アブナイ色仕掛けにご注意を
富勇は扉を開けてびっくりした。
このオンボロアパートを訪ねてきたのは、本当に妙齢の女性であり、華奢で小悪魔的な顔をしていたからだ。
暖かそうなセーターを着ていて、下は露出したミニスカートを履き、暖かいのか寒いのかよく分からないコーディネートだった。
何よりも一番よく分からないのは、ミニスカートだ。
日本人が履くならまだしも、如月人が履くには危険すぎる代物。
まるで自分を襲ってくださいと言わんばかりではないか、そう富勇は他人事ながらも青ざめた。
いや、ひょっとして彼女はもう。
そこまで想像を巡らしたとき、
「ハロー、ごきげんよう~」
上機嫌に涼香は手を上げた。
まさかごきげんなのか、彼女は。その服装で出歩いてもなお、ごきげんでいられるのか、彼女は。
彼女は一体何者だ?
富勇は目の前にいる“ごきげんな”彼女を食い入るように見つめた。
「……ハロー」
やっとのことで絞り出したハローの言葉に、涼香は弾けたように笑った。
「ワ~イ、ハローハロー」
「おう、ハローハロー……」
かくして、富勇は涼香をアパートの中に入れてやった。
部屋に二人も座ると、さすがに窮屈に感じるのは気のせいではないだろう。
しかしそんなことよりも、と富勇は妖しい雰囲気のある涼香をチラリと見てから、すぐに視線をそらす。
さすがに狭い部屋で異性と二人きりなのは、富勇をドギマギさせた。
それよりも何がおかしいかって、涼香の様子をうかがっても、まるで緊張や不安を抱いている様子が微塵も感じられないことだ。
強がっているのか、それともこの状況に強いだけか。
富勇は彼女のための温かいほうじ茶を飲料製造器で作りながら、唾をゴクリと飲みこんだ。
「その……道中、無事だったか?」
富勇はローテーブルを彼女の前に運ぶと、そこにちょうどいい温度のほうじ茶が入った湯呑みをコトリと置いた。
涼香はきょとんとした顔で、「あたしが無事かってこと?」と首をかしげた。
ついに富勇はあきれた。なんなら、腹も立ってきたところだ。
「当たり前だろ、佐々木さん……あんた、そんな露出したミニスカをこの国で堂々と履くなんて、バカだよ」
「んー? ううん、そうでもないよ、富勇くん」
涼香はお茶をすすった。
「そうなのか?」
「うんっ。案外日本人は臆病なんだよね、かえって皆驚くんだよね~。
病気持ちだと思われたり、きな臭い女だと思われたり、なんなら普通に珍しそうに見たり」
「……佐々木さんって、肝が据わってるな」
「あはは、それはきみもでしょう? こんな見ず知らずの如月人の女の子をいさせて、大家さんは何もしないの? 大家さん、日本人でしょう?」
「まあ……最悪、大家はなんとかなるからな」
もし大家に見ず知らずの如月人を連れこんだことがばれたら、今あるほとんどのお金、最低限のお金以外を渡して許してもらうとしよう、そう富勇は鬱蒼としながらも決めた。
「でも長居はしないんだろう、さすがに」
「えっ?」
涼香は力が抜けたように、湯呑みをテーブルにドンと置いた。
「うん……?」
嫌な予感がする、そう感じた富勇はやむを得ず、不穏な気配を漂わせた。
けれど、
「どうしたの? ストレス性の頭痛でもする?」
「……そうかもしれない」
そんな小技は彼女には効かなかった。
あらためて、富勇は涼香に確認した。
「もう一回聞くが……長居はしないんだよな?」
「長居、ダメなの……?」
「そんなに眉をひそめられてもなぁ」
「お願い~」
「ダメだ」
そのときだ、彼女が動いたのは。
涼香は妖しくクネクネと富勇のほうにすり寄ると、彼の太ももから内股の近くまで妖艶に弧を描くように指先を滑らせた。
思わず身体が反応し、ビクッとなる富勇。
富勇が涼香を見ると、彼女は上目遣いで彼を見ていた。
色仕掛けか。
ということは、まさか――。
この女は……。
あぁ、なるほど。ようやく把握した。
富勇は目を細くし、ぶっきらぼうに言い放った。
「皐月エリアから来ただろ、あんた。……繁華街エリアのほう」
「んー? どうだったかな……覚えてないの。それよりも、眠くなってきちゃった。きみのその良い香りのするお布団でね、寝ても……いい?」
本当に眠そうだと言わんばかり、涼香は富勇の肩にもたれかかった。
富勇は胸がかき乱される思いだった。
本当に押し倒してやりたい気分にもなったし、突き飛ばしてやりたい気分にもなったのだ、富勇は。
男なら、一度は女性を思いのままにしてみたいと思うのは当然なことであり、そのチャンスが今ならば、それに従ってしまいたくなる。
だがそんなことをすれば、事実上ここに彼女をいさせることは確定事項となり、それを守らなければ、富勇は最低な人間に成り下がってしまう。
前者をしなくて後者をしたとしても、それはそれで最悪な人間になってしまい、つまり富勇にはもう退路がない。
富勇は心を落ち着かせるため、深呼吸をしてみた。
するとどうだろうか、涼香も同様にセクシーに深呼吸をするではないか。
それでついに富勇は堪忍袋の緒が切れ、後者のほう――つまりは彼女を突き飛ばしてしまう。
華奢な涼香は思いのほか勢いよく身体がはね飛び、彼女はしたたかに頭を壁に打った。
「お、おい?」
「…………」
完全に沈黙、まぶたも閉じている。
だがしかし、富勇は騙されなかった。
わずかに彼女の指がピクリと動いたのを――見逃さなかった。
さすがこの国の人間だと、富勇は感心さえも抱いた。
「やめろよ、そんな色仕掛け。俺はあんたを襲わない。それだけは約束する」
「……ん~?」
両目を開いた涼香はというと、やはり頭を打ったところが痛むのだろう、顔をしかめていた。
申し訳ないことをしたと富勇は感じたが、それは一転し、いや、ここはお互い様だろう、と彼は思うことにした。
富勇は彼女に手を貸した。
「ほら、起き上がれるか?」
「うん、ありがとね」
涼香は富勇の手をつかんで、そのまま富勇の布団の上に起き上がった。
涼香は富勇と目が合うと、「えへっ」と照れたように笑った。
この娘は何がおかしいのやら。
「えへっ、じゃないよ、まったく……なあ、ほんとにだぞ」
「えへへ」
思わず富勇は苦笑した。
だが、収穫はあった。
彼女は悪い女ではない。
富勇は咳払いをひとつした。
「まあ、積もる話もあることだし……なあ、ちょっと早めの夕食でも食べながら話そうぜ」
「お酒はある?」
「あるにはあるが……あまり飲みすぎるなよ」
「うふふ、任せてっ」
そう力こぶを作って見せた涼香は、もう出来上がってしまったかのように、しばらくのあいだ、あははあははと笑い転げる。
「まあ、なんだ……期待、してるぞ」
すぐばれるだろうが、念のためノンアルコールを出そう、そう富勇は勝手に決めた。