決意を胸に
「あー! もう無理ぃ、歩けないっ」
隣にいる涼香が、たまらずといったように叫んだ。
まだ歩いて一時間しか経ってないのだが、と幻影機器で時刻を確認した富勇はしかめっ面をした。
けれど涼香はすねたようにして、緑色に染まった広大な野原の上で、体育座りをしてしまう。
富勇は頬をかく。
やはり徒歩三時間でも、臨月エリアへの移動は彼女にとってきついのかもしれない。
だからこそ、富勇は涼香を励ました。
「安心しろ、あともう少しだ。どうかこらえてくれ」
「もう少しって、あとどれくらい?」
引きつった笑みで、涼香は富勇を見上げる。
なるほど、と富勇は涼香の言動の“隠された意味”を察し、目を伏せた。
富勇は広大な野月エリアを一望してから、彼女を我に返らせるような言葉で、再度涼香を応援した。
「それはあんたが決めることだ、佐々木さん。――自身もそうだが、店の女の子たちを救うんだろ? なら、ファイトだ。俺はあんたがヒロインになると信じている」
わずかのあいだ、涼香は宙を眺めていたが、すぐに頭をうなだれた。
「……ヒロイン、か。でも、あたしはヒロインなんかにはなれないよ。だってあたしは、あのお店から逃げてきたんだもん」
「……逃げることは悪いことじゃない。むしろ、逃げて当然だ」
涼香はかぶりを振ると、どこまでも曇っている空を、心が弱った笑みで見上げた。
そして彼女は――。
「自分だけボディガードと一緒になって助かるついでに、女の子たちも助けられたら、どんなに良いかってこと、ちゃんと計算してるんだからね、あたしは」
「……そうだとしても、あんたはお店に戻ろうとしているじゃないか」
「ううん、駄々をこねて野原に座っているだけだよ」
「女の子たちを救うため、親衛隊の車を奪い――」
「皐月エリアから歳月エリアまでは車移動じゃないと不可能だったから、色仕掛けをしただけだよ……」
「どんな性格かも分からないような日本人キラーの元に会いに行き――」
「大丈夫、きみは優しい人だってこと、色仕掛けが失敗したときに気づいたから」
「ボディガードをしてほしい、そう真剣に頼みこみ――」
「ご、ごめんね……今思えば、不真面目だった、あたし」
「俺と一緒に親衛隊の魔の手から逃れ、そしてあんたは――」
「えっ? やっぱり親衛隊から追われる身になったこと、気にしてる? ごめんね、ごめんね。ほんと、あたし、あたしは……!」
「必死にみんなを助けるため、今あんたはクタクタになって葛藤しながらも……ここに立っているじゃないか」
「えっ……?」
どうやら気づいていないのだろう、彼女は。
今、自身が“立っている”ことに、涼香は初めて気づいた様子だった。
「あれ、あたし……立ってる」
いつから? と涼香は富勇に尋ね、富勇は嘘偽りなく答えた。
「さっきからだよ。さっき……空を見上げた直後に、あんたは力強く立ってたぜ」
「……富勇くん、あたしね」
「怖かったんだろう? お店の女の子たちから、逃げたことを責められるのが」
「……知ってたんだ」
「まあ、さっきとは様子が違うんで、なんとなくだけど察したよ」
「そっか」
涼香の目に見る見るうちに涙が浮かぶ。
それに動揺して、富勇は先ほどから言おうとしたことを伝えるかどうか、若干躊躇ったが、結局話すことにした。
「あんた、さっき皐月エリアから歳月エリアまで行くのには、車移動じゃないと不可能だ、って言ったな?」
「うん、そうだけど……?」
涼香はハッとし、手で口元を押さえ、嗚咽を漏らす。
ようやく気づいたか、自分の言っている“矛盾”が。
富勇はフッと息を吐くように笑った。
「そうだよ。あんたは今、歳月エリアから皐月エリアまで車移動以外の方法で、向かおうとしているんだ。――誇っていい」
「富勇くん、あたしぃ、必ずみんなを助けるね……っ!」
「ああ。もうひと踏ん張りだ」
「うん……!」
「佐々木涼香は紛れもなくヒロインだ」
富勇は涼香の肩を軽くたたくと、野原の向こうにいる想像の宇津木というゲス男をにらみつけながら、「首を洗って待っていろよ、宇津木……!」と一睡もしていない目をしばたいた。
あっ、と涼香は間が抜けたような声を上げると、富勇に「言っておくけど、殺さないでね? コテンパンにするだけでいいから」と小悪魔の顔に焦りを滲ませた。
分かってるさ、と富勇は涼香を安心させるために、ニコッとほほ笑んだ。
「さて……少々時間をロスしたな。何はともあれ、まずは臨月エリアに向かうぞ。――歩けるな?」
「もっちろんだよ~」
カラカラと笑い出す涼香を見て、いつも通りだ、と富勇は安心する。
「行くぞ、佐々木さん」
「うんっ、行く~」
富勇たちは歩き続ける。