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第六話 発覚①

 《sideアンネ》


 ざあざあ、と雨の音が聞こえてくる。

 意識がだんだんと鮮明になってくる。ゆっくりと目を開けると、ぼんやりとした世界が広がっている。


 「眼鏡……」と手を動かすと、手首からジャラッ、と金属同士が擦れ合うような音が聞こえてきた。なんだか手首が重いわね、と思って視線を向けると、手錠がかけられていた。


 しばらく呆然として、思い出す。


 昨日、ジギスが何者かに殺されたのだ。

 それで、犯人が夜中に動かないように、と手錠をつけて眠っていたのだ。


 アタシの隣にいるエルマーと――――


「エルマー?」


 いない。エルマーがいなかった。

 慌てて眼鏡をかけて、ベッドの下に落ちていないか確認するけれど、エルマーの姿はない。アタシの手首に繋がれていた鎖を手繰り寄せていくと、エルマーを繋いでいた枷が外されていて。


 昨日ジギスが殺されたばかりだというのに、アタシに何も言わずに出て行くなんて。


 ……嫌な予感がする。アタシは長い鎖を持ち上げて、寝巻のまま部屋を飛び出した。


「エルマー!? どこにいるの、エルマー!?」


 アタシの声が聞こえてきたからか、他の部屋で眠っていた他の住人達も、何事か、と部屋から出てくる。ヴィムとマリウスの姿が見えないが、アタシはかなり焦っていた。


「皆、エルマーがいない! 誰か知らない!?」


「手錠は!?」


「してたわよ! でも、朝起きたらいなくなってて――――」


 叫ぶように言ったアタシの声を遮るように、


「「うわぁぁぁぁぁ!?!?」」


 と、悲鳴が轟いた。


「この声、ヴィムとマリウス!?」


 この場にいないヴィムとマリウスの声に、アタシ達は「また何かが起こったのだ」と確信する。エルマーがいなくなったことも加えて、ますます嫌な予感が募っていく。


「裏口の方からだね……行ってみよう」


 リーゼが呟いた。雨の音がしている中でも、はっきりと二人の悲鳴は聞こえてきた。それも、意外と近くから。


 リーゼは二人の声がした場所を確信しているのか、車椅子を動かして先陣をきった。かなりゆっくりなスピードで。


 見かねたヨハンネスが車椅子を押して、早足で裏口の方へと向かって行く。アタシとリーゼも、それに続いた。




 裏口に到着すると、雨の匂いに混じって鉄の臭いが鼻の奥についた。マリウスは腰が抜けたかのようにその場に座り込んでいて、ヴィムはアタシ達が来るなり安心したような、けれども戸惑っているかのような表情を浮かべた。


 そして、目にしてしまう。

 ヴィムとマリウスの向こうで、誰かが倒れていた。


 エルマー、だった。


 頭を殴られたのか、顔が血だらけで。服も血と泥で汚れている。

 何かで抉られたかのように、左腹部が消え去っていた。


「あ、あぁぁ……エルマー……エルマー!!」


 何てこと……今度はエルマーが殺されるなんて……。

 ……いえ、まだ間に合うかもしれない。アタシは這うようにエルマーの元に近付いて、彼の手を取った。


 ……冷たい。脈が感じられない。


「エルマー……どうして……どうして貴方が……」


 自分の睡眠の悪癖を呪った。

 エルマーがどうしてここにいるのか分からないけれど、手錠をつけていたのだから、物音はしていたはずだ。それなのに、アタシはこれっぽっちも気付かなかった。


 音に気付いていれば、エルマーが殺されずに済んだかもしれないのに。

 

 じわりと目頭が熱くなるのを感じた。アタシの目からぽろぽろと涙がこぼれてくる。ジギスが殺された時は、我慢出来たけれど、今日は無理だった。


 エルマーはアタシの恋人で……優しくて、いつでもアタシの気持ちを一番に考えてくれて……たまにからかうように意地悪された時もあったけれど、最後には笑ってアタシのことを抱き締めてくれる。


 もうアタシの名前を呼ぶことも、笑いかけてくれることも、抱き締めてくれることもない。


 縋るように冷たくなったエルマーの手を額に押し当てて、血で汚れるのも構わずに覆いかぶさるように抱き着いた。


「うぅっ……エルマー……」


 泣きじゃくるアタシを慰めるように、リーゼが背をさすってくれる。その隣で、ヨハンネスはアタシ達を見下ろしていた。テレーゼはヴィムと一緒に、気分を悪そうにしているマリウスに付き添っている。


「マリウスの言う通り、連続殺人だったとはな」


 ヨハンネスが、淡々とした様子で言い放つ。それを軽く制しながら、アタシの背をさすっていたリーゼが言った。


「アンネ、泣きたい気持ちも分かるが、先に検死をしよう。分かるね?」


「証拠がなくなるかもしれないから、って言いたいんでしょう? 分かってるわよ……でも、でもぉ……」


 このまま証拠が消えてしまっては、犯人を突き止めることも出来なくなる。アタシやリーゼがいるので、死因の調査くらいは出来る。その過程で犯人を見付けることが出来れば、万々歳のはずだ。


 分かっている、アタシが率先して動かなければいけないことくらい。でも、もう少し待ってほしい。


 そんなアタシの態度に苛立ちを覚えたのか、ヨハンネスが冷たい声で言い放った。


「アンネ、いい加減にしろ。死人に泣きつくな。検死の邪魔だから、いっそ中に入っていろ」


「よ、ヨハンネス! そんな言い方酷いよ……二人は恋人同士だったんだよ!?」


 流石のアタシも、ヨハンネスの口振りにはイラッとした。マリウスも注意してくれるが、ヨハンネスは「事実だろう」と主張を変えるつもりはないらしい。相変わらずつまらない、冷たい男だ。


「いいのよ、マリウス。ヨハンネスの言う通りだわ」


 でも、強めに現実を突き付けてくれたおかげで、目が覚めた気がする。そうだ、エルマーはもう死んだのよ。縋りついて嘆くより、今生きているメンバーのことを優先して考えないと。


 寝巻の袖で涙を乱雑に拭って、顔を上げる。


「リーゼ、手伝ってくれるかしら」


「勿論。つらくなったらいつでも言っておくれ」


 リーゼは気遣うように優しく言葉をかけてくれる。彼女の隣でつっ立っているだけの男とは大違いである。仮にも神に仕える役職の者だろうに、どうしてこうなのかしら、と横目で睨んでから、冷たくなったエルマーと向き直った。


 覚悟を決めて目にしても、視線を逸らしたくなる衝動にかられる。アタシが動揺しているからか、隣にいるリーゼは気丈に振舞ってくれていた。淡々とした様子で検死を進めているが、その手は微かに震えていた。

 

 リーゼにばかり任せるのは、医者としてのアタシが許せない。しっかりしないと、ともう一度自分に言い聞かせて、アタシも彼女と意見を交わしながら検死を行っていく。


「後頭部に鈍器で殴られたような跡がある。背後から忍び寄った、ってところかしら」


「ジギスの件といい、不意打ちだなんて卑怯な手を使う犯人だね」


 それにしても疑問点がたくさんある。

 まずは手錠だ。エルマー自身が手錠の鍵を外したのか、はたまた何者かが部屋に侵入してエルマーの手錠を外したのか。そして、どうやってエルマーをここまで連れてきたのか。


 鍵は単純な造りで、知識があれば針金か何かを使って外すことも出来そうだけれど、エルマーがそんな野蛮な手法を覚えているとは考えにくい。鍵を持っているのはヴィム一人、でも、鍵なんて盗めば何とかなるわよね、多分。


 けれども、疑問点は手錠の件だけではない。


「しかしこの傷跡、おかしくはないかい?」


 リーゼも、アタシと同じ疑問を抱いたらしい。

 エルマーの左腹部が、ごっそりと消え去っているのだ。死因も、失血が原因だと思われるけれど、抉られた肉の部分が見当たらない。文字通り、消え去っているのだ。


 寝巻の裾で傷口についている血を拭ってみると、まるで何かに噛み千切られたかのようで。にわかには信じがたい線だが、彼なら可能なのではないか。

 アタシは顔を上げて、問いかける。


「一応聞くけれど……皆、手錠はちゃんとしていたのよね?」


「勿論。鍵はヴィムが持っていたし、朝まで外せなかったよ」


 アタシの質問に答えたのはマリウスだった。

 うんうん、とヴィムとヨハンネスが頷いているのを見る限り、嘘ではないようだ。


 アタシは続けて、ヴィムに問いかける。


「……ねぇヴィム。鍵はどこに仕舞っていたの?」


「え、机の引き出しッスけど……」


「昨夜の夜中頃、ドーリスはどこで何をしていたか知ってる?」


「ドーリス? ドーリスなら、厩舎の檻の中に……」


 そこまで答えかけて、ヴィムは固まった。

 アタシの質問の意図に気付いたらしい。隻眼の瞳を薄く見開いて、ヴィムは戸惑ったように顔を引き攣らせた。


「え……もしかして、オレが疑われてるんスか……?」


 ヴィムのその言葉に、マリウスも息を飲んだ。

 アタシが肯定する前に、リーゼが冷静にエルマーの腹部を指さして言った。


「傷口を見てほしい。左半身が、まるで食いちぎられたかのように、消え去っているんだ。そして……ドーリスの口の形に限りなく近いのでは、と……わたしは思っている」


「アタシもリーゼと同じ見解よ」


「そ、そんなっ!? 確かに皆さんに手錠を提供したのも、鍵を管理してたのもオレッス! でも、ドーリスを使ってエルマーを襲わせるなんて……そんなこと絶対しないッス!!」


 ヴィムが慌てて弁明の言葉を口にする。ヴィムを庇うように、マリウスも声を張り上げた。


「ヴィムはドーリスに人を食わせたことはないって言ってた! それに、どうやってエルマーを外に連れ出したのか、まだ分かっていないよね!?」


 たしかに、マリウスの言う通り、エルマーがどうして外に出たのか理由は明らかになっていない。けれども、静観していたヨハンネスが「簡単だ」と口の端を持ち上げた。


「手紙等を使って呼び出せばいい。何かしらの脅しの言葉でも添えて、な」


 ヨハンネスの指摘に、ヴィムは顔を青くさせる。そんな彼に畳みかけるかのように、ヨハンネスは続けた。それは、アタシが考えていたことと同じで……。


「エルマーを裏口に呼び出し、ドーリスに指示を出す。猛獣使いのお前なら出来ないことでもないのでは」


「手紙……そういえばエルマー、寝る前に小さな紙を見て驚いていたような顔をしていたわ」


 昨夜、エルマーはアタシ達がいた部屋の扉の前で、手紙のようなものを読んでいた。本人は「何でもない」と言っていたが、思い返してみればそれは、彼を呼び出すためのものだったのでは。


 アタシからの証言もあって、ヴィムはいよいよ逃げ道がなくなったらしい。


「違う……違うッス……オレ、本当にそんなことしてないッス……」


「そ、そうだ、ジギスの件はどうなの!? ヴィムはずっとボクと一緒にいたし、アリバイがあるじゃん! これが連続殺人なら成り立たない!」


 ヴィムを庇うように、マリウスは慌てて指摘する。

 マリウスの言う通り、ジギスが殺された際にはずっと一緒にいた、と言っていた。連続殺人だった場合、一つでもアリバイがあれば犯人である可能性は低くなる。


 でも……、


「共犯者……そういう線も、有り得ると思う……」


 アタシが口にするよりも先に、テレーゼが呟いた。彼女の顔は真っ青で、いつも以上に陰鬱そう。まるで、言わされているかのような雰囲気だったけれど、テレーゼが言うのだから、よほど疑わしいのでしょう。


「そんな……本当に、違うのに……」


「状況から見て、可能性が高いのはヴィムといったところかしら」


「オレはそんなことしてないッス! 信じてくださいッス!」


「なら、証拠を出しなさい。確実にやってない、という証拠を」


「そ、そんなの……」


 アタシが強めに聞くと、ヴィムは言葉を詰まらせる。どうやら、「やっていない」と断言出来る証拠はないみたいね。マリウスと共犯、という可能性は昨日の時点であがっていたし、「マリウスと一緒にいた」は証拠にはならない。


 現状、ドーリスを使ってエルマーを襲わせて殺した、という憶測で話が進められているけれど、あくまでこれは憶測。それを覆せるような証拠がない限り、ヴィムの疑いは晴れないわ。


 そして、疑いを晴らすだけの証拠がない。


「エ、エルマーが亡くなったのは……」


「推定、夜中の十二時頃だね」


 ヴィムの問いに、リーゼが答える。


「マリウスに起こされて御不浄に行ったのが二時頃。少しズレているな」


「っ……」


 ヨハンネスの証言からすれば、エルマーが殺された時間帯のヴィムのアリバイを立証出来る人はいないようね。皆眠っていただろうし、手錠で繋がれていて身動きを取るのが難しかったとしても、そもそも手錠の持ち主はヴィムなのだから。予備の鍵をポケットに忍ばせたり、最初から細工をしていれば、簡単に外せるだろうし。


 ヴィムはとうとう、その場に膝をついて項垂れてしまった。


「……今日一日、部屋にいてもらうけど、いいかしら」


「……身の潔白が、証明されるなら……」


 ことが決定してからも、マリウスは何かを言いたげにしていたが、ヨハンネスに連れられてヴィムが屋敷の中に戻って行く頃には、ぎゅっと唇を結んで拳を握り締めていた。マリウスもまた、「ヴィムが犯人ではない」と断言出来る証言を持ち合わせていないのだ。


 少し可哀想な気もしたけれど、甘いことは言っていられないわよね。ジギスやエルマーを殺した犯人かもしれないし、それこそ次はアタシ達が狙われてしまうかもしれないのだから。


 アタシも館の中に戻って着替えないと、と歩き始めた瞬間。


「アンネ、エルマーの手の甲を見てごらん」


 と、リーゼがエルマーの手元を指さして言った。慌てて駆け寄って、リーゼが指さしている手の甲を見つめる。そこには、『U』の文字が書かれていた。ペンで書かれているらしい。


「これって、ジギスの首にも書かれていた……?」


「あぁ……ジギスとエルマーを殺した犯人は同一人物と捉えていいだろう」


「『L』、『U』。何かの単語かしら……。だとしたら、まだ何か続きがあるかもしれない。気を引き締めましょう」


 ヴィムを隔離しているにしても、犯人は別にいる可能性も忘れちゃいけない。「そうだね」とリーゼも同意してくれた。


 アタシとリーゼも館に戻る。マリウスは放心しているのか、その場に立ち尽くしたままだった。呼びかけても反応がなかったので、彼のことはテレーゼに任せておく。


「……エルマー……」


 殺されてしまった恋人の名を呼ぶ。もう返事も来ないし、抱き締めてもくれないのね。もっと話をしたかったし、エルマーとなら結婚も――――


「アンネ、大丈夫かい?」


「……えぇ。大丈夫よ」


 リーゼが心配そうに見上げてくる。彼女達に心配かけさせたくはないし、暗い表情は一人の時に留めないと、とアタシは口の端を持ち上げた。


 もう、何も起こらないといいのに。


 そう思いながら、アタシは溜息をついた。


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