お前は何処の佐藤だ
『ヒルコの娘は常世と幽世の狭間で輪舞を踊る』スピンオフです。
捜査7課の宵闇クンと無窮丸サンがメインです。
こちらは不定期です。
接近禁止命令が出ていた。
別れたはずだと、もう私には関係ない。貴方は既に他人なのだから、私の人生に無理矢理入って来ないでほしい。彼女はそう言った。
俺は別れることを承認していない。そんな話は聞いていない。彼女はそんなことをするわけがない。誰かが彼女を脅している。俺と別れるように、関係を断つようにと無理矢理言わされている。彼女は自分で判断が出来なくなっている。
正気を取り戻してもらおうと何度も説得した。何かに怯えている。俺の話を聞いてくれないくらいに怖がっている。
俺はあきらめない。何度だって説得する。彼女がちゃんと正気に戻ってくれるまで。俺は絶対にあきらめない。邪魔するやつは許さない。
いつものように彼女の動向を確認して声をかけて、説得しようと思った。今日は声をかけることはできなかった。
警察に呼び止められたからだ。
警察のはずだ。
「お前は何処から来た?」
黒いスーツを着た女とコートを羽織った男の二人に問いかけられた。
何処から? 可笑しなことを言う。
何処からも何もない。俺は昔から此処に居る。
「いや、居ないんだよ」
この男は何を言っているんだ?
「佐藤芳雄は此処には居ないんだ」
コートの男が煙草を燻らせて言葉を継いだ。
「お前は何処の佐藤芳雄なんだ?」
俺は、佐藤芳雄は、昔から……此処に……。
「既に此処の佐藤芳雄は死んでいるんだよ。此処には居ないんだ。居ないはずの佐藤芳雄がなぜ此処に居て、ストーカーなんかしているんだ?」
何を言っている? 佐藤芳雄は、俺はここに居る……じゃないか。
「あの娘はお前の元彼女でも何でもない。此処ではお前とは会った事も無い、赤の他人なんだ」
この男達は何を……?
「もう一度聞こう。お前は何処の佐藤芳雄なんだ?」
俺は……。
世界は様々な選択によって枝分かれしていくと言われている。地球人類が宇宙へ行った世界と行かなかった世界。第二次世界大戦が起こった世界と起きなかった世界。0と1。やったかやってないか。起こったか起こってないか。
大雑把に言えばしたか、しなかったか。ある事柄をした世界としなかった世界。そこで世界は分岐する。分岐が分岐を呼び、多種多彩に世界は広がっていく。いわゆるパラレルワールド、並行世界と言われている物事だ。分岐した世界は基本的に交わることはない。だが、例外もある。
原因は皆目解っていないのだが、多種多彩に広がっていく世界を移動して、この世界に渡ってくる者、モノが少なからずいる、またはある。
公安7課の宵闇貴彦と無窮丸文子は、並行宇宙からの彷徨い人を拘束していた。
「あれはどうすんだ?」
「あれって?」
「佐藤だよ、佐藤芳雄の!」
「ふむ。あの件ね。佐藤はね残念なことに……無くならない」
「ああああっ?」
「宵闇クン、納得いかないからって、その物言いはどうかと思うよ。だから佐藤はこの世界から無くならない。何故なら限りなく近似値過ぎるから。
ほら、宵闇クンがここに配属された頃はなんでもかんでも戻していたじゃない。それで弊害出てたでしょ。送り返したはずなのに、ほとんど同じ闖入者が同時期に再出現したでしょ。近似値の世界ではこっちと同じことやってるんだから、そりゃそういうことも起こりえるよね」
上司である荒尾笊忠治が当然だという口調で説明する。
「それで戻されてきた近似値対象者にぼこぼこに殴られて、宵闇クンの鼻はひん曲がっちゃったのよね。まあ、ちょっと鼻が高くなったから良かったのか知らん」
口角をゆっくりと上げながら、無窮丸文子が聴こえるようにつぶやいた。
「くそっ! あの親父っ! やったのは俺じゃなくて、あっちの世界の俺だっての!」
以前に近似値案件を扱った際、宵闇貴彦は手ひどい目に遭ったようだ。
宵闇貴彦は唸り声をあげて机を蹴り飛ばし、壁を殴りつけた。
「感情が歩いているとはよく言ったものだわ。宵闇クンは解りやすい。やす過ぎるのよ」
宵闇貴彦とバディを組む無窮丸文子が、アールグレイティーを美味しそうにすすり、宵闇クンを笑う。
「たくっ、迷惑な残り滓がこの世界に増えるんだぞ。さっさと始末すりゃあいいんだよ、ああいう糞蟲はさあ!」
「近似値過ぎるんだからしょうがない。この佐藤さん、も少し善人だったらねえ、ようこそわが世界へとウエルカムなのに。今回はストーカーさんなんだよ」
「このお方をこの世界から無くせないのは残念だなあとは思うわよ」
「だったら」
「転移してきた先が我らの世界と近接しすぎている。こちらで消した場合、何かしら世界に影響が出る可能性が高い。だから、佐藤芳雄は無くせない。確かに理不尽だねえ」
荒尾笊は少しやけ気味におどけてみせた。
「こちらの世界の佐藤芳雄は2か月ほど前に鬼籍に入っていた。天涯孤独で独身で犯罪歴はないし、いい人だったらしい。片や異界からご登場いただいた、我らが佐藤芳雄は天涯孤独で独身で犯罪歴がないのは同じだけど、生え抜きのストーカーだった」
「こっちの佐藤芳雄はもういないのだから、他所から来た佐藤芳雄は無くせばいいじゃないですか。近似値がどうのこうのってのも、憶測でしかないんだろ」
「宵闇クンは戻ってきた彼に殴られたのに、きちんと勉強できなかったのかな。我らの世界から遠い世界の場合、無くす=お帰り頂くのは意外に簡単なんだよ。そういう装置も既にあるでしょ。例の施設に」
「奥多摩の? 水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置を利用したってやつ? あそこまで運んでいくのも一苦労なんだよな」
「なんでカミオカンデじゃなくて、そっちの小難しい名前を記憶してるのに、肝心の所を勉強してないのよ」
警報が鳴り響いた。異常なエネルギーの収束点が検知されたことを知らせるものだった。
荒尾笊が位置を確認してから警報を止めた。
「これはいいよ。管轄外だ」
「え?」
宵闇が聞き返した。
「樹海絡み。吉田警察にお任せあれだよ」
モニターに映し出された広域地図は、本栖湖の湖畔に何やら大きなエネルギー収束地点を検出していた。
「8課が出張ってるんじゃなかったかしら」
無窮丸が頸を傾げる。
「あちらはあちらでお忙しいこって……話途中だったな。世界が近いとなんでダメなんだったっけ?」
無窮丸は説明するのが嫌になって、宵闇を無視した。
公安7課。
対異界訪問者対策班と呼ばれている。
異界からの招かれざる客を発見、拘束し、可能な限り我らの世界から無くすことに尽力している。
異界、異世界などと呼ばれているが、実際のところは並行宇宙の別の世界というのが有力な説である。
現在の我らの世界の我らの地球とは違う分岐を経て、全く違う様相を呈した彼方の世界の彼方の地球であったり、彼方の地球が存在する彼方の世界の別の惑星から弾かれて、我らの世界を訪れる者、モノも多い。またその逆に彼方の世界にたどり着いてしまう我らの世界の住人も存在する。
世界から弾き出される際、かなり大きなエネルギーが消費される。その発生地点で招かれざる客を発見するのが公安7課の仕事である。
公安8課は超常現象と言われるような現象を担当する。7課と8課は事件発生時点でバッティングすることが多かった。8課が扱うオカルティックな怪奇事件とのリンクは少なからず存在する。公安8課がずっと追いかけている御仏アブダクションは、西方浄土が支配する異界に繋がっていることが確認されている。新しく8日に赴任した鈴鹿和三郎が内緒で使役するクマのぬいぐるみにしか見えない生物は、クマのぬいぐるみが住む世界、通称ヌイグルミ惑星から弾かれた存在だと認識はしている。これは7課の監視対象となっている。
「住み分けが難しいんだよな。7課扱いか8課扱いか、判断に迷うよな」
「まあ、そうね。やっぱりアレソレだったから、8課に引き継いでって事は多いわよね」
無窮丸はアールグレイを口に運ぶ。
「迷い人の捜査って話だったのに、人のカタチしていないのはどうかと思うわよ」
「阿佐ヶ谷の高架下の件だ」
「ああいう情報不足で犠牲が出るのは勘弁したいわ」
「あれはヤバかった」
「船越は両脚切断でリタイアよ。正松本と首藤は首切られて絶命。あれをグロッグ一丁で確保しろって、どこの無理ゲーよ」
「まあ、正松本はしょうがないけど、首藤は残念だった。使えそうなルーキーだったのにな」
「確かに。少しは楽できるかと思ったけどね。なんとか8課が間に合ったんで、私は死なずに此処に居るというわけ」
「あの二人は……苦手だ」
宵闇が吐き捨てるように言う。絶体絶命の危機にさっそうと現れた8課の別働部隊のことを指していた。
「特にヨリーでしょ?」
「あ、あれは、俺を誰かと勘違いしてるんだってば」
無窮丸が宵闇の反応を見て、面白そうに言葉を継いだ。
我らが鈴鹿和三郎が公安8課に赴任する少し前のこと。
7課が人員が潤沢だったころ。
エネルギー収束点を確認して7課のメンツが阿佐ヶ谷駅高架下へと急いでいた。
1967年にオープンした阿佐ヶ谷ゴールド商店街という商店街がかつて存在した。しかし、家主であるJRの無策による店舗減少、詐欺まがいの契約更新など、主に家主側の勝手な都合で閉鎖に追い込まれた。家主は満を持してゴールド商店街を豆の名前を冠したおしゃれな商業施設へと再構築した。その街、あの街の独自性を端から無視して、大規模チェーン店が軒を並べる無個性な商店街が姿を現した。
「ポキン
金太郎」
無窮丸がつぶやく。隣で宵闇がなんだそりゃと訝しそうな顔をする。
「いやね、金太郎飴みたいにどこを折っても同じ絵柄が出てくる。そんな商店街だよねってこと」
「真新しいな。これ、年寄りが考える若者が好きそうな店の典型だな。ターゲットからするとじゃない感満載なんだろうな」
「ちなみに『ポキン金太郎』は『ねじ式』から引用」
「ふーん、カフカの小説だろ? 主人公が毒虫になっても誰も驚かないやつ」
「漫画よ。つげ義春。メメクラゲに刺された主人公の左腕になぜかバルブが生える話」
正松本と首藤が駅の方から小走りにやって来るのが見えた。
「ここにも『ポキン金太郎』がいたわね」
「ふむ、似たり寄ったりではあるな」
肩で息をしながら近づいてくる部下を見やりながら、宵闇貴彦が同意し、無窮丸文子がそれに同意するように小さく頷いた。
「遅くなりました!」
そう言いながら正松本が高円寺方面へ伸びる商店街の通路を見やった。
「船越が先行してる」
対象はこの商店街の真ん中に現れて、そこから動いていないらしい。
「じゃ、我々は後を追います」
正松本と首藤が高円寺方面へ走っていく。派出所から応援に来た警官達と合流して、少し遅れて宵闇と無窮丸が歩き出した。
その足許にコロコロと転がって来る、サッカーボールくらいの大きさのものがある。ゆっくりと止まったそれは生首だった。鋭利な刃物で首を断ち切られたのか、綺麗な切断面をしていた。その切断面から血糊の軌跡を伸ばしながら、生首は宵闇の足許で止まったのだ。
ほんの少し前に別れた正松本の生首だった。自分の首が斬られたことを認識していない間抜けな表情を浮かべて、さらに口がだらんと開いたまま。あらぬ方向を見つめたまま固まっている。
宵闇も無窮丸も、その場にいた警官もそれが生首しかも同僚のものであると認識するのに時間がかかった。
たんたんたん。
乾いた発砲音が響く。首藤か船越が発砲した音だろう。
「ううううううっ」
宵闇が声にならないうなり声を上げる。
無窮丸がインカムで報告しようとしたが、咄嗟に声が出てこず、あうあうと初めて水に触れたヘレン・ケラーの如く呆然としている。
同時刻、高円寺駅前高架下の洋食の店 クロンボ。
「カレーを食べたり、ミートソースを食べたりするときに決まって白い服を着ている。そんでもってピピッって、飛沫を飛ばしてしまう。これは巡り合わせなのだと思う。
しかも同じ服。たまたまローテーションで、この白いワンピースを着るわけ。別にこないだカレー食べて汚したから注意しなくちゃとかは、着た時には思わなくてね。汚しちゃった後で、ああ、この間もこの白いワンピースだったと気付く。外食してカレーを食べよう、ミートソースを食べようと決断した時だって、汚した時と同じ服を着ているとは気づかない。汚した途端、全てに合点がいくという。なぜ気づかないのかなあっと後からじわじわ悔しくなる」
「ジェイソンが出るって言われてる場所に居るのに、堪らずイチャイチャしだす脳筋カップルみたいなもんだな。大体お約束で殺されちゃうんだよ」
「例えがちょっと違うようだけど、カレーライスを食べたいという欲求に抗えない。白い服を着ていて汚す可能性があるんだから我慢しようという気持ちに蓋をする。それがイチャイチャ脳筋カップルの思考と同じだってこと?」
「そうなるかな」
「いやいや、向こうは明らかに不穏な雰囲気があって、そういう曰くつきな場所でイチャコラすること。それがタブーを破るみたいな変な気持ちになっちゃって燃え上ってるわけでしょ。私は汚すまでの瞬間、カレーライスがシャツを汚すことの危険性は感じてないし、汚しちゃうかもしれないというスリルで興奮もしていないよ。食べてうまいなあもぐもぐ……あらあらまあまあ、汚れているわという感じなんだよ」
「そうか。例えが少し違ったねえ、ごめんね」
カウンター席でカツカレーを食べるのが遠目塚依子。その横で『13日の金曜日PART2』のベッドで串刺しバカップルの話をしながら、クロンボ定食を食べているのが如月冴だった。
「なんだろう、このくだらない話を延々してるのって、マドンナの歌を熱く語るおっさんみたいだねえ」
「ブラウンって名前だったよ。ペインペインってうるさかったよね」
カウンターに置いていたスマホがぶるぶるぶると振動する。何気なく手にした如月が発信先を確認して、にんまりと不敵な笑顔を浮かべた。
「姉さんからだ、緊急呼び出しだよ、きっと」
発信先の名前は公安8課の実質差配担当、佐々門姉さんだった。
嬉しそうな如月の声を遮るように、遠目塚依子が黄色い声を上げた。
「まあ、黄色く汚れている」
依子が白いワンピースの胸元をつまんで、悲しそうな顔をした。
如月冴が本当かよという顔をする。
高架下の天井付近は照明が当たらず黒く沈んだ色をしている。その暗闇に溶け込んだのか、正松本の首を切り裂いた加害者の姿は確認できない。無窮丸は一瞬犯人の姿を捉えたのだが、我が目を疑った。どうにも加害者の顔は人のカタチをしていなかったのだ。
そう。どこかの世界から弾かれて我らの世界に現れたのは、猛禽の顔をしていた。いわゆる我らの世界ではモンスターに分類される代物だった。彼らの世界ではその世界の覇権を握る絶対的強者なのだろう。
「どの時点で分岐したら、アレになるんだろうな?」
宵闇は障害物に身を隠し、グロックを構えながら加害者が消えていった天井の暗闇を凝視する。
「そうね。どう贔屓目に見ても、人間のカタチはしていなかったわね」
二人の背後で応援の警官が、必死に一般人の避難誘導を行っていた。
「船越と首藤が見当たらないな」
アーケードの中央辺り、少しだけ広場っぽくなっている空間の真ん中に、正松本の首なし死体が転がっている。先に駆けつけたはずだが。正松本の死体の傍に脚が落ちている。2本。そこから流れ出した血の跡が広場と逆の方に続いていた。宵闇が血の跡を追って視線を移していくと、応援の警官に助けられた船越を確認した。両脚が無い。きつく止血はされているが、血飛沫は止まらない。
「ここはいいから、お前ら船越を運び出せっ」
宵闇が叫ぶとその声に呼応したのか、天井の漆黒からこぼれ出るように、彼の国の住人が姿を現した。両腕から巨大な鉈状の刃物が伸びている。黒い隆々たる筋肉をまとった偉丈夫が、正松本の屍の上に軽やかに降り立ったのだ。
船越の救出を行う警官達の中に、返り血を浴びた首藤の姿があった。船越を抱えるとそのまま通路の壁際まで運んでいこうとしていた。黒い偉丈夫は船越を抱える警官達に視線を投げた。
「まずいわね」
そう言うと無窮丸は無造作にグロックのトリガーを引いた。
確実に着弾しているはずなのだが、黒い偉丈夫は意に介さず、警官達の方へ歩を進める。
「ほんとに同じ世界から枝分かれしたのかよっと」
宵闇が無窮丸に加勢する。焼け石に水。首藤は船越を警官達に預け、彼らを守るように前へと踏み出した。ホルスターからグロックを抜き構えてトリガーを引いたはずなのだが発射音がしない。手元を見た首藤は自分の利き腕の手首から先が無くなっていることを確認した。視認したことで首藤を激痛が襲う。右手を押さえてうずくまってしまった。黒い偉丈夫は振り返り宵闇と無窮丸を視界に捉えた。捉えたまま左腕をゆっくりと振り上げた。
「首藤おおおっ!」
宵闇が叫ぶ。黒い偉丈夫が笑った。我ら人類とは似ても似つかぬ猛禽の顔をしているので、表情は読み取りにくいはずなのだが、宵闇と無窮丸は黒い偉丈夫が『笑っている』と認識した。
黒い偉丈夫が左腕を振り下ろす。首藤の右肩に偉丈夫の左腕の鉈が食い込んでいく。皮膚を切り裂き、肉を両断し、鎖骨に肋骨を砕いていく。首藤は右肩から入った刃が身体の中心へ食い込んでいき、二つに割けてしまった。臓腑が零れ落ちどしゃどしゃと音を立てる。バシャバシャと血糊が溢れる。
「うっおー。こりゃまた『鮮血のイリュージョン』だねえ、ヨリー」
その場にそぐわぬ如月冴の黄色い声に、宵闇が顔をしかめる。無窮丸は呆気にとられる。
「ヨリーはやめて。寄居と間違われたらたまったもんじゃないわ」
「えー『ダーティハリー』の採石場みたいでカッコいいじゃん、寄居」
「まあ、そういう見方もあるのね。私は東映特撮御用達爆発道場だと思っていたわ」
「いまはどっちかって言うとデジタルで処理しちゃうんでしょ」
「詳しくは知らなっ……」
ゼロ距離移動で振り下ろされた偉丈夫の鉈を依子が刀の鞘で受け流した。
「なになに? 危ないなあ」
受け流すと同時に距離を取った依子が、グロックを構える宵闇と無窮丸に気づき、小さく手を振る。
「佐々門姉さんに言われてやって来たよ! アレソレっぽいので8課も加勢します」
如月冴が宣言する。宵闇が苦悶の表情を浮かべる。
「があああったく、なんでよりによって、あの二人なんだよっ」
無窮丸が同情するように宵闇を見やる。
「貴ちゃん、ちょっと待っててね。今なんとかするから」
そう言うと遠目塚依子は日本刀を鞘ごと構える。ふと自分の白いワンピースの裾を見た。
「まあ、真っ紅に濡れている!」
黒い偉丈夫の斬撃が幾度となく依子を襲う。依子はその都度攻撃をいなし、搔い潜る。白いプリーツのワンピースがくるくると翻る。
「相変わらずの気違い剣士っぷりだ」
宵闇がうめいた。宵闇と依子は同期である。警察学校時代から剣道で幾度となく試合をしてきた仲である。宵闇は頼子に勝てたためしがなかった。後年、依子が混じり者であると知り、敵う訳がないと納得したものだった。だって、武の神様である経津主神と混じっていたのだからして。
依子は日本刀で偉丈夫の刃を捌いている。抜刀はしていない。鞘に納まったままだ。依子の扱う日本刀は胴田貫。田んぼで人体を使っての試し斬りを行ったところ、胴体を切り裂いて田んぼまで貫いた、そんな逸話から名付けられた骨太な刀である。室町時代から続く肥後刀鍛冶の打ち出した戦刀である。依子がなぜこの刀を使うのか? それは『子連れ狼』に出会ってしまったから。
北大路欣也の? いやいや、あんなコンプライアンス塗れの腐れ時代劇もどきではない。日本テレビ系列で大ヒットとなった萬屋錦之助のテレビシリーズでもない。ちなみに錦之助版は後年、大五郎役の俳優が殺人を犯して逮捕されたことで脚光を浴びた。いやな脚光である。大五郎はほんとに冥府魔道に入ってしまったわけである。ドラマ自体は普通に面白いので、ほんとに残念な出来事であった。
まあ、そんなことはどうでもよい。依子が傾倒した『子連れ狼』は、あの兵隊やくざ=勝新太郎の実兄・若山富三郎が演じた映画版『子連れ狼』全6作品だったのだ。海外ではサムライスプラッターなどと言われて、殊更ゴア描写が注目を集め、カルト映画化している。そんな血なまぐさいロードムービーの中で燦然と輝く若山富三郎の力強い殺陣が、依子のハートを鷲掴みにしてしまったのだ。
「私は富三郎になりたい」
ずんぐりむっくりの身体で宙を華麗に舞い、剣筋も鮮やか、納刀の素早さもぴか一な富三郎にやられてしまったのである。依子は玩具の刀で繰り返し、富三郎を真似ていく。
「我ら冥府魔道に生きる者なれば、常人に非ず。六道四生順逆の境は最初から覚悟の上」
セリフもばっちりである。なかでもお気に入りが真剣勝負の際に自身が扱う刀を相手に名乗るシーンだ。
「水鷗流斬馬刀・胴太貫」
そんな口真似をしながら、玩具の刀でああでもないこうでもないと試行錯誤をするうちに、依子の身体にと富三郎の動きが自然とトレースされていったのである。経津主神の混じり者であったことも幸い? したのであろう。依子は小学生高学年の頃には立派な水鴎流の使い手となっていたのであった。
遠目塚依子が黒い偉丈夫と大きく大きく間合いを取った。腰の位置へと持ってきた刀を左手で固定した。右手は柄に添えて、居合抜きの構えを取る。あとは黒い偉丈夫の攻撃に合わせて抜刀するのみ。綺麗に腰を落とし、依子が身構える。
「やっちゃえ! ヨリーっ」
如月冴が叫ぶ。
「だから、ヨリーは」
黒い偉丈夫が迫る。
「やめてっていってるでしょうがっ!」
流麗な軌跡を描き、胴田貫が鞘走る。
敵の刀を叩き伏せる豪壮たる刃を持つ胴田貫。戦に特化した重量を持ちながらも手持ちの良さを併せ持つ。わずかに切っ先に重心を置き、居抜きでの遠心力の付与すらも考慮された必殺の刀である。
依子の胴田貫が黒き偉丈夫の脇腹を切り裂く。動きの止まった偉丈夫に、依子は胴田貫を大上段に振りかぶる。偉丈夫は腕から生えた刃を交差させ、迫る刀を防がんとする。
しかし、依子の操るは胴田貫、その剛剣に偉丈夫の刃は耐え切れず砕け散る。そのまま偉丈夫は頭を割られてしまった。拳銃弾を弾き返す頑強な身体を持った偉丈夫は、経津主神の混じり者依子が操る胴田貫にあっさりと切り捨てられた。
依子は胴田貫を血振りする。その後でおそらく無意識なんだろう、ワンピースをたくし上げて胴田貫の刀身をぬぐっていく。片足だけ白い膝頭を覗かせた姿が神々しく映る。
ぱちり。
くるっと刀を回すように依子は鞘へと納めた。富三郎と同じ仕種だ。
ワンピースに目を移した依子は、白い布地を横断する紅い筋を視認した。
「またやっちゃったよ。このワンピース着てると決まって汚しちゃうのよね」
さすがの戦刀・胴田貫であった。
「貴ちゃん、殺っちゃってから、なんなんだけど。締めちゃってよかったのかなあ?」
「良いも悪いも殺しちゃってるじゃねえか! それと、貴ちゃんって呼ぶな」
遠目塚依子は何故か宵闇貴彦を貴ちゃんの愛称で呼ぶ。
遠目塚依子と宵闇貴彦は警察学校で出会うまで、面識はない。宵闇貴彦はそう認識しているのだが、どうも遠目塚依子はそうは思っていないようだ。幼馴染だったと思い込んでいる節がある。
「えー、どうして? 貴ちゃんは貴ちゃんでしょ」
「だから、何度も言ってるだろ。お前がいう貴ちゃんは俺じゃないって!」
「またまたあ」
依子は満面の笑顔である。
阿佐ヶ谷の異邦人回収失敗によって、7課は貴重な人材を多く失ったのだった。
宵闇が回想から戻って来る。
「あいつらが来なかったら、たしかに死んでたんだろうけど」
「死んでたんだろうけど?」
「なんか納得いかねえ!」
宵闇貴彦はまた机に暴力を振るった。
本編が全然進まないので、道草してしまいました。