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第九話 発覚④

 《sideリーゼロッテ》


 膝の上に、ヴィムの分の食事セットをのせて、わたしは廊下を車椅子で移動していた。アンネが皆の分の配膳をしてくれているから、わたしがヴィムの元へ届けることにしたのだけれど。一人は少し不安だな、なんて感じてしまう。


 早くヴィムの元へ行こう、と車椅子の速度を速めた。


 ヴィムの部屋の前に立って、ドアノブに鍵を差し込んで開ける。


 ……おっと、挨拶もなしに開けるのは失礼だ。ドアノブから手を放して、改めてドアをノックする。


「ヴィム、朝食を持って来たよ」


「その声……リーゼッスか?」


「そう、リーゼロッテさ。失礼するよ」


 そして、ドアを開ける。ヴィムは暗い顔をしていた。想像通りといえば想像通りだけれども、見ていて痛ましい。こちらまで胸が痛くなる。


「……浮かない顔だね。気持ちは分かるけれどもね」


「…………」


 ヴィムと向かい合うようにして車椅子を止めて、持って来ていた朝食をベッドの横に置かれているテーブルの上に置く。食欲がないのか、ヴィムは見向きもしなかった。


 このまま去るのも心が痛む。ヴィムのためにも、何か明るい話題を提供するべきだろうか。とはいえ、昨日自覚したけれども、わたしには場を盛り上げる才能がないらしいからね。無難に、ヴィムの話を聞く側に回るべきだろう。


「ねぇ、ヴィム。わたしと話をしようか」


「話……?」


「そう。何でもいい、気晴らしをしようじゃないか」


「……でも、リーゼはオレのことを疑ってるんスよね……?」


 じっ、とヴィムが目を細めた。


 ……ふむ、疑心暗鬼に陥るのも無理はない。だって、二日連続でルームシェアをしていた、友人のような、家族のような存在の人達が殺されたのだから。わたしだって、胸が痛いとも。


「わたしはあくまで公正に判断したいと思っているから、あの場ではわたしの考察を口にしただけさ。君が無罪……つまり、ドーリスが犯人じゃない、という可能性も考えているよ」


 人じゃなかったね、と言ってから気付いたので補足しておく。すると、ヴィムは「そうッスね」と笑ってくれた。笑えるということは、まだ大丈夫そうだ。わたしがここにいられる時間は限られているが、少しでも彼の気持ちを楽にさせてあげなくてはね。


 そう思った、矢先のことだった。


 部屋のドアがノックされ、挨拶もせず、返事もないのに部屋に入ってきた男がいた。


「ヴィム、自分だ」


 入ってから言った。順序が逆なのに、悪びれる様子もないのはヨハンネスだ。この館へ来た頃は「それはどうなんだろう」と思ったものだが、今となってはすっかり慣れてしまったね。


「おや、ヨハンネスじゃないか。何かあったのかい?」


「至急確認したいことがある。ヴィム、自分と一緒に来てもらおうか」


「…………」


 ヨハンネスが告げる。何やら不穏な空気だ。何かあったらしい。


 ヨハンネスとヴィムが厩舎に向かうらしいので、わたしもアンネに旨を伝えてついて行くことにする。道中、すれ違ったテレーゼにも伝えておいた。二人も、所用が済んだら行く、とのことだった。


 先に厩舎に到着したわたし達は、ドーリスにあれやこれやと話しかけていたマリウスから説明を受ける。


 いわく、ドーリスが餌を食べないらしい。わたしも、ここへはあまり来ないけれど、ヴィムの反応を見る限り珍しいことのようだ。隻眼の目を開いて驚きを露わにしていた。


「ドーリス、口を開けろ」


 ヴィムが呼びかけると、ドーリスが口を開けた。その後ろでヨハンネスが「おぉ、言うことを聞いたぞ」と感心していたが、反してヴィムの顔は曇っていくばかりだ。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……あの、本当に、何も食べさせてないんスよね……?」


「え、うん。というか、食べてくれなかったんだけど……」


 ヴィムの問いに、マリウスが答える。けれどもその返答に満足していないのか、ヴィムは暗い表情のまま俯いている。


「ヴィム……?」


「オレは昨日、ドーリスに餌をやった後、歯の手入れをやったッス。それなのに、ドーリスの口の中が汚れてるんスよ……」


 ヴィムのその言葉に、わたし達は言葉を失った。


 現在、エルマーの腹部の傷口はドーリスの歯型に近しいとされている。それを否定する声もあるが、掃除したはずのドーリスの口の中が汚れているとなれば、それは正解を口にしてしまったも同然ではないだろうか。ヴィムも、マリウスもヨハンネスも、それを察してしまったのだろう。


「そん、な……でも、数は減ってなかったし……でも、でもそんなのって……」


「……誰だよ……誰がやったんだよ!!」


 ヴィムが怒りで顔を赤くさせながら、握り締めた拳を壁に叩きつけた。狭い厩舎内にヴィムの声が反響して、耳の奥がきん、と痛くなる。


 とはいえ、ここで騒いでしまってはドーリスが驚いてしまうだろう。動物は思っているよりも繊細だ、と誰かが言っていた。ヴィムのためにも、一旦落ち着かせないと。


「落ち着きたまえ。マリウスのように、誰かが先んじて餌をやりに来たのかもしれない。そう、アンネやテレーゼだっているじゃないか」


「残念ながら、アタシ達じゃないわ」


「…………」


 ヴィムを落ち着けようと可能性も提示するも、それはすぐさま否定されてしまった。所用を終えてやって来たらしいアンネとテレーゼが、厩舎の入口のところに立っていた。

 アンネは腕を組みながら、ヴィムに視線を向ける。


「アタシが厩舎に滅多に来ない、ってヴィムなら知っているでしょう?」


「我も……」


 アンネは動物が苦手と言っていたし、それもそうか、と納得する。

 テレーゼはここに、というか館内でもあまり見かけないので、当然と言えば当然だ。


「それこそ、ドーリスの面倒を見ていたのはヴィムとマリウスじゃない。二人に分からないことは、アタシ達にも分からないわ」


「ッ……」


 アンネの言葉に、マリウスが小さく息を飲む。たしかに、今の物言いではヴィムとマリウスが怪しいと言っているようなものだ。彼女も相当焦っているらしい。けれども冷静に、アンネは調査をする気概らしい。


「マリウス、奥の部屋を案内して。よく、調べたいの」


「……分かった」


 マリウスと一緒に、奥の部屋へ行くようだ。


「わたしもついて行っていいかい?」


「目は多いほうがいいもの。勿論よ」


 よし、何か力になれそうだ。

 厩舎に来ることも滅多にないが、奥の部屋に至っては入ったことがない。いわく、ドーリスの餌が保管してあるらしいが、中がどのようになっているのか、今日見るのが初めてだった。


 車椅子を押して、奥の部屋の中に入る。


 小さな部屋だった。日付が書かれたメモが張りつけられた棚が並んでいるが、それ以外に特別何かがあるわけではない。わたしはアンネの後ろについて、部屋の中をくるりと見渡す。何か、特別怪しいものはないと思うのだけれど。


 それこそ、凶器でも出てきてくれればいいのに。そんな考えさえ浮かんできてしまう。人の肉を抉ることが出来るような代物が、都合よく存在するとは思わないけれどもね。


 と、アンネが何かに気がついたかのように反応した。そして、足元に置かれていたバケツを手に取って首を傾げる。


「マリウス、この汚れたバケツは?」


「それは……いつも餌を入れる時に使っているんだ。いつもなら洗ってあるんだけど、汚れていたから別の物を使ったんだ」


「…………」


 アンネの手元にあるバケツの中身を覗き込んでみる。たしかに、赤黒い液体がべっとりとこべりついていて、きつい鉄の臭いがした。


 いつもなら洗ってあるのに、放置されたバケツ。見たところ、血もまだ乾いていない部分があるようだ。確認するべく、わたしはバケツの中へと手を突っ込んだ。


「リ、リーゼ!?」


「洗えば大丈夫さ」


 ぎょっ、とアンネが目を剥くが、気にしている場合ではない。べとっ、と指先に不快な感触が訪れるが、それを我慢して指を滑らせていくと、バケツでもない、血でもない、新たな感触が指先に訪れたのだ。


 布地のようだ。それをつまみ上げてアンネとマリウスに見せると、二人は小さく息を飲んだ。わたし同様、気がついてしまったらしい。


「公正に判断した結果、よくない可能性が浮かび上がってきたね……」


「……ともかく、皆にも意見を仰いでみましょうか」


 アンネの提案を受けて、わたし達は一旦部屋を後にする。手が汚れてしまったので、車椅子はマリウスが押してくれたよ。助かった、あとで洗いに行かないとね。


 厩舎のほうで待っていたヴィム、テレーゼ、ヨハンネスに、手にしていた血塗れの布切れを見せる。


「皆、これに見覚えはないかい?」


 問いかけると、テレーゼの顔色がさっと悪くなった。どうやら、気がついたようだ。


「それは……?」


「エルマーの着ていたシャツの柄と同じさ」


「ッ!?」


 まさか、とヴィムが顔を青くさせる。残念ながら、嘘ではない。

 血で汚れているが、模様が一致すると確認出来る部分は残っている。洗えばもっと分かりやすくなるだろうが、アンネ達もすぐに気付いたくらいだ。


 まぁ、エルマーの着ていたシャツって、独特なものが多かったからね。裾にだけ模様があるとか、ストライプ柄と水玉模様が半々になっているものとか。アンネに「せめて部屋着にしてちょうだい」と言われてから、そういうのを着ているのは見なくなっていたけれども。


 それはそれとして、エルマーのシャツの切れ端が見つかった、というのは事件解決への一歩に近付いたとも言える。同時に、ヴィムが一番望んでいない結果になった、ともね。


 エルマーの腹部は、半分ほど持っていかれているようだった。バケツの中にはエルマーが着ていたシャツの切れ端があったが、腹部の肉はなかった。加えて、ドーリスは餌を食べず、どころか何かを食べた形跡がある。


 これ、もう確定しているんじゃないか……?


 わたしだけでなく、この場にいる誰もがその考察に辿り着いたようだ。

 最初に沈黙を破ったのはヨハンネスだった。


「ドーリスが餌を喰わない理由は、本当に腹がいっぱいだったからのようだな。はっ、意外にも小食なんじゃないか」


「ヨハンネス!!」


 流石に、冗談がへたくそだ。……冗談なのか? まさか、本当にそう思っているのだろうか。マリウスの制止の声も聞かずに、ヨハンネスは続ける。


「だって、そうとしか言いようがないじゃないか。ドーリスはエルマーを喰った。確定したも同然じゃないか?」


「ざけんな……ふざけるな!! 犯人はこの中にいるんだろ!? 早く名乗り出ろよ! 誰なんスか、オレに罪を着せようとしたのは!!」


 ヴィムが声を荒げた。これは、ヨハンネスの言い方が悪かったな。

 ドーリスはヴィムにとって、家族のような存在だと言っていた。自分の知らないところで、人を喰わせていたとなれば、驚き、怒るのも当然だろう。


 ヴィムは激昂した様子のまま、キッ、とアンネを睨みつけた。


「アンネッスか!? アンネ、ずっとドーリスを飼うこと反対してたよな!?」


「やだ、やめてよね。確かにアタシは反対していたけれど、それはドーリスが想像以上に大きくて怖かっただけよ。ちゃんと安全だ、って説明してくれたし、最終的には許可したじゃない」


「「…………」」


 アンネの返答に、マリウスとテレーゼが顔を歪めたような気がした。何か、おかしなところでもあったのだろうか。特に不審な点は感じられなかったけれども……。


「じゃあ誰なんスか!?」


「いや、普通に考えてお前だろう」


「は!? 何でオレが疑われるんスか? オレは誰よりもドーリスを大事に思ってるんスよ。家族みたいな存在のコイツに、人殺しをさせると思ってるんスか!? いい加減にしろよこのクソ神父がっ!!」


「ヴィム、落ち着いて!」


「落ち着いていられるか!!」


 ヨハンネスに掴みかかろうとするヴィムを、マリウスが羽交い絞めにして止める。マリウスは小柄なのに力が強いんだな、とどこか無感情に状況を見守っていると、ヴィムは彼の拘束を振り払ってしまった。


 そして、ヨハンネスの胸倉を掴み上げて怒鳴る。


「テメェは、この状況を楽しんでんだろ!! 自分は関係ない、ってツラして、一歩下がったところから見てるだけ! 本当は、お前が犯人なんじゃないッスか!?」


「見苦しいぞ、お前」


 凄まじい剣幕で責め立てられても、ヨハンネスは顔色一つ変えない。それどころか、「自分には関係ない」といったふうですらある。ヴィムの手を払って、皺が寄ってしまったカソックを直している。


「喚くだけなら馬鹿にでも出来る。今、この場で一番疑わしいのはお前だぞ」


「まぁ、そうなるわよね……。だって、ドーリスに指示を出せるのってヴィムだけだもの」


 ヨハンネスの意見に同調するかのように、アンネが口にする。それに即座に反論――――もとい別の可能性を提示したのはマリウスだった。


「べ、別の凶器が使われた可能性がある!」


「マリウス……!」


 テレーゼが「やめろ」と言わんばかりに声を張るが、マリウスはお構いなしに続ける。その考察は、わたしにとっても興味深いものだった。


「エルマーの後頭部の傷、殴られた痕があったよね。後ろから忍び寄って――――」


 けれども、マリウスの考察の続きは語られなかった。遮るように、アンネがぴしゃりと言い放ったからだ。


「マリウス、今重要なのはそこじゃないのよ。凶器とか、エルマーの殺され方とか、そんな(・・・)もの(・・)は後回しよ。今重要なのは、ドーリスが人を喰ったのか喰ってないのか。ヴィムが犯人か犯人じゃないか、なのよ」


「ヴィムは犯人じゃないよ! 決めつけないで!」


「そう、なら証拠を出して。皆を納得させるような、証拠を出しなさいって言ってるのよ!」


「こほんっ」


 そろそろ止めないと。

 大きめに、わざとらしい咳払いをすると、それまで口論していた四人がぴたりと止まった。


「もう一度言う、落ち着きたまえ。そして、わたしの意見を聞いてほしい」


 そう前置きしてから、わたしは一転して静まり返った空気の中続ける。


「やはり、ヴィムには部屋にいてもらおう。その間、ドーリスの世話はマリウスに任せたいと思う。その際、必ず誰かが付き添うこと。たとえ人の味を覚えたと仮定しても、檻に鍵さえかかっていれば大丈夫だろう。散歩をさせてやれないのは残念だが、どうかそこは妥協してほしい」


「…………」


 心のどこかでは、納得していないだろう。ヴィムは返事をしなかったが、ヨハンネスを相手にしていた時のように掴みかかってくることはなかった。


「立て続けに人が死んで、恐怖も感じているだろうし、焦りもあることはわたしも一緒だ。だが、誰かを簡単に殺せる、と考えるのはよくない。人間相手でも、ドーリスのような獣相手でもだ。命は一人一つしかないんだ。自分の分も、他人の分も、大切に扱わなくてはいけない」


「……そうね、少し、焦りすぎていたかもしれないわ」


 アンネが、反省したかのようにそう述べる。


「いいわ。リーゼの案に賛成」


「自分もだ」


「我も……」


「……ボクも。それが一番、いいと思う……」


「……今朝言った通りッス。疑いが晴れるなら言う通りにするッスよ」


 上がっていた熱が冷めたのか、皆、わたしの意見に賛同してくれた。内心、納得していない人もいるみたいだけれど……そこは仕方ない。何はともあれ、穏やかに終わりそうでよかった。わたしはそう思うことにして、口の端を持ち上げた。


「うん。皆、落ち着いてくれたようで何よりだ。それじゃあ、一旦ここを出ようか」


 厩舎に鍵をかけてから、わたし達は館に戻る。先程同様にヴィムを部屋に入れて、外から鍵をかけて。数時間おきに様子を見に来るつもりだ。


 わたし達はダイニングに集まって、すっかり冷めてしまった朝食をとることにする。わたしを含めて、皆食欲はなかったけれども。


 縋るように、窓の外へと視線を向ける。雨の勢いが、少しだけ弱くなっているような気がした。


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