
この光を発現させた人物は紛れもない私であると、彼らの視線が証明をしてくれた。
「これは……私がやったの?」
「エリノーラ、君は……これだけの魔力を秘めていたのか……!?」
相変わらず少し上ずった声。レックスは悪ノリが楽しくて仕方ない様である。
斯く言う私も彼と似た質である為、無意識に才能を覚醒させたヒロインを演じる。
「これが……私の力…………?」
テディの目に嫌という程焼き付けてから、私は光を収束させる。
周囲が落ち着いた明るさを取り戻し、周囲からは呆気にとられたような声がぽつぽつと聞こえ始めた時。
「な、なん……っ、こんな、魔力――見た事が……っ」
鼻血を出したままテディは取り乱す。
そして、泳いでいた彼の目が私の持つ離婚の同意書を捉え――
「え、エリノーラ!」
彼は突如私の名を叫び、引き攣った、媚を売るような笑みを顔に貼り付けた。
「お、俺が悪かった……!」
そう言って彼は土下座をした。
彼は思い知らされただろう。
これまで見下していた女が、ショーナが見せた魔力量をも圧倒するだけの魔力を持っていた事に。
この世界は魔力至上主義。生家の爵位の格差すら簡単に覆すだけの可能性が魔力には秘められている。
「もう一度やり直そう! 今度は血の繋がりを築いて……! お、お前が大事だったんだよ。穢したくなかった。お前に見合うような男になってから、大切に抱いてやりたか――」
「おい」
心にもない薄っぺらな言葉はドスの利いた声に遮られる。
先程まで愉悦に浸っていたレックスはいつの間にか顔色を変え、静かな怒りを浮かべていた。
整った容姿を持つ者の凄みほど威圧的なものもないだろう。
彼の視線を真っ向から受けたテディは恐ろしさから言葉を失い、放心してしまった。
これ以上、ふざけた事を言う気力は彼にないだろう。
「血の繋がり? どうして今更そんな事を」
それを悟ってから、私は二年に渡る冷戦に終わりを告げるべく、そして溜まりに溜まった鬱憤を晴らす為にこう言い放った。
「――白い結婚と言ったのは、貴方の方ですよね?」
困惑した声音を保つ。
しかし、テディにだけ向けた顔は――愉悦を孕んだ嘲笑が浮かんでいた事だろう。
***
その後。離婚は勿論成立し、私は社交界中で噂される人気者の悲劇のヒロインとなった。
一方、テディとショーナのいるペニントン侯爵家は悪評だらけとなり、社交界で孤立し――政界での権威を失っていた。
そもそも、ショーナは多量な魔力を秘めている訳ではない。テディは平均よりも少ない魔力量しかない。
彼らが落ちぶれ、社交界から姿を消すのも時間の問題だろう。
ある日の昼下がり。
ウォートン公爵邸に招かれた私は屋敷の前に馬車を停め、外へと降り立つ。
目の前には私を出迎えてくれるレックスの姿。
彼は私の姿を見て目元を和らげる。
「その姿も可愛いよ」
「あの時の姿は忘れて」
「何で? 君はどんな姿でも可愛いのに」
学園へ入学してから離婚するまでの間。
私は地味な格好を心掛け続けてきた。
全ては、まかり間違ってでも、テディからのお手付きを受けないようにする為だ。
そう。今回の結婚は何もテディだけが納得していなかった訳ではない。
私だって、離婚する機会を窺い続けてきたのだ。
「そういえば、新しい使用人をペニントン侯爵家から引き抜いたんだって?」
「ええ。元々ショーナ嬢の付き人だった……とても優秀な魔力量を秘めた子をね」
「ああ……なるほど。学園首席の秘密はそういう訳だったのか」
レックスに手を差し伸べられ、私はそれを受ける。
彼は繋いだ手に視線を落としてから、少し不服そうに口を尖らせた。
「親父が外国に飛ばさなきゃ、真っ先に婚約していたのに」
「仕方ないわ。時期が悪かったもの。それに、学ぶことは悪い事ではないでしょう。大貴族の嫡男ともなれば猶更ね」
「わかってはいるさ。納得は出来ないけどね」
「だからこうして、待っていたでしょう」
……そう。私が二年も耐えた理由。
そして、純潔を守り抜いた理由。
それは全て彼にあった。
「レックス」
「うん?」
「…………何か、いう事はないの?」
そわそわと浮ついた気持ちを抑え込もうと、自分の髪をいじくり回す。
するとレックスは、意地の悪い笑みを浮かべたのだ。
まるで……私がそう言いだすのを待っていたように。
それから彼は私の前に跪き、とっていた手の甲にそっと口づけをする。
そして――
「俺と婚約してくれないか? 愛しの、エリノーラ・メレディス嬢」
美しい青の双眸が私だけを映す。
……この時をどれだけ待ち望んでいた事か。
「貴方って、人が悪いわ」
一つ、小言を述べてから。
私は両腕を広げてレックスへと飛び込んだ。
「――喜んで!」
互いに抱き合い、無邪気に笑い合う。
その声は晴れた空まで響き渡ったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
もし楽しんでいただけた場合には是非とも
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




