断罪されたクズ王子、心を入れ替えてプロのヒモになりたい
その男は人気のない林道のわきに倒れていた。
今年で八歳になる男爵令嬢のエルザは馬を止めさせて荷台からぴょんっと飛び降りる。
それから枝でつついたり声をかけたり、しばし男を観察したあと、にっこり笑って宣言した。
「この男をわたしの従者にするわ!」
これがエルザお嬢さまとコンラートの出会いである。
◇
コンラートが目を覚ましたのは、がたこと揺れる荷馬車の台の上だった。問答無用で揺れるため寝心地は最低で、どうやら誰かに助けられたらしいと理解する。
「あら、目が覚めたのね」
そういうと幼い少女は嬉しそうに笑ってコンラートの口の中に水筒の飲み口を突っこみ、結果盛大にむせたあと再び意識を失った。
次に目覚めたときはなぜかハサミで服を切り裂かれていた。上も下もジョキジョキと。全裸にされる寸前だった。状況が理解できないまま、あの笑顔で「また目が覚めたわ!」と嬉しそうにハサミの切っ先を向けてきたので恐怖のあまりコンラートはまた意識を失った。
意識が朦朧としている間に体を拭かれたり、水を飲まされたりと甲斐甲斐しく世話を受けた。王城で暮らしていた頃と比べると下手くそでぶつぶつと文句を言いたくなったが、ふと自分の身に起こったことを思い出す。
コンラートは王子だった。
そして最近異世界からきた不思議ちゃんな聖女にのぼせ上げ、一緒になろうとした。しかし元々いた婚約者のことも嫌いじゃないし有能なので執務担当として第二夫人になってくれと提案。仕事も楽できるし愛も手に入れることができると有頂天だったのだが。
「このクズが!!」
元の婚約者から手痛い反撃をくらい、聖女からは「別に殿下のことそんなに好きじゃないですぅ。むしろ、ちょっと迷惑っていうかぁ」と身も蓋もないことを言われ、さらに実はこの婚約にはうんぬんかんぬん、政治バランスが後ろ盾がうんぬんかんぬんと気付けば廃嫡され貴族牢に幽閉されていた。当たり前だが婚約は解消されていた。
そこからまた恐ろしいことに「無駄な種を撒かぬよう」と呪術の刻印を下腹に施され、しまいには人間電池として魔力を絞り取られそうになったからもう逃げ出すほかない。バレたらめんどくさいからという理由だけで出し惜しみしていた魔術を使ってコンラートは城から逃亡を果たした。あんなに必死になったのは生まれて初めてだった。
その結果倒れて、拾われて、今の状況なのだろう。
コンラートはぼんやり考える。
以前、宮廷道化師から聞いたことがある。世の中には女に養われて悠々自適に暮らす『ヒモ』というものが存在すると。あの時は何も言わなかったが内心うらやましいと思っていた。
ヒモになるには、可愛げや世話をやかずにはいられない健気さが必要らしい。そんなもの男にあるわけがないとボヤいたら、ペットと同じようなものだと言われた。確かにコンラートが飼っているオウムのムンチョは雄だがかわいいやつだ。そういうことかと腑に落ちた。
王城で元婚約者とやりあった時はクズだなんだと散々言われ、まあそうかもと納得していた。それでも許されると思っていた。なんせ王族だから。しかしその場にいた女性陣はコンラートに対し軒並み嫌悪感をあらわにし、まるで生ごみを見るようにして拒絶した。つまるところクズでは女性に可愛がってはもらえないのだ。
ぼんやりした頭ながらもコンラートは誓った。
クズを改め、プロのヒモになろうと。
飼い主に可愛がられる、いいヒモになろうと。
「あなた、名前は?」
「……コンラート」
「そう。わたしはエルザよ」
飢えが残る体でなんとか口を動かす。
「あなたはわたしが助けたの。いわば命の大恩人よ。だから、あなたはわたしの従者となりなさい」
幼い少女が嬉しそうにむんと胸をはった。
コンラートは考えた。
従者となる=お金をもらえる。過去、自分に近い従者は自らの手で給金を渡していたのでコンラートはこれが賃金の発生するものだと知っている。
この子の従者となればお金をもらえる。それは疑似的な扶養。つまり可愛がられ養われるヒモへの第一歩なのではと。どのみち断って放り出されでもしたら今度こそ死んでしまうかもしれないので答えは一択だ。
「……わかった」
「ふふっ、『わかりました』よ。もう、コンラートったら言葉をしらないのね」
もともと着ていた服は泥や草の汁でひどく汚れていた。なのでジョキジョキに切られ、今はどこからか仕入れたくたびれた服を着ている。はたからは立派な平民に見えるだろう。
「男爵家の令嬢であるわたしが、いろいろ教えてあげるわ」
にこりと笑った少女は年相応に幼く、無垢だった。
コンラートは王族として教育を受けていた。なのでこの幼い男爵令嬢に教わることなど一片もなさそうだが、夢のヒモライフのためにクズを改めた身だ。まずは可愛がられるような返事を心がける。
「わかり、ました」
「そこは『ありがとうございます、お嬢さま』よ! さあ言ってごらんなさい」
できるヒモは要求の一歩先をいく。
たぶん。
「ありがとうございます、エルザお嬢さま」
ぱちぱちと目を瞬いたのは思いがけず名前を呼ばれたからか。それから嬉しそうに頬を染めて、またあの幼い笑顔を見せてくれた。
「上手だわコンラート! えへへっ、さすがわたしの従者ね!」
◇
驚いたことに、ロンメル男爵家はド貧乏だった。
三代まで名乗ることを許された男爵位の末代がエルザの父であり、その男爵本人は肺の病をわずらって床に伏せっている。今まで引き継いできたものを切り売りしながらなんとか暮らしてきたがそれもあとわずか、と屋敷に仕える頑健な老メイドが教えてくれた。
これは給金をもらうどころではないのでは。
いや道中おかしいとは思っていた。
馬に引かせた屋根付き荷車。率直に言ってボロい。それに御者はおらず、乗っていたのは頑健な老メイドとエルザお嬢さまのみ。御者がいないのは二人のどちらかが動物をテイムする魔術を使っているからだとしても少な過ぎた。食糧も水も現地調達。それでなんとかなっている恐ろしさはさておき、こんな状態で何を目的に移動していたのか。
「お父さま、新しい従者を見つけてきたの。家のことをいろいろ手伝ってもらえるわ。だから心配しないでね」
屋敷に帰り、床につく父親に話しかけるエルザお嬢さまはどこか寂しげだった。
この屋敷に住んでいるのは男爵であるジャックと娘のエルザ。そして老メイドの三人。老メイドは初代に命を救われ、そこから人生をかけてロンメル家に仕えている覚悟が相当決まった人だった。金がなくとも忠誠はなくならぬと武人のような潔さに感服するばかり。
あとは通いの壮年の男使用人がひとり、これも昔にこの屋敷に支えていた者がほぼボランティアのようにしてお世話をしてくれていると。この男は二代目に助けられた恩を感じており、今でもよくしてくれているらしい。
コンラートは改めて思う。
これは給金を要求できる状況ではないと。
思考の片隅にはこのド貧乏屋敷からさっさと逃げ出すというのもあったが、クズを改心したからには人の道理を通さなければいけない。従者を辞めるにしても助けられた恩をきちんと返してからだと、自分に強く言い聞かせた。
さいわい、コンラートは魔術がつかえる。
魔力に応じて五等級にわけられており、以前はのらりくらりとかわし、鑑定結果もしょれっと改ざんして五級魔術師の地位にいた。付随する責任やら義務やらが億劫だったからだ。ここはコンラートが育った国ではないが、同じ制度をとっていることを知っている。実力をご丁寧に申告するつもりはないけれど、三級程度の術でも重宝がられることだろう。
火や水を出したりするくらい簡単だ。
重いものを運んだりするのもまあできないこともない。ひとまずこの家で何ができそうかと考えているとエルザお嬢さまに話しかけられた。
「コンラート、あなた掃除はできる?」
「したことがない」
「やったことありません、よ。料理は?」
「それもやったことありません」
「まあまあ、コンラートったら何にもできないのね! いいわ、お芋の皮むきから教えてあげる。わたし上手なのよ。ほらこっちへ来て」
こんな幼い令嬢が芋の皮むき?
いろいろと困惑したまま手を引かれ連れて行かれた先は厨房。調理器具も食器もあまりなくなんとももの寂しい景色だった。
屋敷全体が古く、あちこちにガタが来ている。所々補修はされているようだがどれも歪だ。きっと慣れない者が精いっぱい頑張った結果だろう。目の前の少女も手伝ったに違いない。
お嬢さまは本当に皮むきが上手で、おぼつかない手つきのコンラートへ丁寧に教えてくれた。
「皮をむいたお芋はね、おなべに入れてゆでるの。……あら、水瓶にお水がたっぷり入ってるわ。ハンスがやってくれたのかしら」
よく見なくともお嬢さまの手は荒れていた。
きっと普段から老メイドを手伝い、父の看病をしているのだ。母親の姿は見えないので儚くなったか、あるいはこの暮らしに耐えられず逃げ出したか……
「お嬢さま、火をつけるのはここでいいのですか」
「ええそうよ。きっとタネ火も消えているだろうから時間がかかるかもしれないけれど……って、すぐについたの? あなた、もしかして火起こしが上手?」
「そうみたいです」
お嬢さまの顔がパァッと輝いた。
「すごいっ、さすがわたしの従者だわ!」
この笑顔を見ると、悪いことはできないなと勝手に思ってしまう。もちろんクズを改心しようと誠意挽回中だが、それをより痛感させられるのだ。
「この瓶からバターをとって」
「ほとんど入ってないぞ」
「ナイフで上手にさらえばティースプーンひとさじくらいはあるわ。それに、また言葉づかいがなってないわよ」
「すまな……ちがう、すみ、ん……?」
「ふふっ、そういう時はすみませんっていうの。もうコンラートったら」
たかだか八歳の少女なのに。
「今日はあなたがうちに来てくれたお祝いだからチーズも入れちゃうわ! このカケラで最後だからこぼさないよう大事にけずってね」
お嬢さま監修のもと出来上がったのは、茹でた芋を細かくつぶしてから、少量のバター、塩、そしてお湯を加えてトロトロにした芋粥だった。チーズは器に盛ってからすりおろしたものを入れる。一人当たりの量はほんの少しだが、お嬢さまがコンラートの分はいっぱい入れるように指示した。
お祝いの主役だからと。
「あ、泣いちゃだめよコンラート……どうしたの? 悲しいことがあったの? えっと、ええと……」
きっとこの令嬢は使用人に給金を払うことまで考えがおよんでいない。この先待っているのは貧乏なタダ働きだ。だけど、どうしてこんなに胸が熱いのだろう。
自分たちが暮らすのも精一杯のくせに、コンラートをもてなそうとする。自分の皿にはほんのちょっと盛って、コンラートにたくさん食べろと残りをくれる。くったくのない笑顔を向け、下心もなく些細なことで褒めて、コンラートが従者であることを心底嬉しそうにする。
ぼろぼろと涙を流しながら芋粥を口へ運んだ。
空腹が限界だったのもあり、自分の中で強くうずまく感情をうまく言語化することが出来ない。けれどひとつだけ。目の前の少女が憂いなく過ごせるよう心を砕きたい、という気持ちは解読に成功した。
◇
それからコンラートはロンメル家の使用人として働いた。
実はこっそり旦那様から呼ばれて給金を払えないから必要なら紹介状を書こうかと言われ、その申し出は断った。
寝床と食事にだけはありつけるからだ。王城からの逃亡中、食にありつけないのは死ぬほどつらく、体は安心な寝床を渇望していたのに叶わなかった。ロンメル家には最低限そこはある。
それにコンラートは諦めたわけではなかった。むしろこの厳しい経済状況がより優雅なヒモ生活を渇望させる。
ヒモ生活とは女性に養われる悠々自適な暮らし。
悠々自適というのは衣食住は事足りているという前提のもとより豊かで自由なものだ。ロンメル家はまずこの衣食住が足りなさすぎる。
コンラートは考えた。エルザお嬢さまに仕えたのは輝かしいヒモライフへの第一歩のはずだ。だからこの屋敷を充実させることで疑似的に理想へ近づくことができる。
老女メイドのタニスと壮年使用人のダンへ相談しながら屋敷の補修をし、庭の一部を畑へと変え、換金可能な調度品を厳選しできるだけ値を吊り上げて売った。
お嬢さまはまだ少女ながらも三級魔術師のテイマーとして時おり仕事を請け負っていると聞いたので、従者として一緒に着いて行き安全を見守った。牛や羊を誘導する仕事だ。たまに馬の調教もしている。見守るついでに水桶を満杯にする仕事をしてコンラートも少しばかりの小銭を稼いだ。
少しずつ、少しずつ、時間をかけて現状を改善していった。おかげで雨漏りもすきま風もなく、食卓には芋の他に食材が何種類か加わった。家計の管理も預かり、少しばかりだがタニスとダンへの給金も払えるようになったのは上々だ。コンラートの分はまだ無理そうだが。
転機があったのはコンラートが拾われて約一年後。
ロンメル家の所有する土地でクズ魔石が出てきたことがきっかけだった。そのままでは安くてどうしようもないが、魔力を込めて形を整えてやればそこそこいい値段で売ることができるのだ。
旦那様の体調は一進一退だった。医師の診察と薬代が必要になる。その上お嬢さまにつける家庭教師代も捻出する必要があったのでコンラートは頑張った。工房にこもってクズ魔石と格闘する日々はなかなか大変だったが、夢のヒモライフを思えば頑張ることができた。健気さと可愛げのレベルが上がったに違いない。
やはり現状コンラートの飼い主であるのはエルザお嬢さまで、その彼女が貧困に喘いではいけない。そしてコンラートの飼い主なのだから淑女たる教養も必要だ。まだ幼いので健やかな心身の成長のためにも父親の健康だって大事。そのためには金がいる。そう、これは先を見越した投資なのだ。できるヒモは未来へ投資ができるのだ。たぶん。
それにクズ上がりのコンラートとしても、クズと言われる魔石を加工することによって価値が上がることにシンパシーを感じた。クズだってやればできるのだと。
そのうちお嬢さまもクズ魔石の加工を手伝うと言って聞かず、ふたりでせっせと小金稼ぎをした。
そうして春がきて、夏を過ごし、秋の実りを享受し、冬の寒さに身を寄せあい。気付けば六年もの歳月が過ぎようとしていた。
ロンメル家の暮らしぶりはそれなりに回復し、コンラートにも給金が入るようになった。エルザお嬢さまは日々淑女へと成長している。素晴らしい進捗だ。
長らく患っていた旦那様が回復されたことには驚いた。それも、以前屋敷を飛び出ていった使用人が医者になって帰ってきたおかげだというのだから世の中わからない。ロンメル家の専属医となった中年のペーターは三代目である旦那様に強い恩を感じ、病床に伏せった彼をどうにか助けたくて医者になってしまったとんでもない御仁だった。
タニスといい、ダンといい、ここの代々当主はどうやら人助けが得意らしい。
正直に言うとロンメル家から逃げ出そうと考えたことが何度かある。コンラートの見た目なのか魔術師の能力なのか引き抜きの話だっていくつかきた。給金は魅力だった。
それらを振り払ってここにいるのは……コンラート自身よくわかっていなかった。
そうしてエルザお嬢さまが十四歳。
コンラートが二十三歳の、夏の終わり。
ロンメル家へ戦争の招集状が届いた。
『三級以上の魔術師ひとり。あるいは金貨五十枚』
金貨五十枚はとんでもない大金だ。暮らしぶりが回復したとは言え、ド貧乏からそこそこ普通へチェンジしたくらいで貯蓄は今からだった。今のロンメル家にはとてもじゃないが払えない。家計を預かるコンラートが一番よく知っていた。
招集状には他にも年齢や病の有無などいろいろな条件が書いてある。それらを加味すれば、ロンメル家で招集の条件にいちばん合致するのはコンラートだろう。二級、一級の等級があれば逆に報奨金を出すとも書いてある。これならばコンラートがいない間の収入の代わりになるだろう。
それなのに。
「わたしが行くわ」
さも当たり前のようにエルザお嬢さまが宣言した。
「いけません」
「どうして? わたしは三級魔術師よ。招集の条件に適っている。それに男爵家の一員として貴族の勤めを果たすわ」
立派な志だ。
しかしそれを許すわけにはいかない。
「私が参ります」
「……なに、言ってるの。ダメよ、そんなの」
「ダメではありません。私が参ります」
「コンラート!」
この時ばかりは不遜な態度をとろうともお嬢さまを言い含めなければいけない。飼い主に好かれるヒモを目指して外ヅラや言動は磨いてきたつもりだったが、時には飼い主をたしなめるのもヒモの役目だろう。
「戦場に行くことを本当にわかってらっしゃいますか。あなたはテイマーだ。戦術として提唱されるテイマーの使い方は、爆弾をくくりつけた動物を敵地へ突っ込ませること。動物たちをこよなく愛するあなたに、そんなことはできない。させられない」
この優しい少女に人間の汚さを見せたくない。
唖然とするお嬢さまの手元から招集状を奪いとり、丁寧に折りたたんで内ポケットに仕舞い込んだ。
「それに、私は一級になれる魔力があります。お嬢さまだってご存じのはずですよ。一級魔術師として参上すれば報奨金だって入ってきますし」
お嬢さまはわなわな震え、怒ったような表情でコンラートを睨んでいる。飼い主にこんな表情をさせるなんて将来のヒモ失格だろうか。怒らないで捨てないでと全力でみっともなく縋るのもやぶさかではないが、しかし。
「我こそがと立ち上がるお姿はとても立派です。さすがはお嬢さまですね。コンラートは誇らしいです」
ここはひとつ、褒めて宥めて引いてもらう。
貴族の勤めと彼女は言い切った。
ならばその招集にいちばんふ相応しいのはコンラートだ。だって王侯貴族のトップだったし。本来なら大将だった立場で祖国に牙をむくだなんてとってもクズいけれども。
そう、此度の戦はこの国とコンラートの祖国が争うらしい。伝え聞く話だとどうも祖国の政治体制がぐちゃぐちゃになっており、今はまともに機能していないんだとか。もともと祖国は強大で、過去の領土争いでは近隣諸国から土地と人を掻っさらっていた。弱体化が見え、周辺諸国がかつての土地を取り戻そうと動いているようだ。
国力は向こうが上。
混乱に乗じ攻め入ったとして勝率はいかなものか。五体満足で帰ってこれる可能性は五分か、それ以下か。
「……お願いがあります、お嬢さま。私が無事に戻ってきたら、私の長年の夢を叶えてほしいのです」
ぱちり、と大きな瞳を瞬いてコンラートを見上げるお嬢さま。まだまだ子どもだけど、立派に成長されたなと感動があった。
「夢があったの」
「ええ。プロフェッショナルのヒモになることなんですけど」
ぱちぱちとまた瞳を瞬く。
そんな様子も可愛らしい。
「……ひも? ええと、それはロープのこと?」
「いいえ。ヒモとは女性に養われ悠々自適な暮らしをする男のことです。私はずっとヒモに憧れていました。無事に帰ってきたその折には、報奨金のあまりでぜひ私をヒモにしてください」
話題をすり替えて意識をそらす。
こういう宣言すると面白がった死神に命を狙われると聞くが本当だろうか。しかし今は己の死亡フラグよりもお嬢さまの身の安全が大事だ。
「お嬢さまはこの屋敷にいてください。ヒモの暮らしには衣食住が満たされていることが必要です。前準備として、どうか使用人たちとこの屋敷を守り、きれいなドレスを着て、美味しいものを食べていて」
十四というまだ年若い少女を戦地に送るだなんて絶対に許さない。お嬢さまは幸せになるべき方だ。結婚相手の候補は三人まで絞り込めた。あとは旦那様に委ねよう。「一方的に決められた婚約者なんていや!」と駄々をこねるかもしれないから、時には運命的な出会いを演出するのも手だとメモを挟んでおこう。
何か言いたそうなお嬢さまだったが招集状を取られては何もできないのだろう。駄々をこねられる前に旦那様へ報告をして早速荷物をまとめることにした。旦那様からは泣きながら謝罪された。
その日の深夜。
コンラートの寝室に誰かが忍びこむ密やかな足音が落ちる。ベッドの上でぱちりと目を開け、侵入者へ声をかけた。
「いけませんね。男の寝所に忍び込むとは、悪戯が相変わらずお上手だ」
侵入者はもちろんエルザお嬢さま。
仕方がないので体を起こし、逃げようとしたお嬢さまをベッドのふちに座らせる。
「コンラート、あの、あのね」
「招集状は渡しませんよ。そのように髪まで切って、まさか少年になりすまして戦地へ行くつもりでした?」
腰まであったはずの髪が首すじが見えるほどにばっさりなくなっている。どうしてそう毎度行動力があるのかと感嘆するが、もうお年頃になるのだしほどほどにしてほしい。コンラートはお嬢さまのあらわになった首すじをそっと撫でた。
暗い部屋の中、お嬢さまの濡れた瞳がコンラートを見上げる。
「……い、いかないでコンラート。あなたはわたしの従者よ。従者を守るのは主人の義務だわ」
「おやおや、私が死ぬとでもお思いですか。心外ですね。私のヒモにかける情熱は並々ならぬものなのに」
心優しい主人がこのままコンラートを送り出すわけがないとは思っていたけれど、まさか寝込みを襲うのは予想外だった。招集状は枕の下だがこれなら衣服の下に仕込んだ方がよかったかもしれない。
これが普段なら注意してさっさと部屋に戻らせるだろう。けれど、コンラートは考えた。
「少しお話しましょうか。そうだ、この際だから言おうと思ってたけど言えなかったこととかどうですか」
もう二度と会えないかもしれないから、ゆっくり語らいの時間を持ってもいいのかもしれない。近頃このように二人きりで話すことはめっきり少なくなった。お嬢さまが年頃になってきたからだ。
じゃあわたしから、とお嬢さまが小さくこぼす。
「……わたしがね、道で倒れていたあなたを助けたのはね……あなたがカッコよかったからなの」
いい顔に生まれたおかげで命拾いしたらしい。
「あの時、隣の国に行っていたのはお母様に会うためで……お屋敷に戻ってきてほしいって説得したくて、だから無理を言ってタニスに着いてきてもらったの」
好きあって結婚したものの、困窮していくロンメル家に耐えられず出て行ったという母親。当時は実家に帰るのも気乗りせず隣国に嫁いだ親友のところに滞在していたとのことだった。
「お母様ね、絶対戻らないって。そこのお屋敷にはキレイなメイドとか、カッコいい従者とか、たくさんいたの。そんな人たちに囲まれているお母様を見たらなんだか悲しくて、悔しかったわ。だから初めてあなたを見つけたとき、これでわたしにもカッコいい従者ができて、あのお屋敷にも負けないぞって……舞い上がっちゃったの」
そう言ってお嬢さまはひざの上で両手をきゅっと握りしめる。
「あの頃はコンラートのお給金のこととか、なんにもわかってなかった。たくさん苦労をさせたわ。本当にごめんなさい」
今さらだと笑い飛ばしたいところだが、お嬢さまはきっと真摯に謝っている。そこを茶化すべきではないだろう。
「だから……だから、もういいのよ。あなたは立派な従者で、うちじゃなくてもっといい条件で雇ってくれる所があるわ。わたし知ってるのよ。他所から引き抜きの話、たくさん来てるんでしょ?」
ぽろり、とお嬢さまの瞳から涙がこぼれる。
「コンラートが戦争に行くことなんてない……!」
ぽろり、ぽろり。
その涙からも悲痛な音が聞こえてきそうで、じゃあ行きませんと言ってやりたい。でもここで流されるわけにはいかないのだ。
「じゃあ今度は私の番ですね」
お嬢さまの涙を袖口で拭いてやりながら、明日の天気でも話すような気軽さで言ってみる。
「実は、王子さまなんですよ。私」
コンラートは懐から巾着を取りだすと、中からひとつの石をつまんで見せた。
「クズ魔石でも、加工すればなかなかいいものになるでしょう? 宝石みたいにキラキラしてる。だけど所詮クズだ。本物の宝石にはかなわない」
お嬢さまの手をとり、その魔石を握らせた。コンラートが作った中でも一番上等にできた石だ。元がクズでもこんなに上等になるんだぞという一種の戒めとして持っていた。これからはお嬢さまに持っていてもらおう。
本物に包んでもらえば、クズだってそれらしくなるかもしれないから。
「……おやすみなさい。私の小さな宝石」
お嬢さまの顔の前で手を振ると、魔術が効いてぽすりとベッドへ横たわる。魔石に魔力を込める五年の過程でうっかり上達してしまった魔術。もし自分が王族のままだったら城に召し上げるくらいの実力者になってしまったかもしれない。これからは生き残るためにうまく使おうと決意した。
また寝込みを襲われてはかなわないと、コンラートはその夜のうちに招集状を持ちロンメル家を出発した。
それからの三年半は真実クソみたいな日々だった。
◇
エルザは十八歳になっていた。
日常生活を問題なく過ごせるようになった父。専属医兼便利屋さんのペーター。通いの使用人であるダン。そして新しく雇った元気なメイドの四人でつつがなく暮らしている。
昔からエルザのそばにいてくれたタニスは去年その身を儚くした。お屋敷のみんなに囲まれ、エルザの父に手を握ってもらいながら眠るように。タニスはいつも厳しい表情をしていたけれど、最後はほほ笑みを浮かべていた。みんなで見送れてよかったと思う。
エルザは無意識に首からさげたペンダントへと手を伸ばす。宝石のように美しい魔石。あの日、コンラートからもらったものだ。
コンラートの無事を祈らなかった日はない。
過酷な戦場で暮らす彼がどう過ごしているのか知りたくて、新聞を読んだりあちこちの人から話を聞いたりした。
十年ほど前だったか、隣国は異世界から来た少女を庇護したと発表した。この世界には時おりそうして異界からの客人が現れるのだが、革新的な情報を持っていたりするので国としてはいて損はない存在だった。
ところが今回の客人は違ったようだ。
耳を疑うような話だが、彼女は魔界と呼ばれる世界からきた淫魔だったらしい。魅了を使い男女関係なく周囲の人間を虜にし、彼らから魔力や精気を頂戴するのだという淫魔。これが王城の中枢で巣を作って猛威をふるったそうだ。
その魔の手から逃れられたのは少数。その中には容姿はいいのに魔力の質が淫魔の好みではなかった者もいたようだ。
ほんと馬鹿みたいな話。そのせいでコンラートが戦争に取られたかと思うとエルザは悔しくてたまらなかった。
案外、コンラートは怠惰だ。
頑張り屋さんではあるのは間違いないが、彼の本質がのんびり屋のめんどくさがりだという事をエルザは知っている。
じゃないと休みは一日パジャマでベッドの上から動かないだとか、好きなものは昼寝と誰かが作ってくれたご飯だとか、言わない。魔石を作ったあとの休憩時間に庭に寝っ転がって「あーしあわせ」と顔をほにゃほにゃにしない。生き馬の目を抜く世界で熱い血潮の全力勝負みたいな言葉がいちばん似合わない男がコンラートなのだ。
そんな彼が戦場だなんて、絶対つらいに違いない。
だからエルザは聞こえてくる噂をうまく信じることができずにいた。
ロンメル家のコンラートは鬼神のような働きをし、戦争が終わったあかつきには叙爵されるだろう。王家の姫君との結婚もありうるかも、なんて噂を。
エルザはその日、玄関ポーチの近くに植えている花の世話をしていた。どこからともなく騒がしい一団がきたと思ったら、なぜかその中のひとりが豪快にスライディングしながらエルザの腰に抱きついた。
「俺は、この人の、ヒモになるのッ!」
見ればそれはコンラート。
擦り切れた軍服を着ているけれど、確かに彼だった。あとからやってきたのは格好からして役人かもしれない。
「やだやだやだやだ絶対やだもう働きたくない。ほらもうさっさと帰れよ、こんなド底辺の人間にこれ以上の仕事なんてさせるな。無理だってそんなんムリムリ。時間と爵位のムダだよ俺ぜったいそんなことしないから」
あ、叙爵の話本当なんだ。
それならば大出世なのに、腰に巻きつく男はいやだいやだと駄々をこねている。
「俺の腹にタネなしの呪いかかってんの見たでしょう? そういうのできないの。結婚とかしても意味ないのいい加減わかってよ。さっさと向こうを説得してきて」
あ、結婚の話も本当なんだ。
タネなしってよく分からないけど、でもお腹の呪いって解こうと思えば解けそうって言ってなかったっけ。
エルザは現在進行形で情けないこの男につい手を伸ばし、よしよしと頭を撫でた。夢まぼろしなどではなく、ちゃんと肉体をともなった本物のコンラートだった。大きくケガをしている様子は見受けられないのでホッとする。
コンラートはすっと顔を上げて矛先をエルザに向けた。
「へへ、お嬢さまは俺のこと養ってくれるって約束しましたもんね。もうヒモにしかなりたくない人生なんで末永くよろしくお願いしますよ」
へへへ、と浅ましい笑みを浮かべるコンラート。これにはさすがのエルザもちょっと引いた。
「ああっ、おねがいおねがい捨てないで、お嬢さまにまで見捨てられたら俺今度こそ死んでしまうううううお嬢さまああああッ!」
彼の懇願は本気だった。
一切妥協のない媚びへりくだりだった。
ここまで恥も外聞もかなぐり捨てた姿はいっそあっぱれである。
コンラートを追いかけてきた使者たちは当初なんとか彼を説き伏せようとしていたが、最後は非常に残念なモノを見るような目で彼を見下ろし、去っていった。
ひしりと腰にしがみついていたコンラート。使者の気配がなくなると何でもなかったように立ち上がり、身なりを整えるとエルザに向き直る。先ほどまでの情けなさはなく、そこに立っていたのは落ち着いた大人の男だった。
「……ふっ、お見苦しいものをお見せしました。ああでもしないとしつこくて」
さっきの心底情けない姿がウソのような豹変ぶりにエルザは開いた口がふさがらない。どっちが演技なのか。いやどっちも本物かもしれない。あの別れの夜、ヒモに関する熱意はすごいのだと本人が言っていたし。
じわじわと実感がこみ上げる。
コンラートが、エルザのもとに帰ってきたのだと。
見た目も態度も完璧な従者が、丁寧に頭を下げて帰還の言葉を述べる。主人に忠誠を誓う真の配下であるように、礼儀正しく。
「ただいま戻りました、エルザお嬢さま」
そして顔をあげるとエルザを見つめる。
柔らかく目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「……髪、伸びましたね。どこから見ても立派なレディだ」
ああ、帰ってきた。
エルザの元に。
お姫さまと結婚することもできたのに、たくさんもらったであろうお金を持って新天地へ行くこともできたのに、ロンメル家のエルザの元へ帰ってきた。
「おかえりなさい、コンラート」
その胸に飛び込んで、もう離さないとばかりにぎゅっと抱きしめる。
「……先ほどは大変失礼を。おかげさまで助かりました。ところでお嬢さまの夫君はどちらにいらっしゃいますか? とんでもない姿を見せたかもしれないのでご挨拶と謝罪を……それともし私との関係を誤解されているのであれば先ほどの醜態を繰り返してどうにかお許し頂こうと思いますが」
まったく、何を言うかと思えば。
エルザは抱きついたまま小さく首を振った。
「夫はいないわ。結婚してないもの」
「はい?」
過去に縁談を用意されていたがエルザは突っぱねた。中には演技だとバレバレなのに偶然を装って声をかけてくる候補者もいて、父に泣きついて全部断ってもらった。父はエルザに甘いのだ。引き継ぐ爵位もないし、父をひとり残して他所になんか嫁げない。それに好きでもない男と一緒になるだなんてエルザには真っ平ごめんだった。元よりエルザは奔放なのだ。コンラートを拾ったあの時のように。
「結婚してないって言ったの。だってわたしには養うべき男がもういるのよ? もう手いっぱいだわ」
これはちょっとウソ。
コンラートが始めてくれたクズ魔石の加工は、回復したエルザの父主導で製造体制と販路を整えた結果、事業としてそれなりに軌道にのっている。お金ならあるのだ。
エルザの願いはこの屋敷のみんなと笑って過ごすことだ。その中にはコンラートがいなければならない。
「養うべき男とは私のことでしょうか。嬉しいですけどなんかちょっとニュアンスが違うっていうか先ほどの言い回しだと誤解を招きかねないというか」
「さあコンラート、今までいっぱい頑張っただろうから甘やかしてあげるわ」
「え、いや、あの」
やれ立場が仕事が世間の目がと言い訳をつのる男にうんと言わせたのはいつの頃だったか。
とにもかくにも、コンラートがエルザの元へ帰ってきてくれたことが本当に嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった。
エルザの父も、使用人たちも、きっと天国にいるタニスも。ふたりを温かく見守っているに違いない。
のちに、一羽のオウムがロンメル家に流れ着く。
かつてコンラートが飼っていた鳥で、紆余曲折あって戦場で再会、その後一緒に過ごしていたのだがコンラートが役人連中から誘拐まがいの連れ去りにあって離ればなれになっていたそうだ。
『ムンチョ、ウラヤマシ、オレモ、カワレタイ!』
『ヒモニ、ナリタイ! ヒモニ、ナリタイヨウ!』
『オジョサマ、ツクッタ、イモガユタベタイヨウ! ア゛アアアアッ! オヤシキ、カエリタアアアイッ!』
しばしこのようなことを口走り、コンラートを赤面させていたのだった。
ふたりがどういう関係に落ち着いたか、余白を想像する楽しみということでひとつ。