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千年前



昔々、あるところにとある世界がありました。


幾つかの大きな大陸に国を作って人が住み、大小様々な生きものも暮らす広い世界でした。

晴れもあり、雨もあり、時には大嵐もありましたが虹もかかるような自然に恵まれて生物は繁殖し、国もそれぞれ繫栄して独自の文化を築いていました。

国同士に争いは有りましたが、それも長い歴史の中で見れば、些細なことと言っても良いでしょう。


しかしある日、平和な世界は突然終わりを迎えました。

邪悪な魔王が現れたからです。


わずか十数年の間に、豊かな林は荒野に変わり、湖は干上がって、海はどす黒く染まりました。

山は溶岩をまるで血のように垂れ流し、川は土砂を伴って涙の様にごうごうと流れ続けました。

美しかった筈の世界は焦土と化し、魔王が通った場所は尽く灰に変わっていきました。


あっという間に、世界はあと数日で滅んでしまうところにまで追い詰められてしまいました。


幾つもあった人間の国も、最南端の一国を残して全て魔王に滅ぼされてしまいました。

残された国の人々は、迫りくる魔王軍の足音に怯えながら、自身の命運を一つの希望に託しました。

それは、魔王を倒す為に選ばれた勇者と、その仲間たちです。


国で一番足が速くて誰よりも強かった勇者と、厳しい戒律を守り続けて神秘の力を手にした聖女、それから図書館一つ分の知識をその脳みそ一つに詰め込んだ賢者と、闇夜でも百里先の蝙蝠の眉間を正確に撃ち抜く腕を持った弓遣い。

彼らは国で一番才能の有る者たちでした。


彼らで魔王を倒せないのであれば、もうこの世界に魔王を倒せる者はいない、と残された人々は考えていました。

そして皆が覚悟を決めたところで、魔王が大軍を率いて最南端の国に到着しました。


まず国の中心である王宮を破壊して一瞬で廃墟とした魔王は、奪った王座に腰かけました。

王座は、元々最南端の国の王が座っていた高価な物です。

でも今は破壊されてボロボロになり、真っ赤に染まって化け物のような椅子になってしまいました。

しかしその恐ろしい椅子も魔王が座れば、世界を統べる者が座るためにしつらえられた王座に見えたのです。


長い長いマントをなびかせる魔王は、世にも美しい人間の女に似た容姿をしていました。

しかし強欲で残忍で、人間とはかけ離れた性質を持っていました。

もう太陽など出なくなってしまった世界で、魔王は人間を虫けらのように見下して笑いました。


魔王は高い声で笑い続けた後、この世界に最後に残った国を破壊するように配下たちに指示を出しました。

命令に従った魔王の軍勢は街を焼き、土地を蹂躙し始めました。

人々は逃げ惑う以外成す術がありませんでした。


魔王と言う超常的な存在を目の前にして、人間は諦めを通り越して悟りました。

こうして世界から魔王以外の全ての存在が消え、魔王による新しい世界が始まるのだと誰もが確信しました。

記録を残せる人間も、それを目撃できる人間も全て滅んだあとの事ですから、魔王の世界がどのような歴史を紡ぐのか、誰も知る由はないでしょう。


しかし魔王の存在に圧倒された人々の中で、勇者たちだけは違いました。

魔王を倒す為だけに鍛錬を積んできた勇者一行はなんと、多くの魔物の攻撃をかいくぐり、魔王が信頼を置いていた側近たちまで倒して、魔王のいる場所にまで到達したのでした。


しかし、魔王はボロボロになって魔王の元に辿り着いた勇者たちを見て笑いました。

こんなみすぼらしい鼠一行が這ってここまでたどり着いたところで、何ができるのか。

実際、それはほとんど魔王の言った通りでした。

魔王の足は速く、目にもとまらぬ攻撃が四方八方から飛んできます。

また、渾身の一撃も素早い魔王にはかすりもしません。


勇者一行は無念にも、魔王にその刃が届く前に一人また一人と倒れていきました。

最後に残った勇者もそこかしこからぼたぼたと血を流して、立っているのがやっとと言った状態でした。

でも勇者はじっと魔王を見て、ぎゅっと剣を握り直しました。

別に勇者の宝剣でもない、彼の祖父が最後に打った剣ですが、その剣はまだ折れることなく彼の手元にありました。


「僕らが生まれ育った大切な故郷は滅ぶ。そして最後に残った僕もきっとここで息絶える。だがそれは魔王、貴女と刺し違えてからだ」


勇者は物心ついた時からずっと、魔王を倒す使命を自分に課していたような人間でした。

彼は非力な人間と言う身に生れ落ちながら規格外の存在である魔王から世界を守るべく、来る日も来る日もたゆまぬ鍛錬を重ねてきました。


「人間ふぜいがどう頑張ったところで、わしに届くものか」

「それは分からないよ。貴女はもしかしたら、この僕に斃されるかもしれない」

「阿呆め。身の程を弁えよ」


まだ希望を捨てない勇者と、その勇者に怒った魔王は、恐ろしい速度で激しく打ち合いました。

そしてそれだけにはとどまらず、魔王は勇者を焼き尽くす魔法の呪文を放ちました。

勇者が身を翻して攻撃を避けたので、当たり一辺がまるで噴火に見舞われたような大火事になりました。

岩石が降り注ぎ、瓦礫が割れて大地が揺れました。


そんなこの世のものとは思えないような恐ろしい戦場の中で、魔王は再び勇者に襲い掛かりました。

それは何よりも速く、閃光のような攻撃でした。

黒く研がれた魔王の剣が空気を切り裂いたかと思ったら、魔王の長い足による蹴撃がとんできます。

曇天に穿たれる稲妻よりも速い斬撃と、細身の女性の姿からは想像もできないほどの威力の打撃も、一撃でも食らってしまえばもうひとたまりもありません。


勇者は辛うじて避け続けていましたが、魔王の素早さは尋常ではありませんでした。

大陸で疾風の勇者の称号を貰った勇者でも、迅雷と恐れられた魔王の、ウェーブのかかった長い漆黒の髪が揺れたかと思えば、次の瞬間にはもう背後に回られています。


勇者は更にボロボロになっていきました。

苦しくて肺に溜まった血をゲホッと吐いたところで、その隙を逃さない魔王がすかさず業火の魔法攻撃を勇者に浴びせました。


「ははははははは!!!脆弱な人間よ!嘆け、散れ、そして絶えよ!わしの足元で死屍累々の灰に成れ!!!!」


もう決着がつくのは時間の問題でしょう。

いくら選ばれた勇者だったとしても、人間が魔王に敵う筈が無いのです。

もしこの場に観測者がいたのなら、一人残らずそう思ったことでしょう。

しかし何かが爆風の中できらりと光りました。


次の瞬間に爆風の中から鋭い影が飛び出してきました。

勇者でした。

先程よりも素早さが増しています。

さながら、全身全霊を懸けた光のような速さでした。


どんな生物よりも速く、どんな存在よりも強い筈の魔王が、その勇者の攻撃を避けることができませんでした。


力を振り絞った勇者の足が、魔王のスピードをわずかに上回っていたのです。

そして勇者はまるで電光のごとく振りかぶり、間髪を入れずに魔王の胸目がけて雷撃さながらに剣を突き立てました。

次の瞬間には、勇者の心臓は魔王によって抉り取られましたが、勇者は魔王を倒すことに成功したのでした。

この勇者のように成し遂げたい何かに一心に命を懸ければ、短い人の人生でも、剣を何より重く鋭く研ぎ澄ますことが出来るということだったのでしょう。



「人間、ごときが……」


魔王に被さるように息絶えてしまった勇者の身体を乱暴にはねのけて、魔王は最後に自らの身体に深々と刺さった剣を引き抜きました。

呻いた魔王の眼下には、水の都と謳われた美しい町が轟轟と焼ける光景が広がっていました。

魔王が見たかった景色ですが、こんな風に屈辱を与えられながら見たかったものではありません。


魔王は灰になったようにその場に崩れ落ちました。

丁度、息絶えた勇者の隣に倒れてしまいましたが、心臓が機能していない魔王はもう指一本動かせません。

魔王の心臓を貫いて、役目を果たして満足そうな勇者の死に顔を見ながら瞼を閉じることになるなんて死ぬほど業腹であり、死んでも死にきれないと思いながら、魔王は消滅しました。


こうして勇者も魔王もこの世界から消えてしまったわけですが、魔王は信じていました。

魔王という存在は不滅であり、どこかに世界がある限り、再び全てのものの頂点に立つという自らの存在意義を叶える事が出来る日が来ると。


……それがどんな時代で在っても、どんな形で在っても。







大都会から程近い、大きくも新しくもないマンションの一室。

朝日を拒絶するように几帳面に閉められたカーテンの向こう側で、小鳥が鳴いている。

もう既に活動している人々が運転する車の音も、聞こえてくる。


無機質なアラームが鳴って、勉強机に突っ伏していた影が、重そうに身体を起こした。

その人影は生気のない細い女の子だった。

彼女は目の前にあるPCモニターにぼんやりと映りこんだ、自身の腫れぼったい目を擦った。


部屋の外からは微かに、コトコトと電気ケトルが揺れて、お湯が沸騰する音がする。

稼働しているトースターから、きつね色の香ばしい匂いが漂ってくる気配もする。

パタパタと忙しなく床を動き回るスリッパの音が「今日は入学式だから遅れないように」と今に起しに来るかもしれない。

しかし昨晩、PCで見つけた高校についてのスレッドを見ている途中で寝落ちをしてしまっていた女の子は、疲れた顔のまま動かなかった。


高校、行きたくないな。

か細く弱弱しい女の子は、声を出すことなくそう呟いた。


つい数週間前に中学校を卒業した彼女は、今日から高校生だ。

だけど、彼女はやっぱり高校などには行きたくないと思っていた。


彼女が今日入学式を迎えるのは、一応、第一志望だった高校だ。

その高校は、同じ中学から進む人間が殆どいない、偏差値の高い高校だ。

なぜ彼女がそんな高校を志望したのかというと、中学時代の地味でダサい彼女を知っている人間が少ない場所でなら、こんな自分にももう少しだけマシな高校生活が送れるかもしれないと思ったというのが理由だ。

そして彼女は、必死で勉強して合格した。


けれど、よくよく考えてみれば、引っ込み思案でダサく、色々なものから逃げて半場登校拒否状態だった彼女自身が何一つ変わっていないのだから、場所を変えたぐらいで楽しい毎日が自動的に送れる訳が無い。


可愛くも無いし、話も面白くないし、ダサくて地味で、ガリガリで根暗で、何のとりえも無い彼女は、やっぱりどこへ行っても友達は出来ないに決まっている。

彼女は色々なことをそつなくこなすことも出来ないし、上手くやることも、かっこよくやることも、要領よくやることも出来ない。

誰からも話しかけてもらえなくても可哀そうではない風を装う為に、勉強に忙しいように見せかけていた副産物で勉強はできたが、運動はからっきしで、特に走り方が気持ち悪いと爆笑されたこともあるし、よかれと思ってやったことは全て裏目に出て、声が小さいだけでなく自分の言い分さえも持っていなくて、人から馬鹿にされて、彼女の耳に聞こえてくるのは基本的にいつも失笑だった。


失笑、失笑。

背中の方から聞こえてくるその笑い声は、恐ろしい。

一挙一動を見られていて、そのすべてがダサくてかっこ悪いと言われているようだった。

いや、実際挙動はダサくてかっこ悪いのだが、それは彼女がどう頑張ってもダサいままで、どうすることも出来なかった。

人にどう思われるかが辛くて怖くて、中学では逃げてしまうしかなかった。


一念発起して入学を決めた高校でも、彼女は逃げてしまう事になるかもしれない。

「ダサい」のレッテルを張られて、スクールカースト最下位で泥を這うような思い出を塗り重ねて、腐った葡萄を噛み潰したような恥ずかしくて情けない思いを繰り返して、結局、中学の頃と何一つ変わらないまま、ただ耐えるように教室の隅に存在するだけに違いない。


一度は身の程知らずにも夢を見てしまったが、そんな将来が目に見えているから、やっぱり高校には行きたくない。

しかも、新入生代表挨拶だなんて、自分には絶対できっこない。

と、彼女は思っていた。




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