第7話 うららかな春と怒号
弾薬ケースを小脇に抱えながらベースキャンプをフラフラと歩く。小春日和の太古の森は、桜に似た形の藍色の花がヒラヒラと舞っていた。
ノーラが言うには、この花は『ヨルムヒナ』という花らしい。実際にその木を見せてもらったが大いに驚いた。それが、幼い頃に日本で見たソメイヨシノと瓜二つだったからだ。
「どんな世界でも、春はいいものだ」
広場のベンチに腰を落とし、ぼうっと眺めてウトウトするのがいつもの休日。道行く女性レンジャーたちに
「またダンさんが寝てる」
「かわいい」
「尻尾触りたい……」
とマスコット扱いされているのもつゆ知らず、目を細めてさんさんと照る太陽の光を体に浴びていた。
体がリザードマンになってからか、なかなか体温が上がらない。なので日光浴は習慣化していた。
それは変温動物としての体の弊害なのだろうか。ただ完全なトカゲかと言ったらそうでもなく、人間で耐えられる温度の変化でも普通に活動できるようだ。
ダンは細めた目で道行く人達をぼんやりと眺めるのが好きだった。
仕事で覗くスコープでは、相手の表情筋の動きさえよく見えてしまう。その視界は極端に狭く、長く覗き続けていると狭い箱に押しくるめられたような、ある種の息苦しさを感じてしまうのだ。
それを開放してくれるような、ベースキャンプの活気。
実に様々な種族が、自分の使命をまっとうするべく奔走している。
「案外、悪くないな。ここの生活」
ダンは根無し草の気もあってか、生前は仕事もあって一箇所に留まることを良しとしなかった。半年以上同じ場所にいたのは何時頃ぶりだろうか。
「死したはずだ。だが生き返った。体を貰い、仕事も貰えた。温かい家に相棒も。それ以上私は願わないさ」
この生に何の意味があるのか、なんの使命を負っているのかも全くわからない。
だがそもそも、この世に最初から使命を帯びて生まれてくるものなどいない。探してもわからないほうが多い。
ならばと、ダンはこの世界を満喫することにした。幸い得意な仕事ができる。命の危険もない。上司兼相棒だって、手がかかるが美しい。
戦場にいたころに比べれば遥かに幸せ。だから、なるべく仕事以外は穏便に――
――と、思っていたのだが。ここは人が多く行き交う街のようなもの。当然、彼の望まざる諍いもあり、すぐ目の前で起こることもある。
「なんてことをするの! この野蛮人ども!」
ハッとして目をあけてみる。いつの間にか広場には人だかりができていた。
「俺たちの仕事にケチつけようってのか? あぁ!?」
「当たり前よこの殺し屋共! なんで水精霊のケルピーを狩るわけ!? あんたたち、この種族が希少種だってことを知らないでしょう!」
「ふざけんな! こいつはしっかりとA級の害獣として認められてるモンだ! 言葉だって通じねえし、どんなに餌付けしても人をエサとしか見てねえ! ここで繁殖してみろ、いっきに下流の村に湧きやがる! その時、人が被害にあったらどう責任取るつもりだてめえ!」
がなる声が人だかりの真ん中から聞こえてくる。立ち上がり、人だかりの後ろから嵐の真ん中を眺めると――案の定、いつもの顔が睨み合っていた。
赤髪のマッシブな強面の大声に、ウサ耳の女性職員が真っ向から立ち向かっている。赤髪の男は害虫駆除班のリーダー。対する彼女は幻獣の保護と治療を行うバックアップ班の一つ、特別医療班の主任職員だった。
「だから保護する必要があったのに! あなた達にちゃんとリストを渡しているでしょう!? そもそもケルピーは背中に人を乗せない限り凶暴化しないの!」
指さす先には害虫駆除班が持ち運んできた幻獣の死骸。水色の肌の馬が、仄かな魔力の燐光を放っている。全体的に湿っているようでいて生臭くはなく、死骸であってもどこか超常めいた雰囲気があった。
「お前ら引きこもり共はまったく現場を知らねえ。いいか、ケルピーがおとなしいのも人に懐くのも全部背中に乗ってもらうためだ。その瞬間いきなり牙を剥いて襲いかかりやがる。背中に載せようとするその最中にも、魅了の力が込められているのも報告であっただろう!」
「それを上手に捕獲するのもあなた達の仕事でしょう! こんな可愛い幻獣を!」
「可愛いだ? これを見ろ!」
赤髪の男がケルピーの亡骸に近づく。ケルピーの顔を起こして、口をグイッと広げた。
そこに並ぶのは、馬には無いはずの犬歯――いや、もうこれは牙と言って差し支えない。ノコギリ状も思わせる強靭な牙がズラリと並んでいた。
「いいか、幻獣は時に人に牙を剥くんだ。それを脅威度も図らず、テメエらの可愛いだの何だの振り分けして、保護する時点でおかしいんだ!」
「貴方こそ解っていない。ケルピーはもともと清流を守る幻獣なのよ!? 水を汚す者に天罰を与える使者ということは、あらゆる文献や神話から証明されているの! 現に溺れた善き人を背に乗せて助けたという事例もある! つい最近よ!?」
「ハン! 文献なんぞようは昔の人間の妄想だ。どんなお墨付きがあろうともな」
「何いってんのこの野蛮人! 貴方には積み重ねた知恵の尊さがわからないようね」
「幻獣オタクが何言ったところで妄想の域を出ねえんだよ!」
「何よ!」
「やんのかコラ!」
周囲の人間も最初は野次馬のように笑って見ていたが、どんどんと険悪になってゆくムードにざわつきはじめていた。とうとう赤髪の男が拳を振り上げたが、害虫駆除班の部下達に「流石にそれは駄目です兄貴!」と止められている。
対して気丈にも立ち向かう褐色肌がエキゾチックなウサ耳の特別医療班の女性もかなり強気で、腕まくりをして立ち向かう。桜色のセミロングを逆立てて、今にも飛びかからんとするその姿に、他のスタッフが「落ち着けオリヴィア!」と押さえつけていた。
「ダンしゃま、ダンしゃま」
振り向くと、いつのまにか袖を引っ張っていたピノーがいた。目をうるませた上目遣いで、怯えているような表情をしている。ダンはすぐにそれを演技だと見抜いたが、指摘するのも無粋に思い、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「ピノー嬢、どうしたのだ? なにか困りごとか?」
「現在進行系で困りごとにゃ。ダンしゃま、あの二人止めてほしいのにゃ」
「仲睦まじい光景に見えるがな。このくらい正面からぶつからなければ、良い仕事もできないだろう」
「言ってることはもっともにゃですが、みんなダンしゃまみたいにかっこよくてクールで思慮深くてイケメンじゃないにゃ。悪い雰囲気になるとちょっとのきっかけでみんながみんなを悪くいうにゃ。ピノーはそれは好きじゃないにゃ――怖いにゃ」
なるほど、とダンは納得した。ピノーは統括本部の受付嬢だ。様々な人の窓口になるその仕事上、ベースキャンプの人々の機微というのをダイレクトに受けることになる。このキャンプの雰囲気がどんよりと曇っているのならば、ピノーが感じるものの重さは察するに値する。
――と、ダンが思いとは裏腹に、ピノーはちっともそんなことを思っていなかったりする。ようは「厄介の種になる、このウスラバカ共を何とかしてくれ」というのが本音だった。
「理解はしたが、期待はしないで欲しい。私はそういう表に出る性格じゃない」
「だいじょーぶにゃ! ダンしゃまゴー!」
そう言ってひっつきながらも、「どくにゃどくにゃ!」とダンを引きずるように渦中へと放り込もうとするピノー。ガッツリ腕を組んであざとく豊満な胸を押し付けている。
ダンとしてはもう逃げたかったが、彼にはノーラに拾ってもらった恩や、そもそもこのベースキャンプに大きな恩がある。求められれば応えないという道理は無いだろう……と思いつつも、深い溜め息がでた。
人混みをかき分けると、未だに怒鳴り合う二人の姿があった。とても割って入ることができなさそうな雰囲気だが、「がんばるにゃ!」と背後に回ったピノーにぐいぐいと押されてしまう。ダンは観念したようにコホンと咳払いをした。
「あー、ちょっと良いかふたりとも」
「あぁ!? ……なんだ死神か。今忙しいんだよ。このクソアマに今日という今日は思い知らせてやらねえといけねえ!」
「ダンさんならわかるでしょう!? この野蛮人になんとか言ってやってよ!」
ギラリと二組の双眸を向けられて、思わず萎縮してしまいそうになるダン。なんとかこらえると、両手を上げて「落ち着け」とも「参った」ともとれるジェスチャーをして、二人をなだめる。
「まぁ、落ち着いてくれ。ベースキャンプの仲間だし、ぶつかり合うのももっともだ。あー、私は新参者だから、偉そうなコトは言えないが」
「こいつが輪を乱してるんだよ。俺たちゃ命がけの仕事で森を守ってるんだ!」
「はぁ!? 貴方が森を乱してるのよこの脳筋!」
「おちつけ。おちつけ――あー、参ったな。ただオリヴィア嬢。私は命がけという点では、このプラッツ隊長の気持ちは解る」
「ほら見ろ!」
「プラッツ隊長もおちついてほしい。私でもプラッツ隊長のような強き人にがなられたら、思わず身を固くしてしまう。売り言葉に買い言葉をするかもだし、ついつい手を出してしまうかもしれない」
「ノーラちゃんにゃら、弓撃ってきそうですがにゃ~」
背後からニョキ、と顔だけ出したピノーが笑う。それに釣られて周囲も緊張の糸が切れたのか、どっと笑い声が巻き上がった。
「ほらみなさいよ! 本当に強い男はダンさんみたいなのを言うのよ。そんな杭打機振り回して! これみよがしに!」
「ハン。お前もお前で野蛮に腕まくりしてたがな? 棚に上げてよく言うぜ」
「何よ!」
「あぁ? やろうってのかコラ!」
落ち着かせようと思ったら更にヒートアップしてしまった。ダンの尻尾がうなだれるようにしんなりしている。
「おちつけと言うのがわからないか二人とも。どちらの言い分も正しいのだ。とりあえず納めておいてくれないか」
「だが死神! 俺たちゃ血を流して危ない橋を渡ってるんだ。森のためにな。中には命を落とした仲間だっている。そういう連中をこいつらは無駄だという! 野蛮だという!」
その言葉に思わずフフと笑うダン。どこか悲しそうで――それは、息巻く二人の毒気が抜ける顔だった。
「プラッツ隊長。私が言うのも何だが――我々の力は、もしかすると野蛮かもしれない」
ピタリ、と。プラッツを始めとした害虫駆除班達が息を飲んだ。
「死神、何を」
「私は特に人でなしだ。あなた達は栄誉を持ち帰るかもしれない。そのケルピーとやらは、首級になるのだろう。だが私は。この森を護るために。務めを護るために。昨日も人を撃った」
しん、と。周囲の野次馬もまた、息を飲んだ。
「そりゃ――」
「私の狙撃という技術は人外の技だ。具体的に言おう。まず、アースドラゴンを追い回す標的の足を撃った。駆け寄り防陣を組む人間に優先順位をつけて順番に撃った。プラッツ隊長達のような大いなる存在に立ち向かう勇気ではない。遠くから一方的に」
「ダンしゃま……」
「オリヴィア嬢も聞いて欲しい。私はその後に、二人の人間の頭が重なるその一瞬を逃さず、一つの弾丸で二人の頭を撃ち抜いた。逃げ惑う獲物をスコープで追いながら、この処刑を喧伝するようにと恐怖を植え付けた。まるであなた達がかつて貴族に感じた、それのように」
「う……うう……」
あれだけ怒りに満ち満ちていたオリヴィアも、そのウサ耳をしおしおとたたんでしまった。ダンの生々しいその言葉に、何か思うことがあるのだろう。
「ぞっとするだろう。人でなしだろう。私のかつての仲間も、私を仲間だと思わない者も多かった。背後からあわよくばと、弾丸を掠めたことも少なくはない」
実際に、ダンはそうして死んだ。あまりにも戦果を上げすぎて、恐れられ、疎まれ、部隊から追放された。恐怖を意のままに操るトカゲ男として生を終えた。
「ダンしゃま! そんな人はこのベースキャンプにはいないにゃ!」
「そうだと思う。こんな見ず知らずのトカゲ男を受け入れてくれたのだから。だから、ぶつかり合うのは微笑ましいが、傷つけあったならば、それ以上に悲しいことはないかなと、思うのだ……」
ダンの言葉は、ある意味今までの懺悔のようなものであった。
そんなことを語るつもりは無かったのだが。つい、彼らの微笑ましい喧嘩が、羨ましいと思ってしまったことから出た――ちょっとした嫉妬なのだろう。
「しみったれた事を言ってすまなかった」
「いや……死神。すまなかった。俺としたことがつい」
「……。この人達は理解できないけれども。ダンさんがそう言うなら」
うかつなことについつい自分語りをしてしまったが、なんとか収まりそうだとダンはホッと胸を撫で下ろす。
――が。ハッとして顔をあげると、こんどは別種類の剣呑な雰囲気を纏った人間が、腕を組みこちらを睨んでいるのが目に入ってきた。
「フン、何を言うかと思えば。随分と己を過小評価をするのだなリザードマン」
集まっていた皆も、プラッツもオリヴィアも「げっ!」とあからさまな反応をしている。
それもそうだ、近寄ってきた人間はこのベースキャンプのほぼ全ての職員が、特に苦手……いや毛嫌いしている『貴族』だからだ。




