10 夏と山とわたしと温泉②
「まあうちらは非公式コスですけど、インスタとかにタグ付けて載せたら少しは拡散できると思いますよ。でも、隠れ家的な宿が売りなんじゃないんですか? 殺到したら逆に迷惑とか......」
いやいや、と岩本は手を振る。
「年中混んでるわけじゃないし、うちが満室でも近くの宿とか飲食にはお金が落ちるでしょ。まあ、町おこしってやつ?」
確かに全国チェーンのホテルとは違い、地元の業者は観光協会などを経由して互いに情報を分けあったりする。日帰り温泉巡りの割引券を発行したり、町全体で色々と工夫しているのだ。
「というわけで、気兼ねなく入っていただいて......なんならシャッター押しますんで」
岩本はささっと部屋風呂を指すが、静音に一蹴される。
「タイマーがありますから、お気遣いなく~」
お約束で舌打ちした岩本だが、すぐに従業員の顔に戻る。
「あと、大浴場にも露天風呂があるんで。そっちは山が見えるからオススメっす」
「ん、ありがとうございます」
静音はあくまで敬語を崩さず、やんわりと返す。
まだ夕食まで時間があるので、十八時に女子の部屋に集合とだけ決めて一度解散した。
侑哉は、せっかくだからとまず大浴場へ向かう。もちろん男子の部屋にも露天風呂はあるが、岩本と二人部屋で入る気にはなれないからだ。花子といずみは岩本の運転で買い物に行き、静音は一人残ることにしたらしい。大浴場の前でばったり会った侑哉に、静音は意味ありげに笑いかける。
「露天風呂で塀越しに声をかけたら、聞こえるかな?」
ベタなアニメのようである。侑哉はそのまままスルーし、案の定貸し切り状態の大浴場を無心で堪能した。
「......うおっ」
岩本の言うとおり、露天風呂からは雄大な山が見えた。
緑に覆われた部分と、削れたようなむき出しの斜面が混在し、人の手がほとんど入らない自然の姿を、侑哉はしばらく眺めていた。小中学校の校外学習で訪れた山とも、家族キャンプで行った山とも違う。新興住宅街で育ち、祖父母宅もずっと首都圏内である侑哉には、都内の大学で知り合った岩本がこのような山々に囲まれて育ってきたことが、少し羨ましく感じられた。
しかし山の景色自体どこか懐かしいのは、山と海ばかりの島国に住む日本人だからか、そんなことを思いながら侑哉が風呂からあがると、ちょうど静音も女湯から出てきたところだった。
「お疲れ様」
上気した顔と濡れ髪が色っぽい静音だが、侑哉はそれよりも、半袖Tシャツからのぞく華奢な腕にくぎづけになる。白い腕に映える青い模様は、タトゥーだ。
静音は「ああ」という顔をして、自分の腕を撫でながら苦笑した。
「これね。昔ちょっと付き合いでいれたことがあって... ...ヤバいわけじゃないんだけど、混んでるときの広いお風呂だと嫌がられるから」
だから花子は部屋風呂つきの旅行に誘ったのか。侑哉の言いたいことがわかった静音は、優しく笑う。
「ティナは、ほんとにヒロインだよね。大事にしなきゃだめだよ、 侑哉くん」
侑哉と花子は単なる友人だ。だが友人でも大事な人に変わりはない。侑哉は、一呼吸置いてゆっくり頷いた。
十八時きっかりに、女子の部屋である鶯の間に、仲居さんが夕食を運んできた。
メニューは、地元のブランド肉をメインにしたすき焼きだ。地場野菜と炊きたてのご飯、そして成人組には、酒もある。
「うまそっ!」
侑哉が言うと、岩本は「親父の料理は最高だぞ」と得意気に笑う。どうやら厨房の責任者は父親のようだ。
「あれ? いずみちゃんていくつ? 二十歳超えてる?」
ぐいぐいと水のように日本酒を飲むいずみに、岩本が意外そうに聞いた。
「はい、21ですよー」
のんびりとした口調はそのまま、いずみは楽しそうにどんどん日本酒も料理も腹におさめていく。対照的に、静音はゆっくり、一口ずつビールを飲んでいる。
「いずみは、強いんだよねえ。羨ましい」
どうやら静音は、それほど酒に強くはないらしい。
「変な客に潰される心配はないですけどねー。気になる人からも引かれちゃうのが悩みです」
「えー、お酒を沢山飲むくらいで引いちゃうの? すっごく器が小さいよね!」
オレンジジュースを飲みながら花子も会話に参加し、まるでそこに侑哉と岩本がいないかのようなあけすけな女子トークが繰り広げられた。バイト先での裏話や地下アイドルの素顔など、関係者じゃない限り知り得ない話も、次から次へと飛び出してくる。
「......聞きたくなかったかもな......」
「......ああ......」
侑哉と岩本は互いに顔を見合わせた。
そして静音が運転の疲れもありうとうとし始めた時点で、温泉旅行一日目の宴はお開きになったのである。




