第七話 発覚②
《sideマリウス》
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
頭の中がぐるぐると回っている。ヴィムは絶対に犯人じゃないのに。どうして皆、早々に決めつけてしまうんだ。というか、アンネもヨハンネスもリーゼも、同居人が死んだっていうのに、どうしてあぁも落ち着いていられるんだろう。
ボクなんて、今にも吐きそうで、身体の震えが止まらなくて……。大好きな人が犯人だ、なんて決めつけられてすごく悔しいのに……!
「マリウス、顔色が悪いわ。気持ちは分かるけれど、貴方も中に戻ったらどうかしら」
心配そうに、テレーゼがボクの顔を覗き込んでくる。彼女のほうこそ顔色が悪い。
いつもなら、大丈夫じゃなくても「大丈夫だよ」って言えるけど、今回は言えなかった。
「……放っておいて。テレーゼも、ヴィムが犯人だって思っているんでしょ……」
テレーゼは言った。「共犯の可能性がある」って。
ヴィムのことも疑っているし、何ならボクのことも疑っているんだ。突き放すように言ったけれど、テレーゼは眉尻を下げながら呟く。
「……思っていない……」
「え……?」
「我は、ヴィムが犯人だとは思っていない」
…………。
…………え?
「テレーゼ、どういうこと!? じゃあ何でさっき、あんなこと言ったの!?」
「……確かめたかった。無関係のはずのヴィムが犯人扱いされたのなら、普通は庇うか違う可能性を提示するはず。けれどもそうしなかった。だからきっと、ヴィムを犯人に仕立てあげたかったのだと思う」
「え? え? どういうこと? テレーゼ、もしかして犯人を知っているの!?」
饒舌に語ったテレーゼの顔色は悪いまま。くるり、とボクから背を向けて歩き始めてしまう。
「ちょっと、テレーゼ!」
テレーゼはずんずんと歩いていく。館の裏手、畑があるほうまで無言で歩き続ける。ボクは彼女を追いながら呼びかけ続けるけど、返事はしてくれない。
「テレーゼ!」
何度か呼びかけて、テレーゼはようやく止まってくれた。
「……ドーリスに指示を出せるヴィムが一番怪しい。ドーリスを使ってエルマーを襲わせ、殺した。根拠は、エルマーの腹部にある傷口が、ドーリスの口の形に酷似していたから」
テレーゼは独り言のように呟く。雨の音で聞こえにくいけど、まるで物事を整理するかのように呟き続けている。そして、今度は農具が仕舞ってある小屋のほうに向かった。また、それについて行く。
「でも、本当にドーリスの口の形なのか……それに、エルマーは鈍器のようなもので頭を殴られていた。ドーリスが傍にいたのなら、そんな手間は省ける。たとえヴィムが犯人だったとしても、ドーリスを使ったという可能性は限りなく低いはずなのに。だって単純に現実的じゃないもの」
「そ、そうだね……」
テレーゼは農具を仕舞っている小屋の中に入りながら、独り言のような推察を続ける。相槌は打ったけれど、ボクに話しかけているのかは分からない。でも「邪魔」とも「帰れ」とも言わないし、いてもいい、ってことだと思う。……ことにする。
「犯人は、ヴィムがドーリスに指示を出してエルマーを襲わせた、という筋書きが欲しかっただけ。本当の凶器は……」
テレーゼは立てかけられていた鍬を手に取った。農具の手入れは頻繁にされていて、いつも綺麗な状態だ。主に、畑に入り浸る機会が多いエルマーが手入れをしていたらしい。
テレーゼは鍬を手にしたまま、ボクの隣を通りすぎていく。そして外に出て、鍬を振り上げた。まるで、バットでボールを打ち上げるかのような、綺麗なスイングだった。
「うわぁっ!?」
それにしても、やけに綺麗なフォームだった。実はベースボールが好きなのだろうか。そうだとしても農具を振り回すのは危ない。注意しておこう、と口を開きかけたその時。
「……馬鹿ね、当たったら危ない、なんて話じゃないのに」
テレーゼは、ぽつりと呟いた。そして、ボクのほうに向きなおって、テレーゼは問いかける。
「当たったら、どうなると思う?」
「怪我するに決まってるじゃん! 下手したら死んじゃう、よ……」
ボクはふと、考えてしまった。
エルマーは、あの鍬で殴られたのかな、って。
テレーゼのような非力な女性でも、鍬を振り回せる、ということはこの目で見てしまった。足の不自由なリーゼはともかく、アンネにも、男で力のあるヨハンネスにも可能だということだ。
そしてもう一つ、思い至ってしまったことがある。
テレーゼが今手にしているあの鍬、金串状になっているタイプのものだ。あれで……たとえば……あれを凶器としてエルマーのお腹に突き刺したとしたら――――
「う、おええぇぇっ……」
想像した瞬間、吐いた。
テレーゼは鍬を地面に突き刺して、ボクの元へ駆け寄ってくれる。そして、ボクの背を擦りながら言った。
「……それが、我の考察」
「そんな……どうしてさっき、その考察をアンネ達に言ってくれなかったの!?」
その方法がある、という可能性が提示されれば、ヴィムが犯人だ、と早急に決めつけられることはなかったはずなのに。
けれどもテレーゼは、遠くを見つめながら口にする。
「……どうしても、ヴィムを犯人に仕立てあげたいようだったから……」
「そんな……そんな理由で……!?」
「……ごめんなさい」
謝って済む問題じゃないよ、と言いかけるも、テレーゼの表情はとても暗いもので。思わず、何も言えなくなってしまう。
「我が……そもそも、あの時、アンネ達を止められなかった我が……」
「え……?」
今、テレーゼは何て言った……?
アンネ達を止められなかった? 何か、あったということ?
ボクとヴィム、そしてリーゼは館に来たのが最近だから知らない?
前から館に住んでいるアンネ達の間に、何かあった?
考えてみるけれど、やっぱり頭の中をぐるぐると回るだけで、それらが繋がることはない。加えて言えば、アンネ達は昔のことを語るのを嫌がる。聞こうにも聞けないのだ。
昔のことを語ろうとしないのは、テレーゼも同じ。現に今も、何があったのかは語る気がないらしく、遠くを見つめたまま呟くだけだ。
「……どうせ、我の話なんて、誰も聞きやしない。昔から、そうだった。なら、話を聞いてくれた人のために動きたいと思うのが、普通」
おもむろに立ち上がって、テレーゼは鍬を手に取った。また、ボクの隣を通りすぎて、崖に落ちないように作られた柵を越えて歩いていく。
「! テレーゼ、何をするのっ!」
今は雨が降っているし、下手をすれば滑って地面に落ちるかもしれない。慌ててボクも柵を跨ぐ。けれどもその頃には、テレーゼは鍬を振り被っていて――――
「テレーゼ! 駄目っ!」
鍬を、崖の下へと捨ててしまった。
崖の下に行くことは出来ないし、凶器になり得たかもしれない鍬を調べることも出来ない。
「もしもテレーゼの考察が正しかったら、あれは重要な証拠になったかもしれないのに! どうしてこんなことしたの!?」
テレーゼの隣に並び立って、抗議する。過ぎたことはもう戻せないけれど、どうしてテレーゼがあんなことをしたのか気がかりだ。ちゃんと、話を聞かないといけない気がする。
テレーゼはぼんやりと崖の下を見下ろしてから、ボクの服の袖を引っ張って柵の向こうへと戻った。そして、静かに言い放つ。
「証拠になりうるかもしれない。だから消した」
「そんな……テレーゼは何がしたいの!? 結局、ヴィムのことを犯人に仕立てあげたいのは、テレーゼもだった、ってこと!? 犯人はテレーゼなの!? だからヴィムに罪をなすり付けて、証拠を消したの!?」
この館に入居してから、テレーゼと仲良く話をした記憶はない。どこか避けられているような気すらしている。けれども、心のどこかで、テレーゼもボク達と仲良くしたいと思ってくれている、と希望を抱いていた。
だからこそ、彼女の思惑をちゃんと理解したい。たとえテレーゼが一連の事件の犯人だったとしても、ボクはちゃんと話を聞くつもりだ。
「お願いだから、真実を話して。何か知っていることがあるなら教えてほしい。ボクはもう……誰かが死ぬところなんてみたくないんだ……!」
「…………」
テレーゼは申し訳なさそうに眉尻を下げて、俯いてしまった。けれども、ボクの思いは伝わったらしく、テレーゼはゆっくりと口を開いて、語り始める。
「マリウスが、ヴィムのことを好きなように、我にも好きな人がいた。もう死んだけれど……」
その告白に、ボクは思わず息を飲んだ。
「その人はね、殺されたの」
テレーゼは続ける。
「この館の住人に……我達に……」
「……う、そ……」
この館は、十人程の人間が余裕を持って暮らせるだけの広さがある。かつてはこの辺り一帯を治める領主の住まう館だったが、領主亡き後、ルームシェア用の邸宅として取り壊されることなくこの地に残されていると聞いた。
ボク達が来る前には、アンネ達が住んでいた。住人は何回も入れ替わっているが、アンネ、テレーゼ、ヨハンネス、そして亡くなったジギスとエルマーは十年前からこの館でルームシェアをしているとのこと。
テレーゼが言ったことが真実だとすれば?
アンネ達が昔のことを話したがらない、というのも頷ける。だって、自分達が罪を犯したんだから。
だから皆、館の住人が死んでいるところを見ても、どこか落ち着いた様子でいられるのだろうか。
――――いや、違う気がする。少なくとも、アンネはジギスが死んだ時も、エルマーが死んだ時も、悲しさを見せていた。けれども、ボク達のために気丈に振舞って、率先して犯人探しをしていたじゃないか。
テレーゼが嘘を言っているようには思えないが、全てを信じるには早急すぎる気がする。
もう少し詳しく話を聞いてみないと、とテレーゼに質問を投げかけようとした、その時。テレーゼはハッとした様子で館の方へ視線を向ける。そして、ボクの腕を引っ張って、農具が仕舞われている小屋の扉を引き開けて、中へ入るように催促した。
「続きは後。早く中へ」
「な、何で、どうして!?」
「教えてあげる。他人から恨まれるとどうなるのか。」
それだけ言い放って、テレーゼはボクの背中を思いっきり押した。小屋の中に突き飛ばされるような形で、ボクは小屋の中に転がり込んだ。その間、テレーゼは小屋の扉を閉めて、外から鍵をかけてしまう。
閉じ込められた。嫌な予感がする。
「テレーゼ! 何するの!」
「静かにしていなさい。変な疑惑をかけられたくなかったらね」
扉越しに、テレーゼの声が聞こえる。その声はいつもと同じだが、どこか震えているような気がした。まるで、何かに脅えているかのようだ。
思わずボクは黙り込んでしまう。すると、誰かの足音が聞こえてきた。ぱしゃんっ、と水溜りを踏む音がして、その人はテレーゼに声をかける。
「テレーゼ、マリウスを知らない?」
アンネの声だ。姿は見えないが、間違いない。
アンネの問いに、テレーゼは淡々と答える。
「さぁ、知らない。ドーリスの餌やりにでも行ったんじゃないのかしら」
「あら、一人で大丈夫なのかしら」
実際、ボクはすぐ傍にいるけれど、アンネは気付いていない。心配そうに言ってから、
「エルマーみたいに食い殺されるかもしれないのに、物好きなのねぇ」
――――。
…………え?
何か、おかしくない? 何だか、引っかかる物言いだった。
そんな言い方、ちょっと、なんか、おかしくない? 事実かもしれないけど、それじゃあまるで、小馬鹿にしているような……気がする。
「それにしても、ヴィムのあの顔見た? 面白くて笑いそうだったわ」
……え、え、え?
一瞬、いや、長い時間、心臓が止まったかのような気がする。錯覚、だけど。
今、アンネは何て言った? 「可笑しくて笑いそう」? 何が? 面白かったところなんてあった? なかったよね???
「マリウスには可哀想なことしちゃったけれど、ちょっとせいせいしたわ。ヴィムってば、このアタシの反対を押し切って家畜を飼う、だなんて言い出すんですもの。アタシ、動物は嫌い、って何度も言ったのに」
「……ドーリスは家畜じゃないわ。ヴィムは、手品とか、ドーリスに芸をさせて稼いでいたから……そういう仕事であって、アンネが思っているのとは――――」
ダンッ!! と、小屋の扉が揺れた。小さく悲鳴を上げながら後退ると、アンネの声が聞こえてくる。聞いたこともない、冷たい声だった。
「昔から言ってるでしょ。ちゃんとハキハキ喋れ、って」
「……ごめん」
「人に謝る時は『ごめんなさい』でしょうが。アンタ、いつからアタシより偉くなったわけ?」
「……ごめん、なさい……」
テレーゼの声が震えている。扉越しに話を聞いているボクですら、驚いているし、怖いと思うし、指先が少し震えてきている。今、あのアンネと対面しているテレーゼが、平気でいられるわけがない。
「まぁいいわ。アタシは今気分がいいもの。あの獣畜生はエルマーを喰った。殺処分は免れられないでしょう。いい気味だわね! ざまぁ、というやつかしら! あっはははは!」
アンネが高らかに笑う。お酒を飲んで、気分が高まっている時と同じ。楽しくて、面白くてならない、といったふうに。
頭の中が真っ白だ。まるで、ぽっかりと穴が開いてしまったかのようだ。
ボクの知るアンネじゃない。たしかにアンネは最初、ドーリスを厩舎で飼うことをよく思っていなかった。でも、ヴィムがちゃんと危険じゃないことを説明して、館の住人全員の許可を得たじゃないか。皆が納得した上で飼っていたじゃないか。
本音ではよく思っていなかった、とかなら、まだよかったかもしれない。
でもアンネは、ドーリスが殺処分されることを望んでいる。まさか、ヴィムを犯人に仕立てあげた理由も、そんなことのため?
でも、最初に可能性を提示したのはリーゼだった。ヨハンネスも同意していたし、歯型に見えなくもない、かもしれない。でも、ボクとテレーゼは違う可能性を見つけたんだ。まだ、話せばわかってくれるかもしれない。ボクは心の中で、そんな希望を抱いていた。抱かずにはいられなかった。
「犯人はヴィムでもドーリスでもない」
「はぁ?」
おかしそうに笑っていたアンネの声を遮って、テレーゼは言った。
もう一つの可能性について言うつもりなのだろう。コンコン、と小屋の扉を叩きながら、テレーゼは続ける。
「ドーリスに襲わせたかのように見せかけることだって出来る。たとえば、この小屋の中にある農具を使って……」
「あぁ、それ。というか、そうでしょうね」
は?
思わず、声を発しそうになった。
アンネは、テレーゼから提示された可能性に同意した。それどころか、「そうでしょうね」と口にした。
つまり、どういうこと? エルマーはドーリスに喰い殺されたんじゃなくて、農具で殺されたと分かっていた、ということ?
それに気付いていて、いや、理解していて、「ヴィムがドーリスに指示を出して、エルマーを襲わせた」と結論づけたの???
ボクの心の中の疑問に同意するかのように、アンネは言う。
「エルマーは頭を殴られていたし、農具が凶器、と言われた方が現実味がある。あぁ、可哀想なエルマー……とても痛かったに違いないわ」
エルマーに想いを馳せているのか、アンネの声色は本当に悲しそうだった。本当に悲しんでいるかはさておき、嘘はついていないような気がしてしまう。
けれどもすぐに、そんな悲しみの声を消し去って、
「でもね、いいじゃない。邪魔な家畜を駆除する口実が出来たんだから」
と言い放った。
ここでようやく、ボクは悟った。
アンネは、本当はこういう人間なんだ、と。
明るくて、どこか子どもっぽい愛らしさがあるけれど、年上の女性らしい責任感がある人だと、ずっと思っていた。でも、それはボクの勘違い。アンネの演技だったのだ。その事実に気がついた途端、全身の力が抜けたかのような感覚に襲われた。
テレーゼは、全部知っていたんだ。だから、あの場でアンネの意見に沿うような意見を口にしたんだ。新たな可能性を提示したところで、全てアンネの望むとおりになってしまうと分かっていたから。
……あれ、でもどうして、テレーゼは証拠になりうる鍬を捨ててしまったんだろう。あれを持って、全員がいるところで話をすれば、流れは違ったかもしれないのに。
別の目的がある? なら、その目的って?
ボクの頭の中に疑問が浮かんできたけれど、その答えが出る前にテレーゼはアンネに言った。
「リーゼやヨハンネス、マリウスにこの可能性を説明することも出来る……」
「すれば? 痛めつけてから殺すわよ」
「殺す」と、確実に言った。それもかなり本気らしい。低い声のまま、アンネは続ける。
「アンタが好きだった、あのクソ男みたいに」
「……彼のことは、好きじゃない」
「嘘つかなくてもいいのよ? 『形見だ』なんて言い張って付けてるそのダサいリボンも、あの男からプレゼントされていたじゃない。前髪を切ったのも、オシャレに気を遣い出したのも、全部あの男に振り向いてほしかったからじゃない」
「違う……」
「違わないでしょ? アンタはあの男が好きだった。今でも忘れられないんでしょ? 人の旦那で妄想しながらマスターベーションしてたんでしょ。アンタの心は満たされた? ねぇ、どうなのよ」
「し、てないし……違うって言ってるじゃない……」
「別に嫌煙してるわけじゃないのよ? ただ、人の弱みは握っておきたいじゃない。とくにアンタの弱みはさ、面白くってお酒がすすむんだもの。ねぇ、教えなさいよ。自分の好きな人を取られた気分は? アタシの人間性を知ってて黙ってるのってどんな気持ちなの?」
畳みかけるように、責め立てるように、アンネは否定を続けるテレーゼに酷い言葉を投げかけ続ける。ボクまで耳を塞ぎたくなる。
「言いなさいよ。ほら、ほら!」
「…………」
もう黙っていられない、と扉のドアノブに手をかけた、その時だった。
「いつまで自分のことをお姫様だと思っているの? 馬鹿なの?」
テレーゼが、はっきりとした声色で言い放った。