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『記憶の回廊』 第2章 大学生活【3】柳宗助氏の提案

本章では、颯太が柳家を再訪し、思いがけない人生の転機を迎えます。食事の温かさと社会の厳しさが同居する場面を通じ、彼の将来への扉が開かれていきます。

『記憶の回廊』 第2章 大学生活【3】柳宗助氏の提案

 思いがけない電話が、颯太の新しい道を開くきっかけとなった。

「日曜日の十一時に柳家に来ていただきたい」と、文江奥様からの連絡だった。

 当日、颯太は少し早めに柳家を訪れた。応接室で緊張気味に腰を下ろし、壁に掛けられた山水画を眺めていると、墨の濃淡が描き出す山の稜線に心がゆっくりと落ち着いていく。

 ノックの音がして、颯太は立ち上がった。

 長身でがっしりとした体格の五十代半ばの男性が、濃紺のスーツに身を包み、笑顔で入ってきた。声は低く、よく通る。

「鈴木さんですか、柳宗助です」

「鈴木颯太です。お世話になっています」

「鈴木さん、ありがとうございました。直毅は無事に合格しました」

「おめでとうございます。努力を重ねる直毅さんをお教えできたこと、私も嬉しく思います」

 互いに席に着くと、宗助はにこやかに話を続けた。

「法学部で、すでに司法試験にも合格されているのですね」

「はい。以前からの目標でしたので、達成できて嬉しいです」

「日本総合商事の業績をご存じですか?」

「ええ、お世話になっている関係で、関心を持って拝見しています」

 やがて話題は直毅の開成高校での一年間の様子に移った。颯太が詳細を語ると、宗助はしばし考えたのち、真剣な面持ちで切り出した。

「鈴木さん、就職はもうお決まりですか?」

「まだです」

「桑崎さんは大学に残って研究を続けます。私もその研究に興味があり、協力できないかと思っているのです」

「特許にも関心があると伺いましたが?」

「資格は取りましたが、今も勉強中です」

「それなら――来年、弊社に来ていただけませんか。法務部と特許部を統合した新部門の創設を計画しているのです」

 突然の誘いに、颯太は一瞬息をのんだ。

「貴社には大変興味があります。面接に伺わせていただきます」

「では、三月二十日午後一時でどうでしょう」

「承知いたしました」

 話が一段落すると、宗助は笑顔で言った。

「文江がランチをご馳走したいと、台所で奮闘しています。ぜひ食べてやってください」

「喜んでいただきます」

 食堂では、直毅と文江が迎えてくれた。前菜は香り高いハーブが彩られ、ポタージュの温かな湯気が鼻をくすぐる。ローストビーフの肉汁と赤ワインの深い香りが、颯太の五感を満たしていった。

 こんな上質な食事は初めてだ。会話の合間に「いつか自分も、こんな食事を家族と囲めるように」と強く思った。

「本日はご招待、誠にありがとうございました」

 颯太は深く頭を下げ、柳家を後にした。

 三月二十日。颯太は地下鉄都庁前駅で下車し、新宿中央公園を歩いた。新緑の香りに深呼吸したくなるが、一角には青いテントが並び、異様な光景をつくっている。ここで暮らす人々もいるのだ――そう思いながら公園を抜けた。後日、このホームレスのテントは東京都により撤去されたという記事を目にすることになる。

 公園を出ると、西新宿のNSSビルがそびえていた。六十階ほどの高さを見上げ、エントランス正面の受付に向かう。社長との面会を告げると、秘書が現れ、役員専用エレベーターで五十階へ案内された。役員応接室では人事担当役員・小菅が待っていた。

「履歴書と成績証明書を拝見します」

 書類に目を通した小菅は頷き、「大変優秀ですね。大手銀行からお誘いはありませんでしたか?」と尋ねる。

「大学院進学も考えていましたが、家計を思うと迷っていました。柳社長に声をかけていただき、本日喜んで参りました」

 ノックの音とともに、柳社長が姿を見せた。

「小菅役員、鈴木さんの印象は?」

「大変優秀な方です」

「では、新部門の計画を説明してください」

 颯太は、特許の知識も活かして期待に応えられると確信した。数日後、採用通知が届く。

 すぐに留萌の父に電話をかけた。

「お父さん、日本総合商事に入社が決まりました」

「おめでとう! 良かったなあ。母さん、颯太の就職が決まったぞ!」

 受話器越しに、母の弾んだ声と笑い声が重なり、家族の温もりが胸に広がった。


颯太にとって柳宗助との出会いは、大きな道標となりました。学生から社会人への橋渡しとなるこの場面は、彼の努力と誠意が形となった瞬間でもあります。次回は新たな職場での挑戦が描かれます。

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