選手選抜
放課後のグラウンドは、ドリブルの音やバウンドの音、笛の音や号令の声でひときわ賑わっている。
一週間前に部活の仮入部の期間が過ぎ、一年生が皆思い思いの部活に入ったことで、自然と活気が生まれているのだ。
グラウンドの一角に集まった陸上部も例に漏れず、じんわりとした熱気を帯びているようだ。
遅れてやって来たおうみはぐるりとあたりを見回し、数人の一年生と数人の2,3年生、そしてヤツメの姿を見つけた。
「おい貴様」
「あ、横嶋さん。お疲れ様。今日は星城さんと一緒じゃないの?」
「何故わしが聖女と一緒でなければならん?奴はトイレにまでついてきたから、トイレに籠っているふりをして置き去りにしてやったわ」
「星城さん、可哀そうに……」
ヤツメは溜息を吐いたが、その横でおうみは陸上部員がまだ練習を始めていない様子を見て、何やら怪訝な顔をしていた。
「聖女の事はどうでもいい。それより、貴様らは何故わらわらと集まっておる」
「顧問の先生を待っているんだよ。昨日部長からお知らせあったよね」
「部長の話なんてものは、つまらなさすぎていつも聞いていない。時間を守らん愚鈍な顧問を、何の為に待っているんだ?」
「横嶋さんだって集合時間守ってないけどね」
「何か言ったか?」
「ううん。今日は来月の地方大会の選手と種目を決める為に記録を採るんだ。だからみんな、顧問の先生が来るまで待ってるんだよ」
「大会。全国の脆弱な人間どもを残らず殲滅する機会という訳か」
「そんな物騒なものじゃないけど」
大会が物騒な者でないのなら、物騒なものにしてやるまで。
大勢の人間を効率よく下し、自分が伏した人間の上に立つのは悪い気分ではない。
この魔王の俊足で、人間共に絶望を味あわせてやる機会にもなる。
おうみはにやりと微笑んだが、それを察したヤツメは肩をすくめた。
「全国大会までの道のりは簡単じゃないよ。僕たちがまず出場するのは東東京・地区予選。そこで勝ち上がったチームが東東京・予選決勝に参加できて、ここで三位までに入賞すると、東東京、西東京、中央東京の上位チームが集まる東京本大会に参加できて、そこでようやく全国出場する東京代表が選ばれるって流れなんだ」
「はあ?いちいちまどろっこしい。やはり人間は愚かで効率が悪い。全員でかかってきてくれれば、わしが全てまとめて墓場送りにしてやるというのに」
チッと舌打ちをして、おうみは腕を組んだ。
周りを見れば、少数ながらも集まった陸上部員は各々喋っていたり、ストレッチをしているようだった。
待っているのに、まだ顧問が現れる様子はない。
苛々するようにつま先を地面に当て始めたせっかちなおうみを見て、ヤツメが再び話しかけてきた。
「横嶋さん、種目は何で出るつもりなの?」
「愚問だ。最強の魔王であるわしは何でもできる。全ての種目で地獄を見せてやろう」
「でも残念ながら、一人二種目までしか出られないよ」
「ふん、またここでも理不尽なルールか。人間の非効率さにはほとほと呆れるな。しかし百歩譲ってそのルールに則りわしが出場するなら、足に覚えのある人間が最も集まる種目にしてやろう」
「なら男女混合リレーかな」
「リレー?」
「そう。バトンを繋いでゴールを目指す、この世界の高校陸上の花形ともいえる競技の一つだよ。そのチームで足の速い人が選手として出てくるんだ。女子の横嶋さんが、他の競技では戦えないような男子の速い人とも戦える可能性があるよ。まあ、一走以外は元々順位が付いたところからスタートだから、個人で見ればフェアな勝負とはいかないかもしれないけれど」
「ふうん。まあ、わしがその種目に出ることは無いだろうがな。協力だの団結だのなんとか言いながら人間ふぜいとバトンを繋いで走るなど虫唾が走るわ」
「僕はこの競技が一番好きだけどな」
「フン。貴様が一番好きだというのなら、わしはその競技が一番嫌いだ」
「酷いなあ」
はははと笑ったヤツメと笑い合うなんてことは勿論せず、おうみはフンと鼻を鳴らした。
「貴様は何で出るつもりだ」
「僕が出たい種目を聞いてる?」
「そうだ。その話をしていただろうが、阿呆め」
理解が悪くて骨が折れる、とキッと睨むと、ヤツメは困ったように眉をハの字にした。
しかしそれは決しておうみに睨まれたからではなくて、別の理由からのようだった。
「……僕は出ないよ。大会はもう出ない」
「出ないだと?何故だ。ではわしは何処で貴様を葬り去ればいい」
「僕は部活には来るから、そこですることになるのかな?それで何故大会に出たくないかっていう質問には……」
ヤツメは言いかけたが、このタイミングで現れた顧問の声によって遮られてしまった。
「おー、遅くなって悪い悪い。陸上部集まれー。予告して合った通り、地区予選の選抜の為の記録取るぞー。2,3年は各自練習してきた競技を重点的に取るが、1年は記録取って欲しい競技の時に適当に参加しろー」
やる気のなさそうな顧問の木梨は、ボリボリと頭をかきながら緩い号令をかけた。
部員たちは部長の山法を中心に整列していき、ギリギリのタイミングで走り込んできたマリンも含めて木梨の前に並んだ。
「ひー、ふー、みー……三年が1人、二年が1人と幽霊部員が1人に、新入部員は5人。少ねえなあ……」
木梨はさほど残念そうな様子も見せず、部員の数を数えて名簿と照らし合わせていた。
その木梨の視線が逸れたのを見計らって、おうみの隣に来ていたマリンが小声で何やら話しかけてくる。
「おうみさん!ちゃんと部活に来ていたのですね!よかった!トイレに詰まっちゃったのではないかと探していたのですよ!」
「何を探していた阿呆め。わしのような崇高なる存在がトイレごときに詰まる訳が無いだろう」
「ふふ、失礼しました。でも今日は誰が大会に出られるか運命の分かれ道ですから、ひときわ頑張りましょうね」
「頑張るも何も、わしが頂点に立つことはこの自然界の決定事項だ」
……
「…………ほらな」
ハアハアと肩で息をしながら地面に伏し、もう動けなくなった体にムチ打って後ろに振り向いたおうみは、にんまりと笑った。
一斉にスタートした筈の他の陸上部のメンバーは、おうみの後から少し遅れてぱらぱらとゴールする。
現在の陸上部員は総勢8名で、今日は2人が欠席、ヤツメが記録係をやっているので、この100メートルの短距離走は5人がまとめて一斉に走っていた。
そして誰も未だ踏んでいない土を踏み抜き、おうみが一着だった。
「やったっ、二着ですっ……!」
ゴールに突っ込んでから小さくジャンプしたのは、おうみの次にゴールしたマリンだった。
額の汗をグイッと拭ってから、彼女は嬉しそうにおうみに振り向いた。
そして一方で、3着でゴールした部長の山法ケンジは息を整えながら、隠すようにして眉を寄せていた。
おうみには、ケンジが苦しそうな理由がすぐに分かった。
しかしケンジは、マリンが「おつかれさまです」と近付くとすぐに柔和な笑みを作って穏やかに対応した。
「マリン君もおうみ君もおつかれさま。すごいねえ、2人とも。今年の大会はいいところまで行けるかも。頑張ろうね!」
「山法部長、ありがとうございます!頑張ります」
一見、進学校特有の、勝敗は気にしない和気あいあいとした部活の光景だ。
しかしマリンの後ろでそれを見ていたおうみは、愉快になって声を上げて笑いだした。
悔しそうなケンジに気が付かないマリンも面白いが、プライド故か悔しさを隠そうとするケンジがまた滑稽だ。
身体が痛すぎるのでおうみは相変わらずグラウンドに転がったままだが、下から仰ぎ見ているので、逆にケンジの些細な表情が良く分かる。
「ははは、山法とやら、その顔だ!!わしはその顔を見るのが大好きだ」
「どうしたの、おうみ君?その顔とは?」
「自覚がないとはなんと哀れな。愉快なのは貴様のその顔だ。わしに負けて悔しさに歪む眉、絶望に揺れる瞳、恐怖に曲がる唇。弱い人間を見るのは実に気分がいい」
3年生で部長であるにもかかわらず、ケンジは入ったばかりのひょろひょろのおうみに競走で無様に敗けた。
努力や練習なんかを積んできたのかもしれないが、所詮は人間。何をどう頑張ったところで、たかが知れている。
それを指摘すると、ケンジはハッと目を伏せ、隠れるように口を結んだ。
そのケンジの絶望にも似た表情は、おうみの大好物だ。
最近は勇者に辛酸を舐めさせられてばかりで久しぶりの快感だが、やっぱり頂点は素晴らしい。
頂から見る、有象無象の人間どもの顔が歪むのは何物にも代えがたい。
人間では魔王に敵わないのだと彼らが絶望する時、魔王は真に己が存在意義を感じるのだ。
「ははははは!!!!」
「横嶋さん、グラウンドに転がったままそんな風に笑っても締まらないんじゃ……」
「うるさい勇者!」
ゴール地点でタイムを測る木梨の横に付いて記録を付けていたヤツメを黙らせ、おうみは笑い続けた。
「山法よ。わしが人間よりも崇高なる存在であり、人間はわしより下等な存在だということを思い知ったか?どれだけ努力をしようが訓練を積もうが、わしという圧倒的な存在の前には貴様ら人間のような虫けらなど、成す術もないことを思い知ったか?」
「お、おうみ君……」
「そして勝者は敗者の全てを奪う権利がある。であれば貴様が喉から手が出んばかりに欲していた種目の出場権を、わしが奪っても良いのだろう!?」
「そんな……僕はアンカーがやりたくて3年間ずっと頑張って来たのに……!」
「ははははは!!」
おうみは再び大きな声で笑った。
敗けた人間から根こそぎ奪う。
土地も地位も命も世界も望みも希望も、奪って壊すのが魔王の真の喜びだ。
しかしおうみの大きな笑い声も、ピピーッ!!!!という鋭い笛の音にかき消された。
「なんだ?」
「横嶋さん、フライングー!!」
「はあ?」
「おうみさん、フライングしていたみたいですよー!だからタイムは測り直しですー!」
100M後ろのスタート地点でスタートの号令を手伝ってくれていた生徒指導の教師と話したらしい木梨の声と、こちらに駆け戻ってくるマリンの声が聞こえてくる。
「おうみさーん、フライングですよー!」
「チッ、多少速く飛び出したことくらいとやかく言うな。そのフライングを加味しても、わしがどの人間より速かったことは明白だろう?!」
「でもとりあえず測り直すみたいですよ?立てますか?」
「……身体はもう動かん」