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2 ピンクのツインテールはお好きですか(1)

 平日昼間でも、古書店には思った以上に客が来た。スーツ姿の男性はサラリーマンとは限らないだろうが、ともかく客の大半は社会人らしき男性で、ノートパソコンが入っているような平べったいカバンを両足の間に置き、食い入るように本を読んでいる人もいる。

 侑哉がそういった客をレジからなんとはなしに見ていると、はっとした表情をして何も買わずにそそくさと出ていくのだ。それは店番の大学生の目付きが悪いからでないのは、友義がいるときも同様のことがしばしば見られるからである。

「あれはね、暗記してるんじゃないかな」

 友義は、こともなげに言う。侑哉は最初、すごい官能描写を一心不乱に読んでいるのかと思ったのだが、まったく違っていたらしい。

 水曜日、侑哉は一限から三限まで講義があるのだが、今日はたまたま三限が休講になり、学食が開くまで友義の店に来たのだ。店主がレジにいるときは、バイトの侑哉は本棚側の丸椅子が定位置となる。ちょっと足を開いて椅子の縁に両手を置き背中を丸めている姿は、捨てられた子犬のようだ。

「侑哉、そんな恰好してるとヘルニアになるよ」

「猫背はずっとなの。ほっといて」

「せっかくイケメンなのになあ、ほら、髪とか恰好も、パプリカとかレモンの歌の人みたいだし」

 友義の言い方は、褒めているのかそうでないのかわからない。

 開店したばかりの古書店に客はおらず、友義はレジ脇でなにやら粘土のようなものを捏ねている。

「で、なんだっけ。ああそうそう、お客さんの話ね。うん......中には官能描写もあるかもしれないけど、たいていは『知りたい箇所は決まっていて、古書を買う金を出すのが惜しい』層だね。ほら、なんか本読んでるとさ、掘り下げたくなることってあるでしょう」

「ううん」

 侑哉は即答した。友義はあれ、っという顔をする。

「学部、なんだっけ」

「経済」

 ふむ、と友義は言う。

「本は、読むよね?」

「うん。ラノベが好き」

 うーん、と友義はいったん粘土から手を離し、腕を組んで考える。

「ラノベ......ライトノベルか。異世界転生して中世ヨーロッパ風の国に生まれ変わってる感じ?」

「あ。そんなの、かも」

 なるほど、と再び手を動かしながら友義は頷く。

「ヨーロッパ風の話を読んでさ、実際のヨーロッパの風 俗とか、魔法とか、そういうの詳しく知りたいとか思わない?」

「いや別に。その小説の中の設定だし」

 さらさらっと回答をした侑哉の目を、友義はじっと見る。

「なに」

「もったいないねえ」

 はあ、と友義はこれ見よがしなため息をついた。そして手に持った粘土を侑哉に向ける。

 どうやら、人の形をしたものを作っているようだ。まだ髪の毛は作られていないが、メリハリのある体つきは女体だろう。

「いいかい。本を読むってのはさ、トリップなんだ。特に小説はね、その作品の中でもう一人の自分が生きるような疑似体験ができるんだよ」

「......うん」

 説教かと思いきや、うっとりした様子でしゃべりだした友義を、侑哉はあっけにとられて見た。伯父は自分の母の兄にあたり、父とほぼ同じくらいの年だ。しかし父親がこんな女体の人形片手にトリップとか言い出したらひくよな、と侑哉は冷静に思う。

「小説に限らず、例えば歴史なら、その時代にともに生きて苦難を味わったかのような感覚に浸れる。今では想像もつかない出来事でも、言葉にして文字にした人がいたからこそ、今こうして知ることができるのはどんなに素晴らしいか」

 侑哉は、すでに店での制服代わりにいつも着ているパーカの袖を少しまくり、友義の背後のブラインドを見た。

 隙間からしか外をうかがえないが、完全に開けると本が日に焼けるのだろう。

 店は雑居ビルの一階にあるため、通りを歩く学生のシルエットがなんとなくわかる。サラリーマンも上着を手にしていたり、みんな軽装だ。入学してまだ一か月も経っていないが、ゴールデンウィーク前の関東は汗ばむくらいの陽気になったりするので、侑哉もGパンが肌に張り付いて気持ち悪いな、と足をさすった。

「うちの店には置いてないが、もちろん漫画も良い。一見してキャラの特徴がわかり、それがさらに紙の上を縦横無尽に動くのだ。セリフを追いながらページをめくるあの感覚は、電子じゃいまいち味わえないんだよなあ」

 話しながらも、友義は器用に手を動かし、女体人形も 徐々に形が整ってきた。どう粘土を捏ねたのか、頭には二房の長い髪、いわゆるツインテールが付け加えられ、 プリーツスカートのひだも絶妙に再現されている。侑哉がその白い素体を見ながら最近読んでいるラノベのキャ ラを思い浮かべていると、友義は人形の全体を確認するように、くるっと回した。

「よし、できた。あ、もうお昼だね。じゃあ俺ちょっとメシ食ってくるから店番よろしく」

 友義はそう言うと、薄い灰色一色の粘土人形を、レジの木製カウンターの上に置いた。

 高さは六~七センチで三頭身。いわゆるデフォルメ気味に作られている。

 いってらっしゃい、と侑哉が手を振ったときには、友義はもう店の外に出ていた。侑哉も午後の講義があるので昼食は食べないといけないのだが、それまでには帰ってくるだろう。

 侑哉はいなくなった店主の代わりに、レジカウンターの内側へ移動した。


 客は来ず、暇だ。手持ち無沙汰な侑哉は積み上げられてる本をパラパラめくってみるが、難しそうでよくわからない。そのままカウンターに置かれた人形に視線をうつす。器用だな。侑哉はそう思いながらカウンターに両腕を組んで置いて、あごを乗せた。受験の最後のほうによくやった体勢だが、そうして眠りに落ちるところまでセットなのである。

 いつの間にかうとうととしていた侑哉の鼻先を、不意に埃っぽい空気がかすめた。侑哉が生理現象にあらがえず、やや派手にくしゃみをすると、かすかに女の子の声が聞こえた。

「God bless you.」

「......ん?」

 侑哉は寝たまま耳をすませたが、古書店内に洋楽が流れている気配はない。そもそも本選びの邪魔になるからと、友義は音楽をかけないのだ。侑哉は少しだけ頭をあげる。

「......何時」

 半ば寝ぼけたまま呟いた侑哉は、別に答えを求めていたわけではなかったので、再び耳に届いた女の子の声も夢の中のものだと認識した。

「11時24分」

 夢のわりに分刻みなんて自分はこんな几帳面な性格だったか、と侑哉は思いつつ、まだ五限までは時間があるのを確認して再び寝ようとした。

「聞こえた?」

 うん、と侑哉は突っ伏したまま頷く。

「きみが、バイトの人?」

 うんうん、とさらに侑哉は頭を動かし返事をした。そ れにしても、この高い女子の声は記憶にない。

 母は普通に大人らしい抑えた声だし、そもそも男子校 だった侑哉は彼女がいなかった。不要な記憶を呼び起こされ、振り払うように体勢を変える。すると、ピンク色の丸く小さな頭が視界に入った。

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