ある日常 Ⅳ
緋海が宿舎へ帰り、片付けも終えて自身の部屋でもうすぐ眠ろうとする頃。携帯電話が震えて、着信を知らせる。名前の表示がないことを見ると、大きく息を吐いて通話を取る。
「……何ですか?」
緋海を含めた食事が久しぶりだったため、とてもいい気分で眠れそうだったというのに、水を差されて不満げな声で応答する。
『随分冷たいなぁ。君と私の仲だろう?』
芝居がかった女の声に、深い溜め息で返す。それを聞いて何故か嬉しそうに笑う女に、白妙は呆れて口を噤んでしまう。
『まだ彼女は起きないよ』
さっきの物言いから一転。彼女の方が呆れたような声で話す。その呆れの矛先は白妙にではなく、今しがた口にした「彼女」に対するもののようだ。
『きみのお姫様、ずいぶんと寝坊が上手みたいだね』
「あいつが勝手に寝てるだけ。俺を巻き込まなければもっと良かったんだけど」
不快感を露骨に漏らす白妙は、自身がこの状況に置かれてしまった出来事を思い出して歯噛みする。あれがなければ白妙は今もそんな世界を知らずに暮らしていただろうし、緋海に隠し事をする後ろめたさもなくいられただろう。だがそれはもう結果論にしかならず、大人しく受け入れるしかない。
『さて、きみはどうやって取り返しに来るのかな?』
彼女はそう言うと、何かを叩いてみせる。大きな瓶にノックをするような、反響が大きく聞こえる音だった。
『もうここがどこか、分かっているんだろう?』
「……いや、分からないよ」
くっくっと喉で笑う声が通話口から聞こえるが、それに対しての不快感は全くない。
「ただ、近い内に会えるんで、待っててください」
宣戦布告にも似た言葉に、とうとう彼女は声を出して笑う。大笑いする女は、ひとしきり笑って息を切らす。
『いいねぇそれ。まるで三世代目の魔女遣いみたいだ。彼も似たようなことを言って戦争を吹っかけたからね』
四人の魔女と一人の人間が八年前に引き起こした、第三次魔女戦争。世界最速の戦争は、人間の勝利と伝聞されている。
敗北した側の魔女たちがどうなったのかは知らないが、彼女たちを率いていた人間は魔女遣いと呼ばれていた。人間でありながら魔女に与する裏切り者と言われ、しかしその詳細は今なおやはり知られないまま。彼女たちを唆して第三次魔女戦争を始めたのか、それとも協力させられていたのか。
『そう。まだ何も知らない君に、私が教えてあげられるものはたくさんあるから。早くこの子を見つけて、私とまた対面して話そうじゃないか』
大仰な物言いに戻ると、通話は一方的に切られてしまった。
普段は物に当たらない白妙も、さすがにあまりの身勝手な相手の応対につい携帯電話を投げてしまう。後ろへ放ったそれは、大きな音を立てることなく枕に受け止められた。窓を開けて、夜風を浴びながら正面に見える中央区へ視線を向ける。
中央区第一区を象徴する、天を刺すような白い塔。電波塔の役割を果たしつつ、その最たる目的は国の力の象徴。経済主要都市であり、第三次魔女戦争の宣戦布告を受けた四ヶ国には同様の塔がそびえている。塔はシオンのどこにいても見えるほどの巨大さでありながら、その中がどうなっているのか市民は知らずにいる。その周囲にフェクター本部があることは周知されているが、フェクター隊員たちに開かれているとも聞かない。
白妙はあの塔を見ると、どうしても思い出すことがある。そして、それは自身の置かれている世界が変わった日のことでもある。