支倉瑞月 Ⅰ
学生時代で化粧を覚え始める年頃でも、化粧を用いずに秀でた女子生徒はいる。支倉瑞月はその点で、校内で名が知られていた。腰ほどまである黒髪が目立つが、化粧の必要がない眉目秀麗さ。季節ごとの花を常に携えているような美しさであり、誰もが目を引かれるのは当然だった。
だが容姿端麗な点だけでは、校内で誰も名前を知らないという存在にはなり得ない。その言動に原因があった。容姿に惹かれた男子生徒は、度胸試しも込みだが愛の告白をしてくる。それを全て断り、「お友達で留めておいて」というトドメ。そうかと思えば、学内はおろかシオンの学生で最も頭脳明晰であるという示しである、シオン国内模試で一位を獲得している。だというのに、授業に出席してはひたすら眠っていたり、呆然と窓の外を眺める不真面目っぷり。
容姿端麗、頭脳明晰、などという創作の登場人物のような生き様を行っている彼女が、名を知られないわけはなかった。学校での表彰で必ず登壇していることや、諸々の要素もあって彼女は全校生徒に知られることとなった。
一方で、男子生徒にも有名な人間はいる。それが緋海ユウだ。世界最年少で魔導警ら隊の小隊長を務め、クールな態度と目鼻立ちの整った顔にすらっとしたスタイル。容姿とキャリアが秀でている者は、年齢関係なしに目を引くものである。だが、それだけで終わらないのが緋海ユウという人間だった。
彼が笑顔を見せるのは、同じ孤児院で過ごしてきた白妙七嘉という背の小さめな男子生徒。それ以外にはひどくぶっきらぼうな対応をする、というのがひどく話題になっていた。
男女の有名な生徒が交わることがない、というのが不思議だなと思う生徒が多かったのだが、そこにある交差点が一つ。白妙七嘉という平凡な男子生徒の存在だった。
入学してから話題を集めていた支倉瑞月は、その三年間で今まで交流のなかった存在である白妙七嘉という生徒を見かけると、たとえ愛の告白であったとしてもそれを切り捨てて駆け寄っていくほど。支倉は白妙に男女の関係を求めている、なんて話が目立っていた。何故接点のなかった白妙に、支倉が執心しているのか周囲は首を傾げるばかりであった。
「よっ白妙くん」
珍しく朝から出動しなければならなくなった緋海がいないため、白妙は一人で登校することとなった。待ち構えていたかのように、登校途中の道に現れた美少女は、挨拶よりも先に声をかけてくる。
「今日は一人なんだね」
白妙七嘉は決して女子に興味がないわけではないが、自身の意図せぬ形でやってくる相手には少しむっとしてしまう。
「……いいだろ別に」
白妙は、支倉を特に意識してはいなかった。むしろ自分のリズムを崩してくる相手なので、嫌いというか苦手な部類の人間に当てはまるため、意識をしないようにしていた、が正しいだろう。
「白妙くんは塩対応くんだなぁ」
くだらないことを言ってくるところが、また彼を逆撫でしてくるのだ。
そもそも男という生き物は、美人という生き物が苦手なのだ。容姿が秀でていると、自身の容姿に疎みがあったり別段興味がない人間はそもそも怯んでしまう。だが白妙に関しては、怯むというより関わることを拒絶していた。入学してからならまだしも、三年に上がってから急に関わってきた他クラスの人間を警戒しないというのが無理な話だ。
「何で俺に絡んでくるんだよ。他にいくらでもいるだろ」
正直なところ、鬱陶しいというのが彼女への感想だった。彼の心情を知らない人間からすると、非常に贅沢な悩みだと怒りかねない。それを加味する必要もなく、白妙にとって支倉という女子生徒は対応に困る相手だった。
「だって、君は告白してこないじゃない?」
「お前には興味ないからな」
ぶっきらぼうに告げたというのに、支倉は嬉しそうな笑みを浮かべる。それが不思議に思えて、邪険に扱えなくなってしまう。
「いいね、それ。息苦しくなくてすごく楽だよ」
「勝手に楽になるなよ。ちゃんと許可取ってくれ」
こうやって絡まれて半年近くともなると、冗談を返す余裕まで出てきてしまう。この様子だけを見ている第三者からすると、こんなやりとりでさえ仲睦まじく思えてしまうのだろう。そんなことを考える間柄ではないから、白妙にとって支倉はノイズにしかなり得なかった。
「いい加減私に優しくしてくれてもいいと思うんだけどなぁ」
自身のことを分からないほど、支倉は盲目に徹しきれなかった。自身の容姿を理解しているからこそ、その自信を持って白妙に近付いていた。だが、半年が経過しても彼はピリピリと警戒心を尖らせている。冗談を言ってくれるようにはなったが、直接話してくれているからこそ自分を見てくれていないことは分かる。寂しさはあるが、今までのように自分に対して向けてくる好意がないため、先程口にしたことが彼女の本心だった。
とはいえ、それとこれとは話は別だ。自分の容姿に自信があるのであれば、それになびかない異性がいるとどうにかしてでも意識をこちらに向けさせたいという意地が生まれる。意外と自分が負けず嫌いなのだと、白妙のおかげで気付かされたが、そうなってアプローチをかけていくとどうなるかは明らかだろう。
「瑞月って、二組の白妙くんのこと好きなの?」
しびれを切らしたクラスメイトの女子生徒が、昼食中に支倉へ切り込んだ。プチトマトを口に入れたばかりの支倉は、その大きな目を不思議そうに何度も瞬きさせて、数回の咀嚼と嚥下を挟んでから笑い出した。
「いやいやいや。ない、絶対ないよ。第一、白妙くんが私に興味ないし」
校内で一番持て囃されていると言っても過言ではない異性に、興味がないと断言されるほどの対応をしている人間がいる。その情報でクラスだけでも話題になるというのに、当の本人がそれを笑い飛ばしてかつ楽しそうにしている矛盾を見ると、何が彼女をそこまで彼に執着させるのか不思議でならない。
小さなお弁当の中身を食べ終えると、いそいそと片付けて慌ただしく教室を飛び出していく。年齢に不釣り合いなほどの綺麗な容姿に、年齢相応の言動。そこに恋愛経験の少なさが加わると、こうも無邪気さが勝るのだとクラスメイトたちは驚くばかり。
「よっ」
中庭のベンチに座る白妙をすぐに見つけた支倉は、いつものように軽薄な挨拶をする。カレーパンを頬張っていた彼が露骨にむっとした。
「ねぇねぇ何食べてるの?」
不快感を露わにしながらも、空いている方の手でパッケージを指差す。わざわざ見やすいように位置を変えてまでやるのは、彼の元々の優しさのせいか。
「美味しい?」
食事の邪魔をされて鬱陶しいと思っているのに、仕方なく頷いている。
優しさの滲む白妙の対応が気に入っているため、支倉は満足そうに笑う。食べ終わるまで隣に陣取って眺めていると、どうして離れないのかと訴える視線が刺さる。その視線に自分の視線を合わせていくが、さらに彼の不満を募らせるばかりだった。視線を合わせるだけで大概の男子生徒は面白い反応をするのに、彼だけはその例外を見せてくる。
自分が彼を好ましく思っていると言われると曖昧にイエスだが、彼が自分を好ましく思っているかと言われるとノーと断言できる。それほどまでに露骨な反応なのに、どうしてもちょっかいを出さずにはいられない。彼に近付く理由はあれど、個人的に面白いという理由が一番になってしまったので本来の目的がどうでもよくなり始めていた。
「支倉、暇なの?」
ここ最近、ようやく白妙が思い至った彼女の状況について尋ねる。彼から話しかけてくるという稀有な状況に笑みがこぼれそうになるが、どうにか堪えてみせる。
「暇だったら、相手してくれるの?」
あざとく見せることは彼に対しては全く効果がないということを分かっているのに、どうしてもそんな聞き方をしてしまう。弄びたい、というよりは彼の嫌そうな反応が見たいだけ。男の子が好きな女の子にちょっかいを出し過ぎて、その子を泣かせてしまう、その境界を探しているようなものだ。
「ちゃんと暇って言えば、話し相手ぐらいは」
意外な反応が返ってきて、次の言葉を飲み込んでしまった。
押してダメなら引いてみろ、とはよく言うが、押されたらどうすればいいのかは聞いたことがない。やり取りで自分が押していけば、相手もこちらへ来るというのが今までの自然だった。それを彼は引いていたのに、一歩とも半歩ともつかないような弱い押しでさえも、ここまでグッと来るとは思っていなかった。
なるほど、意外と自分は飴と鞭に弱いらしい。これはこれで、なかなかの収穫ではないだろうか。