星城マリン
星城マリンは、小学生の時から虐められていた。
あまり喋らない大人しい子だったからという理由もあるが、第一の理由は可愛かったからだった。
小学校のクラスで人気だった男の子が「マリンちゃんが可愛い」と言ったから、その男の子が好きだった活発な女の子に仲間外れにされたことから始まり、「人より可愛いくてズルいんだから、掃除やっといて」と掃除を押し付けられたり、「可愛いくて先生にも好かれてるんだから、マリンちゃんが花瓶割ったことにしといて」と罪を擦り付けられたこともあった。
小学生が生きる世界のすべては小学校と家庭くらいしかなくて、小学校で仲間外れにされたマリンは、もうこの世のどこにも居場所は無いし、辛いままの人生が永遠に終わらないのではという恐怖に押し潰されて、小学生の時点でほとんど学校に行っていなかった。
中学に上がってからは、親に説得されて何とか一年間は学校に通ったが、主張できない性格と目立つ容姿が災いして見事に女子クラスメイトから仲間外れにされてしまい、中学二年生に上がった頃からまた不登校になっていた。
学校は嫌だ。
あんなに狭くて苦しい世界は嫌だ。
優しくない世界は嫌だ。
朝が来るのが億劫で、その時のマリンは何をして生きていけばいいのか分からなかった。
ずっと部屋に引き籠り、ただ現実を拒否して漫画や小説などの理想の世界に逃げ込んで過ごしていたマリンは、気が付いたら中学三年生になっていた。
そしてその夏、マリンは深夜に水を飲むために階段を下りてキッチンに向かっていた際、暗がりで足を踏み外して壁に頭を打ち付けた。
転がり落ちはしなかったので大事には至らなかったが、その時マリンは、自分が何者なのかを全て思い出した。
千年前の人格、本来の自分の人格が戻って来た瞬間だった。
自分には、千年前の記憶が在る。
そして自分には、喉から手が出るほど強く憧れていた物がある。千年前からずっと叶えたいと思っていた事がある。
次の日の朝、マリンは太陽が顔を出したのと同時に起床し、キッチンに立っていた両親と眠たげな眼を擦っていた弟に元気に挨拶をして、3人を大層驚かせた。
明るく人が変わってしまったマリンは、その日から学校へ行きだした。
残念ながら既にグループが出来てしまっていたクラスメイト達には最後まで馴染むことは出来なかったが、マリンは前世の優秀な脳みそで猛勉強をして高校合格をもぎ取った。
それは、前世のマリンが欲してやまなかったものを手に入れる為の最初の一歩だった。
…
次の日。
授業が始まったこの日も、おうみは教師らの質問に対して「化学変化だと?貴様らは魔法に及ばないザコ現象をそう呼んでいるのか。わしは大魔法の使い手だからそんなものを学ぶ必要はない」なんて答えて、相変わらずクラスをどよめかせていた。
だがこの日の放課後は、突然シュッとした上級生が現れたことで、一年D組は別の意味でどよめいていた。
制服をこなれた感じに着崩して大人な雰囲気の上級生は三人で、クラスの女子生徒たちは黄色い声をあげていた。
しかしそんな女子生徒たちの熱い視線には目もくれず、上級生の三人組はまっすぐにマリンのところまで歩いてきた。
「ねえ、君が星城マリン?」
「はい。そうですが、どうかされましたか?」
いきなり声をかけられたマリンは顔を上げ、目の前に立つ上級生たちの顔を見つめる。
知り合いでもないということで、きょとんとしている。
「へえ、いいじゃん。やっぱ一年で一番可愛いって言われてるだけあるね」
そのうちの一人で、一番顔が整った男が唇の端を釣り上げて笑った。
「マリンちゃん今日暇?時間あるなら生徒会室に遊びに来ない?」
「折角ですが申し訳ありません、今日は宿題がたくさん出ておりまして」
「宿題?ふーん、じゃあ俺らがついでに勉強見てあげようか?」
「え?よろしいのですか?先輩方に教われるのであれば百人力ですけれど、私のような見ず知らずの者の為に時間を使ってくださるのですか?」
「良いって良いって。そんなにかしこまることも無いし。じゃ、今からいこうか」
「今からですか?」
「そうだよ。もう放課後だし問題ないよね?」
「はい……それもそうですね」
マリンは荷物をまとめて、誘われるままに教室を出て行った。
その後ろでクラスメイトの女子たちが「星城マリンばっかり……」と呟いていたが、トイレに行って帰って来たばかりのおうみは、その短い間に何が起こっていたのかは知らなかった。
まあその場にいたところで、おうみがマリンたちのやり取りに興味を持つことは無かっただろうが。
おうみはざわつくクラスの様子には無関心なまま、さっさと荷物を鞄にまとめ、教室を出た。
ミックスオレを買って飲みながら帰るか。
ふと思いついて、渡り廊下の先にある自販機の方へ歩みを進めていると、おうみは後ろから呼び留められた。
「横嶋さん、帰るの?明日古典小テストだから辞書持って帰った方がいいよ!」
振りかえると、廊下の窓から顔を出したヤツメが手を振っていた。
しかしおうみはいつものようにヤツメを無視して、自販機からガコンと落ちてきたミックスオレを手に取り、帰路に着いた。
最後に邪魔が入ったが、今日は部活が無いので、おうみは一直線に家へ帰る予定だ。
おうみは廊下ですれ違う人間がいても決して道を譲ることなく直進し、下駄箱で誰かが靴を替えていても構わず自分の靴を取り、玄関を出て中庭の方角へ歩いていった。
中庭は校門とは反対方向で、生徒会室や校長室などが入っている棟にある。
おうみが何故中庭へ向かうのかと言うと、おうみの家までは中庭を突っ切ってフェンスをよじ登って進む方が早いからだ。
ズルズルとミックスオレを啜りながら、おうみが園芸部が植えたのであろう植物の間をズンズン進んでいると、突然声が聞こえてきた。
「ヤッホー生徒会長、その子誰?すっごい可愛いじゃん!」
「ああ、この子は目付けてた一年。新しい書記にしようと思ってるんだよね」
「4人目の書記か~。じゃあ実質生徒会長の4人目の彼女じゃん!」
きゃはははと笑う声の主たちは、おうみがすすむ先、中庭の真ん中に陣取っていた。
人影は上級生らしい男が3人と、腰までのウルツヤストレートの女子生徒、それからその女子生徒を舐めるように見回す男子生徒の5人だった。
4人の男子たちはニヤニヤしているが、その間に挟まれている女子生徒・マリンは焦っているようだった。
「ちょ、ちょっとお待ちください。先ほどから生徒会長さんが私に勧めてくださっていた書記とは、彼女と言う意味だったのですか?」
「ま、何て言うか、生徒会入って俺と一緒にいたら、マリンちゃんも俺のことすぐ好きになると思うよ?」
「好きになるとは、こ、恋人になると言う意味ですか?!」
「まあそうなんじゃない?」
「えっと、それは、あの、唐突です!馴れ初めはもっとロマンチックな方が良くて……今日はただ宿題を教わるお約束ではありませんでしたか?」
「ああ、それはまあ、口実?」
生徒会長はおかしそうにクククと笑い、マリンを片手で強引に抱き寄せた。
「ちょ、ちょっとお待ちください!確かに私は高校生になったら漫画のように素敵な恋愛をしてみたいと夢見ておりましたが、でも片思いの期間も楽しみたいというか、これはなんというか、急性です!理想とはちょっと違います……!」
慌てふためくマリンは緊張の為か驚きの為か、少し顔を赤くさせながら首をブンブンと振っている。
「えー、理想って何?もっと強引にされたいってこと?」
「ち、違います!漫画『花恋』のエルリット王子のような方と運命的に出会って、甘酸っぱくじれったい展開から、徐々に愛を確かめ合うような優しく素敵な恋愛を……」
マリンは読んでいる漫画の各シーンを思い出したのか、一瞬うっとりとした表情を見せたが、それは直ぐに掻き消された。
「はははははっ!!!やば、マリンちゃん、それ漫画のキャラ?!てか王子様って!今時幼稚園児でもそんなこと言わないよ?!」
「え、えっと、でも……」
「高校生にもなってそれはないって!てかマリンちゃんが漫画とか言い出す痛い女だったなんて知らなかったわ!ちょっと萎えたかも」
「あ、えっと……す、すみません。でも私がそういう恋愛に憧れているのは事実で、だから嘘はついてはいけないと思い……」
「おいおい、だから王子とか運命とかキモいって!二次元の男にガチ恋って事だろ?!」
「あ、えっと、その、理想と言うだけで……」
「理想って、二次元が?ってか恋愛とか全部幻想だぜ?彼氏彼女なんてリアルではお互いに相手利用してるだけだっての!漫画は作り話!そんな女に都合のいい男なんていないって。分かる?」
「わ、分かりません……」
「分かんないとか、それ現実逃避じゃん?マリンちゃん可愛いのにそんなヤバい夢女だったんだ!!」
生徒会長とその取り巻きはおかしそうに腹を抱えて笑っていた。
一方のマリンは、泣き出してしまいそうなのを堪えてぎゅっと口を結んでいるようだった。
「あー、泣いちゃう?」
「あ、いいえ……大丈夫です……」
「仕方ないなあ、俺が優しくリアル教えてあげよっか」
生徒会長が、マリンの頬を両側から固定した。
そして残酷に目を細めて、顔をズンズンとマリンに近づけていく。
マリンがひゅっと息をのんだのが分かる。
マリンは逃れようと首を振るが、生徒会長は薄ら笑うばかりだ。
周りにいた男子生徒たちは、ひゅうと口笛を吹いたりにやにやとして、その光景を楽しんでいるようだった。
マリンの額から、冷汗が落ちる。
男性の力に成す術のないマリンの瞳が、恐怖に揺らめいた。