互い違いの桜
互い違いの桜
散った
花びら
風に
遊ばれ
すべて
日だまり
雨だまりに
落つ
それはどうしても忘れられない日。
まだ肌寒さの残る、花冷えの季節のこと。
僕はひとり、駅のホームに立っていた。
ついさっきまで、隣には君がいて。
けれど春風が吹き、桜吹雪が舞い散る中、君は煙のように姿を消した。
僕はそれを、
手をこまねいて、
見ていることしかできなかった。
軽快な音楽とともに、新幹線がホームへと滑り込んでくる。
ゆっくりと停まった新幹線から、いつものように足元を少しだけ気にしながら、君が降りてきた。
「久しぶり」
「うん、2ヶ月ぶり? だね」
「ん」
ただ。
君の顔を見た瞬間、嫌な予感を持ってしまった。
君の表情に、今まで見たことのない翳りがあったから。
「ごめん、あのね、すごく言いにくいんだけど……別れて欲しいの」
驚いてしまった。観光や旅行で、人々が楽しそうに笑い行き交う、そんな場所で突然、君に別れを告げられたから。
「好きな人が……できたの」
「…………」
もちろん僕は、直ぐには応えることができなくて。
考えを纏めようとして、君から視線を逸らした。
この駅は、ホームから見える場所に桜の木が数本、植えられている。
そんな桜の木が、なんだなんだとこちらをじいっと見ているように思えて仕方がなかった。
何があったんだ?
どうしてそうなった?
問われている気がするのは、僕の中にそんな疑問が渦巻いているからで。
「どんなヤツなの?」
「……遠恋の相談に乗ってもらってた人」
ガツンときてしまった。行き来するのに2時間近くかかるこの距離は、君にとっては本当に遠かったのだと。それを思い知ったのには、もう手遅れだし、恋愛の機微に疎い僕の、自業自得なのかもしれない。
「……そっか」
そう。
社会人と学生の僕ら。
隔たりはあった。
けれど、どちらが悪いわけでもなく、どちらも正しいわけでもない。
しかもどちらも正義なのだというのに、なぜこうも違ってしまったのだろう。
僕は、その場で立ち竦んでしまった。
けれど考えても仕方がないことなのかもしれない。
君の心はもう、そいつのものだ。
そう何度も思って、自分を納得させようとした。
「じゃあ……元気でね」
心の中で両手を上げて降参のポーズをしているうちに、君は向こう側のホームへと去ってしまった。
桜がね、綺麗なんだよ。
君と桜がね、重なり合わさって、どうしようもなく綺麗で。
僕は足元に落ちていた花びらを一枚、拾い上げた。
そっと握り締め、ふと先を見つめる。
君は向かいのホームに到着した新幹線の窓際に座り、僕の方を見ていた。
最後、君が僕から目を逸らさず、僕を見ていてくれたことに、少しだけ救われた思いがする。
この手の中にある桜の花びらは、僕の未練のひと欠片だ。
大切に大切に握りしめた。
君の乗った新幹線が、別れを告げる合図をホーム全体に鳴り響かせた。
ゆっくりと動き出し、そして離れていく。
君が小さく手を振った。
唇が、申し訳なさそうに、ごめんねの言葉を形作ってて。
ああこれで。
終わりなのだと。
僕は握り締めていた手を振りかざし、手のひらを開いた。
手は汗ばんでいたが手のひらにくっつくこともなく、拾った一枚の花びらがひらりひらりと、スローモーションのように落ちていく。
彼女が乗った新幹線を、僕の代わりに快く、見送るように。
心が震え落ち、そして泣いた。
散った
花びら
風に
遊ばず
すべて
日だまり
雨だまりに
浮かぶ
君は去ってしまった。
けれど、僕はまだ、その場を離れられないでいる。
満開の桜から、視線を離すこともせずに。
見つめていた桜がまた、ぐにゃりと曲がり、歪んで、そして、その桜色が淡い色へと滲んでいった。
僕の目からあふれ出した涙は、頬を伝い、重力に逆らいもせずに地面に落ちていく。
唐突に、感覚が戻った。
濡れた頬に、ひやりとした風を感じて。
桜の香り。
振られてしまって泣きべそな僕を、もうこれ以上傷つけないようにと、風はそっと吹いてくれている。
そんな春の風に背中を押されるように、僕は空を仰ぎ見る。
どこまでも目に焼きついて離れないスカイブルー。その空になんの気なく、風に任せたままの白い雲が浮かんでいて。
「これから……どうしようか」
君と付き合った日々が失敗だったと思いたくもない。
思いたくないから、きっと忘れられない。
今でも。
今もまだ。
思い出をこの桜とともに美化しようとする心のどこかが、崩れ落つ立体のパズルのように、ひとつ、ひとつと、組み立てていく最中にある。
君の姿が桜の花びらの下、見えるのだと思おうとするのは愚かなのだろうか。
君の姿を桜蘂の下、思い浮かべようとするのは浅はかなのだろうか。
僕はようやく、
その場を離れた。
すでに互い違いの人生を歩み始めている僕たち。
きっと君は、うまくゆく。
きっと僕も、うまくゆく。
きっと君は、笑っている。
そして僕も、この薄桃色の花びらの絨毯を踏みしめながら、歩いていくのだろう。
胸を打つ四季折々を千、超えていくのだろう。
笑っていても。
泣いていたとしても。
唯一無二の春を、こうして迎えるために。
春
互い違いの桜