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第十一話 発覚⑥

 《sideヨハンネス》


 館に帰ってきて、自分とアンネはテレーゼ、リーゼ、マリウスに、先程見てきた状況を報告する。喋っているのはアンネで、自分は静かに話に耳を傾けているだけだが。


 アンネの説明が一通り終えたところで、マリウスが目を丸めて反芻した。


「橋が消えた? 橋って、村に通じる……あの?」


 橋の存在は、この館の住人ならば全員が周知しているであろうものだ。村や街へ降りる時には、必ず通る場所なのだから。


「そう。厳密に言うと、繋ぎの部分が壊されていて、渡れなくなっていたの。橋が使えないとなると、裏の崖を通らなくてはいけない。雨が止んだとしても、危険な道のりね」


 アンネが説明した通り、自分達は助けを呼びに行くことが出来ないのだ。そしてそれは、これからも殺人事件が続くかもしれない状況で、犯人と同じ屋根の下で生活しなくてはならないということ。


 雨はやみそうにないし、たとえやんでも、地面が固まるまで待つ必要がある。悠長なことを言っている気もするが、死なないように万全を期すならこの方法しかない。


 ジギス、そしてエルマーが殺された今、三人目の犠牲者が出たとしてもおかしくはない。次に誰が犠牲となるのかは、犯人以外知りもしないだろう。


「ともかく、アタシ達はしばらくこの館から出ることが出来ない。犯人も確定していない今、集まっている方がいいでしょう」


 アンネの提案に、抗議の声をあげる者はいなかった。当然だろうが。一人の時間がないのは面倒だが、リスクは取りたくない。我慢する他ないか。


 自分が心の内で溜息をついている間に、アンネはさっさと今夜の部屋割りを決めてしまう。


「今日は……そうね。アタシとテレーゼとリーゼ。ヨハンネスとマリウスで寝ましょう」


 まぁ、普通に考えてそうなるか。

 しかしマリウスは、アンネの決めた部屋割りに納得していないらしい。


「ヴィムは、一人にするの……?」


「現状、今一番怪しいのはヴィムよ。今ヴィムがいる部屋は、外から鍵がかけられるし、すぐに駆け付けられるように、彼の部屋を挟んで眠るようにする。襲われそうになったら大声を出すように、彼にも伝えるつもりよ」


「……そう……分かったよ」


 マリウスは、まだどこか納得していない様子だ。けれども、今回はすぐに引き下がった。


 そんな報告と話し合いが済んでから、リーゼとマリウスは夕食の準備を始める。

 当番ではない自分と、アンネとテレーゼはダイニングに残ったまま、一言も喋らずに時間が経つのを待っていた。


 ふと、テレーゼが立ち上がった。


「……ちょっと、部屋から本を取ってくるわ」


「そう……」


 呟くように言ってダイニングを出て行こうとするテレーゼを横目で見つめてから、アンネは口の端を持ち上げた。まるで、この時を待っていた、とでも言わんばかりに。


「ヨハンネス、ついて行ってあげなさい。一人じゃ不安でしょうし」


「あぁ、分かった」


 すぐ近くにリーゼとマリウスがいるし、アンネの方は大丈夫だろう。テレーゼの部屋はダイニングから遠いし、アンネの采配も特に違和感はない。違和感があるとすれば、彼女の悪だくみでもしているような笑顔だけだ。


 アンネの黒い笑みには、テレーゼも気がついているらしい。顔を青ざめさせて、首を横に振る。


「ひ、一人で大丈夫……」


「そういうわけにもいかないでしょう。いいじゃない、見られて困るものがあるわけでもあるまいし」


「……ん……じゃあ、お願い……」


「あぁ」


 自分も立ち上がって、テレーゼの元へ向かう。途中でアンネとすれ違った際に、自分にしか聞こえないくらいの小さな声で、けれどもはっきりと言い放った。


「襲うなりしてでも口を割らせなさい。じゃないと、この連続殺人事件は解決しないわ」


「…………」


 アンネは、どうやっても自分にテレーゼを襲わせたいらしい。そこまで彼女に執着している理由が分からないが、相変わらず人の心というものがないらしい。自分が言えた義理ではないが。


 テレーゼに「行こうか」と呼びかけて、彼女の部屋へと向かう。もともと、館の住人とはあまり会話をしようとしない彼女は、自分にも例外なく会話を振ろうとしない。


 もしや、怖がられているのだろうか。たしかに、自分も彼女の想い人であるルッツに色々したものだが……それは、彼女に想いを寄せられているのに他の女と結婚して、あまつさえ暴力に手を染めたルッツが悪いのではないだろうか。


 当然の報復というか、自分達に非はない気がする。


 まぁでも、テレーゼからすれば、自分は想い人を死に追いやった存在だものな。怖がられても仕方ないか。


 ……それにしても随分と華奢だな。隣に並び立つと身長差もあるし、彼女の顔がよく見えないではないか。ただでさえ、彼女は前髪を長く伸ばして顔を半分隠してしまっているというのに。


 そんな不満を抱いていると、テレーゼの部屋の前まで到着していたらしい。


 さて、ここからどうするべきか。彼女をどうこうするはさておき、犯人の正体や動機については知っておきたい。率直に聞いてもテレーゼは教えてくれないだろうし、やはり少し脅したりした方が従順になってくれるだろうか。


 そうなるとアンネが望んでいる通りになってしまうが、自分にとっても都合がいいように思える。


 どうするべきか迷っていると、テレーゼがおずおずといった様子で自分を見上げてきた。


「すぐに戻るから、ここで待ってて」


「…………」


 部屋の前で待つ、と言ってしまえば、アンネが作ってくれたチャンスを無駄にしてしまうことになる。テレーゼと二人きりになれる瞬間なぞ、この先あるか分からない。どころか、自分達はいつ殺されてもおかしくない状況にあるのだから、いっそ衝動に身を任せてやらかしてしまっても大丈夫な気さえしてしまう。


 テレーゼがドアを開けて部屋の中に入る。


「…………」


 そういえば、テレーゼの部屋は見たことがなかったな。二度とないチャンスだ。そう思い、自分は閉まりかけてたドア引いて、彼女の部屋に押し入った。


 テレーゼは驚いたように目を見開く。けれどもすぐに、


「……勝手に女性の部屋に入るのは失礼よ」


 と、冷静な様子で言い放った。顔色が悪いし、実際はかなり脅えているようだが。


「分かっている。分かっているが……」


 自分はチャンスを逃すほど愚かではないし、そこまで抑制出来る理性も持ち合わせていない。むしろ、十年間何もしてこなかったのだ。


 テレーゼは自分のことをよく知っているのに、自分はテレーゼのことを深く知らない。それは不公平じゃないか。


 左手でテレーゼの肩を掴んで、右手でテレーゼの小さな口を塞ぐ。悲鳴でもあげられたら大変だからな。


「ッ!?」


 少し、力が強かったらしい。テレーゼはぐらっ、とよろけて、その場に仰向けになって倒れ込んでしまった。そんなテレーゼに覆いかぶさるようにして、自分はテレーゼを見下ろす。


「テレーゼ、犯人の正体を知っているそうだな。誰だ、教えてくれないか」


「んんーっ!」


「あ、口を塞いでいては答えられなかったか。悪かったな」


「けほっ……」


 悲鳴をあげられると困るが、口を塞いでいては話にならなかった。当たり前のことなのに、彼女の前では調子が狂ってしまうな。


 咳込むテレーゼも可愛らしい。小さな身体が揺れている。


 そこで、自分は気がついた。テレーゼと、こんな距離でいることは、これが初めてである、と。


 手を伸ばせばすぐ触れられる距離。そういえば、口を塞ぐときに顔にも触れてしまったではないか。手の平には、柔らかな唇の感触も残っている。やはり、無理矢理にでも押し入って正解だったかもしれない。


 自分の視界にはテレーゼと床しか映っていない。それは、逆も然りではなかろうか。テレーゼは今、自分と、天井しか見えていないのでは。そう思うと、何だかたぎるものがあるような気がする。はっちゃけた言い方をすると、二人だけの世界、というやつだろうか。


「やっ、何……?」


 咳も治まった頃、テレーゼは自分を睨みつけながらそう口にした。睨んできているのに、その表情はどこか不安げで弱々しい。身体も震えているし、恐怖の方が勝っているのだろう。


「いや、可愛いな、と」


「……え……?」


 率直な感想を述べると、テレーゼは虚を衝かれたように目を見開いた。久々にじっくりと見たが、こんなに大きくてぱっちりとした目をしていたのか。月明かりのような黄色の瞳も、眩しい美しさがある。


 普段、見えていても右目だけだが、左目も同じなのだろうか、と長い前髪をかき分けて確認する。同じだった。普段隠されている分、輝きが増しているような気がする。顔は真っ青で今にも気を断ってしまいそうな弱々しさがあるが、顔がちゃんと見えていた方が可愛いではないか。


「そういえば昔は顔がまったく見えなかったな。あの男が死んでからは、ずっと俯いていた。こうしてお前の顔をちゃんと見たのは初めてのような気がする」


 テレーゼが息を飲んだ。顔が真っ青だ。まだ怖いらしい。


 警戒心を解くためにも、何か褒め言葉を口にした方がいいのかね。エルマーじゃあるまいし、そういったことは苦手なのだがね……。


「夜空のような美しい髪に、月明かりのような美しい瞳だ。アンネはお前のことを、根暗で陰鬱で愛想笑いの一つも出来ない女だと悪く言うが、とてもそんなふうには見えないのだがね」


「アンネ……アンネに、何か言われたの……?」


「さぁな」


「そうなんでしょう……皆、アンネの事が好きだものね……」


 …………は?


 テレーゼの言葉に、自分は違和感を抱いた。昨日、ワインセラーに向かう途中でも、似たような意味合いのことを口にしていたが……。


「ワインセラーに向かう時、我の言葉を遮ったのも……リーゼとヴィムに知られたくなかったんでしょ……」


 テレーゼ、その言い方ではまるで、自分もアンネのことが好きだと勘違いしているかのようではないか。違う、自分は、お前が屋敷に来たその時から――――


「貴方も、アンネに騙されているのね」


 失望したような、けれども分かっていたかのように、テレーゼは言い放つ。


「……自分は、アンネのことを好いていない」


「……そう」


 納得、してくれたのか? とてもそんなふうには見えない。


 どんな言葉を投げかければ、テレーゼは理解してくれるだろう。どれだけ思考を巡らせても、一向に答えは出てくれない。


 その間にも、テレーゼは自分から距離を取るように床を這って移動する。それまで近くで見られていた彼女が、遠くなってしまった。もっと、身動き一つとれないくらいに強く抑えておくべきだったか、と少しだけ後悔する。


 テレーゼは服の皺を直しながら、そして顔を俯かせながら言った。


「我が犯人の正体を知っている……って、アンネは疑っているみたいだけれど、我は何も知らない。知っていたとしても教えない」


「何故だ。また、館の住人が殺されてしまうかもしれないのだぞ」


 自分も、テレーゼも。この調子では、今日の夜か、明日の朝生きていられるか分からないのに。


 もしも犯人を知っているのであれば、自分達に共有するべきではないのか? 何故テレーゼはそれをしようとしないのか。それとも、自分が犯人だから? だから頑なに隠そうとしているのだろうか。そうだとすれば、犯人を知っているのに口にしないのも頷ける。


 けれどもテレーゼは、自分の意見に同調するつもりはないらしい。それどころか……、


「自分が殺されるかもしれなくて怯えているのでしょう。ルッツのことは簡単に殺したくせに……」


 と、また睨みつけてくる始末。今回は、心の底から軽蔑しているような、思わず息を飲んでしまうようなきつい睨みだった。駄目だ、また誤解されているような気がする。早く訂正しないと。


「……あれは、」


 しかし瞬間、自分の声を遮って、テレーゼは言い切った。


「ヴィムの言う通り……貴方は、いつもそう。一歩引いたところで楽しんでる。卑怯者」


 ……自分が、卑怯者? どこがだ?


「それは、お前も同じだろう」


 テレーゼが怒ることなんて、ルッツ絡みのことだろう。昨日ワインセラーに向かう道中でも、リーゼとヴィムにルッツの存在を仄めかすような発言をしていた。


 テレーゼが自分に、軽蔑しているかのような視線を向けてくるのは、十年前にルッツに行った仕打ちに関して不快感を抱いているからだろう。たしかに、好きな人を目の前で痛めつけられては、仕方ないかもしれないが。だからといって、そんなに睨まなくても。


 あれは、お前という存在がありながらアンネと結婚したルッツが悪いのだから。アンネに、エルマーに、ジギスに、そして自分に。痛めつけられたのも自業自得だろうに。


 テレーゼだって、アンネに命令されてルッツを傷付けたこともあるのに。どうして、そこまで怒っているのだろうか。


「お前は、虐げられることを極度に恐れていた。だから、アンネ達にやれと言われた時、反抗せずルッツに手をあげた」


「それ、は……我だって、やりたくてやったわけじゃ……」


「それは言い訳だろう。被害者ヅラするな」


「……………………」


 テレーゼは、項垂れてしまった。小さな拳を握り締めながら、肩を震わせている。


「じゃあ、どうするのが正解だった……?」


 そして、問いかける。


「ヨハンネスに、我の気持ちなんて分かるはずない……」


 そして、項垂れたままそう言った。まるで、突き放されたかのような気持ちだった。

 自分とテレーゼの間に、見えない壁が生まれてしまったかのようだ。


「出ていって……アンネに何を言われたか分からないけれど、我は犯人のことなんて何も知らない」


「…………」


 駄目だ、このままではまた距離が生まれてしまう。これ以上、彼女から突き放される事態は避けたい。


 彼女の傍にいたい。


 なら、テレーゼにとって、自分は無害な存在だと理解してもらわなくては。

 アンネの言う通りにすれば、テレーゼと触れ合うことは出来るだろう。だが、それでは、アンネの言いなりになっているとテレーゼに誤解されてしまう。自分の好きな人がアンネだと誤解されてしまう。


 ならば、方法は一つしかないではないか。


「では、話題を変えようか」


 そう口火を切って、テレーゼの意識を引き戻す。


 そうだ、自分はテレーゼのために行動したいのだ。ならば、アンネを切り捨ててしまえばいい。簡単な話ではないか。


「自分はアンネに、テレーゼを襲うなりして口を割らせろ、と言われている」


「なっ!?」


 先程アンネから告げられた言葉をそのまま口にすると、テレーゼの顔がかぁっ、と赤く染まった。そんな表情も出来るのか、と感心していると、テレーゼはそそくさとベッドの後ろに隠れてしまう。


「や、やだっ!」


「うむ、襲うつもりはない……だが、自分はお前のことを好いている。ゆえに、その……アンネの提案もやぶさかではないのだが……」


「な、何言ってるの!? 照れながら言うことじゃないしっ! 我は嫌だもん! 我は、我は……」


「まだ、ルッツのことが好きなのだろう」


「…………」


 自分の指摘に、テレーゼは顔を赤くさせたまま俯いてしまった。

 

 ……本当に、ルッツが羨ましい。憎い。

 テレーゼにこんな顔をさせるあの男が。もう死んだのに、もう触れ合うことすら出来ないくせに、どうしてテレーゼの心の中にい続けるのか、理解出来ない。


 まぁ、テレーゼが「それでいい」のであれば、それでいいのかもしれないが。


「ルッツが好きだということはアンネにも知られているし、マリウスにも言ったようだな」


 今朝、そんな会話をたまたま耳にしてしまった。図星らしく、テレーゼは俯いたまま否定しようともしない。


「それから、エルマーにも知られていた。ルッツが死んでしばらくだったか……『ルッツだと思っていい』だとか言われて一夜を共にしていた、と記憶している」


「なっ、何でそれ……」


 けれどもこの指摘には、テレーゼはぱっと顔を上げて反応した。そしてすぐさま、さらに顔を赤くさせながら否定する。


「あ、ち、違っ……! 知らない、そんなの知らないっ!」


「あぁ、そうだったな。一夜ではなかったな。少なくとも、自分が把握しているだけで三回は」


「し、してない! してないっ、違うもん! 適当なこと言わないで!」


「別に、責めているつもりではない。どうせ、誘ったのはエルマーの方だろうしな」


 それも、知っている。それに、テレーゼの方からそんな頼みをするはずがないからな。


「一度、酒の席で愚痴られたことがある。アンネの嬌声がわざとらしくて萎える、とな。その点、お前は反応が初々しくていじめがいがある、とも」


「なっ……ぅぁ……」


「キスをさせてくれないのはウザい、とも言っていたぞ」


 エルマーは「テレーゼの方から求められることもたびたびある」と言っていたが、そうだとしても羨ましいし憎く感じる。エルマーは、自分がテレーゼのことを好いているとは知らなかったようだが、だとしても当事者でない自分に言うことか?


「そ、それは……い、ゃ……違う……ちがうし……エルマーとの間に、何もないし……」


「真実を知っている自分に誤魔化す必要はないと思うのだが……。まぁいい」


 テレーゼは、何故事実を否定し続けるのだろうか。理解出来ない。

 とはいえ、このままでは埒が明かない。顔を赤くさせて首をぶんぶんと振るテレーゼも可愛らしいが、早くしないと人が来てしまうかもしれないからな。


「だが、あの口振りからして、アンネはそのことを知らないようだな。というか、知っていたら今頃お前はこの世にいないだろう」


「……………………」


 それまで否定し続けていたテレーゼだったが、ふと動きを止めてしまった。

 まるで、もう諦めてしまったかのように。そして、ぽつりと呟くように言った。


「どうかしてたんだと思う……大好きだったルッツをとられて……許せなくて……」


 テレーゼは、ルッツのことを好いていた。ルッツのことを見つめる彼女が、一番魅力的に見えたくらいに、輝かしい笑顔をしていたと記憶している。


 が、アンネはそんなテレーゼのことが気に喰わなかったらしい。横取りするかのようにルッツに言い寄り、交際し、数か月後には結婚していた。テレーゼも二人を祝福していたが、その表情はどこか暗いものだった。


 だがその一年後。アンネが涙ながらに訴えてきたのだ。


「ルッツからの精神的支配、暴力に困っている」と。


 クズの所業だ、と思った。

 自分からテレーゼを奪い。アンネと結婚したのに、暴力沙汰で離婚?


 テレーゼがどんな思いをしたか、ルッツは理解していなかった。それならば最初から、テレーゼを選んでいれば。テレーゼは幸せになれたのに。


 あんな男、死んで当然だったのだ。


 テレーゼが気に病む必要はないはずだ。それなのに何故、そんな悲しそうな顔をするんだ?


「最低なことをしてたって分かってる。分かってるけど……ルッツが死んで……どうしたらいいか分からなくて……」


 そうだ、ルッツが悪いんだ。テレーゼは悪くない、お前が悲しむ必要は――――


「アンネに復讐したい気持ちもあった……大好きな人を取られる気持ちを、あの女に味わわせてやろう、って……」


 …………ない、と言えるのだろうか。


 アンネに復讐したいというのなら、そうすればいいのではないだろうか。テレーゼが望むなら……けれどもそれは、ルッツを死に追いやった自分達と同じではないのか?


 テレーゼに、自分達と同じ存在になってほしいとは、思わない。


「…………アンネに言うの?」


 じっ、とテレーゼが目を細める。


「言うつもりはない。アンネの味方か、お前の味方か、どちらかを取れと言われたら、お前の味方になりたいと思っている」


「その代わり、見返りを求める、と……?」


「別にいらない」


 自分が即答すると、テレーゼは驚いたように目を見開いた。けれどもすぐに表情を引き締めて、


「……信用出来ない……」


 と言う。

 ふむ、信用出来ない、と言われるのもなかなか堪えるな……。


 ここは、それらしい見返りを提示して、少しでも信用を得た方が好ましいだろうか。テレーゼの傍にいても無害な存在だと理解してもらうには、大きすぎず、小さすぎない見返りを……。


「では、手の甲にキスをしてほしい」


「……まぁ、それくらいなら……」


 左手を差し出すと、テレーゼはおそるおそる自分の手を取った。白くて、細くて、小さな手だ。ゆっくりと唇を寄せて、目を閉じるテレーゼを、自分は息を潜めて見つめる。


 ふゆっ、と柔らかな感触が手の甲に伝わった。熱い吐息がかかって、ぞくりと震えたような気がする。


 終えるなり、テレーゼはぱっと手を放してしまった。もう少し触れられていたかったのだが、仕方ない。


「ふむ。これで、自分とお前は協力関係だな。さて、アンネへの報告はどうしたものか……」


 どうもアンネは、自分がテレーゼを襲って傷付けるはずだ、と確信しているような素振りがあった。きっとこの後ダイニングに戻ったら、すぐにでも結果を聞いてくるだろう。その時、「何もしなかった」と答えては、アンネは怒るに違いない。最悪の場合、アンネが直々にテレーゼに手をあげるかもしれない。


 自分は嘘をつくことが苦手だ。どうしたものか、悩んでも悩んでもいい案は浮かんでこない。息をするように嘘をつけるアンネが羨ましいものだ。


「……その、嘘をつくのはどうだろうか……」


 ふと、テレーゼが口にする。


「アンネは多分、我とマリウスが動くことを恐れている。だから……我が動けなくなるような理由を作りたかったのだと、思う……」


「……なるほど。アンネはテレーゼのことを処女だと思っていたようだし、死んだルッツに想いを馳せるお前を寝取って、絶望の縁へ追いやろうとしたわけか」


 そう考えると、辻褄が合うではないか。頷く自分の向かいで、テレーゼは顔を青くさせていた。


「よし、アンネには画策が上手くいったように伝えよう。お前はショックを受けたフリをしつつ、水面下で調査を進める、ということでいいか?」


「……うん」


「もう一度聞く。犯人のことは、本当に何も知らないんだな」


「……知らない。でも、ヴィムは犯人じゃない。ドーリスも……エルマーを襲った、ってわけではないと思う……」


 犯人のことは分からないのに、どうしてヴィムは犯人ではないと分かるのだろうか。占いの力だろうか、自分は占いの類を信じていないが、テレーゼがそう言うのであれば信じる他ない。


 だがふと、自分の中で何かが繋がったような音がした。


「……血のついたバケツに付着していたエルマーのシャツ……」


 ドーリスに直接襲わせたのなら、バケツが汚れている理由も、内側にエルマーの着ていたシャツの切れ端が見つかった理由に説明がつかない。ドーリスに襲われたわけではないのだとすれば……。


「刃物か何かでエルマーの腹部を抉り、それをドーリスに喰わせた、ということか」


 頭の中で繋がったことを口にすると、テレーゼは静かに首を縦に振った。


「それが、一番……辻褄が合うような気がする……」


「ふむ……それなら、エルマーの腕や脚に傷跡がなかったことにも説明がつく。凶器は何だと思う」


「……そこまでは分からない……」


「そうか。分かった」


 とはいえ、大きな進歩ではないだろうか。自分の推理が正しければ、ヴィムは犯人の候補から外れる。第一、ジギスが殺された時にはアリバイがあったのだから。連続殺人として成り立たないではないか。


 ……まぁ、明日にでも共有すればいいか。


「では、先にダイニングへ戻っている。少ししてから来い」


「分かった……」


「それからなんだが……お前がまだルッツのことを好いていようと、自分の気持ちは変わらない」


「…………」


 テレーゼは、唇を結んで俯いてしまう。けれども、確かに見たのだ。微かに、彼女の頬が赤くなっていたのを。


「……ごめん、応えられない……」


 期待はしていなかった。自分は、ルッツに想いを寄せるテレーゼに惚れたのだから。


「そうか」


 短く返事をしてから、自分はテレーゼの部屋を後にした。


 テレーゼの部屋から離れてから、自分はふと立ち止まる。そして先程、テレーゼにキスをしてもらった左手の甲に視線を落とした。


「…………」


 そっと、手の甲を唇に寄せる。先程、テレーゼの唇が触れたところに。




 ――――瞬間、後頭部に感じたことのない衝撃が訪れた。




――――――――


  ヨハンネス・ライヒェンベルガー(Johannes Reichenberger)

 身長:180㎝  一人称:自分  年齢:35歳


 アメルジスト出身。内乱に巻き込まれ隣国の宗教国家クリスタリアに難民として移住し、そこで神父見習いをとして暮らしていた。その後、教えを広めるというていでペリドレットへ移住してきた。最初は一人暮らしをしていたが、料理が上手くなかったのでルームシェアという選択をとった。現在は上達し、人並みには出来るようになっている。

 圧倒的に口下手。誤解を招く発言を多々するが、彼の中では筋が通っているつもり。



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