6 土曜にくしゃみをしてみたら①
「で? 岩本さん。レイさんからトドメさされちゃったわけ?」
レイの解散ライブから約二週間後の土曜昼下がり、古書店に来た花子は、店番バイト中の侑哉から岩本の様子を聞いてため息をついた。今日、友義は地域の古本市を手伝いに行っており、終日、侑哉が店番を任されている。
花子は、レジカウンター内側に座る侑哉の真正面、侑哉もよく使う木の丸椅子に座っている。今日は私服なのか、ゆったりめの白いTシャツに膝丈の水色プリーツスカートが涼しげだ。侑哉はロゴが描かれた紺のTシャツの裾を動かし、風を送る。上よりGパンのほうを脱ぎたいがそうもいかない。
「侑哉、ほっそ! 白い!」
花子が容赦ない突っ込みを入れてきたが侑哉はスルー する。たまに少女漫画で見かける、男子の肌を見て恥じらうというシーンは現実では起こらないらしい。
「岩本、レイさんとライン交換してさ、デートに誘って OKしてもらったらしいからなあ。社交辞令を真に受けた岩本もアレだけど」
「うーん、でもまさかデートのその日にイギリス行っちゃうなんて、思わないからねー」
イギリスか、と侑哉は後ろを向いて、ブラインドの隙間から空を見た。薄暗い古書店内から見ると、梅雨の曇天もまぶしく感じられ、侑哉は目を細めた。
「絶対十日じゃ準備できないよな。俺海外行ったことないんだけど、チケットとかそんなすぐ取れないだろ?」
「正規料金ならあり得なくはないけどね。事前に取ってた格安チケットと、滞在は知り合いの個人宅で、浮いたお金を現地の移動費や観光に使うって言ってた」
「個人宅? ホームステイってやつ?」
侑哉がブラインドから指を離すと、カシャッと音がした。日光に照らされていた花子のピンクの髪が、残像みたいにゆらぐが、それは頭を振ったからもあるようだ。
「ううん、私の知り合い。正確に言うと、うちの親の知り合いんち」
「え?」
怪訝な顔をした侑哉に、花子は鞄からスマホを取り出し、画像を見せる。そこに笑顔で写っているのは、黒髪の花子と、金髪碧眼の少女だ。小学生らしき花子の髪は肩までのストレートで、斜めにピン止めした前髪が似合っている。髪型は隣の外国人の少女と、お揃いらしい。
「私、小さい頃から親の海外駐在についていって、ずっと海外にいたんだよね。数年ごとに国が変わってあちこちいったけど、中二で日本にきたの」
「へえ......」
海外に住むどころか、侑哉のまわりの大人は旅行も滅多にいかない。侑哉が中学生のころ帰国子女だという転入生がいたが、どう会話をしたらよいかと悩んだ挙げ句、交流しないという選択をしたのだ。
その後彼が外国語を主に学ぶ学校へ進学したのは知っているが、花子は高校を退学している。
侑哉の心がすこし疼いた。
「それでレイさんに、英語教えてほしいって言われて、たまにレッスンしてたんだ」
lesson という単語だけ妙に発音が良い。ピンク髪の少女がすらすら英語を喋る姿は、それこそ侑哉にとっては異世界の光景だ。
「小学生のときは、髪は黒なんだ」
「当たり前じゃん。高校やめてから染めたの。それでこ の辺から秋葉原までぶらぶらしてたら、メイドカフェとか沢山あって、覗いてみたらバイトに誘われたってわけ」
しかし、なんでピンクなのだ。侑哉が聞くと、「別に」とそっけない返事がかえってきた。
「日本人でも外国人でもいないでしょ? だからかな。 そしたらゲームとかラノベのキャラみたいって言われるようになってさ。普段からこれならいいんだ、って」
「普段って......」
花子は笑った。
「だって、私にとっては現実のほうが異世界だったからアジア人が少ない地域だと私はマイノリティで、日本でも帰国子女ってなんか壁作られるんだよね」
(マイノリティ、壁……)
侑哉は、その言葉に何も言えず、無言で椅子にもたれた。
軽く触れたブラインドが揺れ、隙間から漏れる光が花子の目をかすめる。まぶしそうに細めた目は少し明るい茶で、現実離れしたコスプレが似合う要素の一つかもしれない。
「ピンクの髪って意外と需要あるし、キャラ被らないと女子も優しいんだ。特にレイさんは、よくしてくれたよ。
レイさん自身は、ちょっと可愛いだけじゃ限界があるし年齢的にも必ず引退するから、それまでにプラスアルファのスキルを身に付けたいって言ってて。その新しい第一歩が海外にいくことなら応援できるから、親の知り合いを紹介したんだ」
「なんで、他人にそんな......」
花子は、えーと、と少し言葉を選びながら答えた。
「ともさんかな」
「おじさん?」
うん、と花子は頷き、腕を組みわざと芝居がかった調子で喋る。
「日本っていう異世界に迷いこんだ私に、無償で居場所と、知識をくれた人。日本の学校で皆が学んだ以上のことを、ここの本から知ることが出来たの。だから私も、私が持ってるもので周りが幸せになるなら力になる」
花子の言葉は、ラノベのヒロインが言うセリフのようだ。性格のよい美少女が、悩む主人公に自分の財力やコネクションで手助けをする。
けれども、現実のヒロインは、単に主人公だから、友人だからという理由だけで助けたわけじゃないのだ。