叶えたい事
「おうみさん、ご報告があります。私も陸上部に入りました」
「はあ?」
また朝が来て、登校してきたおうみは満面の笑顔のマリンに捕まっていた。
「私は、お友達と同じ部活に入って、素敵な青春を楽しみたいと思っているのです」
「……おともだち? わしの明晰な頭脳をもってしても、貴様が何を言っているか理解できん。どけ、わしはミックスジュースを買いに行く」
肩にかけていた鞄をどさりと席に置いて、おうみはマリンを押しのけた。
いつもの自販機へ向かうが、そのうしろからマリンが付いてくる。
「おうみさん、入部したからには私、頑張ります。汗を流し時に涙も流し、共にスポーツ漫画の様に素敵な青春を送りましょうね」
「貴様、よく分からんことを喚きながら勝手についてくるな。耳障りだ」
「あ、ごめんなさい。おうみさんは漫画は読まれていませんでしたか。でしたら、お貸ししましょうか?私のおすすめは『忘却ダブルス』と『シュウキュー!』です」
マリンは何処からともなく漫画の単行本を取り出して来て、自販機のボタンをピッと押したおうみに勧めてきた。
漫画などには全く興味のないおうみは一目もくれずに、落ちて来たミックスジュースを手に取って飲みながら教室へ帰った。
その間も何やらマリンは漫画について話していたが、おうみはすべて無視していた。
そんなマリンは、昼休みもおうみの元へやって来ていた。
「おうみさん、一緒にお弁当を食べたいです」
「わしは食べたくない」
最近のおうみは煩い教室ではなく人気の少ない屋上のベンチに大きく陣取って弁当を食べているのだが、今日はその隣にマリンがいて、もう既に弁当まで広げていた。
「あれ、星城さんもいるのは珍しいね」
そして追い打ちと言わんばかりに、弁当を片手に持ったヤツメまで現れた。
ヤツメは監視の為なのか使命の為なのか週に1,2回ほど屋上にやって来て、おうみの隣で弁当を食べるが、今日はたまたまその日だったようだ。
「あ、有志さん、こちらへどうぞ」
「うん、ありがとう」
おうみの左側に座るマリンがヤツメをおうみの右側へ誘導した所為で、何故かおうみが2人に挟まれながら弁当を食べる羽目になってしまった。
左右を見て自身が人間に囲まれている事実に苛々としたおうみは、ブスッと弁当箱の中のハンバーグを箸で突き刺した。
「貴様ら、最近横着が過ぎると思わんか。わしが今魔力と怪力を失っておることで胡坐をかいているのかもしれんが、わしは魔王なのだぞ。それは貴様ら人間を淘汰する高尚なる存在の名だ。明日にでも力が戻れば、貴様らは一瞬で一塵の灰と化す。もっと恐れ戦くべきだろう」
箸で串刺しにしたハンバーグをギラリと見せつけ、おうみは歯で噛み千切るようにして咀嚼して飲み込んだ。
しかしヤツメもマリンも、おうみを恐れるような素振りは一向に見せない。
そればかりか、楽しそうに弁当談義を始めていた。
「横嶋さんのハンバーグ美味しそうだね」
「そうですね!でも有志さんのお弁当もバランスがとれていて体のことがよく考えられています」
「ありがとう。星城さんのお弁当も綺麗だよね。自分で作っているの?」
「恥ずかしながら、そうです。でも今日はこのベーコンアスパラを焦がしてしまったのです」
「大丈夫、これは焦げた内に入らないよ」
「そうでしょうか?あ、こちらのだし巻き玉子は上手くできたんですよ」
「本当だ。よくできてる」
平和に笑い合う2人に挟まれて、おうみは眉根に皴を寄せながら弁当をかき込んでいた。
こいつらは何故、魔王を挟んで平和そうに食事をしているのか。
もしかしたらこの状況は、ここ数日で一番苛々する状況かもしれない。
「横嶋さん、そんなに急いで食べない方がいいんじゃないかな。のどに詰まっちゃうかもしれないよ?」
「黙れ、貴様のような低俗な者は喉にものを詰まらせるかもしれないが、わしはそんな愚かな真似はしない!う、……ごほ、げほ!」
「ああほら、言った傍から。お茶だよ、飲んで」
「う、うぐ……貸せ!」
ヤツメが差し出したお茶を奪うように受け取り、おうみは何とかのどに詰まったものを流し込んだ。
「ぷは!」
おうみが水筒を雑に返すと、ヤツメは空になったそれを見つめて「僕の飲む分が……」と肩を落としていた。
元々そんなに入っていなかったのだから、おうみに非はない。
というか、魔王は非も罪も何も気にしない。
ヤツメを無視するように首をマリンの方に向けると、勘違いしたマリンは嬉しそうにおうみに話しかけてきた。
「そうだ、おうみさん。私の玉子焼きとそのハンバーグを交換しませんか?私、お友達とこうしてお弁当のおかずの交換をする事に憧れていたのです」
「はあ?する訳が無いだろう。貴様の卵焼きがわしのハンバーグに釣り合うと思ったか、物の価値が分からん愚か者め」
「でも、私が憧れている漫画『花恋』では主人公が親友とおかずを交換するシーンがあるのです」
「そんなものは知らん。わしのハンバーグはわしのものだ」
苛々としているおうみは残ったハンバーグもさっさと平らげ、一瞬で弁当箱を片付けてベンチから立ち上がった。
「貴様ら、覚えておけよ。この屈辱はいつか絶対に返してやる。魔力が戻った暁には真っ先に貴様らから獄炎の地獄に突き落とし、怪力が戻った暁には真っ先に串刺しにする!貴様らが恐怖する顔を存分に楽しんでやるからな!」
おうみはビシッと2人を指さして宣言したのち、くるっと背を向けて去っていった。
「おうみさん、行ってしまいました……」
残念そうなマリンの呟きが聞こえて、ヤツメは横目でちらりとマリンを見た。
「星城さん、いつもは教室で女の子達と食べているのに、何故最近は横嶋さんと食べようとしてるの?」
「それは……」
その質問に対し、マリンは持っていた弁当箱と箸を置き、少し考えるような素振りをした。
「多分、教室での私を見ていれば分かると思いますけど」
マリンは膝の上に置かれた冷えた弁当を見ながら、ポツリと話しだした。
「私、教室は少し息苦しいのです。皆さん良い方なので私が無理やり仲間に入れてと言えば、入れてはくれます。でも、私は彼女たちからお誘いはいただけません。それは私が彼女たちとズレているからお話ししにくいのでしょう。でも正直に申しますと、私も彼女たちとはお話がしにくいのです」
「そっか……。教室を抜け出したい理由は分かったけど、なんで横嶋さんなの?」
「おうみさんとは、お友達になりたいと心から思ったのです」
「……でも横嶋さんは魔王だよ?」
「はい」
顔を上げたマリンはヤツメの目を見て、コクリと頷いた。
「魔王さんのことは千年前見た時、とても綺麗な方だなあと思ったんです。こんなお友達がいたら、いろいろ相談に乗ってもらえそうだなあとも思いました」
「えっ、そんなこと考えてたの?!そもそも魔王は君の事、瞬殺してたけど……?」
「千年前のことですし、私たちも魔王さんを殺そうとしたのですから、私はそのことに因縁は有りません。それにおうみさんは、今世で私を助けてくれました」
「横嶋さんが?!いつ?」
ヤツメは驚いていたが、マリンは両手をそっと胸に置き、思い出を紐解くように穏やかな声で回答した。
「先日、私が先輩にいちゃもんをつけられていた時です。私は彼らに自分の憧れを嗤われてしまいました。私は痛いヤバいと言われ、とても悲しかったのです。でもおうみさんが、彼らをやっつけてくれました」
「……あれは彼らが横嶋さんの道を塞いでいたからだと思うよ」
「分かっています。でも、私は嬉しかったのです。すっきりしたのです。それに漫画の名言にもありました。『友達は理由じゃない。心に従って見つけるもんだ』って。だから私は、おうみさんが何者であれ、友達になりたいと思った心に従うことにしました」
「……そうだったんだね」
「はい。千年前の私はずっと聖女として厳しい戒律に縛られて、人との挨拶さえ管理されていました。俗世の娘がするような楽しい経験も思い出も、何一つありませんでした。だから今世は友達と一緒に、楽しいことをしてみたいのです」
「そっか」
マリンに向けて微笑んだ後、ヤツメはふっと空を見上げて、千年前のことを少しだけ思い出していた。
実は勇者は、一緒に旅をしていた聖女の事を良くは知らなかった。
聖女は神力が落ちるからという理由で、勇者らパーティメンバーと話すことさえ許されず、常に顔を隠した白装束を着て魔王討伐の旅に加わっていたからだ。
それが聖女に選ばれて聖女として育った彼女の義務であり存在理由だったので、当時は何らおかしなことでは無かった。
勇者は聖女に傷の回復をしてもらっている間でさえ、彼女とコミュニケーションを取ることは無かったが、白装束の隙間から覗いたか細い腕から、何となく彼女の人となりを垣間見ていた。
聖女は、自分のように志願して魔王討伐に加わった人間ではない。
自分の様に魔王を倒すことを悲願としている訳でもない。
人間の女の子であるということを捨てきれず、秘かに街娘のような平凡な幸せと自由さに憧れている。
千年前の哀れな聖女は何一つ自分の望みを叶えられずにその人生を終えたのだから、今世では彼女の願いが叶うようになればいい。
たとえそれが、千年前に自分を殺した相手と友達になりたいという願いだったとしても。
「ところで有志さんは千年前、私よりも更に厳しい道を進み続けて魔王を倒しましたが、こうして転生した今、叶えたい事はないのですか?」
再び食事を再会したマリンは、そういえばと手を打って再びヤツメに話しかけた。
「叶えたい事?」
「はい。私が青春を楽しみたいと思っているように、この平和になった世界で、やってみたい事などなどはありませんか?」
「この平和になってしまった世界でやりたい事……」
「難しく考えず、些細なことでも、何でも」
「うーん…………」
「あ、すぐに思いつかないのでしたらいいのです。でも私たちは折角人間に転生したのですから、みんなで楽しい高校生活を送りましょう。少しでも素敵な青春の思い出を作りましょうね」
「……そうだね」