体力測定
魔王のスペックを見せつける次の機会と言うものは、すぐに訪れた。
それは入学早々に行われる体力測定だ。
体育の時間を使って行われる測定は、2クラス合同で男女に分けて行われる。
「フ、丁度いいな。有志ヤツメ、貴様を亡き者にする時が来たようだぞ」
「なきもの?」
「ああ。この体力測定でどちらが上か思い知らせてやる」
身体能力を測り数値化して競うなんて、魔王の独壇場にも程がある。
なにせ圧倒的な暴力で千年前の世界を滅亡寸前まで追いやった魔王なのだ。人間の追随さえ許すはずがない。
千年前の魔王が最強と言われるゆえんは、どんな攻撃も胡散霧消させ、どんな防御も軽々と貫いてきたその強さであり、世界を征服するためにあった魔王の戦闘能力は、人間では到底届かない遥か高みにあったのだ。
たとえ今、魔王の怪力が失われていたとしても、弱弱しい女子高生の身体に入っていたとしても、長・短距離走や上体起こしや反復横跳びなどの軽い運動ならば、魔王の記憶だけで人間ごとき簡単に凌駕できるだろう。
それらは、千年前に何千何万回と経験してきた戦闘の前座にもならないような軽作業だ。きっとヤツメに魔王の本来の恐ろしさを見せつけられるに違いない。
そう確信したおうみは体操服に身を包み、颯爽と体育館へ集合した。
ピー
と教師の持っていた笛が鳴る。
「はい、女子は上体起こしの測定から始めます。誰でもいいからペアを組んで」
集まっていた女子生徒たちは教師の指示を聞き、思い思いの相手と組んでいく。
勿論おうみに声をかける者は誰もいない。
そして何故か、マリンも誰かとペアになることは無く、最後まで残っていた。
マリンは出席番号で後ろだった女子生徒に声をかけたようだったが、別の子と組むからと言ってやんわりと断られていたように見えた。
マリンは周りを見回して残っているのがおうみと自分だけだと察すると、笑顔を作っておうみの傍にやって来た。
「おうみさん、私と測定のペアになっていただけませんか?」
「ははは。相手が誰もいなくてあぶれたか。貴様、どうやら奴らから嫌われているらしいな」
「……き、嫌われているのではないと思います、多分。それに女の子はすれ違いながら親友になっていくものです。少女漫画では、そうですから」
「まあ、わしはそういった意味不明な人間の行動には毛ほどの興味もないがな。それより上体起こしだ。来い」
「は、はい」
おうみは測定のためのペアなど心底誰でも良かったので、マリンを連れてさっさと用意されたマットの位置に付いた。
全員がペアを決め終わって位置についたのを見て、教師がすぐに号令をかける。
マットの上に寝転がって両腕を胸の前で組み、最初に上体起こしをするのはマリンだ。
おうみは適当にマリンの足を両腕で持ち、固定した。
「用意」
マリンの足にぐっと力が入る。
「はじめ」
合図と共に、女子生徒たちが一斉に上体起こしを始める。
面白くも何ともない光景ではあるが、体育館のもう半分を使って別の測定をしていた男子生徒の一部が、チラチラと女子生徒の測定光景を気にかけているようだった。
星城さんすごいな。可愛い上にスポーツできるとか最強。
一人だけ早さがダンチじゃん。
腹筋してても可愛いな。他の女子が全員芋に見えるぜ。
ほんと、一人だけ絵になるな。
しかしタイムアップで支える側と実際に上体起こしをする側が交代してから、そのどよめきはますます広がっていった。
「フンフンフンフン!!!!!」
おいおい、バケモンいるな。
横嶋おうみは星城さんよりやばいじゃん。
腹筋ってあんな早くできるものなの?
あんなすごい腹筋初めて見たんだけど。
終了の合図が鳴り、おうみはザワザワしている男子生徒や、呆気にとられている女子生徒たちの顔を見回す。
その中にヤツメの顔を見つけて、仁王立ちのおうみはふふんと唇を釣り上げた。
「おうみさん、すごい腹筋の回数でしたね!」
「すごい?どこがだ。千年前はこの百倍出来ていたぞ」
「ひゃ、百倍もですか。バトル漫画のような話ですね……」
「だがこの女子高生の身体でここまでできれば、あの有志ヤツメの記録くらいは優に超えただろうな?」
「どうでしょうか、あとで有志さんに記録を見せてもらいに行きましょうね。それよりおうみさん、お腹を押さえているようですが、どうしたのですか?」
「いやこれは何でもない。別に女子高生の軟弱な腹筋が痛い訳でもない」
「そうですか?大丈夫なら良いのですが……。あ、次は反復横跳びですね。行きましょう」
反復横跳びの場でも、おうみは恐ろしいまでの俊敏さを見せつけた。
それはその場にいた生徒たちが動画を撮り出す程のスピードであり、反射神経であった。
「おうみさん、すごい反復横跳びの回数でしたね!」
「ま、千年前は貴様らの肉眼ではとらえられぬほどの反復横跳びをしていたがな。……っと!」
ばたん!
計測が終わった途端に大きな音を立て、おうみは体育館の床に顔面から倒れ込んだ。
「なんだ、足が動かんぞ」
おうみは首を回して、腕だけで上半身をむくりと起こした。
「おうみさん、大丈夫ですか?!」
「阿呆め。このわしが大丈夫でない訳が無いだろう。だが足が動かん」
「で、では私がおうみさんを運びますね!」
その場に倒れ込んで動けなくなったおうみを「ふんっ」と起こして、自らの肩に持たれかけるようにしたマリンは、おうみを体育館の隅まで引きずって行った。
しばらくして無理やり動かせるようになった足で移動し、おうみたちはなんとか長座体前屈や握力検査も終わらせた。
一つ済ませるごとにおうみの身体はパンクしたように行動不能になったが、記録的にはまあ順調に、様々な種目をこなしていった。
そして長かった体力測定も、終盤に差し掛かる。
「最後は長距離走と短距離走か」
「漫画でいうところのクライマックスですね。行きましょうか、おうみさん」
「ああ、移動してやるか」
体育館での種目を終えてグラウンドへ移動し、おうみたちは最後に残った長距離走と短距離走の記録を取る準備を始めた。
「走ることは戦闘に於いて最も基本的な動きの一つだ。魔法だけでなく肉弾戦も得意とした最強の魔王であるわしには、欠伸よりも簡単な競技になるだろう。これであの疾風の勇者を完膚なきまでに叩きのめしてやる」
運動ができるとは到底思えないような細い体のおうみだが、腕を組んだその余裕の表情はやはり最強の魔王を連想させた。
しかし。
「凄いなヤツメ、お前のタイムは学年じゃなくて全校で一位だぞ!」
「いや短距離だけじゃない、ほとんどの記録で行内一だぞ!」
「やっぱりお前は走るのが特にすごいなー!部活も陸上部だっけ?!」
「そうだよ。僕はずっとずっと走ってきたし、部活も陸上だよ」
大勢の生徒に囲まれて称えられているのは、走り終わって足も動かせないまま肩で荒い息をしているおうみではなく、爽やかな笑顔で笑うヤツメだった。
丁度女子のグループが走っている隣で、男子のグループも短距離走を測定していたのである。
「まさか人間ごときが……」
おうみの耳に、向こうでヤツメを囲む集団から一位、と聞こえた。
いや、まさか空耳だろう。
だって魔王が身体能力で人間に負けるはずがない。
足が全く動かないので、おうみはほふく前進でウゴウゴと、男子の記録を採っていた生徒に寄って行き、ガシッと足首を掴んだ。
「うわあああああああ!!!!!」
生徒は驚きのあまり半泣きで叫び声をあげておうみを振り払おうとしたが、握力検査で他の女子を震え上がらせたその小さな手は、記録係を逃がしはしなかった。
「貴様、記録員か。記録用紙を貸せ」
「ひいッ?記録用紙ッ?」
「そうだと言っているだろう、二度も言わせるな。いいから貸せ」
記録係の生徒は震えながら記録用紙を差し出し、おうみはそれをに乱暴に奪いとった。
記録係の男子生徒がアワアワとするのにも構わず、おうみは名前と数字が書いてある記録用紙をザザザと斜めに目を走らせていく。
そして一点、「有志ヤツメ」と書かれた部分で目を止めた。
名前の横に描かれた記録も追っていく。
……速い。多い。高い。
全てにおいて、おうみより。
魔王は、勇者に敗けた。
千年前のあの時と同じように。
ぐしゃり。
おうみは記録用紙を握りつぶした。
そしてそれを地面に乱暴に放った。
腹を土につけたままもう一ミリも動けないおうみの瞳には、やけに閑散として見えるグラウンドと、空気を読まない綺麗な青空が写った。
「このわしが、敗けた……」
済ました顔の空を今すぐ叩き壊してやりたい。
楽しそうな日の光を今すぐ消滅させてやりたい。
広いグラウンドを切り裂いて、人間を狩り尽くしてやりたい。
でもそれよりもまず、勇者に勝たなければいけないのに。
この仇敵に借りを返さなくてはいけないのに。
グラウンドで、干上がったミミズの様に動かないおうみが唇をかんでいるうちに、誰かが砂に足音を鳴らして近付いてきたようだった。
「どうしたの横嶋さん。どこか体調が悪いの?保健室に連れていこうか?」
凄い凄いとはしゃぐ友人たちの輪からひょいと離れて、しゃがんでおうみの顔を覗き込んだのはヤツメだった。
声でこの忌々しい男だということは分かっていた。
それだけで苛々としたのに、顔を見ればもうプッチンだ。
きょとんとした顔で「どうしたの?」ではない。
全ての元凶はこの男の存在である。
おうみは這いつくばった姿勢にもかかわらず、いきなりヤツメに吠えかかった。
ちょうど心配したヤツメが屈んでくれていたので、腹ばいでも胸ぐらを掴めたのはラッキーだった。
「悪いも何も、何故貴様のほうが高く跳ぶ!何故貴様の方が回数が多い!何故貴様の方が速い!!??」
「え??!!何故って、僕は小さい時から走ってて走るのが得意だし、前世では疾風の勇者って呼ばれてたし、横島さんは記憶が戻ったばかりだし、多少僕の方が記録は良くなるんじゃな」
「黙れ、貴様の見解など聞いてはいない!」
「ええー……。今のは僕に質問したんじゃないの?」
律儀に質問に答えようとしたヤツメの声を蹴とばすように最後まで聞かず、おうみはヤツメをガクガクと揺さぶった。
有り得ない、有り得ない。
絶対に認められない。
人間に二回も敗北するなんて、魔王の名に懸けてあってはならない。
「魔王が人間に負けることが有り得ん筈だ!そうだ、この男がことごとく魔王より秀でているなんて間違いに違いない。ああ、間違いでなければならない事柄だ。わしは魔王なのだぞ、二度もこの男に負けるわけにはいかん。二度もこの男に我が野望の邪魔だてをされるわけにはいかん!」
「あの、横嶋さ」
「どうにかせねば」
「ねえ横嶋さん、もうガクガクするのはやめ」
「絶対にどうにかせねば!!」
叫ぶおうみは、ヤツメが舌をかまないように必死で訴えているのも全て無視して、気が済むまでガクガクと揺らし続けた。
そしてそれはおうみの足が何とか回復して、何とか動くようになるまで続いたのだった。