15 去るものは追う間もなく①
いよいよ、大学祭当日がやってきた。
実行委員会である岩本は落ち着かないようで、数日前から侑哉に何度も意味不明なラインを送ってきていたが、そのたびに侑哉は「静音さんも楽しみにしてるってよ」と返していた。
「いいなー、兄ちゃん」
侑哉の弟の涼介は、朝食の席でひたすら羨ましそうに言う。受験生の涼介は、午後から塾のテストがあるのだ。
「お前はこの間、高校の文化祭見学に行っただろ」
侑哉は味噌汁をすすりながら言った。
「そうだけどさー。大学ってアイドルとかお笑い芸人も来るんでしょ? そんな間近で見られる機会そんなないじゃん」
「夏休みにお前も秋葉原のライブに連れていってやったんだから、文句言うなよ」
夏休みの終わりごろ、集客もかねて誘われた昼間のライブに、侑哉は涼介も誘っていったのである。その時、花子はバイトがあったので、涼介と対面は叶わなかったのだ。
「今回は、はなちゃんに会えると思ったんだけどなあ」
すでに、涼介は「はなちゃん」呼びだ。
「はなちゃんはアイドルじゃなくて普通のコスプレ女子だぞ」
「うーん。そうじゃないんだよ~」
涼介は母親と顔を見合わせて肩をすくめるが、侑哉にはいまいち二人がなぜ不服そうな反応をするのかいまいちわからない。来年になったら連れていってやる、と涼介に言い残し、侑哉は午後からのライブに合わせて大学にやってきた。
11月も後半になると、さすがに肌寒い。侑哉はパーカーの下に厚手のカットソーを着こんでいるが、心持ち 襟元を合わせた。構内は各サークルの出店で賑わっており、食べ物の売り子はあちこち歩きながら声を張り上げ、 体育会系のサークルはパフォーマンスをして客にアピールしている。
その熱気の合間を縫って、侑哉は中庭に向かった。入口は係の学生が有料チケットをチェックしている。
「ゆーやっ!」
入口からちょっと離れたところにいた花子が、侑哉を呼んだ。事前に渡せなかったので、今日現地でチケットを渡す約束をしていたのだ。花子はグレーのニットに膝丈のフレアスカート、そしてアイボリーのAラインコートにニット帽という、少し温かい恰好だ。
「はなちゃん、お待たせ。これチケットね」
「うん、ありがとー」
花子はチケットと引き換えにお金を取り出す。
侑哉は最初、おごってもいいと思っていたのだが、花子からは、せっかくだから自腹で見たいと言われたのだ。
「今日は帽子なの?」
花子のピンクの髪は茶色のニット帽に隠れている。
「うん。大学だとちょっと目立つかなあと思って。あと根元が黒くなってるし」
ほら、と一瞬ニット帽を取った花子の髪はくるくると一つにゆるくまとめられているが、確かに根元が伸びて地毛がのぞいている。日の光のせいもあるが、地毛も目と同じようにいくらか色素が薄いようだった。
侑哉は念のため岩本に「着いた」とラインで報告をして、チケットに書かれた席に移動する。思った以上に盛況で、学外の一般人と思われる客も多い。
そうして時間より二分ほど遅れて、地下アイドルのライブが始まった。
中庭はもともとフラットな作りだが、そこに機材を搬入して特設ステージを作ってある。音響やライトなど、思った以上にしっかりしており、アイドルたちが出てくると歓声が起きた。
侑哉も秋葉原の地下劇場で一回だけ見たことがあるグループだったが、密閉された空間で見るのと、解放感あふれる昼間の屋外で見るのとではまるで印象が違う。正直、侑哉にはテレビで見るアイドルと地下アイドルの違いはよくわからなかったが、人前で表現することが好きだという熱意は伝わってくる。
侑哉が会場を見回すと、舞台袖に岩本の姿がちらと見えた。満足そうな表情だ。もともとこういうイベントが好きなのだろうが、いずれ実家に帰らなければならない からこそ楽しんでいるというのを聞いたので、協力したいと思えたふしもある。侑哉自身は運動も勉強もそれなりだが、弟のように部活に熱中することもなければ、アイドル達ほど夢もなく、岩本みたいに家業のことを考える必要もない。
「......いいなあ」
無意識に、言葉が口をついて出た。隣にいた花子は侑哉のほうを見る。
「何が?」
「あ......いや、なんでも。こっちの話」
花子はきょとんとして「アイドルが羨ましいの?」と言ったが、侑哉は苦笑して否定した。
ライブは無事に終わり、アイドル達と実行委員がチラシを配ったりしながら退場客の整理を始めた。小柄な花子は人波に埋もれやすい。侑哉はいつも目印にしているピンクの頭がいまいち見えずに、慌てて探しだす。
「......はなちゃん?」
侑哉もそれほど長身なわけではないので、スマホを鳴らしながら花子を探しているが、消音にしていたのか着信音は聞こえない。
「はあ......」
ため息をつきながら侑哉が人垣をかき分け進むと、ようやく花子を見つけた。はなちゃん、と声をかけてその肩に手を置いたとき、花子が他の人と喋っていることに初めて気づいた。厳密にいえば、他の見知らぬ女子三人が花子を囲むように話しているのだ。侑哉は、泥沼少女漫画に出てくるような不穏なシーンを連想したが、その雰囲気からして、あながち間違ってはいないようだった。
「侑哉......」
花子は少し気まずそうに侑哉を見る。すると女子三人も一斉に侑哉を見て、互いに顔を見合わせた。女子たちの年齢は花子と同じくらいだが、その表情は陰湿だ。
「ティナ、彼氏が大学生なんだ」
「だからここにいるんだね。高校辞めたって聞いたのになんで大学祭に来てるのかと思ったけど」
侑哉は、違和感を覚え眉をひそめる。ティナ、というのは花子がバイト先のコスプレカフェで使う名前だ。話の内容から、女子らは花子の中学時代の同級生なのだろう。受験前の高校1、2年生で見学がてら大学祭に遊びにくる子らもそれなりにいるが、そこでたまたま高校中退した花子を見て声をかけたということか。
だが侑哉は花子の表情から、知人との再会を喜ばしく思っていないのがわかる。そして、話ぶりが多少なりとも花子を小馬鹿にしているものと感じ、とっさに花子の手をつかんだ。




