人工浮遊島の自称国家「如月日本」
ひとしきり雨が降れば、いつかこの如月島も海に沈没するだろうか。
西暦二一三〇年の十二月、人工浮遊島の如月島は沈みました、なんて。
そのように朝倉富勇は面白おかしく考えた。
富勇は二十六歳の青年だ。
周囲からは、よく目つきが鋭いだのなんだの言われていて、もちろん面白くないが、富勇自身もそう考えることがしばしばある。
富勇は今まで一度もお金を稼いだことがない人間だ。
如月島に移ってから、もう三年以上経つが、どうやって日々を過ごしているのかというと、一ヵ月に一回、親からの仕送りで今日まで生き永らえている。
如月島は別名だ。
如月日本――原住民は如月国と呼んでいる。
如月日本の歳月エリア、それが富勇の住んでいる国と場所の名前。
この自称国家には、法律といったものが存在しない。
初めから存在しないのだ。
唯一あるとしたら――ここから数万キロ離れている日本国の法律なら、あるにはある。
ただし、適用されるのは日本人のみで、如月人には何ひとつ適用されないが。
そう、この島へ出稼ぎに来ている日本人には法律が適用されるが、原住民の如月人には日本人の法律が適用されないし、けれど自国の法律は一切ないために泣き寝入りで……分かるだろうか、この意味。
つまり、如月人同士では“何をしても許される”が、如月人が日本から出稼ぎに来ている日本人に何かしようものなら、“日本の法律が適用される”のに、日本人が如月人に何かした場合だと、そもそも我が国には法律が存在しないので、“何も罰せられない”、ということ。
今この瞬間、富勇たち原住民はというと、奴隷のような扱いを日本人から受けている。
富勇が如月国に移住してきたのは、すべて両親のせいだ。
引きこもりの富勇をどうにかさせようと、環境を変えるために富勇を無理にでも説得させ、如月国の原住民として、神奈川県の実家からこのアパート「初月」に一人で越してきたわけで、何も特別望んで如月国の原住民になりたかったわけではない。
こんな国に自分を移住させた両親に、いつか復讐をしよう、そう富勇は心に固く決めていた。
そんな富勇が住んでいるアパートは1Kで、浴槽やトイレといった過去の遺産はきちんと動作しているようだったが、幸いにも使い方の分からないそれらを使う機会はなかった。
今の時代はすべて、身だしなみは夢鏡で整えられるし、排せつも三年に一回、排せつ消去剤を飲むことで、排せつ物をキレイに消去してくれる。
あれらは千円均一で安く買える。
ただ残念なのは、キッチンにあるコンロとかいう意味の分からないもの。
実家にあった、皿さえ置けば料理を作ってくれる自動調理マシーンが設置してなかったときは、度肝を抜かれた。
自動調理マシーンを買うのには、少々値段が張ったが、仕方ない。
これさえあると、通常の料理であれば、なんでも美味しくいただけるのだから。
一方で、住めば都というが、さすがにそこまでこの国は甘くない。
ほら、聞こえるだろうか、この声が。
長身の富勇はあぐらをかいている布団から立ち上がると、暖房が効いた自室の二階の窓のカーテンを少し開けてみた。
「ゆっくり殺せ、刺せ、切りつけろ!」
「まったり殺せぇ、ヒャッハー! 色んな刃物、こっちは取り揃えてんだよ、あぁん?」
「いやん、如月奴隷、こいつまだ出血したいって!」
「撮影配信コンタクト、見た見た? 今、リアルタイム視聴者百人超えたよ、みんなガンバっ」
「如月奴隷を――」
「「殺せ!」」
富勇は無感情のまま、カーテンから手を離した。
これが夕方の住宅街、歳月エリアの日常だ。
今しがた、アパートの目の前にある倉庫前で、若い大学生くらいの青年が、ゆっくりまったり拷問も兼ねて、四人の若い男女によって刺し殺されようとしているところだった。
彼らこそ、この如月国にやってきた野蛮な日本人だ。
そしてほら、あそこには――。
富勇は再びカーテンを少し開けてみた。
近所にいるおじさんやおばさん、それに可愛い顔のお姉さん(いずれも日本人)までもが、それを遠巻きに見てゲラゲラと笑っている。
無法地帯とは、まさにこのこと。
カーテンを閉めてもなお、富勇は可愛い顔のお姉さんの下劣な笑顔が頭から離れなかった。
それを忘れるべく、富勇は早めの夕食を食べるため、キッチンにある自動調理マシーンの元に駆け寄った。