第8話 嫌われ者と国士
「カーマイン男爵、いや大隊長」
ダンがそう呼ぶ男は、いかにも軍人然とした人間の男だった。白い詰襟を着た彼は、このベースキャンプにて実働部隊を指揮する司令官である。
「己の殺しの技をもう少し誇ったらどうだリザードマン。貴公の技は現に役に立っている。だからこのベースキャンプにいることができる。自明の理だろう」
歯に衣着せぬ言い方。
これだけで人から好かれない万の理由に値するのだが、カーマイン公爵はそれに加え、今どき顰蹙を買うだけの貴族然とした態度を取る。現に彼はこの山岳国家マグメイルで、非難の的にある貴族だった。
「理解していますよ大隊長。私の技に有用性があるから、いることができる。人殺しは一人でいい。そうでなければ放逐されることはもとより、背後から刺されても仕方ないだろう」
「理解しているならば良い」
憮然とした態度を取るカーマイン男爵に、あからさまな舌打ちが周りから聞こえてくる。どちらかといえば、この二人の喧嘩よりも、彼の登場のほうが空気を悪くしているのではないかと思うのは、ダンだけでは無いようだ。
「そんな事はねえよ死神! お前は同じ傷を持つダチだ!」
「そ、そうですよダンさん! あ、貴方を悪くいう人なんか! 貴方が密猟者たちをやっつけてくれるだけで、どれだけの幻獣たちが助かっているか!」
思わずフォローをするプラッツとオリヴィア。背後にひっつくピノーも、周囲の人間たちも口々にダンを讃える。
だがカーマイン男爵はそれをフンと鼻で笑い、尚も表情を変えないでいる。
「貴公は懐かれているな。それでいい。そして、気を許されること無く畏怖を纏う。それが人を狩る対密猟者班であり、お前がお前である理由だ。使命を忘れるな」
「肝に命じております大隊長。私は人殺しで、その業で森に貢献していることを」
「ダンしゃま……そんな……」
「仕事に励めリザードマン。法の名の下、森を穢すものを殺せ。いいか皆!」
カーマイン男爵が大声を上げた。
「この森は幻獣たちのための最後の防衛線。害獣はもちろんのこと、最近は密猟者が土足で入り込む異常事態だ。皆諍いなどせず、新参者に負けないように。つまらないプライドで仕事をするアマチュアに、無駄飯を食わせるだけの余裕など無い」
最後の一言が余計だな―とダンは目を細める。彼としてはこういう指揮官は沢山見てきたので慣れっこだが、周囲はそうではないようだ。
にわかに、ダンのウロコには憎悪に似たものがひりつく。周囲の職員たちが、カーマイン男爵に対するそれを練り上げているようだ。
だがこのベースキャンプには彼に面と向かって文句を言える者はいない。彼は飛び切り有能であるからだ。人材雇用、資金管理、運用、作戦立案に緊急時の柔軟な対応から作戦式に至るまで文句の言いようが無い。
彼の家は貴族の中でも、かつての戦争で逃げ出さなかった、『不退転の十貴族』の一つだという。由緒ある武人の家系であり、侵略戦争の折も相当の活躍をしたと伝えられている。
その功績から今や権力の一つである王立レンジャーギルドの司令官を担い、様々な種族の人員をまとめ上げている。
名実ともに文句なし。誰が見ても『仕事だけは』完璧。
本来なら称賛されるべき稀有な貴族であるはずなのに、その最低とも言うべき人当たりの悪さが憎悪すらも生み出している。
カーマイン男爵は表情一つ変えずに踵を返して統括本部へと帰ってゆく。完全にその影がなくなると、周囲からは小声ではあるものの「なんだあの言い方は!」と不満が漏れていた。
「すまねえ死神」
「ごめんなさいダンさん……」
「良いのだ。大隊長の言うことは正しい」
「けどにゃ……あんな言い方って! ここにいる誰もがアマチュアじゃないにゃ!」
「はっはっは。まあ真面目で苛烈な御仁ですから。悪意は無いことだけは理解していただけると助かります」
背後から今度は穏やかな声がする。
皆が一斉にそちらを向くと、今までひりついていた空気が一気に霧散。すぐに朗らかなそれに変わった。
そこには純白のローブに包んだ初老の男が、護衛を連れて立っている。表情はとても穏やかで、カーマイン男爵とは真逆の人懐こい老人の顔だった。
「アンタ……いや、貴方は。アインツ公爵!」
ダンが「誰だろう?」と首をかしげる中、プラッツ隊長は言葉尻を言い直し、姿勢を正していた。他の職員たちも似たような姿勢を取る。
「ごきげんよう守り人の皆様。よくお仕事に励んでいらっしゃるようで何よりです」
「にゃにゃにゃ!? アインツ様が来るなんて珍しいのにゃ!? お忍びなのにゃ!?」
「いえいえ可愛らしい猫のお嬢さん。今年の『ハルモアの月夜』はこの私がベースキャンプの統括代理を任されることになりましたのでね」
ダンはピノーから再び出た名前で、ようやく思い出したと手を鳴らす。
(アインツ公爵。確か、ノーラが言っていたな。前の戦争で義理堅く国を守った、『不退転の十貴族』の一人だったか)
アインツ公爵の柔らかい声が不平不満を洗い流してゆく。彼はカーマイン男爵同様『不退転の十貴族』であり、その筆頭であると言っていい。国民に親しまれ、ベースキャンプにも多額の出資をしている国士である――と、ノーラが言っていた。
(めったに見ることは無いが、出会ったらくれぐれも粗相の無いように、だったな)
なるほど、皆の反応も納得だと心の中で唸るダン。そうしているとアインツ公爵と目が合ってしまった。
「おお、貴方があのリザードマン。お噂はかねがね」
アインツ公爵はやわらかな物腰でダンに近寄ると、微笑みを讃えて手を差し伸べてきた。握手のつもりなのだろうが、ダンは何故かすぐに手を出すことができなかった。だがアインツ公爵は嫌な顔を一つせず、ニコニコとしている。
「おや? 握手の習慣がない出身でしたかな?」
「あ、ああ。いえ。申し訳ございません閣下。ダンと申します」
ダンはそう言うとぎこちなく手をのばす。するとアインツ公爵はガッと両手で掴んできた。
それは、まるで選挙のときの政治家のよう。真っ直ぐな目でダンを見ると、再び優しさに満ちた笑顔を向けてくる。
「先程のお話は少し聞いておりました。その技を恥じる必要はありません。この森のために存分にお振るいください」
周囲がざわついた。
あのアインツ公爵がダンを認めたと。
だがダンは顔を緩ませること無く、「光栄です、閣下」とだけ言ってじっとアインツ公爵の顔を見ていた。
傍目から見ればダンはいつもの顔。特段変わった様子もなく、ピノーなどは「ちょっと緊張してるのかにゃ? そりゃそーにゃ!」と思う程度だ。
だがここにノーラがいたのならば肘鉄を見舞われて、こう言われたのだろう。
『なんでそんなに、警戒をするの?』
――と。