第4話 エールお嬢様
ベースキャンプの酒場兼食堂は本来、レンジャー達の慰労のための施設だった。だが日を追うたびに、その規模は拡大している。
まるで野外アリーナにも似た、半ドーム型の建物。既にレンジャーたちの数を十分まかなえるにも関わらず拡大しているのは、先のノーラの言う通り、ここには他国からも調査団のためだという。
「ここはいつでも混んでいるな」
「でもいつもよりかは少ないかも?」
適当な席に座って給仕を呼ぶ。手慣れたようにエールを二つ頼み、つまみになるものを何品か選ぶ。やがて大ジョッキが運ばれてくると、ノーラは「かんぱーい!」とニコニコ顔でジョッキを掲げ、ダンと打ち鳴らすとグイーッと豪快に飲み干していた。
「んっはー! やっばいね仕事上がりの一杯。たまんなーい」
「その小さい体でよく飲む」
「ダンはあんまり飲まないよね。そんなに食べてるところも見たこと無いし。リザードマンがサラダと串焼き二、三本で良いの?」
「もともと少食なのだ。人間の頃からな」
「その話ね。いつ聞いても驚くわ。この世界の他にも世界があって、ダンは人間族だったなんてね」
自分だって信じられないとダンは思う。そもそも今眼の前に、創作の中で出てくるようなファンタジーの住人がいて、守るべきものも幻獣であるというのだから。
「ダンの世界はとても激しい世界だったのよね」
「そうとも言い切れんがな。故郷はそれなりに平和だったし、母方の実家の国は自衛のための武器すらも禁じられていた」
「でも貴方は戦場にいたのでしょう? トカゲ男と呼ばれて。今まさにトカゲ男なんだけど」
「そうだな」
「で、少尉さんに降りかかる凶弾の盾になったと」
「気がついたら森のなかにいた。それ以外は何もわからない」
「そしてまだ調査隊員だった私が見つけたってわけだ……ねえ」
「何だ?」
「あなたのよく言う、その少尉さんって人は……ダンの恋人だったの?」
珍しい質問だった。そして、あまりに急だったので言葉が詰まった。
ダンの上官である少尉とは恋人だったことは一度もなかった。確かに互いに恋愛に似た感情を持ったことはあるが、それ以上に神聖な何かというのが正しい。
憧れか、それとも師としての尊敬なのか。
相手からすれば、頼もしい部下であるのか。
うまく言葉で表現することが出来なくて、そもそもそれはハッキリさせることなのかと哲学的な考えに至り、最終的に「そういう人」で良いと思っていた。
なので、「恋人だったのか?」「好きな人だったのか」と問われれば否としか言えない。
「違うかな」
「そ! なら良かった」
「良かった?」
「だって。会いたいとか言ってさ、旅に出ていかれても困るし」
「都合よく元の世界に戻る術なんて無いだろう。魔法でも無理と聞いている」
「そーね。別の次元の世界があるって発想自体思いつかないかも」
「それならば、私が力を役に立てる場所にいる方がいい」
「実際に役に立っていると思うよ。みんなはその、もしかしたら怖がってるかもしれないけれど、ちゃんと感謝はしていると思う」
ぼんやりと浮かんでくるのは先程の本部カウンターでの一幕。確かに皆怖がっていた。ただ、嫌っているという目ではなかった。どちらかといえば、申し訳ないと、そう言っているような――。
このベースキャンプの人間は優しいとダンは思う。もともと幻獣を守るという尊い動機で集っているのだ、善性のある者たちが多いのだろう。その上いろんな種族がいるから、このどこの馬の骨ともわからぬトカゲ男を受け入れてくれるのは助かる。
「やっていることは人殺しだが、な――そもそもこの対密猟者班は君の発案と聞いた」
「そーよ?」
「何故このような事をしている? 君も、その、何と言えばいいか……」
「良いところ出のお嬢様なのに?」
「貴族の令嬢と聞いている」
「ウチは貴族の中でも異端。ピノーの言う通りどっちかっていうと平民に近いの。その方が良いわ。今は貴族嫌われてるから」
「なぜそこまで貴族は嫌われているんだ? なにかしたのか?」
「したも何も。今まで散々威張り散らしてたのに。侵略戦争が始まった時に一足先に逃げ出したのよ」
うわぁ、と。ダンは普通に引いていた。こういうのはどこの世界でもあるんだなと。
「軍隊は?」
「昔はなかった。貴族が幅効かせてる国ってね、貴族の私兵が軍隊なのよ。でもそいつらが逃げ出したら丸裸。義理堅い貴族は抵抗したけど、マグメイルは陥落寸前までいったわ。聖王教会からのドラゴン兵団が到着しなかったら、今頃国民全員奴隷よ奴隷」
そう話すと、周りのレンジャーたちも「ほんとそれ」と指をさし、そしてジョッキを掲げていた。ノーラは返答のようにジョッキを掲げると、「聖王に。そして古代の森に」と言ってガコンとジョッキを打ち付け、流し込むようにしてエールを飲み干した。
ダンはもう次のジョッキに手を伸ばす相棒を眺めつつ、なかなかにこのマグメイルという国は過酷な運命を辿っているのだなと思った。
彼女の口ぶりからすると、少なくとも十年のうちにそういう事があったのだろう。レンジャーたちの貴族に対する口ぶりからして、傷跡はそう浅くはない。
もう少し早く聞いておけば良かったかなとダンは反省する。ダンはこの世界が元の世界で電話がようやく普及した程度の技術水準の世界で、ライフル銃があると解ればそれだけで良しとしていた。
流石に割り切りすぎかなと思うが、これは傭兵の癖みたいなもの。深入りしない、国に興味を持たないが鉄則だったからだ。
「貴族がなぜ嫌われているかわかった。今連中は何を?」
「笑えるわよ。貴族制を残したい一心で慈善なツラしてるわ。やったこともないボランティアとかを片手間にしたり、あきらかに怪しい慈善団体に寄付したり」
「……どの世界でも、そういう連中の性根というものは変わらんな」
いっそ貴族などなくせばいいのにと思ったが、国が崩壊でもしなければ根付いたものは中々取ることはできない。しかし聖王教会なる団体の介入があったことで、貴族はせめて形だけでも民に寄らなければならなくなった……ということなのだろう。
「でも私の家は違った。お父さんは最初っから変わった人でね。これからは商売の時代だって、何を思ったか酒の蔵元になったのよ」
「それは素晴らしいことだ。どんな酒を作っているのだ?」
「もうダンは飲んでいるよ? それよ、それ」
指差すのはダンの持つジョッキ。感情の起伏が少ないダンでも思わず目を丸くしてしまった。このキャンプでも至るところで飲まれているエールの蔵元。それがノーラの実家だという。
そう言われてもう一度口に含んでみればなるほど、このエールは質がいい。こんな辺境地に持ってくるにはもったいないほどにだ。
「すると君は、大金持ちの令嬢ということになるが?」
「そうよ。だから貴方と二人きりの班が作れるってね」
「お嬢様、言葉遣いを改めたほうがよろしいでしょうか?」
ダンが茶化すと、ノーラがにわかに顔を赤くして「や、やめてよ!」と手を振る。
「なら助かる。堅苦しい言葉は苦手だから」
「も、もう。今なんか変な扉開きかけたわ」
「?」
「何でもない! ……ダン、けっこう『いい』性格してるよね。まぁ、でも。金持ちって言われるのは悪い気はしないかな。私、お父さんとゼロから頑張ったし」
端的な言葉と表情に苦労がにじみ出ている。ダンは黙ってジョッキを仰いだ。
「いろんな家が没落してく中で生き残ったのはいいんだけどさ……お蔭でアタシは社交界で成り上がりのエール嬢とか陰口叩かれてるのよ? 芋臭いんじゃなくて麦臭いとか言われてさ! あいつら悪口しか趣味ないのかしら?」
ガーッとジョッキをあおるノーラ。もう大ジョッキ三杯目である。給仕たちも慣れているのか、彼女が飲み干す辺りに回ってきてはジョッキを置いている。
「なあ、もしかしてその意趣返しという訳じゃないだろうな? この対密猟者班は」
「半分当たり」
ダンは思わず片手で顔を覆った。まさかの私怨で作られたものだとは。
「もう半分は何だ? 社交界に出たくないとかそういうものか?」
「――いえ。純粋な復讐」
端正な顔立ちから、さらに物騒な言葉が出てきた。顔は赤く、既に酔っ払っているものの、その言葉を出した時だけノーラの顔は真顔だった。