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勝負



次の日、おうみは放課後を告げるベルが鳴った瞬間にヤツメの腕を捕まえて宣言していた。


「有志ヤツメ、わしに付き合え!!」

「ええっ?」


目を丸くしたのはヤツメだけでなく、おうみの良く通る声を聞いていたクラスメイトもだった。


「付き合えって言うのは……?」

「今日この日、貴様のその身に刻んでやる。いくら人間の肉体に閉じ込められていようと、魔王の力は何よりも恐ろしいものだということを!魔王は世界の頂点に君臨する存在だということを!」

「あ、えっと、なるほど?」

「先日、わしが貴様より遅かったのは靴と言う枷を履いていたからだと思い至った」

「えーと、枷?」

「その通り。枷がなければわしの方が速い。貴様が得意だとのたまった短距離走で、今度こそ貴様を完膚なきまでに叩きのめしてやる!!!」


今世では絶対に勇者に負けるわけにはいかないおうみは一晩考えた。

どうしたら勇者への雪辱を晴らすことができるのか。

何故魔王が勇者より遅かったのか。


そして、靴が邪魔だったのだと気が付いた。


千年前はその長い足を剥き出しにしたまま走っていたのだから、靴がない方が速く走れるに違いない。

それでも思い返してみれば、千年前の勇者は疾風のごときスピードで迫って来て、素足だった魔王の心臓を貫いたが、それが成功したのはただの偶然だったのだと結論付けて深くは考えないことにした。


だから今世では、勇者の刃が魔王に届いたのはほんの偶然だったのだとあらためて思い知らせてやる必要がある。

疾風を超える迅雷さながらのスピードで勇者自慢の俊足を超え、ぐうの音も出ない程の敗北を味あわせてやる。

そしてこの勇者の男に千年前の借りを返してやるのだ。


「横嶋さんは、これから僕と競走したいんだよね?でも僕、部活に入ったから行かなくちゃいけないんだよね……そうだ、横嶋さんも来る?」

「そこで貴様を葬り去れるのならば、行ってやる」

「葬り去るって言うのが短距離走の事なら……うん、じゃあ一緒に行こうか。今は丁度体験入部もできる期間だし」





あっさりとヤツメに付いてきたおうみが到着したのは、遥か遠くまで広がる青い空の下の、その一角。

サラサラの砂色のグラウンドの角っこ。

部員数の少ない陸上部に与えられた申し訳程度の面積。

もう既に始まった様子の部活のホイッスルの音や、ボールがバウンドする音が遠くに聞こえる。

そして顔をあげれば、陸上部のトラックがずっと先まで一直線に引いてある。


「横嶋さん、本当にいいの?素足で走ると危ないよ?」

「危ない訳があるか。これがわし本来の姿だ」

「そう……。じゃあここからスタートで、100M先の先輩が審判してくれてるところがゴールだから」

「いいだろう」


指を指しながら丁寧にルールの確認をしてくれるヤツメには適当に返事をしてから首をコキコキと鳴らしたおうみは、トラックの100M先で立っている部員を目視した。


なんてことはない、短い距離だ。

千年前、魔王だった頃は、三日三晩走り回ってもまだ最高速度を保って走っていられた。


「スタートの合図はこちらの山法部長にお願いしたから、用意ドンでスタートしよう」

「よろしくね、横嶋さん」

「いいだろう」


山法ケンジと名乗った丸い眼鏡の真面目そうな人間を紹介されたが、おうみは全く興味をそそられなかった。

気弱そうで、面白みも無い真面目そうな人間だ。

陸上部の部長だとか何とか言っていたが、下等な人間の事など覚える気はなかったので、おうみは適当に相槌を打っていたのみである。


「えーっと、じゃあ、2人とも位置について」


おうみに顔も憶えられていない先輩は、トラックにひかれた一本線の横に立って号令をかけた。

おうみとヤツメはスタートラインで構え、合図が来たら大きく踏み出せるように片足を引く。


「用意」


緊張感のある声を聞いてヤツメは少し重心を低くしたが、おうみは余裕そうな顔を崩さぬまま仁王立ちで動かなかった。


「ドン」


スタートの合図。

しかし魔王であれば誰よりも速く誰よりも前に出ているべきだと言わんばかりに、おうみはスタートの合図よりもわずかに早く飛び出していた。

まあ要するに、フライングである。


だがこの時は誰も何も言わず、走り出したおうみ止めることは無かった。

そしてどうせおうみに注意をしたところで、魔王なのだからきっと「ルールなど律儀に守るものではない」とか何とか言ってのけるだろうと思ったのかもしれない。



「ははは!やはり大したことないな、勇者よ!」


フライングの効果もあって、おうみは出だしからリードしていた。


やはり勇者は魔王の後を追うだけで精いっぱいだ。

勝てる。

今回こそは勝てる。


やはり魔王が最強の存在だ。

たとえ転生をしたとしても、魔王の魂はここにある。

今の身体はか弱い女子高生のものだが、魔王の魂さえあれば、勇者くらい朝飯前だ。

おうみは、千年前の彼の世界を恐怖に陥れた、最強の存在である魔王なのだ。


「そうだ!人間はそうしてわしの足元に跪いているのがお似合いだ!」


脆弱な人間の負けっ面を見るのは気持ちがいい。

それがあの忌々しい勇者ともなれば尚更だ。


ああ、なんと爽快な。


おうみはグラウンドの砂を蹴り、まるで野生の動物のように乱暴にゴールに向かって一直線に走りながら、空を仰いだ。


「ははははははは!」


まだ勇者の負けて悔しそうな顔を見られた訳では無いが、すぐに見られる事だろう。とても愉快だ。

己の強さに、つい笑いが込み上げてきてしまう。


「横嶋さん、走ってる時に笑うと舌を噛んじゃうよ」

「……は?!」

「だから、まだ勝負はついてないのに笑うと痛い目を見るよ」

「は?!」


つい、おうみは二度見をしてしまっていた。


有り得ない。

置いてきぼりにしたはずのヤツメがもうおうみに並んでいる。


「じゃあ、抜かせてもらうね」

「追いつ……何っ……」


正直、驚くような暇も無かった。

おうみは文字通りあっという間にヤツメに追い抜かれることとなった。


一歩分おうみよりも前に出たヤツメの身体はそのまま走っていく。

嘘だろう。

魔王が敗けるわけにはいかない。

人間ごときに再び後れを取ってしまえば、それはもう魔王ではない。

魔王の存在が、魂が、死んでしまう。


このまま前を走らせるわけにはいかない。

何に代えても。


「うおおおおおお!させるかあああああ!!!!」


ギリリと歯を食いしばったおうみは、咆哮をあげながら加速した。


「思い上がるなよおおおおゆうしゃあああああああ!!!!!!!」


抜く。

抜く抜く抜く。

前を走る勇者を下す。

足元に這いつくばらせる。

魔王には、世界を絶望に導いたという矜持がある。


しかし、おうみの視界にはまだヤツメの背中がある。

ヤツメの足を見れば、それはおうみのか細い足よりも速く強く動いている。

膨らむ焦燥と執念に潰されて、おうみの身体はどんどん重くなっていく。


……追い付けない。


いや、こんな人間ごときに追い付けなくてどうする。

魔王は、世界を手にする者の名だぞ。


それが、こんなところで、

こんな人間に、


ぐんと加速したヤツメに追い抜かれたおうみは、動かなくなってきている全身を引き絞るようにして駆けた。

他の何でもない。スピードが欲しい。

この男を下す圧倒的なスピードが。


少しだけ、差が縮まる。

ヤツメの横顔が、一瞬見える。

並んだ。

ヤツメと目があった。


「追い上げてくることは無いだろうと思ったのにすごいね……。でも僕は負けない。この勝負、僕が勝つ」


追い付いてきた恐ろしい形相のおうみを見てハッと驚いたのちに、何故か楽しそうに笑ったヤツメの顔を見て、絶対にこの男に勝たなければならないとおうみは思った。


だからおうみは奥歯を食いしばった。

しかしヤツメは無情にも更に加速し、前に出る。


おうみは、力の限り腕を振り、足を動かした。

だめだ、このまま引き下がっては。

だめだ、負けを認めては。

あんな、勇者なんかに、敗けてはいけない。


だが、追い付けない。



追い付けなかった。




「ハアハアハアハア」


ヤツメの後からゴールに飛び込んだおうみは、まるで土砂のようにドオッとその場に倒れ込んだ。

女子高生の貧弱な肺は、おうみが使った酸素の十分の一も賄い切れていないかもしれない。

脆弱な体を呪いつつ、おうみは伏したままグラウンドの砂をぎゅっと握りこんだ。


「ハアハアハアハア……このわしが、また追い付けなかった」


敗北感。

もう二度と感じたくないと決めたこの理不尽感。

勇者に勝てないという事実は、それはもう、痛い程だった。


「いや、実際に全身が痛すぎる」


先日の体力テストの時よりも集中して走ったからか、おうみは足だけでなく身体の節々や内臓にも酷い痛みを感じていた。

悔しさのあまりグラウンドの砂を握りこんだが、気が付けばつま先から指の先まで疲れ切っていて、手を開いて砂を解放することさえ、もう出来そうになかった。


おうみは首の力まで抜いて、ぐでっと地面に頬を擦り付けた。

緩いウェーブのかかった長い黒髪がグラウンドにバサーッと広がって、まるでわかめの天日干しのような有様になるが、気にしない。


そして一方のヤツメは軽い足取りでおうみに近付いてきて、「お疲れ様」と声をかけた。


「横嶋さん、そんなに落胆することは無いよ。見るからに運動不足の身体であそこまで走れたなら凄いことだよ。この陸上部の女の子と比べても、多分一番速いんじゃないかな」


ヤツメは正直な感想を添えておうみを励ましてくれているようだったが、おうみは頭を上げることも無く地面に伏したまま「チッ」と舌打ちをした。


「偉そうに。わしに上から物を言うな」

「ええ?上から物を言ってるつもりは……」

「上からだろう?ほら今だってグラウンドに伏すわしを上から見下しておる。人間の分際で。恥を知れ」

「いやいや、横嶋さんがグラウンドに転がってるから、仕方なくこの態勢になっちゃってるだけだってば。別に偉そうにはしてないよ!」

「ふうん。では『この勝負、僕が勝つ』などと走りながら決め顔でほざいておったのはなんだ?吃驚するほど苛々としたぞ」

「あっ!えっと、いやそれは、苛々させるつもりだったわけじゃなくて!というか、わざわざ決め顔だったとか恥ずかしいから言わないでよ!」


もはや勇者の性ともいえるような、気風の良い啖呵を指摘されてちょっぴり恥ずかしくなったのか、ヤツメは身振りも加えて否定していた。

だがおうみは勿論、友達のようにヤツメと一緒にウフフと笑うなんてことはせず、ギリギリと首を回して「人間の分際で調子に乗るなよ」と横たわったまま冷たい目を向けただけだった。


「いいか、人間。本来であれば、たとえこの脆弱な人間の身体で転生していたとしても、魔王は最強なのだ。もっと速く走れるべきなのだ」


顔面を砂に伏していた所為で顔中砂だらけだが、おうみは至って真剣に話しだした。


「貴様ごときに後れを取るのは魔王として有り得んことなのだ」

「そうは言っても、横嶋さんは記憶が戻る前はあまり学校にも行ってなくて、ずっと勉強をしているような子だったんでしょ?その体でこれ以上速く走るのは、いくら中身が魔王だからって無理があるんじゃないかな?そもそも僕だって、体が違うから千年前のような速さで走れないし」

「だめだ!魔王はどんな体を持っていようと魔王である限り最強でなくてはならんのだ!勇者に負けるわけにはいかんのだ!!」

「でもやっぱり、身体は限界なんじゃないかな。横嶋さんの魔王の精神が運動不足の女子高生の身体のリミッターをぶち壊して走るたびに、そうやって動けなくなっちゃうと思うよ」

「いいや!このわしの身体能力に、わしの身体が付いて来られないなんてことは有り得んのだ!」


強気な言葉とは裏腹に俯いたおうみは、自らの手の平を一瞬だけ見つめた。

そして横にいたヤツメにも聞き取れないほどの小さな声でぽつりと呟いた。


「……そう、有り得なかった。千年前の、身も心も魔王だった頃は」


人間の女の子の小さめの手のひらは、ぎゅっと握るとますます小さく見えた。

千年前の魔王は人間の女性に似た見た目をしていたが手のひらはもっと大きく、腕も足も長くて、盛大で豪胆で美しく強靭で、そもそも人間とはまるで違う強力な存在だった。

このようにちんちくりんで、風が吹けば折れてしまいそうなか細い体では無かった。


……無かったのに。


ぎゅっ、と。

おうみは自らの手のひらから目を逸らすように、大きな瞬きをした。


この脆弱な女子高生の身体を受け入れたくはない。

しかし足掻いても身体が変わらないような漠然とした確信もある。

おうみは眉根に皴を寄せ、黙り込んだ。



「あのね、横嶋さん」


少し静かになってしまったおうみを気遣ってか、ヤツメが声を上げた。


「人間の身体は、鍛えれば相応に強くなってくれるから、頑張って練習するのはどうかな。千年前の僕だって、鍛錬を重ねてあそこまで強くなった。人間だったけど、貴女と刺し違えられるくらいまでには強くなっ」

「練習だの鍛錬だので強くなれるなど、それは愚かな人間の妄想にすぎん。努力に縋るなど、現実を受け入れたくない脆弱な人間という生き物だけがする行為だ」


おうみは吐き捨てるようにヤツメの言葉を遮った。

そして少しだけ回復した腕を無理やり動かし、ヤツメに背を向けてほふく前進で帰路に着いた。


「帰る」

「え?!横嶋さん、その感じで帰るの?!」

「帰る」

「いやいやいや、もう少し回復を待ったら?!そのついでに陸上部をもう少し見学していったら?」

「帰る」


「いやー2人ともお疲れ様!って、おうみ君、帰るの?!ヤツメ君には及ばなかったかもしれないけど、おうみ君だって走るの滅茶苦茶早いじゃないか!これなら夏季の大会だって地区決勝くらいはいけるかもしれないのに!」

「帰る」


ほふく前進する手を止めず、去っていくおうみを引き留めようとするヤツメに冷たい返事を返し、丁度現れた山法部長の声にも振り返らず、おうみはそのまま帰ってしまった。


勿論、ほふく前進帰宅をするおうみを見て、すれ違った生徒たちが悲鳴を上げたのは言うまでもない。




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